佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

今日、卒業しました

2013-03-28 | 佐世保・長崎

今日も、こんなにきれいな桜を見ることができました。

ふれあいセンターへ向かうバスの中から目撃し、

「うわー、すごい!帰りはぜったい歩いて帰ろう!」と心の中で叫んでいました。

 

今日は、佐世保音声訳の会の「西海アラカルト」の録音日。

仲間の皆さんに最後のご挨拶をしてきました。

 

佐世保に来てすぐ、2008年夏、音声訳というボランティアがあることを知り、

講座を受講、2009年春から会員としての活動を始めました。

予想以上にハードなボランティア活動でしたが、

毎月楽しみに聴いていますよ、と視覚障害者の方に言われると嬉しくなって、

もっと頑張ろう…と思ったものです。

 

しかし、その後、「石木川まもり隊」の活動が増え、

立場上、そちらを優先しなければならなくなると、アラカルトの仲間の皆さんに迷惑をかけてしまう。

それが心の負担になって、正式にやめる決心をして、先月、会へ退会の意思を伝えました。

 

今日は、録音機器の返却と、アラカルトの皆さんに会うために行ったのですが、

たまたま音声訳の会の会長さんや、指導者のSさんなど、

お世話になった方々もいらしてて、お礼とお詫びを伝えることができて、とてもよかった…

お二人とも気持ちよく、温かく送り出してくださいました。

「石木ダムのこと、頑張ってね。私たちは何もできないけど陰ながら応援しています。

いつかここに帰ってきてくれると信じていますよ」と。

 

その言葉が耳の奥に残ったまま、桜の下を歩いていると、

なんだか卒業生の心境になってきました。

卒業というより、中退ですが…

中退でもいい、

アラカルトに在籍していたことを誇りに思います。

 

散った花びらがいつかは土に帰り、桜の栄養分となるように、

私も、アラカルトで体験したことが、きっと私の中で何かの糧になるでしょう。

 

天国のKさん、ごめんね。

途中で投げ出して…

でも、貴方なら、私の選択を

「いいと思うよ。自分に素直に生きるのが一番!」と言ってくれるでしょう。

 

 

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四本堂公園の桜

2013-03-26 | 佐世保・長崎

今日も曇り空。

しかも昨日よりもかなり風が冷たい…。

でも、「桜、見に行く?」と誘われ、「行く、行く」と二つ返事で出かけました。

何しろ、車に乗れない私は、夫がその気になった時を逃すと、めったに遠出はできないのだから。。

 

行き先を訊いても言わないので、少しワクワクして、ドライブを楽しんでいると、

西海橋の標識が見えてきました。

ああ、やっぱり、西海橋公園ね~、桜の名所だもんね~、

と思っていたら、通り過ぎるではありませんか!

おや?これからどこへ?

そのうち、見知らぬ道を左折して、くねくね行くと、「四本堂公園」の案内板がありました。

 

どうやら、ここが目的地のようです。

四本堂とはどう言う意味でしょう?

四つの本堂があったところなのでしょうか?

意味はわかりませんが、西海市立の公園でした。

とても静かな、美しい公園でした。

平日だし、花曇りの寒い日だったし・・・花見客も少なく・・・

でも、桜は満開です!

贅沢なひと時を楽しむことができました。

この桜色も好きですが、

白い桜も好きです。

そして、

桜と菜の花は、ほんとにお似合いです。

 

濃いピンクは、花桃でしょうか?

こちらも白のハナモモ?

 

展望台に登ってみました。

眼下に桜の森があり、正面は大村湾。

向こうに見える山並みは東彼杵の山々でしょうか・・

おや?あれは・・

やっぱり、そうだ!

虚空蔵山でした。

石木川の母なる山、虚空蔵山。

 

おーい、こくうぞう~

そっちの桜はどうですか~

四本堂の桜は、今が最高ですよ~

 

四本堂の桜も、まもなく散って、その花びらが風に乗って大村湾に浮かぶでしょう。

虚空蔵の山桜の花びらは、石木川が運んでくれるでしょうか?

石木川から川棚川に、そして大村湾に・・・

 

虚空蔵の山桜のひとひらと、四本堂の桜のひとひらが、

大村湾の真ん中で出会えるといいなぁ~  

 

 

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気がつけば・・

2013-03-25 | 佐世保・長崎

2月は逃げる、3月は去る・・・と言われますが、全くその通り!

