佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

NPO活動パネル展

2010-10-29 | 佐世保・長崎

いま佐世保市では、「NPO活動パネル展」を開催しています!
場所は市役所と「すこやかプラザ」をむすぶ連絡通路にて。




このパネル展は、今年初めて開催する『市民協働交流月間2010』の一環として企画され、
今回は市内の27団体が出展しました。

「石木川まもり隊」も出展しませんか?とお声がかかって、はじめはびっくり!

えっ!私たちってNPOだったの?って感じ。

私はNPO法人とNPOをごっちゃにしていたようで、

NPOとはNon Profit Organization の略語で「非営利組織」つまり、
利益を目的としない組織の総称で、

NPO法人とはNPO法に基づいて都道府県または内閣府の認証を受けて設立された法人
のことだそうです。

うん、私たちは確かに利益を目的とはしていない!ので、小さな小さな集まりだけど、
NPOと自認していいんだな…と、納得しました。


こちらは、その認証を受けたNPO法人で、「フリースペースふきのとう」と「佐世保空襲を語り継ぐ会」

           

確かにどちらも社会に大きく貢献し、しっかり根付いている組織です。


こちらも大変意義のある活動で、特に「チャイルドライン」は全国組織なので、
NPO法人だとばかり思ってましたが…
          


中には、初めて知った団体名もありました。

                 

「ひらけゴマ!世のな科スクール」というネーミング、なかなか面白いですね。
小学生を対象にしていて、こどもたちが自らのコミュニケーション力を高めることを目的としているそうです。
それって本来学校で学ぶことかと思ってましたが…


   

こちらは「古文書解読研究会」ですって。
難しそう・・・ でも、面白そう~


さて、さて、お待たせいたしました。
「石木川まもり隊」のパネルはこちらです!



左のパネルで「石木川まもり隊」の説明をして、
右のパネルで「石木川」とその周辺の自然について紹介してみました。

右の写真はほとんど(サンショウウオを除いて)、私が撮ったものです。エッヘン!
サンショウウオの写真だけはボケていて使えなかった!トホホ…

レイアウトやデザインは夫の考案です。
こういうことにトンとセンスのない私ですので…

それにしても、
このパネル展を企画したのは、佐世保市の市民生活部 市民協働推進室ですよ。
ダム推進を叫ぶ佐世保市に反対して、脱ダムを訴えている「石木川まもり隊」の活動を、
きちんと伝える場を与えて下さって、感謝!です。
 
はじめに書いたように、このパネル展は、いま、
市役所の2階と「すこやかプラザ」の3階を繋ぐ連絡通路に展示されています。
そう、できたてピカピカの明るい通路です。
11月5日までです。

その後は、図書館や交流プラザやアルカスでも展示されます。
詳しいスケジュールはこちらをクリックして下さい。
http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/www/contents/1287988126257/index.html


佐世保市民の皆さま、
どこかでこの展示に出会われたら、足を止めて見て頂ければ幸いです。 

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YOSAKOIさせぼ祭り2010

2010-10-24 | 佐世保・長崎


今年もやってきました。YOSAKOIさせぼ祭りの季節。




10月22日の前夜祭から始まって24日まで、全国から165チーム、約7000人の踊り子が参加。



可愛い踊り子たちも頑張っています。



ここは、我が家から徒歩5分ほどにあるアルカス広場。

YOSAKOI は、メーン会場の名切お祭り広場をはじめ、アーケード街、駅前広場、パールシー、
ハウステンボスなどなど13ヶ所で繰り広げられました。

昨年の観客数は24万人ほどだったそうですが、今年はどうでしょう?
アルカス広場では佐世保市民がこんなにたくさん楽しんでいました。
けっこうお年寄りも多いんですよ。



きっと、この躍動感とはじける笑顔を見ていると、こちらまで元気になるからでしょう。






ものすごい運動量で、終わると同時に肩で息をする皆さんですが、
踊っている時はほんとに楽しそう!









踊り子たちの美しさは、笑顔ともう一つ、感謝の心があふれているからだと思う。

素敵な演舞を見せてもらって、私たちこそ「ありがとう!」の気持ちなのに、
終わると同時に深々と心を込めてお辞儀する姿、
精一杯の大声で「ありがとうございました!」と叫ぶ青年たち、
拍手する私たちの手にも力が入ります。


実は今年はいろいろ忙しくてYOSAKOI見物どころではありませんでした。
最終日の今日、午前中は雨が降り、もう今年は見れなかったな~
と思っていたら、午後から曇りとなり、時折晴れ間も…

お!これは、ちょっとだけでも覗いてこなくっちゃ!
と、まずは一番近い駅前広場に来てみると、真剣な表情に出会いました。
前のチームの演技をくいいるように見つめています。



演舞前のスピーチ(チームの代表がチーム名や県名、意気込みなどを語ります)で、
彼らが「よさこい」の本場、土佐の高知からやってきたことを知りました。



この中に高知出身の人は2人しかいないそうです。
あとは全国から集まった若者たち。
YOSAKOIに魅せられて、本場での修行にやってきた人たちなんですって。

これが「よさこい」?と思うほど、激しいリズムの連続の踊りに圧倒されながら、
ぐいぐい引き込まれていきました。

この中に佐世保出身の若者も2人だったかな?いるとのこと。
彼らはもちろんのこと、チーム全員が佐世保で踊ることを本当に楽しみに待っていたと、
それほど佐世保のYOSAKOIは素晴らしい!と語ってくれました。

ドスのきいた声でスピーチしてくれた代表のお兄さん、
私なんでも真に受けちゃうほうなんですけど、そのお言葉、社交辞令ではありませんよね~?



