
18世紀中頃。アイルランドの青年バリー(ライアン・オニール)は従姉妹の婚約者に決闘と挑み
その事がもとで故郷を追われる身となる。旅の途中、さまざまな紆余曲折を経て、欧州の貴族に
成り上がって行く。しかしその後は次々と彼に不幸が襲いかかり・・・。
映像が綺麗でした・・と 感想を書く映画は時々ありますが
この映画のように、映像が綺麗なんて言葉では言い表せないくらい
美しく、さらにどのシーンをとってもすべて”絵画”になる映画って
この映画が初めてでした。あまりにも”絵画”そのもの!
人物、風景、光と影、調度品、部屋の内装、家具、何もかもが
これ皆絵画!美しい・・・。

このアイルランドの青年バリーは、最初のころは彼に肩入れしちゃうくらい
純粋で、若さゆえの未熟さはありましたが、好青年という印象。
でも、従姉妹を奪い合っての決闘後、故郷にいられなくなり
結構な金額のお金を持ってダブリンへ行こうとするんですが
その途中に強盗に合い、お金も馬も、荷物も、なにもかも盗られてしまって・・。
その後、どんどん話しは展開して行き、徐々に彼の純粋さは影を潜め
(というよりも、純粋さを無くしていったのかな)、野望に満ちた
ちょっとずるい青年となっていってしまいました。

そのあたりで、バリーに最初感情移入して見つつあった私ですが
徐々に彼に感情移入することを拒否されちゃった感じ。
その、彼に感情移入できない、賛成できない、好きになれない、という
感じは、見れば見るほど強くなり、多分これは監督の意図するところ
だったんだろうなぁ、と思いました。

第一部は、”いかにしてレイモンド・バリーは、バリー・リンドンの称号と
暮らしを得るに至ったか” で、この一部のうちはまだ彼を少なからず
応援(?)して見ていたんです。

が、第二部になってから(そう、この映画は3時間越えなので、
途中インターミッションがあり、その後第二部へとなります)
彼の野望と富と権力を求める部分のみが強調されるようになり
ますますなんだか人間の”悪”の部分を見せつけられるように
なっていきました。

波乱万丈といってしまえばそれまでですが、彼の場合は
自業自得の部分もあり、決闘に始まり、決闘に終わったのかなぁ~・・と
空しさも残りました。でも、彼は自分の思うがままに生きてきて
彼なりに満足できる人生だったのかもしれないです。

でも、欲しかった貴族の称号も得、理想的な生活だったはずなのに
貴族の生活たるや、なんと空しい・・と、彼は感じたこともあったのでは。
すべての貴族があんな風ではったはずはないけど、自堕落、享楽的、傲慢さ、
などなどが(ステレオタイプだったかもしれないけど)描かれていました。

第一部のときは、まだまださほど嫌なやつでもなかったバリー。
彼のさまざま経験して行くところ、どんどん人生が変わって行くところなどに
ちょっとだけ「フォレスト・ガンプ」を思い起こしたりもしましたが
いかんせん、人間が彼とは全然違ってましたので、どんどんあの映画とは
別物になって行きました。
7年戦争の戦闘シーンも描かれていて、ふぅ~むこんな風に
戦争してたの?とあきれたり、驚いたりと、貴重なシーンも見せてもらいました。

主役バリーを演じたライアン・オニール、まだ若くて素敵でしたが
彼のあの淡々とした演技も、こちらが主人公である彼に感情移入することを
拒否してるような感じで、この映画にはピッタリだったのかな、って思いました。
それとなんといっても息を呑むくらい美しかったのが、レディ・リンドン役の
マリサ・ベレンソン!

バリーと結婚してから、良い事なかった彼女の暗い日々を
影のあるたまらない美しさで演じていて、すごいわ~~~と思いました。

まさしく全シーン荘厳な”絵画”で、架空の人物の一生を
ものすごいスケールで描いた、キューブリック監督の未見作品の1つが
見れて満足でした。この世の中に完璧な人などいない、幸も不幸も自分次第。
そして、この映画に出てきた人たちで、完全に良い人、と言いきれる人は
誰もいなかったように感じました。それこそ、人間なのかもしれませんね。

