網創漠蓄

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全員を救うという事

2009-12-13 11:49:49 | UQ HOLDER!
やはり話題になっているネギのこの台詞、特にその責任について
どう捉えるべきなのか、ということを少し考察。



父さんなら「全員を救う」と笑って言ってのける、というネギ。
だいぶ父のことが分かってきているようです。
なにしろ何の根拠もない発言の多い人ではあるので。
それでも結構実現してしまうのが凄い、という話で。

そして実は母の方も当然同等の発言をするであろうと思われます。
実際、オスティア崩壊のときにそのような発言をしています。



そしてそれは結果的に不可能でした。
それでその発言の責任はどうなるのか、というと、
少なくともトサカの態度を見る限りでは、「果たした」と受け取れるようです。
なぜなら「言ったことの実現に向けて最大限の努力をした」から。

もちろん人々にとっての受け取り方は様々ですが、基本的に
責任の無いところに自由は存在せず、自由の無いところに責任は存在しない。
と考えられているから。「助けられなかった」のは不可抗力なので。
もちろん「結果責任」というものはまた別ですが。



もちろんネギに「全員を助ける」という力があるわけではない。
しかし「可能な限り助けられる人数を増やす」あたりが
ナギ・アリカの選択に近くなるでしょう。
「誰が死ぬか」を自分では選ばない、という感じです。

クルトの選択は、「確実に助けられる人員を選り分ける」なので、
それは「確実に見捨てる集団を選ぶ」事でもあります。
助けられる人数を増やすことで、助けるべき集団の不確実性が増す危険もあるし。

現実問題として、「責任」のことを言うなら
遺族からはともかく死人から糾弾されることはないわけだし・・・


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