キルトの世界

キルトを始めて14年になります。刺繍を含めた、キルトを中心に日々感じたことを、述べていきたいと思います。

久しぶりの音楽講座

2009-02-22 09:55:21 | Weblog
日に日に、春めいた日が多くなってきた。あともう少しの我慢。我が家の道路側の梅の赤いつぼみが、少しずつふくらんできた。
 先週の土曜日に、久しぶりに、近代フランス音楽の生みの親である、サン=サーンスについての、お話を聴いてきた。彼は1835年から、1921年までの生涯だった。86歳で、亡くなったといえる。彼は、フランスの伝統にさからい、ドイツ音楽を、積極的に受け入れた。
 家庭生活でも、恵まれなかった。彼は、誕生後に父が早くに亡くなった為に、母と大叔母とで、養育された。心理学的にみると、「マザーコンプレックス」の側面が、見られたようである。
 19世紀のフランスでは、オペラを最高の音楽とした風潮があったが、彼は数学的計算をもとに、器楽作品創作に取り組んだ。
 サンサーンスの音楽で、最も有名な作品は、「動物の謝肉祭」である。演奏した
場所は、オーストリアだった。この作品は、彼に冷淡だった、パリの音楽界への風刺がみられる。「鳥、騾馬、亀、象、カンガルー、水族館、耳の長い紳士、森の奥のかっこう、大きな鳥かご、ピアニスト、化石、白鳥、終曲」という構成になっている。彼は、自分自身の作品や、ベルリオーズ、オッフェンバック、メンゼルスゾーン、チェルニー、フランス民謡、ロッシーニが、引用している。動物園とは、パリの音楽界の人々のようだ。彼のオペラ作品では、「サムソンとダリラ」が、有名である。機会があれば、上記の2つの作品を鑑賞してみたいと思った。
 さて、今日の写真は、静岡県大井川の川渡りの看板の絵である。

福沢諭吉展

2009-02-20 10:39:02 | Weblog
先日の春めいた日が不思議なくらい、雨交じりの寒い!!1日となっている。先日、慶応義塾創立150周年の行事として、「未来をひらく福沢諭吉展」に、行ってきた。場所は、東京上野の東京国立博物館の表慶館である。日曜日の午後からだったので、かなり、混んでいた。裏側の庭園では、梅の花がきれいに咲いていた。
 以前に、読みかけていた、「学問のすすめ」を、改めて読み直してみた。
彼は人間は、生まれながらに平等であり、学問をしたかどうかで、格差が生まれるという点や、悪政を辞めさせるには、国民自身が、学問を磨き政府と対等な力を持たなければいけないと説いている。
 また、彼の女性論も当時の男性としては、とても民主的で進歩的ある考えと、私は思った。そして男女の立場を、平等だと考えた。人間は、他人の行動を邪魔しなければ、自由に行動できるという。また役人は、税金を無駄遣いするな!!と、主張している。福沢諭吉が、今生きていたら、今の日本を見て、なんと言うのだろうか?彼みたいな人物が出てきて、是非「世直し」!!をしてもらいたいだ。
 今日の写真は、昔創ったトールペイントの状差しである。

続  有松絞り

2009-02-09 10:52:33 | Weblog
先週の土曜日久しぶりに大学時代の新年会に、行ってきた。在学中から仲良くしていた、お友だちが、若い30代に創った!!という、絞りの着物を着てきた。紺地に華麗な絞りが、施されていてとても素敵である。新年会には、いつも2.3人の女性が着物を着てくる。どんな素敵な、洋装姿にも負けない魅力がある。ところで、以前に図書館から借りてきた、日本の色彩の本の中で、「有松絞り」に関する、文章があった。
 以前にも、述べたように、歌川広重の浮世絵シリーズの、「東海道53次」鳴海の版画には、絞り染めを商う2軒の店が、描かれている。2階建ての立派な店構えの上に、2階には特徴的な、塗籠の連子窓がみられる。当時、有松から、鳴海のあたりは絞り染めの店が多かったようである。藍一色で染めた「豆絞り」のほかに、紅や紫を使った、多様な技法を使った絞りが創られた。鳥居清長が描いた「湯殿」の作品の中に、有松鳴海絞の、浴衣姿が登場する。大胆な蜘蛛絞りの柄で、創るのに相当な技術が必要だったようである。
 今日の写真は、歌舞伎の「白波5人男」の登場人物である。彼の愛人が、彼の死を悼んで、この地に、お墓を作った。彼の盗みはしないが、非道はしないという生き方が、少し!?は救われるのか?

日本の色  飛鳥奈良時代

2009-02-01 07:47:55 | Weblog
早2月となった。以前から、日本の色に魅せられているので、関連する本を借りてきた。日本の着物も、美しく素晴らしい色合いの衣装である。さて以前に、キルトの講習会で、「玉虫色」の布地を用意する必要があった。探すのに、大変苦労した思い出があったので、この本に興味を持った。早速、この色について解説してあったので、借りてきた。
 「玉虫色」とは、光線の見え具合で緑色や紫色に見える色のようだ。面白いことに、玉虫の羽色から、生じた色のようである。玉虫は、世界で5000種ほどであり、日本にも、190種ほどみられるとの事である。
  織物の「玉虫色」は縦糸に緑、横糸に赤紫を用いて織り上げた布である。角度によって、異なる色に見えて、平安時代には、「虫青」とも、いわれたという。江戸時代にも、多様な糸の組み合わせで、さまざまな、「玉虫色」が、作られた。今後も。また、キルト制作に取り入れるも、面白いと思う。
  さて、今日の写真は、東海道亀山城そばの、石井兄弟敵討跡の看板である。石井兄弟が、父の敵を討ち取った所である。「元禄曽我兄弟」と称されて、歌舞伎、講談、絵本、浮世絵などの表現の対象となった。