シニカルなエピローグのテロップもなかなかでした。
結局はこれが言いたかったのかな。
そう、万人実は皆平等だったりするんですよね~・・・。
個人的お気に入り度


3.5/5
その事がもとで故郷を追われる身となる。旅の途中、さまざまな紆余曲折を経て、欧州の貴族に
成り上がって行く。しかしその後は次々と彼に不幸が襲いかかり・・・。
映像が綺麗でした・・と 感想を書く映画は時々ありますが
この映画のように、映像が綺麗なんて言葉では言い表せないくらい
美しく、さらにどのシーンをとってもすべて”絵画”になる映画って
この映画が初めてでした。あまりにも”絵画”そのもの!
人物、風景、光と影、調度品、部屋の内装、家具、何もかもが
これ皆絵画!美しい・・・。

このアイルランドの青年バリーは、最初のころは彼に肩入れしちゃうくらい
純粋で、若さゆえの未熟さはありましたが、好青年という印象。
でも、従姉妹を奪い合っての決闘後、故郷にいられなくなり
結構な金額のお金を持ってダブリンへ行こうとするんですが
その途中に強盗に合い、お金も馬も、荷物も、なにもかも盗られてしまって・・。
その後、どんどん話しは展開して行き、徐々に彼の純粋さは影を潜め
(というよりも、純粋さを無くしていったのかな)、野望に満ちた
ちょっとずるい青年となっていってしまいました。

そのあたりで、バリーに最初感情移入して見つつあった私ですが
徐々に彼に感情移入することを拒否されちゃった感じ。
その、彼に感情移入できない、賛成できない、好きになれない、という
感じは、見れば見るほど強くなり、多分これは監督の意図するところ
だったんだろうなぁ、と思いました。

第一部は、”いかにしてレイモンド・バリーは、バリー・リンドンの称号と
暮らしを得るに至ったか” で、この一部のうちはまだ彼を少なからず
応援(?)して見ていたんです。

が、第二部になってから(そう、この映画は3時間越えなので、
途中インターミッションがあり、その後第二部へとなります)
彼の野望と富と権力を求める部分のみが強調されるようになり
ますますなんだか人間の”悪”の部分を見せつけられるように
なっていきました。

波乱万丈といってしまえばそれまでですが、彼の場合は
自業自得の部分もあり、決闘に始まり、決闘に終わったのかなぁ~・・と
空しさも残りました。でも、彼は自分の思うがままに生きてきて
彼なりに満足できる人生だったのかもしれないです。

でも、欲しかった貴族の称号も得、理想的な生活だったはずなのに
貴族の生活たるや、なんと空しい・・と、彼は感じたこともあったのでは。
すべての貴族があんな風ではったはずはないけど、自堕落、享楽的、傲慢さ、
などなどが(ステレオタイプだったかもしれないけど)描かれていました。

第一部のときは、まだまださほど嫌なやつでもなかったバリー。
彼のさまざま経験して行くところ、どんどん人生が変わって行くところなどに
ちょっとだけ「フォレスト・ガンプ」を思い起こしたりもしましたが
いかんせん、人間が彼とは全然違ってましたので、どんどんあの映画とは
別物になって行きました。
7年戦争の戦闘シーンも描かれていて、ふぅ~むこんな風に
戦争してたの?とあきれたり、驚いたりと、貴重なシーンも見せてもらいました。

主役バリーを演じたライアン・オニール、まだ若くて素敵でしたが
彼のあの淡々とした演技も、こちらが主人公である彼に感情移入することを
拒否してるような感じで、この映画にはピッタリだったのかな、って思いました。
それとなんといっても息を呑むくらい美しかったのが、レディ・リンドン役の
マリサ・ベレンソン!

バリーと結婚してから、良い事なかった彼女の暗い日々を
影のあるたまらない美しさで演じていて、すごいわ~~~と思いました。

まさしく全シーン荘厳な”絵画”で、架空の人物の一生を
ものすごいスケールで描いた、キューブリック監督の未見作品の1つが
見れて満足でした。この世の中に完璧な人などいない、幸も不幸も自分次第。
そして、この映画に出てきた人たちで、完全に良い人、と言いきれる人は
誰もいなかったように感じました。それこそ、人間なのかもしれませんね。

シニカルなエピローグのテロップもなかなかでした。
結局はこれが言いたかったのかな。
そう、万人実は皆平等だったりするんですよね~・・・。
個人的お気に入り度




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