自分たちの演舞の後、後続のチームに温かい拍手を送る踊り子さんの様子がとても素敵で…

おや、魅せられていたのは私だけではなかったようね、スタッフさん!


2日間、佐世保の街は踊り子と見物客で賑わいます。
公園や通りには、YOSAKOIの衣装を身にまとった人がいっぱい。

この光景は・・・
よそからやってきた踊り子キッドに、佐世保のシティボーイが道でも教えているんでしょうかね~






夕方帰るとき、再びアルカスのそばを通ったら、
すべての演舞が終わって、反省会でしょうか?輪になっているチームに出会いました。
みんな真剣な表情で、涙を浮かべてる人もいました。

どんな涙なのか知る由もありませんが、
願わくば感動の涙でありますように…祭りが終わって別れの涙でありますように…

もしも失敗したとか、コンテストで予選落ちしたとか、そんな涙であったとしても、
また来年もありますからね~

また来て下さいね~

そして、佐世保にまた元気をくださいね~

待ってまーす
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COP10現地からのメール

2010-10-23 | 雑感

いまCOP10Conference of the Parties)=生物多様性条約の第10回目の締約国会議
名古屋で開催されていますね。

新聞・テレビの報道によると、
生物遺伝資源の利用と利益配分に関する「名古屋議定書」の採択に向けた交渉は難航していて、
昨日の全体会議で、継続協議になったそうです。

原産国としてより多くの利益獲得を目指す途上国と、利用側の先進国との間には、
予想以上の大きな隔たりがあるようです。

また、2020年までの生態系保全の国際目標もほとんど合意できなかったとのこと。
いずれも27日からの閣僚級会合に持ち越される見通しだそうです。

そんな中での明るいニュースは、
日本が提唱した「SATOYAMAイニシアティブ」人と自然が共生する里山などの保全を目指す運動は、
決議案が合意に至り、29日の最終日に採択されることになりました。
この中で、農山漁村の生態系の維持や、自然資源の循環利用などの理念がうたわれています。

う~ん、これって、まさに「こうばる」のことよねー 
川原の生態系は維持しよう!って、世界の人も認めてくれたのよねー 
と、名古屋から遠く離れた佐世保の空の下で、かってに解釈しております。 


新聞、TVのニュースでは、COP10のことも、ごく一部の情報しか伝わってきませんが、
ネット上ではいろんな様子が伝わってきます。

私が参加している[cop10jp]のMLや[suigenren]のMLにはいろんな情報が飛び交っています。

そんな中、今朝届いたらんぼう君のメールをご紹介します。
以前、石木ダム工事阻止の座り込み現地にも来てくれた、あのらんぼう君です。

(転載歓迎って書いてあったので、かってに転載させて頂きます)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

らんぼう@名古屋です。
昨日の昼過ぎまで山口県上関町・田ノ浦にいました。

20日も中国電力が陸と海からまた来ました。
陸では13日になぜ汚水を垂れ流し続けたのか説明をしにきたり、
また作業をやって来ようとするので抗議をしたり…。
海では台船の作業をさせて欲しいと形式上のお願いにきたり…。

13日に中国電力・JVが貯水池から海に垂れ流した汚水は、
洗剤のジョイを油膜らしきものが二メートルにわたり広がっていたので(鉄バクテリアだったらしい)
あわてて雨水の貯水池に500ml撒いたのが原因でした。
その時は約一時間こちらの呼びかけを無視しなにもやろうとしなかったので
抗議をしていたメンバーで汚水が流れるのを土のうなどでとめました。

ここ数日の映像はこちら【スナメリチャンネル→http://www.youtube.com/user/hakunamatataTJ】

その後も、作業台船を動かすなど様々な形で埋め立て工事を行おうと連日やってきていますが
地元住民や全国から集まった有志で現在も抗議行動が続けられています。

19日には名古屋にて今、起こっている上関の問題を本会議場でも取り上げて欲しいという282団体の
声明を届けるため緊急国際共同記者会見も本会議場にて行われました。
http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?unm=nonukekaminoseki
共同通信やジャパンタイムズでも報道されたようです。

現在も山口県上関町田ノ浦では、陸と海から24時間体制で監視・抗議行動が続けられています。

そんな中、名古屋では16日夕方から始まった7Gウォークメンバーによるハンガーストライキ
(現在三人が続けています。うち二人は飲み物を摂取しています。
山田俊尚くんは断食・断水で行っています。彼は僧侶時代から何度となく断食の修業を重ねています。
今の所三人の健康状態は良好です。)【
http://www.7gwalk.org/】や
市民団体の働きかけがきっかけとなり22日COP10の本会議で上関の話題が取り上げられました。

上関の話題が出たとき本会議場では拍手喝采が沸き起こったそうです。

今後、どうすれば更にこの問題の解決に向けて効果的な内容でアピールできるかを
23日ホットスポッターズミーティング(本会議とは別です。)で話あう予定です。

このメールを読んだ方々の中に国内外のメディア・政治家に精通する方々がいれば
この事実を出来る限り多く広げてください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


らんぼう君のメールにあった国際共同声明の内容を以下に貼付します。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

広島-上関リンクと連帯する国際協同声明
広島の近くに建てられようとしている原子力発電所により、生物多様性が深刻な危機

2010年10月19日
名古屋、日本

私たちは、瀬戸内海国立公園の生物多様性のホットスポットである上関での原子力発電所建設計画を憂慮する市民の団体である広島-上関リンクと連帯して、ここに国際共同声明を発表します。

