M's diary

よかったを探そう

今日は生き返りました

2006年07月30日 22時08分08秒 | Weblog
 久しぶりに美術館に行った。
 そう、今年の目標は、「家族で美術館めぐり」。これで、第2回目(1名欠けたのが残念)。

 友人の薦めもあって、八王子にある「村内美術館」に初めて行ってみたが、友人の言うとおり、夏休みの日曜日だというのに人が少なく、ゆっくり見ることができた。
 個人でこれだけのコレクションを持っているというのはすごい。
 まあ、美術館については、工房主さんが詳しく書かれると思うので、自分なりの感想をちょこっと書かせていただきます。

 バルビゾン派が中心のコレクション。
 バルビゾン派といえば、ミレー、コロー、クールベなど。コローの風景画はまあまあ好きだが、概してこの派の作品は色調が暗いので、今までは、特に関心がなかった。

 しかし、今回見たドービニーの『ボニエール近郊の村』という絵には、思わず引き込まれてしまった。
 丘の向こうに沈み行く夕日。川べりに立ち並ぶ家々の壁には、まだあたたかみが残っている。なんだか懐かしい風景。まるで、自分もその場にいるかのように感じさせるのは、そこに「空気」が描かれているからなのではないか。
 絵にはいろんな見方があると思うけれど、特に風景画を見る時、デッサンが正しいとか、本物そっくりとか、そういうことではなくて、「空気が感じられる」ということが、私にはとても大切なことに思えるのだ。
 生きている画家が絵筆を持って、自分の選んだ色をキャンバスの上にのせていく。絵画という表現方法によって、目の前にある「物」だけでなく、こうして、その場の雰囲気、空気までも描き出すことができるというのは、なんとすごい技なのだろう。
 これは、写真とはまったく別の世界である。

 メアリー・カサットの『赤い帽子の少女』もよかった。
 子供の肖像を描かせたら、ルノアールとカサットの右に出る者はないと、どこかで読んだことがあるが、確かに。
 有名な絵描きさんでも、「子供らしさ」を表現するのはむずかしいようだ。なんとなく「小さな大人」のようで、表情が堅いことが多い。
 このカサットの絵に描かれた少女は、まさしく「子供」である。

 こんなに素晴らしい作品を所蔵している村内美術館。
 機会があったら、ぜひ訪れてみてください。
 見なきゃ、もったいない!
        

I先生の思い出

2006年07月27日 23時28分22秒 | Weblog
 以前、養育家庭について書いたことがある。
 今の私と私の家庭には、里子を育てるだけの余裕はまだない。「まだ」……というより、体力はどんどん落ちているし、気力も落ちているなあ、と感じるこの頃。
 犬君とチビ犬の散歩でさえ、足がふらつき、ふうふう言っている(あんた、いったい、歳なんぼやねん??)。
 
 それはさておき、いわゆる「養育家庭制度」ではないけれど、家庭に恵まれない赤ちゃんを引き取って育てる方法が他にもある。

 埼玉県の北本市に、南福音診療所という、非常に良心的な病院がある。名前からもわかるように、クリスチャンの医師が協力してつくられた病院だ。地元では「福音さん」と呼ばれ、親しまれていた。うちの子供たちのうち2人はそこで生まれた。
 その病院に、I先生という、産婦人科の女医さんがおられる。雑誌にも載ったことのある、有名な先生だ。
 この先生は、大変しっかりとした信念を持っておられ、妊娠中絶手術は絶対になさらない。
 「中絶したい」という患者が来ると、その場で命の尊さを説き、ある時は怒られる。私が診察室で順番を待っている時も、そのような会話が聞かれた。先生は真剣であった。
 
 私は、たまたま、先生のご自宅の近くに住んでいたために、先生のお宅に呼んでいただいたことがある。
 先生は医師であり、主婦であり、母であり、当時は教会の役員でもあった。大変忙しい毎日を送っておられたにもかかわらず、診療がお休みの日には、ご自宅を開放して聖書研究会をなさっていた。
 私もその聖書研究会に参加させていただいたのだが、そこで出された昼食が先生の手作りであることを知って驚いた。鯖の煮付けがとてもおいしかったのを覚えている。

