M's diary

よかったを探そう

イノシシに出会ったら……

2007年05月25日 08時45分30秒 | Weblog
 先日、団地の方から「イノシシが家の近くまで来ているので、自治会でなんとかしてほしい」との声があった。
 役員で相談したが、イノシシを捕まえるわけにもいかず、回覧で注意を促すしかない、という話になった。

 「注意しろと言われても、どう注意していいかわからない」という意見もあり、インターネットで調べてみたら、これが結構あるのだ。
 各自治体のHPなどに、イノシシと遭遇したときの注意点が掲載されている。

 猪突猛進という言葉もあるので、イノシシというのはどう猛な動物だと思っていたら、それが意外と違うらしい。
 「イノシシは大変おとなしい動物です。こちらから威嚇しないかぎり、何もせずに去っていきます」とある。
 イノシシに関する注意点をいくつか挙げてみると……

・遭遇したときは、後ずさりして静かに逃げる。
 急に動くとイノシシが驚いて、事故につながることもある。
・追い払おうと石を投げたり、棒を振り回したりしない。
 逆上したイノシシが向かって来ることもある。
・イノシシがよく出没する場所を通るときは、声や音を出して、人間の存在を知らせる。
(イノシシは人間が怖いので逃げていく)。
・犬の散歩中に出会ったら、犬をイノシシから遠ざける。
・子イノシシ(うり坊)を見つけても、近づかない。
 付近に親がいるので、子供を守るために攻撃してくる場合も。
・イノシシは嗅覚が優れているので、生ゴミや農作物の臭いにつられて住宅地に現れることも。
 ゴミの処理などに気をつける。

 「猟友会の人に頼んで、駆除してもらったら?」という意見もあったが、「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」で野生動物は保護されており、基本的に捕獲することはできないとのこと。
 農作物に関して、いくら自衛しても被害が減らない場合には、有害鳥獣として捕獲できる場合もあるそうだが、まあ、平和に共存していきましょうや。
        

今日もまた

2007年05月21日 21時39分26秒 | Weblog
 相変わらずつづく自治会役員の仕事。
 昨日もプリントを2枚戸別配布して、回覧も回したのに、今日もまたプリントを配布。歩きすぎて腰が痛くなってきた。
 こういう生活が1年間つづくのだろうか。

 さて、バタバタしている間に、先週、国民投票法案があっけなく可決されてしまった。
 この国は、いよいよ確実に改憲へ、戦争へと突き進んでいる。
 そして、不気味なほどに、反対する声が聞かれないのは、みんながあきらめているからなのか。

 いつか来た道……とよく言われるけど、誰も何もすることができないのだろうか。

 それでも、希望を捨てずに祈る者でありたいと思います。
        

お疲れさん

2007年05月14日 22時12分54秒 | Weblog
 GWが終わり、3、4日経ってから、ドドドと疲れが押し寄せてきた。
 真夏のような暑さが続いた上に、黄砂のせいか、花粉症のような症状が出てきて、さらに気力が失せていく。

 そして……、今年は町内会の役員になったので、4月の末からその仕事がぼちぼちと始まってはいたのだが、先週、山のような仕事が一度に来た。まるで大波に飲み込まれたような気分。
 会合のレジメ作り、議事録作り、行事担当者への連絡、回覧を回す準備、各戸にプリント配布、会費徴収の準備、清掃の当番表づくりなど……次から次へとやってくる仕事を、ためこまないように、その日のうちに片づけるようにと、気力だけで動いている。
 しかし、いつまでこのペースでがんばれるか。

 それにしても……毎年、誰かが、見えないところでこういう仕事をしてきてくださったのだと、今さらながら思う。

 数年前、子供会の役員をやったおかげで、なんとなく仕事の要領がわかるのだけが救いだ。
 それに、ご近所には、頼りになる先輩方もいてくださる。
 まあ、無理をしないようにぼちぼちやりたいと思いますが、とにかく今日は疲れました。
        

お久しぶりです

2007年05月08日 21時23分46秒 | Weblog
 今年のGWは、前半は仕事。後半は子供のおつきあいで都心まで出かけた。

 工房主さんが書いておられたアートアワードトーキョーを見たが、これは、東京芸大、多摩美、武蔵美、東京造形大、京都市芸大など、東京と京都の有名芸大、美大の卒業制作展の中から優秀な作品を選んで展示したもので、さすがに力作がそろっていた。

 学生の頃、授業で、翻訳物の芸術論の本を読んだことがあるが、そこに、「すべての仕事は遊びでなくてはならない」ということが繰り返し書かれていた。
 今回、この芸大生たちの作品を見ながら、たしかに「遊び」の精神が生きていることを感じた。
 何者にも束縛されず、自由な心で遊ぶところから、新しい表現が生まれてくるのだと思うが、実際は、常識や、プライドや、受けを狙った計算や、いろんなものが絡みついていて、なかなか自由に遊ぶところまでいかないものだ。
 特に、社会人になってしまうと、作品がお金になることを意識しなくてはならなくなる。
 純粋に遊び心で作品を作れるのは、学生のうちだけなのかな。

 しかし一方で、奇抜で遊び心のあるものが、必ずしも人の心を打つとは限らない。
 人を感動させたり、癒したりするものは、作品の奥にある、作者の感性と、人生経験から生まれるのかな……などとしばし考えました。

 それにしても、高尾から都心まではやはり遠い。
 毎日、犬君たちの散歩でかなり歩いているはずなのに、足の裏が痛くなり、へとへと状態で帰ってきたのが情けなかった。