私たちは、生物多様性条約第10回締結国会議の参加者が、緊急かつ重要な課題として上関問題を扱い、日本政府が生物多様性保全への議長国としてのコミットメントを具体的な改善行動で示すよう強く勧告します。 

広島に本社を置く中国電力株式会社が、広島から82km地点の上関に原子力発電所を建設しようとしています。この計画は次のことにより、生命にとってかけがえのない環境を取り返しのつかないほど破壊する可能性があります。

・海上の埋め立て
・海水温上昇
・壊滅的地震災害のリスク(予定地における多くの活断層の存在)

私たちは放射能汚染や低線量放射能による内部被曝についても憂慮しています。

広島・上関リンクは、2010年10月18日にインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(アジア太平洋版)に意見広告を掲載しました。読者へ、特にCOP10により日本に滞在する人々に、上関の生物多様性(生物の生存)の危機問題に注意を向けてもらうことを目的としたものです。

このキャンペーンは多くの日本人の関心を呼びました。広島-上関リンクは数名の個人により10月4日に結成され、わずか10日間で500名を越える個人から募金を集め、意見広告掲載を可能としました。テレビでの報道や有名人の起用によるのではなく、主としてブログやツイッタ-、口コミでキャンペーンの情報が広がりました。このキャンペーンの急速な拡大は、計画された原子力発電所の周辺の生態系への深刻な影響への強い関心を反映しています。
多くの人々が上関問題に関する政府の環境政策に不満をもっています。ほぼ30年にわたる断固とした地元住民の抗議の声に政府が耳を傾けることはありませんでした。

しかし日本政府が聞く耳を持たないにもかかわらず声を上げてきたのは地元住民だけではありませんでした。生物学を専門とする日本生態学会、日本鳥学会と日本ベントス学会の3学会は、上関が瀬戸内海の生態系にとって重要な場所であり生物多様性の心臓部にあたるとして、関係省庁に10回にもわたり、より慎重な環境アセスメントを要望してきました。しかし日本政府は今のところその要望には応えておりません。

署名をした私たち293の世界各国の団体と組織は、広島・上関リンクと連帯して、COP10の参加者に、そして国際社会に次のことを要請します。 まずこの上関原子力発電所問題を今回の会議の重要問題として取り上げてください。そして日本政府に、自国の沿岸部において生物多様性保全のために必要な対策を講じるよう強く働きかけてください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


この国際共同声明参加団体募集に応じて、実は「石木川まもり隊」も手をあげました。
292団体の方々と共に意思表示できて、嬉しく思っています。

お暇な方は次のアドレスをクリックしたら、全団体名が見れますよ。
http://ameblo.jp/nonukekaminoseki/entry-10678414280.html


上関原発も石木ダムも、建設計画の一日も早い中止を願っています!

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うたごえが繋ぐもの

2010-10-18 | 雑感
17日、三日間にわたる「日本のうたごえ祭典in長崎」が、昨日閉幕。 

めちゃくちゃ忙しい三日間だった。

自分の出番(リハーサルと本番)も大事だし、
他の合唱団の歌も聴きたいし、
で、どうしてもあっちゃこっちゃ動き回るハメになったのです。

15日は、『干潟の海の詩』の練習をブリックホールのリハーサル室でやって、
その後、舞台に移動して、並び方や漁民の方との合わせをやったりして、
終わり次第、市民会館での合唱発表会に駆け付けたのだけれど、
・・・ショック!
愛知県からやってきたすぎちゃんたちの発表は終わっていた!

でも、最後の方に登場した東京からの「白樺合唱団」の演奏はしっかり聴けました。
眼鏡も忘れずに持っていったので、
律子さんが生き生きと歌っている姿を見ることができて嬉しかった。

発表会が終わって外に出ると、もう人の海で・・・
すぎちゃんにも律子さんにも会えないだろうと思っていたのに、
会館入口横で記念撮影していた白樺合唱団にバッタリ遭遇、
律子さんと手を取り合っていたら、
そこにすぎちゃん登場!
ハグして再会を喜び合いました。 

再びブリックに戻り、急いで着替え、練習室で最後の練習。

そして、18:45、音楽会開演。
いよいよ本番のステージに立ち、心を込めて歌いました。
会場のどこかで聴いていて下さっている漁民の方や支援者の仲間の方へ
がんばろうねの思いを込めて。
全国から集まった歌を歌う皆さんに、干潟の海の危機を知って下さいとの思いを込めて。


歌い終わって客席に戻ってからは、星野恵利さんのオペラ「蝶々夫人」や、
ナターシャ・グジーさんの素敵な歌声を堪能し、
終演後は、すぎちゃんと待ち合わせ、遅い夕食を楽しむ暇もないくらい、
懐かしい話で盛り上がり、長崎の夜は更けていきました。

それぞれの環境は違うけど、「うたごえ」を続けていたから、こうして会える!
こうして心が繋がる・・・


16日も同じようなドタバタが続きましたが、
オリジナルコンサート会場の受付に「エーちゃん」が座っていたのにはびっくり!

初めましてのご挨拶もそこそこに、すぐにリハーサル室へ、そして本番。

終わってロビーに出てきたら、息を切らせている真如さんに遭遇。
佐世保の「うたごえ」代表の彼女は、アリーナでのリハを終え、
文字通り駆けつけてくれたのに、予定より早く進行していて、演奏が終わったところでした。
(昨日の私とお・ん・な・じ)

顔中から汗を噴き出しながら、「なんで~?くやし~!あんなに走ったのに~」と嘆いてた真如さん。
本当にありがとう。

また、エーちゃんが「こうばる」の歌をデジカメで録画して下さっていたこと、後で知りました。
しかも、それをYou Tube で公開して下さいました。
感謝いっぱいです!

