言語空間+備忘録

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年金制度は 「ねずみ講」

2009-07-12 | 日記
竹森俊平 『資本主義は嫌いですか』 ( p.74 )

 ここでサミュエルソンが提案するような「貨幣経済」が成立したとしよう。各期のヤングは、オールドから「ただの紙切れ」を受け取って、それと交換に自分の「所得」五〇を渡し、次期にオールドになったときには、その受け取った「ただの紙切れ」を使ってその期のヤングから「所得」五〇を受け取るというわけである。この「貨幣経済」の構造は、まさに「ねずみ講」に等しい。
 「ねずみ講」というのは、「親」の会員が「子」の会員から利益をもらい、「子」の会員は「孫」の会員から利益をもらい、といった連鎖を繰り返していくことにより、会員全員が利益を享受することをねらったものである。何のことはない、この仕組みは、より先の世代の会員たちが受け取る利益の「つけ」全部を、連鎖の最後の世代に回しているに過ぎない。しかし、もし「ねずみ講」の連鎖が永遠に続くならば、「つけ」を回される連鎖の最後の世代の存在は無限時点のかなたに消滅する。それゆえ、この場合には「ねずみ講」に参加する会員全員が利益を受けるという奇跡が起こるのである。


 貨幣経済は 「ねずみ講」 である、と書かれています。



 貨幣経済が 「ねずみ講」 だという根拠は、「紙幣そのもの」 の価値はゼロに等しい、というところにあります。いわば、「ただ同然の紙切れ」 を、価値のあるもの ( 商品 ) と交換する過程が無限に続いてゆく、その連鎖 ( 状態 ) を、「ねずみ講」 と評しているわけです。

 現在の 「状態」 を所与の前提として考察すれば、たしかにその通りだとは思いますが、この説明には、すこし、違和感があります。歴史上、貨幣の役割を担ってきたのは、金貨など、価値を有するものであり、紙幣もその当初は、「金との交換」 を保証する兌換紙幣だったのですから、すこし、現実からは遠いのではないか、という気がします。

 もっとも、現在の状態を 「静態的に」 観察すれば、「ねずみ講」 である、といった説明も可能でしょうから、「貨幣経済は次第に 『ねずみ講』 的性格を有するようになった」 と理解しておけばよいのではないか、と思います。



 なお、上記引用文は、「オールド」 と 「ヤング」 で説明されており、公的年金などの社会保障が念頭に置かれています。( 著者の ) 説明の力点が、すこしズレているのではないでしょうか。( 貨幣経済そのものとは異なり ) 年金制度が 「ねずみ講」 であることには、まったく違和感がありません。
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