特に今年は。。

気がつけば、桜が満開!春真っ盛りでした。

 

1月に入ってすぐ、「石木ダム事業の再評価」が始まり、

先週末の「石木ダム事業に係る公聴会」が終わるまで、ダム漬けの日々でした。。

 

今日も、石木ダム建設促進特別委員会を傍聴するため市役所へ行き、帰りに警察署へ。

いえ、何も悪いことはしていませんよ。

道路使用許可申請に行っただけですよ。

で、警察署を出たとき、目の前に桜並木が、満開の桜がぶわーっと目に飛び込んできたのです。

 

警察署の前を流れる佐世保川、その向こう岸にある桜並木に誘われて、

川沿いの道を歩いて帰ることにしました。

 

途中からは桜のトンネルです。

左下に佐世保川が流れ、右側には総合病院の敷地。

この道をずーっと進んでいけば、桜の名所、佐世保公園です。

だからでしょうか、いつもより通行人が多いようです。

 

佐世保公園の桜も満開でした。

曇っていたので、華やかではありませんが、この優しさがいいですね~

私の携帯のカメラでは、あまり綺麗に撮れませんでしたが・・・

 

それにしても不思議です。

富士山と桜、どちらも見るたびに体の奥の方から感動の波が押し寄せてくるのは何故?

日本人のDNAに組み込まれた何かがあるのでしょうか…

 

桜餅も美味しいよネ 

 

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公聴会終わる

2013-03-24 | 石木ダム

やっと公聴会が終わりました。

石木ダムの公聴会です。

と言っても???の方も多いかもしれませんね。

 

私が住んでいる佐世保市のお隣の川棚町に、石木川という小さな川があって、

そこに大きなダムが造られようとしています。

50年も前に持ち上がった計画です。

でも、そこに住んでいる人たちは、こんな素晴らしいふる里を水の底に沈めたくない、

豊かな自然を守りたい、子どもたちに残したいと頑張ってきました。

頑張りきれなくて去っていった人もたくさんいましたが、

未だに13世帯の家族が仲良く団結して、住み続けています。

石木川にゴロゴロ転がっている石よりも堅い意思を持った人々です。

困り果てた事業者(長崎県と佐世保市)は、3年半前に事業認定を申請しました。

合法的に国民の土地を取り上げることのできる法律「土地収用法」に則って、

土地を手に入れようというわけです。

 

しかし簡単にはいきませんでした。

なぜなら、この計画はもう時代遅れ。

今や佐世保の人口も減って、節水機器の普及で水需要も減り、水不足とは言えなくなってきたので、

わざわざ石木川にダムを造る必要がなくなってきたのです。

しかも、川棚川の洪水対策という理由も、石木川の流域面積を考えたとき、

その効果は全く期待できないと専門家にバッサリ否定されました。

それでも、県や市はあれこれ理由をつけて、うまく数字合わせをやって、

未だに石木ダムが必要!石木ダムは佐世保市民の悲願!などと言っているのです。

 

そこで真実に気づき始めた市民県民が立ち上がって、国へ意見書を送ったりしました。

ダム推進派も陳情に行ったりしました。

国は賛成反対両方の意見を聴き、公益性を判断するために公聴会を開催することにしました。

72組の応募のうち19組が選ばれ、起業者である県・市と合わせ、

20組の意見を聴くことにしました。

それが3月22日と23日に行われた公聴会のことです。

 

詳しい内容は、こちらを見てくださいね。

http://blog.goo.ne.jp/hotaru392011/d/20130322

http://blog.goo.ne.jp/hotaru392011/d/20130323

 

地権者はもちろん、私たちも、精一杯準備して臨みました。

できるだけのことはやったので、今は少し脱力感でボーっとしています。

 

でも、どんなに一生懸命やっても、結論は決まっているのかもしれません。

無駄な努力だったかもしれません。

でも、そんな風に諦めると、何も変わらないし、

未来に対して無責任な自分になってしまうので、そうはしたくない、

だから、これからも、絶対あきらめずに、

現実に目を向け、真実を伝え、石木川を守っていきたい…

と、改めて思いました。

                                       

 

 

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2ヶ月ぶりの署名活動

2013-03-17 | さよなら原発

今日は、「バイバイ原発」署名活動の日。

先月の活動は、「オランダの花やさん」でのイベント(トーク&マーケット)だったので、

アーケード街での署名活動は2ヶ月ぶりでした。

 

遅れて行くと、そこには佐世保の仲間だけでなく、川棚町のMさんや、西海市のYちゃんなど、

遠くからの参加者も早くから頑張ってくれてたようで・・・申し訳ない!

 

その上、あの陽子さんのご両親の姿も!

一昨日千葉から優奈ちゃんとともにやってきたご両親。

今日会えることはわかっていたけれど、本当に嬉しかった!