アドレスはこちらです。 みなさん、是非ご覧になってください。
 http://www.youtube.com/watch?v=jZ_TEg3dQJM&feature=player_embedded


午後は祭典記念合唱「平和の旅へ」の練習やリハを頑張りましたが、
なにしろ出場を決めたのは、つい最近。
めっちゃ練習不足!歌詞も覚えてない!旋律もあいまい!
こんなんじゃ出れないよー、皆に迷惑かけちゃうよー、と渋る私を強引に誘った真如さん。

「うたごえは参加することに意義があるの!」とお尻を叩かれ、
「そっかー」と安易に納得した私。
が、リハの会場で、「怖いもの知らず」とは私たちのことと思い知らされました。

幸い私の隣には、長崎で一番上手な女性コーラスの団員のFさんだったので、
「すみません。ほとんど練習してなくて…。ミスするかもしれません。
 ご迷惑をおかけしないよう耳をダンボにしてついていきますので、宜しくお願いします」
と、先手を打って謝ると、

「ううん。そんなことないよ。よく歌えてるじゃない。私も歌詞を時々間違うから、まだ楽譜が手放せないの」
と優しく言って下さって…もう天使のように見えました!

豪語してた真如さんも少し不安になってきたようで、
私たちは二人してFさんの「金魚のフン」状態になっていました。

でも、本番が終わって大観衆の拍手に包まれたときは、
そんなことはすっかり忘れ、気分は最高!
ステージに登場した高校生たちと、「一本のペンで」(高校生1万人署名活動のうた)を歌い、
最後は会場全体4800人の大合唱「長崎の鐘」を歌って、感動のフィナーレでした。

最終日17日は合唱発表会だけなので、
「うたごえサークルふれんど」の仲間と共に小編成の部に出演、
全国からやってきたいろんなグループの個性的な演奏を楽しむことができました。

若い女性の爽やかなデュオあり、シニアの微笑ましい歌声あり、
力強い男声合唱あり、プロのように美しいアカペラのコーラスあり、
漫談風な楽しいコミカルな合唱あり・・・本当にそれぞれがオンリーワン!って感じでした。

これが「うたごえ」のいいところ。
ナンバーワンを目指さなくてもいい。オンリーワンの個性を大事にできる。
そして、上手いも下手も一緒になって、歌うことそれ自体を楽しみ、繋がっていける。

その絆が、平和を守ろう!自然を守ろう!命を守ろう!という力を生みだして行く。

移動のタクシーで乗り合わせた、千葉県から参加された方からの言葉が嬉しかった。

最高の祭典でしたね。
長崎だからできた祭典ですね。
オバマさんは核実験しちゃうし、日本政府はいつまでたっても自立できないし、
ため息の出るようなニュースばかりだったけど、長崎の高校生を見てると希望がわいてきますね。
いつも感動いっぱいの祭典だけど、今年は特に希望や明るさを感じる祭典でしたよ。
本当にお疲れ様でした。

いえいえ、私は何もしてません。
この言葉は必ず実行委員の方々にお伝えしますね。

カウントダウンが始まってからは、
本当に寝る間も食べる間もなかったと聞いています。

昨夜はたっぷり美味しいお酒に浸られたことでしょう。
今朝はめいっぱい朝寝坊されたことでしょう。

でも、きっと夜まで寝ても足りないんじゃないかな~

できれば…三日間くらい眠り続けてもいいんじゃないでしょうか?

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お別れ会

2010-10-14 | 佐世保・長崎
それは告別式ではなく、「お別れ会」だった。
手にした数珠をそっと黒いバッグに仕舞った。

遺族を代表して、初めに長女の方からのご挨拶があり、
続いてフォークソンググループ「かちがらす」による歌とお話。
そして、白菊の献花。
最後にお兄様からのお礼の言葉。
とてもシンプルで温かいお別れの会だった。

その間ずっと涙が止まらない。どうしてだろう?

あなたとお話したのは、この両手の指で足りるくらいの回数でしたね。
あなたとお会いしたのは、片手でも足りるくらい…。
なのに、どうしてこんなに悲しいのか。

初めてお会いしたのは、ある会の会合で。
ああ、この方があの有名な「かちがらす」(私の周りの人からよく名前はきいていた)の川内さんか…
と思っただけ。
2回目にお会いしたとき、会合の後で、「西海アラカルト聴いていますよ。頑張ってください」
と言われてびっくり!

音声訳の会の先輩から、「視覚障害者の方は声ですぐ見分けられるよ」と聞いていたけれど、
本当にそうだなと実感したし、嬉しかった。
ちょうどその頃、音声訳の仕事の大変さがわかってきて、続けるかどうか迷っていた時だった。

その次に会ったのは、昨年の今ごろ、
「石木の里山ピクニック」を仲間たちと企画した時参加してくださった。
普通の人でも上がって降りてくるのをためらうような急な石段が続く「岩屋権現」まで、
奥さんの肩を借りてとはいえ、軽々と歩かれたのには本当に驚いてしまった。

その次は今年の1月に、「歌声喫茶」のお知らせの電話をしたついでに、
「5月の末の『ほたる祭り』には歌のライブもやりたいと思ってるんですが…」と水を向けたら、
「いやー、いいですね。是非参加したいなぁ。詳細が決まったら教えて下さいね」と言われ、
喜びつつも、半信半疑だった。

