真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

鉄腕アトム アメリカからの指摘

2006年06月09日 22時26分35秒 | Weblog
NBCからクレームがきた、アメリカの子供向け番組では性的描写はまかりならん
「子供番組なので性的描写はダメ」壁に掛かっていた額縁の絵が女性ヌードであったのだ 背景さんの。いたずらであったが。 それに「暴力描写に対するもの」など厳しいことを言われたのだと説明した。
手塚先生は、すぐに悟る人であった、1つを聞いて十を知る。子供にためになるものを作るのだ、それは世界でもおなじこと、すぐ自らの戒めとした。
脇役でスタッフの名前をもじったキャラクターが出てくる。例えばりんたろうさん、林ちゃんの事であるが、当時まだ制作進行の林さんは手塚先生の信頼も得ていたし、またスタッフもそうであった。

手塚先生は誰にでもそうであったが、すぐに人を信頼する、そして、あの人は仕事ができるとか、任せて安心とか云うことを。本人ではなく、他の人に言う。他の人からそのことを聞かされた本人は、非常に感激する。手塚先生が人を上手に使うとか、思惑があるとかではなく、本当に心から信頼して言うのである。それが、世間知らずかも知れないが、大人の醜い世界を、知らないまま成長してきた、手塚先生の良さでもあり、弱点でもあった。人は、弱いもので、心から信頼されていることがわかると、私は手塚先生から信頼されていたのだ、と思い込む。自慢するわけではないが、他人が聞くと、自慢話になってしまう。こんにち、思い出話を語るとき、だれもが、いかに自分が手塚先生に信頼されていたかを、書いてしまう。読むほうは、この人もかと、うんざりすることもわからず。(ごめんなさい)

 完成試写は1スタ3階屋根裏部屋で開いた(もう時効だからバラすが、泊まり部屋としても使っていた、3階屋根裏部屋、押入れには、貸布団が入っていて泊まりの人にとって机や椅子で寝るのに比べれば最高に上等の寝室であった。
だが、ここは消防法違反であった。だから消防署の査察があることを、あらかじめ知るように手配していた。査察の時には布団を隠し、畳も上げてしまっておいたのだ。(総務課が苦労していた) そういえば虫プロでは掃除をしたことが無い、普通トイレ掃除や部屋の掃除をするものだか、朝パートのおばちゃんたちが来て掃除をしてくれていた。だから自分の身の回りと、暮れの大掃除ぐらいしか掃除をしたことを覚えていない。

 うわ~ずいぶん横道にずれてしまった。私の悪い癖ですが、林ちゃんが出てくる話に戻そう。林ちゃんだけではなく、よく、スタッフも出てくる、本人に似ているだけで、試写を見ている者に大うけした。その回の話が面白くて、みんなに受けたと思っていたのである。しかし、手塚先生が契約でアメリカへ行ったときの試写でフィルムを見せた時に、その場面では誰も笑っていないことに気がついた。
そのことを手塚先生が、演出家のための講演を開いた時に、身内だけでわかる笑いを楽屋落ちというが、「楽屋落ちは絶対にしない事」と自分の反省から演出家の卵たちに戒めていた。

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