 

優奈ちゃんは、公園に遊びに行っていて会えなかったけど、元気だと聞いてホッとしました。

去年は、千葉に帰ると鼻血が出ると陽子さんが言ってたけど、

最近は鼻血も出ないそうです。

この春から小学生なので、体力もついてきたからかな?と、

元看護師のおばあちゃんは言ってました。

陽子さんも陽子さんのお母さんも共に元看護師さんでした。

 

昨年暮れの葬儀のとき、涙一つ見せずに、

客観的に娘の死因を語ってくれていたお母さんの姿に驚きさえ感じていましたが、

今日のお母さんは、ずっと赤い目をしていました。

陽子さんのことを語るたびに、すぐに涙が溢れてきて、ポロポロとこぼれました。

2ヶ月半の時が過ぎた今、やっと娘の死を受け入れられるようになったのかもしれない…

そんなふうに感じました。

 

でも、お母さんは、陽子さん同様、根が明るくて前向きな方です。

ひとしきり私語を交わしたあとは、通行人に向かって署名の呼びかけを、ずっと、

誰よりも熱心になさっていました。

 

その話し方、その横顔が、陽子さんの雰囲気にそっくりで・・・

一瞬、陽子さんが戻ってきたような錯覚にとらわれました。

 

陽子さんの脱原発への願いを、お母さんがしっかりと受け継がれたようです。

お父さんも、何度も「ご協力をお願いします」の声を発しておられました。

 

陽子さんのお母さん、お父さん、

今日は本当にありがとうございました。

主催者からの報告によると、今日の署名はなんと、222名も! 

 

お二人のご協力に、天国の陽子さんが一番喜んでいることでしょう。 

 

 

 

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ふたたびの春に

2013-03-14 | さよなら原発

今日の日を、また忘れていた。

今日が3月14日だということは知っていたけれど、何の日かは忘れていた。

 

今日は、石木ダムのことで、ちょっとガックリきてしまって、

http://blog.goo.ne.jp/hotaru392011/d/20130314

 

仲間のSさんから「これでも食べて元気を出して・・」と渡されたものを見て、ポカ~ン。

何???  

「はい。私も、M君から頼まれてたの」と、妻のY子さん・・

あ!   そっか~ 

今日は3月14日か~

 

帰宅して、はて?夫はちゃんとお返ししたのかな?

聞いてみようかと思ったけれど、余計なお世話だよな~

と思って止めました。

 

そうそう、去年のホワイトデーはイタリアンレストランに行ったんだった。

今年の今日は、ちょっとご機嫌斜めだから、お誘いはかからなかった。

ま、いいけどね~

 

寝る前に「これ、お返し」と言って、夫が置いていったものは、

クッキーにしては重いぞ・・・?

包を開けると、

和合亮一の詩集が2冊入っていた 

 

もしかしたら、「詩の礫」について書いたこの前のブログ、読んでいたのかな?

Many thanks!!

「詩の黙礼」「ふたたびの春に」

 

「ふたたびの春に」から、一篇だけご紹介します。

<もう一つの震災ノート>より

 

 あなた

 

あなた

大切なあなた


あなたは今

何をしていますか


あなたは私です

私はあなたです


暗く深い夜の底で

あなたを

想っています


私は

私を

あなたを

あきらめない


あなたを

あきらめない

 

 

 

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3月11日の私

2013-03-11 | さよなら原発

昨日も今日も、石木ダム関係でドタバタしていた。

3回ほど携帯に着信履歴が出てたので、一段落した時にこちらから電話してみたら、

某新聞記者さんだった。

「今年は、キャンドルナイトやらないんですか?」

 

あっ!と思った。

数日前、友人たちと相談して、今年は時間的に無理だね…と話し合って中止したんだけど、

電話をもらうまで、今日が3・11であることに気づかなかった。

今日が3月11日で、石木ダム事業に関する大事な意見書が提出される日で、

9:20には市役所のどこそこに集合して…と、段取りのことで頭がいっぱいだったので、

3月11日とわかっていても、3・11という認識が欠如していた。

 

ひどいものです。

いつもこんな調子です。

いつも一つのことしか目に入らない、頭に入れられない、不器用な人間ですが、

それにしても、3・11を忘れるなんて…

我ながら唖然としています。

 

友人が教えてくれた、この動画を見ながら、

辛淑玉さんの怒りが私自身に向けられているような気がして、かえって救われました。

 

 

原発は 人を殺します

原発は 造るな 造らせるな 稼働させるな

今いる被害者と ともに生きていく社会を創ろう

 

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12回目の「さよなら原発させぼの集い」

2013-03-08 | さよなら原発

3・11からまもなく2年。

何も解決してない福島の現場。

40年という気の遠くなるような時間と、

青天井と言われる見当もつかないお金を費やす廃炉作業が始まったばかり。

しかも手探りで…。

 

それなのに安全性が確認された原発から再稼働を始めると言った安倍総理。

彼ならやりかねない。

やっぱり私たちは、ノーという声を上げ続けなければ…

何も言わないと、OKしたことになってしまいそう。

 

いつもと同じメンバーで

いつもの場所を歩きました。

おっと違った!