春になって「まだ詳細決まってないの?」との電話を頂き、本気だったのか!と知る。
また、「川原のうた」の楽譜を送ってほしいと頼まれ送ったこともあったっけ。

着いたとの電話の時、「いい歌だね。是非歌ってみたいな」と言ってくれた。

そして、5月になって急に「ほたる祭りに参加できなくなった。明日から入院するので…」
とのメール。
えー!?っとショック。でも、病名は聴けなかった。
なんとなく予感があったから。

1月に外間さんが癌でなくなったばかり。
温かくて明るい雰囲気が似ていた。
神様はいい人から連れて行かれる…と言われているから。

しばらくしてメールがきた。私の予想は当っていた。

そして、8月1日、石木川の支流の素晴らしい河原で納涼会をやっていたちょうどその時に、

いま一時帰宅で家に帰ってる。水の流れが聴きたい。石木川に行くにはどのくらいかかるの?
どうやって行けばいいの?

と電話がかかってきた。
「わー、グッドタイミング!いま河原でバーベキューやってるんですよ。是非来て下さい」
と言うと、

「そこは車いすで降りていける?」と訊かれ、

「うーん、ちょっと難しいですね」と、正直に答えてしまった。

結局彼は来なかった。
後で考えたら、帰宅といっても、車イスでなければ移動できないほど弱っていたのだ。

その後、電話もメールも来なかった。
体調が悪化しているのか・・とずっと気になりながら、こちらからの連絡は差し控えていた。

そして、突然舞い込んできた訃報!


どこかで予感していながら、強いショックだった。

早い!早すぎる!
もっと早く出会っていたかった。

お別れ会でお嬢さんが語った言葉、

父が怒った顔を見たことがありません。
幼い頃は目の見えない父が悲しかったけど、成長するにつれ、
その大きさがわかってきて、自慢の父でした。

友人の方はこうおっしゃいました。

僕は目が見えないというハンデを神様に与えられたけど、
それと引き換えに、ワチという友と出会えるという幸せを与えてもらった。


あなたは優しさや温かさだけでなく、信念の人でもあったんですね。
今日初めて聴いた歌、川内洋司作詞の歌がそれを教えてくれました。



         レジスタンス

1.猛スピードで走り去った 車から捨てられた空き缶
  アスファルトに鈍い音を残して 海に落ちた
  道沿いのわずかな緑 散らばったタバコの吸い殻
  その横で小さな花の焦げた花びらがふるえていた
  「なにかが違う」と立ち止まってしまった そんな僕の横を
  素知らぬ顔で追い越してゆく 人の流れは加速度
  時代遅れと笑われようとも
  失いたくない僕のレジスタンス

2.橋の上から子供の頃に遊んだ川を見下ろす
  ビニールゴミと淀んだヘドロが
  メダカの代わりに泳いでいた
  工場吐きだす便利の見返り お日様さえもかすんでゆく
  物はあふれてお金で買えない物がまだあるのだろうか
  道を違えて 豊かさの海に沈みゆくこの島に
  それでもピカピカに着飾った 恋人たちは楽しそう
  はやりの言葉でかたずけられても
  売り渡したくない僕のレジスタンス



        なぜ どうして

1.なぜ? どうして?と聞いている君に
  父はどんな答えを出せるでしょうか
  なぜ? どうして?と聞いている子どもに
  大人はどんな心で答えるでしょうか

  おとぎ話や童話のひとつひとつの場面のことに
  虫や鳥 草や木の生きている命のことに
  その手にすくった石清水 お話していたすみれの花
  悔し涙の苦い味 君の描いた夢のこと

  父さんが歌に託して言えることは
  「その言葉」「その気持ち」忘れないでいてほしい
  君の優しさ失わないために
  君の心見失わないために

2.なぜ? どうして?と聞いている心
  見下ろす人は向き合おうとはしないでしょう
  いつか君が 理不尽 突きつけられたときには
  怒りを込めてその言葉 問い返すのですか

  人前で平気な顔をして嘘をつく偉い人
  お金を積まれて心を売ってしまった大人たち
  人が人を傷つける 人が人を差別する

  父さんが思いを込めて言えることは
  「その言葉」「その気持ち」問い続けていてほしい
  君の優しさ失わないために
  君の心 見失わないために
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こうばるの秋

2010-10-12 | 石木ダム


お久しぶり!
川原の案山子さんたち、今日も一致団結、ダム小屋で頑張ってますね。

私?
私はね、今日は川原の秋を見に来たの。

ええ、昨日も川棚に来ましたよ。
でも、いつも夜でしょ。こうばるの美しい秋景色をぜんぜん見てないんだもの。

黄金の稲穂と、コスモスがお目当てでね。

おお!
予想通りの黄色の海ですね。いいですね~





どれどれ、今年のできは…?

異常気象のせいで不作の地域が多いと聞いているけど、
素人目にはよく実ってるように見えますねぇ。




う~ん!素敵だなぁ。

アンダンテの「稲の旋律」が聞こえてきそう。。


おお!コスモスも満開ではありませんか!




あちこちにカメラを向けていたら、
「なんば撮りよっと?」「どっから来たと?」と、おじいさん集団(4,5人)に声をかけられた。

知らない顔ばかりなので川原の人たちではなさそうだが、皆さん作業服姿。手には草刈りの道具。

「佐世保です。田んぼやコスモスを撮ってるんですよ。きれいですねー。おじさんたちは?」

「俺たちはシルバーよ」

は?