 当時、先生のお宅には、妊婦さんが数名同居しておられた。
 詳しくは知らないが、おそらくその妊婦さんたちは、訳があって、自分の実家、あるいは自宅では子供を産めない人たちだったのだろうと思う。
 世間の常識で判断すれば、中絶しても仕方がないような状況の中で、それでも妊娠を続け、子供を産むことを選択した人たちを、先生はご自宅で預かり、出産までの日々を見守っておられたのではないかと思う。
 
 そうやってこの世に生まれてきた赤ちゃんは、「小さな命を守る会」という団体を通して、養子縁組を希望する家庭に届けられる。
 私の知人にも、そのようにして養子を迎えた方々がある。

 人工妊娠中絶というと、若い人の間では当たり前のように受け取られているのかも知れないが、実際は大変なことなのだ。
 ごく初期の胎児だけでなく、すでに大きくなっている胎児を、鋏のような物で切り刻んで殺してしまうこともあるという。その時、胎児は子宮の中で逃げ回るのだそうだ。すでに意志を持っているのだ。それを殺してしまうとは……。そして、中絶した女性の心身にも大きな傷を残すことになる。
 たとえ自分で育てられなくても、中絶せずに産もうと決心する妊婦さんの覚悟。そして、その赤ちゃんを自分たちの子供として引き取り、育てようと決心する方々の覚悟。それぞれの人生が祝福されますように。

 余談だが、子供たちが生まれた時に、病院でいただいた聖書が今もある。
 その聖書には、I先生をはじめ、出産に立ち会ってくださった職員の方々のサインがあり、I先生の字で、聖書の一節が書かれている。
 一つの命の誕生を、このように祝ってくださったことが、ほんとうにうれしい。
 そして、そうやって生まれてきた人の命が軽々しく扱われる現代の風潮を思う時に、悲しい気持ちでいっぱいになる。
        

梅雨はいつまで続くの??

2006年07月22日 09時11分22秒 | Weblog
 このところ、毎年のように大規模な水害がある。
 昨年は台風、今年は梅雨。

 昨日の新聞に、長引く梅雨も、温暖化の影響なのではないかという記事が載っていた。
 今から100年後には、梅雨は8月まで続くという説もあるそうだ。特に西日本で、集中豪雨が増えるだろうとも言われている(100年後じゃなくて、すでに増えているのでは?)。
 西日本には親きょうだいがいるので、なおさら心配になる。

 グリーンランドの氷が溶けて薄くなっているために、現地の人は犬ぞりが使えなくなりつつあるそうだ。また、ホッキョクグマは氷上を渡ってエサを獲ることができず、年々体重が減っており、飢餓の危険にさらされているとか……。

 温暖化をもっと強力にくい止める策はないものか。
 ときどき、ふっと考える。世界中で、「明日からは自動車は使用禁止」としたら、排気ガスはなくなり、すっきりするのに……。
 でも、そうなったら、困ることもたくさんあるだろう。
 いったん便利になってしまった世の中を、そう簡単に元に戻すことはできない。
 
 知人が、この春に自動車を手放した。大家族なので、車がないと不便だろうと思うのだが、なければないで済んでしまうのかも知れない。
 そういえば、私の実家にも車はないが、子供の頃からそれが当たり前だったから、不自由と感じたことは一度もなかった。

 この先の時代を生きていく世代のために、何かしないといけないんじゃないか……理想を口にするだけでなく、実行しなければ、と思うこの頃です。
 「明日やろう」じゃなくて、今日、思い切って、というのが大事なのかも……と、めんどくさがりの私が考えている。
        

いよいよ暑くなってきた

2006年07月15日 09時08分09秒 | Weblog
 昨日は少し湿度が下がり、空気がさわやかだと感じたが、その分、気温が急に上がってきた。予報では、今日の最高気温は34℃。いよいよ暑い夏に突入するのかな。