初参加の3人がいました。

熊本在住のママと2人のこどもたち。

ママはよっちゃんの妹さんです。

こどもたちも脱原発のポスターをぶら下げて歩いてくれました。

なんて書いてあるか、わからないよね。

なんの意味かなんて、全然わからないよね。

でも、

君が大人になったとき、

「昔は原発なんて危険なものがあったんだよ」

って、君の子どもたちに語ってあげられるような社会になってるといいね~

 

                          

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いまだ避難生活 15万人

2013-03-05 | さよなら原発

もうすぐ丸2年。

3・11に向けた特集記事が目に付く今日この頃。

その見出しに驚くこともしばしば。

 

   福島の今

15万人が避難生活

 

今日のこの見出しもそう。

15万人!?

2年経っても?

 

驚きを感じながら、それは恥ずかしさに変わっていった。

驚くというのは、知らなかったということ。

知ろうとしなかったということ。

たびたび原発のことをこのブログでも発信しながら、

なぜか知ろうとしなかった。

 

所詮、そんなもの。

結局、他人事。

お前たちの脱原発運動なんて。

なんにもわかっちゃいないのさ。

そんな声が聞こえてきそう。

 

否定はしない。できない。

頭を垂れるしかない。

でも、いま知ることができたので、ここに記しておく。

 

大熊町中心部の写真があった。

人っ子一人いない。

それもそのはず。

全住民が避難しているのだから。

小学校のグラウンドのモニタリングポストは、15.73マイクロシーベルト/時を示していた。

町のあちこちで、野生化した牛や猪がうろついていた。

墓地の近くで、子牛を連れた牛の群れが、睨むように立ち止まり、やがて去っていった。

と、記者は描写していた。

 

南相馬市に住んでいた一家は埼玉に避難したが、

昨年4月から夫は福島の会社に戻り仕事をし、母子だけが埼玉で暮らしている。

そんな家庭は多いだろう。

日本のあちこちにいる。

私の周りにもいる。

でも、その人たちの胸の痛みを私たちは何もわかっていない。

将来への不安が消えず、心の整理がつかない

取材を受けた男性はそう語ったという。

 

不安・・・その言葉は、きっと15万人共通の思いに違いない。

 

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ホワイトアウト 犠牲者9人

2013-03-04 | 雑感

北海道で暴風雪による死者が9人になったそうです。

うち4人は、雪の吹き溜まりに捕まり車内に閉じ込められ、一酸化炭素中毒で亡くなりましたが、

それ以外の5人は、いずれも凍死でした。

 

え? 凍死?? 山ではなくて町で???

と、九州で暮らす私には一瞬理解できず、信じられない思いでした。

TVニュースの解説を聞いて、やっと理解できました。

 

暴風雪・・・荒れ狂う白い嵐は、視界を遮り、行く手が見えない。

ホワイトアウトというらしい。

だから、みんな車を乗り捨てて、歩き出したのです。

一時は1000人近くの人が公共施設などに避難したそうです。

 

でも、避難場所にたどり着く前に、倒れてしまった方々がいました。

暗闇のような真っ白な世界で、自分がどこにいるのかわからない、

どっちに向かえばいいのかわからない、

あてどなく、ただ歩き続けるうちに、

力尽き、あるいは雪に足を取られ、動けなくなってしまったのでしょう。

 

道端ではなく、倉庫にたどり着いて、そこで亡くなった男性がいました。

53歳の漁師で、小学3年生の娘と一緒でした。

倉庫の前にできた雪山と倉庫の壁の隙間に身を隠し、

吹雪から娘を守るように抱いたまま亡くなっていたそうです。

女の子は、2年前に母を亡くしたばかりだったのに、今度は父までも失ってしまいました。

北海道で育った子どもなら、雪遊びの楽しさを知っているから、

雪は友だちのようなものだったかもしれないけど、

女の子は、もう雪が大嫌いになるでしょう。

今回の暴風雪は、本当に白い悪魔のようです。

 

でも、それが自然というもの。

人間とは次元の違う大きなもの。

人間も自然界の中の一生物に過ぎないのに、

私たちは、自らの浅知恵に溺れ、そのことを忘れてしまいがち。

台風も集中豪雨も、大地震も大津波も、そして猛吹雪も、

いずれも人間が、その発生を止めることなどできないのに、

自然の脅威を軽視しがちになっている。

それだけでなく、地球を傷つけ続けている私たち人間とは・・・。

 

一つだけホッとしたこと。

それは、きっと9人の方々が、苦しみを感じることはほとんどなかっただろうということ。

一酸化炭素中毒の場合、急に眠くなり、昏睡状態に陥って亡くなると聞いていましたが、

凍死も同じような感じなんですね。

限界まで行くと、痛みも寒さも何も感じず、気持ちよくなって、眠るように死んでいくそうです。

 

白い悪魔の優しさでしょうか。。 

 

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