「草刈りに来とるとよ。年に3回くらい。役所に頼まれてな」

「はぁ。ボランティアですか?」

「違うよ。シルバーて言うたろ。ちゃんとお金はもらうよ。ここにもうすぐダムができるとよ。
 草を刈っとかんと、ダムの水が腐ってしまうけん、きれいにしよるとよ」

「はぁ。やっぱりダムはできるんですかね~?こんなきれいな自然は残して欲しいんですけどね…」

そうしたら、そのおじさん、オヤ?という顔をしたのです。
そして、周りにいたお仲間が、休憩が終わって草刈り現場に向かい始めるのを見ながら、

「実は俺もそう思っとると」と、ポツリ。

「えー、ほんとですか?嬉しいですねー」
で、しばし歓談。そのお話から見えてきたおじさんのプロフィールは・・・

現在70歳。以前佐世保に住んでいた。佐世保は楽しかった。
米軍の船の中で働いていた。
で、彼らに「スケベバー」を紹介してやると、すごく喜んでたくさんお金をくれた。

川棚に越してからずいぶん経つが、川棚は好きになれない。
(なぜ?と訊くと)
人間がみみっちい。
(ケチということではなく人間としての器のことらしい)
佐世保の人間はよそ者に親切だったが、川棚はそこが違う。
(ほんの隣町なのにそんなに違うんですか?と訊くと)
違う!だからダムのことも、思ってても反対とか言えん。

どうも川棚で出会った方々との相性が悪かったみたいです。
私が出会った川棚の方々は、みみっちいとは正反対の人ばかりです。

佐世保時代のこと、いろいろ話されても私がポカンとしてるので、
「あんた、佐世保の人じゃないね」
「はい。2年前に埼玉から越してきました」
「埼玉?よかとこやないね。なんでこげん田舎にきたとね。俺も一時川崎に住んどったよ」
「えー!川崎ですか?私も住んでましたよ、ちょっとだけ」
「そうね。俺は中原区だったけど」
「えー!私も中原区ですよ!下小田中ってところ」
「ほんなこつか?俺も下小田中よ。会社の寮やったけど。あの頃は周りは田んぼばっかりで…」
「そうそう。ここが川崎?って感じでしたものね」

近所にあったお店や学校の名前を言われたけれど、その記憶は私にはなく…
(住んでた時期が10年ほど違っていた)
話がかみ合わなくなった頃、おじさんはお仲間の方に呼ばれて、仕事場に向かって行った。


やれやれ。
再び、コスモス注目。

あれ?コスモスと看板って意外と似合ってますね。






それにしても、素晴らしいコスモスの群生です。
もちろんかってに咲いたのではありません。
「こうばるの花屋さん」と私が密かに名付けた「ふさえさん」が丹精込めて咲かせたコスモスです。

佐世保には「オランダの花屋さん」という素敵なお店がありますが、
「こうばるの花屋さん」はお金をとりません。

県の要請に応じてダム建設のために家や土地を売って出ていった人たち。
近所にあるその跡地が荒れ放題になっているのを見かねて、ふさえさんはそこに花を植え始めました。

仕事や家事の忙しい合間を縫って、一生懸命世話をしてくれるので、
花たちも喜んで嬉々として咲いています。

そこを通る人たちは思わず足を止め見惚れます。
(虚空蔵山への登山者も多いようです)

すると、ふさえさんは「どうぞ。どれでも好きなだけ持っていってください」と声をかけ、
ハサミまで貸してくれます。
「こうばるの花屋さん」は太っ腹なのです。

そのふさえさんが、『川原のうた』を歌うようになって、
歌詞に出てくるコスモスを、もっといっぱい咲かせたいと思い、
夏の暑いときも毎日草取りをして頑張ったのだそうです。





ハチも美味しい美味しいと喜んでいます。

写真を撮っていたら、ふさえさんがやってきて、
いつものように「これも持っていったら、あれも持っていったら」と、
いろんな種類のお花をパチンパチンと切ってくれるので、

「あ、ごめんなさい。まだ、これから川に行ってきたいので…」

「あ、そうか。じゃあ、バケツに入れておくね。ハサミもここに置いておくから、帰りに好きなだけとってね」


ふさえさんと別れて少し歩くと、遠くの田んぼに、きむこさんの姿。
互いに気づき手を振り合う。
そばに干された稲の束が見事!



「すごいねー」「今年はあんまり良くなかとですよー」「どうしてー」と大声を出し合うが、
遠すぎてあまり聞き取れない。

また後でゆっくり聞こうと先を急ぐ。

少し行くと、「昨日はお疲れさまー!」と、玄関先からじゅんこさんの声。
「インスタントだけどコーヒー飲んでいかなーい?」

「ありがとう!だけど、もうすぐ雨が降りそうだから、急いで川に行ってみたいの」

「そうだねー、降りそうだねー、あそこの川やろ?今日は暗いかもよ。気をつけてね~」

ありがとう~


やっと着きました。
あいかわらず澄んだ流れです。


でも、真夏に来た時よりずいぶん草が茂っています。
苔も増えていてすべりそう…なんて下ばかり見てはいられません。
あちこちに蜘蛛のネットがかかっていますから。

おおー、怖っ

おや~


水といっしょに新しい落ち葉が流れてきます。
周りは一見緑の樹木ばかりのようですが・・・

上を見ながら進んで行くと、ありました。



透明な川に秋の模様を散りばめてくれていたのは、この木だったんですね。

しばらくすると、ついにポツポツ降り出しました。

やばい!
傘もない!車もない!

