『19日佐世保市民の会』
この会の存在とその意味を私が知ったのは約3週間前だった。
そして私も参加したくて、ずっと19日が来るのを待っていたというのに、
今朝になって気がついた。
集合場所がわからない!
19日という日付と夕方6時にデモが始まるということと、
そのデモコースが佐世保一の繁華街、アーケード通りだということは知っていたが、
その出発地点は知らなかった!
いつもこんな調子だ。肝心のことが抜けている私…。
あわててネットで検索。
『19日佐世保市民の会』のHPはないようだが、いくつかの記事が出てきて、
その中に、連絡先となっている方の名前と電話番号があった。
運よく在宅されていて、場所を教えて頂き、ホッと一安心。やれやれ。
6時10分程前、その場所(松浦公園)に着いた。
が、その方々がどの辺にいらっしゃるやらわからず(もう薄暗くなっていたし)
きょろきょろしていると、「…さんですか?」と声をかけられた。
電話で教えてくださった女性だった。
この会発足以来のメンバーの方で、電話の声の印象通り温かな雰囲気の方だった。
いただいた名刺を見て、またまた感激。
木々の緑が好き 流れる風が好き 平和が好き
市民ネットワークさせぼ
事務局 ○○○○子
と書かれていた。
そうこうするうちに、皆さん準備が始まった。
旗を掲げる人、プラカードを胸と背中に吊るす人、横断幕を持つ人々。
総勢25,6人かな?
整然としたデモが始まった。
年輩者ばかりですって?
いえいえ、こんなに若い参加者もいましたよ。
本当に、一言のシュプレヒコールもなく、ただ思い思いのメッセージを携えて歩くだけ。
こんなデモっていいなあ。声高に叫ぶより、より自分の思いを込めて歩ける…。
次回は、私も心をこめたプラカードを作って参加したい!と思いつつ歩いていると、
おや? 私同様手ぶらの女性が歩いている。
もしや、彼女も初参加?
と、心強くなって声をかけてみた。
「いいえ、前は何回か来てたんですけどね、今は沖縄に住んでいて、
ちょっと里帰りしたので久しぶりに参加したんですよ」とのこと。
そして、40年この会で歩き続けておられるお父様を紹介して下さった。
真っ白な長いお髭のその男性は、どこかで見たことがあるような…。
帰宅して、お嬢さんが教えてくれた「吉井町」「平和祈念館」を頼りに、またまたネットで検索。
やっぱり!以前長崎新聞に出ていた方だった。
「佐世保空襲を語り継ぐ会」の参加者として、佐世保市に市営の平和祈念館建設を請願したが、
受け入れられず、自らの退職金をはたいて『平和祈念館天望庵』を作られた元中学校教諭。
その記事を改めて読んで、感動を新たにした。
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2000/kikaku/siryou/siryou4.html
ぜひ、訪れてみようと思う。
この会の存在とその意味を私が知ったのは約3週間前だった。
そして私も参加したくて、ずっと19日が来るのを待っていたというのに、
今朝になって気がついた。
集合場所がわからない!
19日という日付と夕方6時にデモが始まるということと、
そのデモコースが佐世保一の繁華街、アーケード通りだということは知っていたが、
その出発地点は知らなかった!
いつもこんな調子だ。肝心のことが抜けている私…。
あわててネットで検索。
『19日佐世保市民の会』のHPはないようだが、いくつかの記事が出てきて、
その中に、連絡先となっている方の名前と電話番号があった。
運よく在宅されていて、場所を教えて頂き、ホッと一安心。やれやれ。
6時10分程前、その場所(松浦公園)に着いた。
が、その方々がどの辺にいらっしゃるやらわからず(もう薄暗くなっていたし)
きょろきょろしていると、「…さんですか?」と声をかけられた。
電話で教えてくださった女性だった。
この会発足以来のメンバーの方で、電話の声の印象通り温かな雰囲気の方だった。
いただいた名刺を見て、またまた感激。
木々の緑が好き 流れる風が好き 平和が好き
市民ネットワークさせぼ
事務局 ○○○○子
と書かれていた。
そうこうするうちに、皆さん準備が始まった。
旗を掲げる人、プラカードを胸と背中に吊るす人、横断幕を持つ人々。
総勢25,6人かな?
整然としたデモが始まった。
年輩者ばかりですって?
いえいえ、こんなに若い参加者もいましたよ。
本当に、一言のシュプレヒコールもなく、ただ思い思いのメッセージを携えて歩くだけ。
こんなデモっていいなあ。声高に叫ぶより、より自分の思いを込めて歩ける…。
次回は、私も心をこめたプラカードを作って参加したい!と思いつつ歩いていると、
おや? 私同様手ぶらの女性が歩いている。
もしや、彼女も初参加?
と、心強くなって声をかけてみた。
「いいえ、前は何回か来てたんですけどね、今は沖縄に住んでいて、
ちょっと里帰りしたので久しぶりに参加したんですよ」とのこと。
そして、40年この会で歩き続けておられるお父様を紹介して下さった。
真っ白な長いお髭のその男性は、どこかで見たことがあるような…。
帰宅して、お嬢さんが教えてくれた「吉井町」「平和祈念館」を頼りに、またまたネットで検索。
やっぱり!以前長崎新聞に出ていた方だった。
「佐世保空襲を語り継ぐ会」の参加者として、佐世保市に市営の平和祈念館建設を請願したが、
受け入れられず、自らの退職金をはたいて『平和祈念館天望庵』を作られた元中学校教諭。
その記事を改めて読んで、感動を新たにした。
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2000/kikaku/siryou/siryou4.html
ぜひ、訪れてみようと思う。
私は、cosmosさんに名刺を渡した者です。
「19日佐世保市民の会」はあの調子の会ですが、またご参加下さい。私としては、来る人は誰も拒まないという垣根の低さがいいと思っています。
お髭の代表世話人は、「この運動は種火だ。種火を残しておけば大きく燃え上がることも出来る。」と言われます。その通りだと共感し、参加を続けています。
小さな声ですが、この街から戦争に繋がるものを一つづつなくしていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。
種火…いい言葉ですね。
私も種火を守っていく仲間の一人でありたいです。
今はまだ佐世保のこと、何もわかっていません。
いろいろ教えていただければ幸いです。
こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
そう。私もそう思いました。
その持続力に敬服しますね。
一時は4,5人になったこともあったそうですよ。
まさに風前の灯だったのでしょうが、でも、灯は消えなかった。
守りたい、守ろうと思う方々がいたからですよね。
私もそういう強い意志を持ちたいナ…
40年もデモを続け、無言で後進を育ててこられた方とご縁があったなんて、まさにcosmosさんの人徳ですね。
種火には遠いけれど、種火に向かって歩いていく、そんな自分でありたい・・・
しばらく留守にします。また訪問させてくださいね。
心がほっこりしました。
帰ってきたら、また訪問してくださいね。待っています。
ひさごんさん、
うるうるして、ほっこり感じてくださるあなたが素敵だと思います。
皆さんが共感し感動してくださった思いを忘れず、次回は皆さんと一緒に歩くつもりで参加しますね!