母のうた
静かな長い夜
母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
仕事したいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
おれがかがなくちゃなんないんだ」
「お母さんはよくわかっているんだよ」
と他人は言ってくれるけれど
何もわかっちゃいないと思う。
夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪いだ海に映る自分の姿を
じっと見つめる。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
長崎市在住の詩人、藤川幸之助さんの詩です。
「母のうた─支える側が支えられる時─」と題して、月に1回、長崎新聞に掲載されています。
認知症のお母さんとともに暮らし、誠心誠意介護するその日々をうたった詩の数々。
はじめのころは、読むたびにドキリとし、ざわざわとし、目を背けたくなりました。
藤川さんの母親への愛と献身が、私を問い詰めているように感じたからです。
私の母は幸い認知症の気配もなく、関東のケアハウスで元気に暮らしています。
父亡き後、ずっと一人暮らしを謳歌した母も、軽いくも膜下出血を体験後は一時娘家族と同居。
しかし数年前、自ら強く希望して、あるケアハウスに入所。
周りの静かな環境と、行き届いたスタッフのお世話、同世代の人々との交流を得て、
こんなに素晴らしい施設はないと、姉や私が訪ねるたびに口にしています。
実際、職員の皆さんは親切で温かい方々ばかり。
生け花、押し花、手芸、短歌、俳句、書道、カラオケ等々サークル活動は盛んだし、
三時のおやつの時間も職員と一緒になってお団子やクッキーなど手作りする日も多くて楽しそう。
また、映画鑑賞や日帰り旅行、買物デー、お誕生会などの月例行事、
桃の節句、お花見、七夕などの年間イベントなどなど、
入所者が暇を持て余すことのないよう実にたくさんの企画工夫がなされている。
私たち夫婦が九州に移住を決めたとき、夫が再三再四誘ってくれたのですが、
母は頑として同意しませんでした。
プロのケアに身を任せ(今のところ元気なので介護は受けていませんが、
栄養面に配慮された美味しい食事やお部屋の掃除などお世話になっています)、
住み慣れた場所で、同世代の人々と過ごす快適な日々を選んだのです。
それは賢い選択だろうと私は考えましたので、無理に翻意を促しはしませんでした。
私が母の立場だったら、きっと同じ結論を出すだろうと思いました。
しかし、それでもなお、心の隅に、忸怩たる思いがへばり付いているのをどうすることもできません。
お互いにとってそれが最良の選択とわかっていながら、どうしても禁じえない後ろめたさ…。
けれど、この頃は藤川さんの詩を読むたびに、そんなわだかまりが少しずつ解けていくような気がします。母子の繋がりとは、物理的距離や空間的存在を超えて根源的に結ばれている・・・
そんな気がしてきます。
いくつになっても、どこにいても、子は母の存在を忘れ得ない。自分自身の存在を意識する限り。
そして、その母が認知症になっていようと、植物人間になっていようと、自分のすべてはその母に
繋がっていて、互いに見つめあっているような気がします。
サケが生まれた川を下り、遠くの大海で命の大半を過ごしても必ず母なる川に戻ってくるように、
人間もまた心の川を遡上するのでしょう。
藤川さんは、認知症のお母さんの瞳を見ると、「海容」という言葉を思い出すそうです。
海のような広い心をもって、人を許すこと。
「母という海は、認知症という病気を受け入れ、できの悪い息子を受け入れて、
ますますその生の青さを深くしている」と。
私はもう何年も母の瞳をじっくり見つめたこともない。
年とともに、その眼は小さく窪んでいったし、ラベンダー色のレンズのメガネに変えてからは、
ますますその表情が見えにくくなったから。
でも何となく、私にも感じられる。
難聴を受け入れ、できの悪い娘を受け入れて、少しずつ母の青さも深くなっているに違いないと。