 テポドン騒ぎはちょっと落ち着いたのか。しかし、これから北朝鮮がどう動くかもわからない。油断はできませんな。

 汀ママがコメントを寄せてくださっていたが、何事かが起きた時、まっさきに頭に血が上り、判断力を失うのが私である。
 しかし、子供の頃、母が繰り返し聞かせてくれた昔話が、いつも心の中をよぎる。

 第二次世界大戦が終わりに近づいた頃、日本はもはや追いつめられていたにもかかわらず、「日本軍は優勢である。神風が吹いて必ず勝つから、国民は一致して戦うように」と、民衆を鼓舞するようなデマが中央から流されていたらしい。
 ところが、親戚の中にフランス語のわかるおじさんがいて、毎日フランスからのラジオ放送を聞いていた。
 そのおじさんは、たいへん冷静に、「日本は負ける。戦争はもうすぐ終わるから、みんなケガをしないようにしていなさいよ」と言ってくれたという。そして、おじさんの言う通り、間もなく終戦を迎えた。

 子供の頃、この話を聞くたびに、なんと賢いおじさんなのだろうと感動した。
 戦争という異常な状況の中では、多くの人がパニック状態に陥り、判断力を失うのに違いない。その中でも、冷静さを失わなかったその姿勢を見習わなければと思ったものだ。

 戦争中は、「敵性語を使うな」と、英語などを排除したそうだが、そういう排他的な姿勢では、狭いところに追い込まれるだけで、何も生まれてはこない。
 また、国内の操作された情報に振り回され、真実を知ることはできないだろう。
 外国語がわかれば、外からの情報を知ることができ、客観的な判断をすることができる。また、いざという時に、外国の人とコミュニケーションをとることもできる。
 このおじさんのように、私も英語、韓国語くらいはわかるようになりたいと思い、一時期ははりきっていたのだが……。

 ともかく、どんな場合でも周りの空気に呑み込まれず、一歩下がって考えるという姿勢を持ちたいものだ。
        

何も知らず寝ていました

2006年07月05日 21時05分27秒 | Weblog
 ピクルスの作り方が呑み込めてきたので、今年こそはと、はりきって野菜を買い込んだ。
 が、急に蒸し暑くなり、体が動かなくなってしまった。血圧の関係もあって、台所に立っているのもしんどい。しかし、躊躇していると野菜が傷んでしまうので、気持ちは焦る……。
 しかも、こんな時に、生協に注文しておいたラッキョウまでが届き、ああ、そうだった、ラッキョウも漬けようと思っていたのだ……とさらに追いつめられ、せわしなく保存瓶を準備し、野菜の下漬けをして、ピクルス液を作り、さらにラッキョウの下漬け作業……こうなると、なんだか悲愴感さえ漂ってくる。ひたすら気力のみで動いたら、腰が痛くなってきた。

 さらに、これも長年の(?)夢であった(めんどくさくてできなかった)仕事部屋の模様替えをしたら、筋肉痛に。
 ……というようなわけで、歳のせいだか、気候のせいだかわからないが、先々週から疲れがとれず、日記を書く気力もなかった。

 でも、梅干し、ピクルスはいったん漬けてしまえば、あとは熟成を待つだけ。
 料理の先生によって、酢の分量、調味料・ 香辛料の種類が全く違うので、いろいろ試してみたいが……ちょっと休ませて~。

 さて、今日はテポドン騒ぎ。
 北朝鮮は何を考えているのかわからないが(と言っても、ミサイルを発射したりするのは、ごく一部の人たちの考えによるのだろうが)、こういうことに対して、あわてふためき、感情的になって対応すると間違いの元だと思う。
 いつの時も冷静に……。
 日本の政治を司る方々に、正しい判断が与えられますように。
 こういうことでまた、憲法改正に拍車がかからなければよいが……と思ってしまう。

 それにしても、日本海側に住んでいる方々は不安感が強いだろう。
 なんにせよ、ミサイルを飛ばしたりするのは良くないです。