川を出て、急いで駅に向かっていたら、
ふさえさんが迎えに来てくれて、駅まで送ってくれました。

コスモス、ムラサキシキブなどたくさんの花束とみかんと
こうばるの皆さんの優しさをお土産にいただきました。


     稲の海 コスモス揺れて 風薫る
           実りのこうばる  心も満腹    

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アジア映画祭 「海角7号 君想う、国境の南」

2010-10-11 | 佐世保・長崎


アジア映画祭の最終日にとっておいた作品はコレ。

2008年に公開されてから台湾では空前の大ヒットを記録したらしい。
台湾映画としては史上1位、外国映画を入れても、「タイタニック」に次いで2位という。

タイトルの漢字は「かいかく」と読む。
海角7号とは地名と番地。
終戦直後、台湾から日本へ戻る青年が船上で台湾に残してきた恋人に書いた手紙が、
60年の時を経て、台湾に送られてきた。

父の遺品を整理していて見つけた娘が送ったのだけれど、
海角7号という住所は今は存在せず・・・

日本と台湾という空間を超えて、終戦直後と今という時を超えて、織りなすロマンス。
そこには平和への想いや、日本への友情さえ感じられるに違いない…
と、かなり期待していた。


が、正直なところ、ちょっと期待外れだった。

ナレーションとして読み上げられる60年前のラブレターにもそれほど感動は覚えないし、
なぜ恋人友子を置き去りにしたのか、その理由がわからないままで・・・

現代に生きる友子さん(日本から仕事で台湾を訪れているモデルの卵)と、
台湾の若者阿嘉(アガ)(ミュージシャンの卵)が急に恋に落ちる過程も不自然で・・・

なぜこの映画が台湾で大旋風を巻き起こしたのか、理解できなかった。

ただ、この映画には人の優しさが全編を通じてBGMのように漂っている。
それが、とても心地よかった。

悪人はどこにもいない。
怒鳴り合ったり掴みあったりするシーンはたくさんあるけど、
どの人も人間としての弱さと優しさをにじませている。

最後のシーン、浜辺のコンサートでアンコール曲として急きょ「野ばら」の演奏が始まったとき、
涙がどっとあふれてきた。
練習の時にはケンカばかりしていた素人バンドの仲間が、心からアガと友子を祝福して演奏していた。
若者の演奏についていけなくてタンバリンを持たされていたおじいさんが、
アンコールを要求されて困ったアガのために、お得意の月琴をかかえて弾き始めたのが「野ばら」

戦前から生きていたこのおじいさんは、日本語で「野ばら」を歌う。
アガたちは台湾語?で歌う。

そして、このコンサートの主役、日本人アーティストの中孝介も登場して、
それぞれの言語と詩で、シューベルトの「野ばら」が熱唱される。

それが何故そんなに泣けるのかわからないけど、
泣けるんだな~これが。

もちろん、感動の涙。

「終わり良ければすべて良し」って言葉があるけれど、映画もそうなのかも。

多少気になるところはあっても、最後に感動の涙のツボにはまったら、それが決め手。

「あなたはハイジャオチーハオ(海角7号)を観ましたか?」という言葉が挨拶代わりになるほど、
社会現象を生みだした所以だろうか。。。

音楽は国境を超える。
歌は人と人を繋ぐ。
時の経過は暗い思い出を捨て、楽しさだけを残し続ける。

やはり、最後にこの映画を選んで良かったと思う。


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アジア映画祭 「春との旅」

2010-10-10 | 佐世保・長崎


今日観たのは、日本映画のこれ。

「春」とは名前である。19歳の孫娘の名前。


足が不自由な元漁師と孫娘春は北海道で二人だけで生活していたが、
春が失職したことをきっかけに、
春は都会に出て働き、老人は親戚の家で面倒を見てもらおうと、
4人の兄姉弟弟を久しぶりに訪ねてまわる。

言いだしっぺの春は、その提案を深く後悔して祖父を止めようとするが、
それに耳を貸すようなじいさんではない。
足を引きずりがむしゃらに進み続ける祖父の後を追って、ついていく春。

行く先々で頑固一徹な老人の性格が災いして…
だけではなく、それぞれの家庭の事情もあって、同居するのは難しい
という現実が、だんだん二人にもわかってくる。


最後に春が、離別したままの父親に会いたいと言いだし訪ねていくが、
そこで、父の新しい妻は、二人に一緒にここで暮らそうと訴える。


意外な展開!
何の血のつながりもない、春にとっては父の二度目の妻、
老人にとっては元婿の新しい嫁さんが自分のことを本当の父のようだと言い、世話をしたいと言う。


でも、もちろん、春とおじいちゃんは、その優しさを辞退して北海道へ帰る。


春は、この旅の中で、どんなことがあっても祖父と二人で暮らしていこうと決意する。
いつか結婚する時がきても、
おじいちゃんと一緒に暮らしたいと言う人でなければ好きにはなれないと言い放つ。


すごく心が温まる映画だった。
メルヘンだなぁと思うけれど、
現実にはこういう老人が路頭に迷わず安心して暮らせる社会福祉の充実を望むけれど、
春ちゃんのやさしさは春風のようにこちらの心まで温めてくれた。


それにしても脇役の人たちが皆さんぴったりハマってる!絶品だった。


大滝秀治さん、菅井きんさん、淡島千景さん、柄本明さん、などベテラン陣はさすがだし、
田中裕子さん、美保純さん、戸田菜穂さんがとても魅力的だった!


もちろん主人公のお二人もピカイチで、若い徳永えりさんの演技力にはびっくり!


唯一ケチをつけるとすれば、仲代達矢さんはちょっとハンサム過ぎる!


学問もない、頑固で意固地で我儘な、元漁師の老いぼれじいさんのイメージとは
あまりにかけ離れているよね~


ミスキャストと思うのは私だけ?

 

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アジア映画祭 「クロッシング」

2010-10-09 | 佐世保・長崎

今年もアルカスSASEBOが主催するアジア映画祭の季節がやってきた。


3作品で2000円はすごくお得!

しかも、一日4回4日間に亘って7作品が上映されるので、

自分の好きな作品を自分の都合に合わせて観ることができるのが嬉しい。

 

 

今日、私が観たのは、韓国映画の「クロッシング」



北朝鮮の脱北者の父子の物語。


予想通りの悲惨な映画だった。

栄養失調から肺結核となった母、その薬を手に入れるために脱北する父。

父の帰りを待てずに母は亡くなり、孤児となった少年。


収容所で再会したクラスメートの少女も、やがて病気で死んでしまう。


やっと消息がわかりモンゴルで再会することになった父子だが、

父と会う前に、少年は砂漠で息絶えてしまう。


 

しかし、この国の想像を絶する過酷な現実はマスコミによって度々伝えられてきたので、
それほどの驚きはなく…

それより、なぜ今こんな作品を作るのだろうという疑問がわいてきて、
周りの人たちのように素直に涙できなかった。

 

が、後でこの映画制作の背景を知って、そんなわだかまりも自然消滅。

 

2002年、中国の瀋陽日本領事館駆け込み事件が起きた年、
(あの時のニュース映像、赤ん坊を背負った女性が中国警察に引きずり出されるところや、
 その様子をただ傍観していた日本領事館職員の姿などは今でも忘れられないが)
その同じ年に、スペイン大使館に25名の脱北者が駆け込んで韓国への亡命に成功した。
この映画はその事件をモチーフに制作されたのだそうだ。


当時の韓国政権下では、そのような内容に取り組むことはとても難しい状況で、
極秘裏に4年の歳月をかけて撮影され、
2008年の政権交代後にやっと公開されたという。

脱北者100人以上の取材を重ねただけでなく、
実は、助監督をはじめ30人の脱北者がスタッフとして関わり、
彼らの体験と故郷への熱い思いが、この映画を完成させたのだとの舞台裏を知り、
あらためてその映像が脳裏に蘇った。


食卓にのぼった久しぶりの肉料理が愛犬だったことを知り、嘔吐する少年。
栄養失調で皮膚病が悪化した少女の背中にたかるウジの群れ。
監視と暴力が充満し、いともたやすく人の命が奪われていく日常。
その中で、父と子、夫と妻、家族の愛情だけが唯一明るく輝いていた。
 
九州からは本当に近い距離にある朝鮮半島だけれど、
そこの北の暮らしは、まるで遠い異次元の世界のよう・・・。

そして、そこに生まれてなくて良かったという自分の本音を意識してしまい、
過去の歴史を思い起こして、なんだか恥ずかしくなった。。

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アンダンテ~稲の旋律~

2010-10-06 | 雑感


母親の期待を一身に背負って生きてきた少女千華は、大学生の時に不登校になり、
社会人になっても、仕事上の失敗に躓き欠勤、失職を繰り返し、
ついに対人恐怖症になってしまう。

ひたすら自室に籠る日々。

人から逃げて逃げて、偶然に行きついたところは、広大な水田だった。
見渡す限り稲の海。
風にそよぐ稲穂の波が、彼女の心に届く。

千華のSOSの手紙を拾った晋平(46歳、自然農をめざす独身の元青年)とその家族。
彼らに受け入れられて、農作業を体験するうちに、千華の重圧がどんどん取れていく。

最後は、田んぼの中のコンサート。
稲刈り前の黄金の海に置かれたグランドピアノを弾きながら、自分の生きるテンポを見出す千華。

アンダンテ。歩くようにゆっくりと。
それでいいんだよ。急がなくていいんだよ。となびく稲が歌っているよう・・


予想通りの、素晴らしい映画でした。

原作者の旭爪あかねさんは、かつての自分と同じように苦しんでいる人たちに、
「悩んだり苦しんでいるのはあなただけじゃないよ」と伝えたくてこの作品を書いたと言ってました。

(旭爪あかねさんです。とても素敵な方でしょ?声も話し方もこのイメージ通り)


多くの人に伝わったと思います。
私から前売り券を買って下さった友人知人から、
「いい映画だったねー。声をかけてくれてありがとう!」という電話やメールが届きました。


でも、私は後になって、少し複雑な思いも湧いてきました。

こういう映画をひきこもり中の本人が観に来るだろうか。
本は読むかもしれないが、映画となると…どうだろう?
きっと来るのは、こういう問題に関心のある一般の人、学校の先生、そして、
ひきこもりの子を持つ親などではないだろうか?と。

この映画の中では、
主人公千華をひきこもりに追い込んだのは、明らかに両親、特に母親のせいのように見て取れます。
でも、現実にはいろんなケースがあり、要因も複雑に絡み合っているはずです。
この映画を見た人たちが、ひきこもりの原因を単純に親と結びつけないことを願います。
そして、この映画を見たひきこもりの子を持つ親たちが、自分をさらに追い詰めないよう祈ります。

作者あかねさんが言いたかったのはそういうことではないのだから。


泥から生まれる美しい稲の海が、銀幕一面に揺れている様子を想像します。
その中を、ときには立ち止まったり後退もしながら、ゆっくりゆっくり歩き始める千華の心が、
観て下さる方々の胸に届きますように…。

(映画のチラシの裏に書かれていたあかねさんの言葉)


コメント (2)
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