久しぶりに美術館に行った。
そう、今年の目標は、「家族で美術館めぐり」。これで、第2回目(1名欠けたのが残念)。
友人の薦めもあって、八王子にある「村内美術館」に初めて行ってみたが、友人の言うとおり、夏休みの日曜日だというのに人が少なく、ゆっくり見ることができた。
個人でこれだけのコレクションを持っているというのはすごい。
まあ、美術館については、工房主さんが詳しく書かれると思うので、自分なりの感想をちょこっと書かせていただきます。
バルビゾン派が中心のコレクション。
バルビゾン派といえば、ミレー、コロー、クールベなど。コローの風景画はまあまあ好きだが、概してこの派の作品は色調が暗いので、今までは、特に関心がなかった。
しかし、今回見たドービニーの『ボニエール近郊の村』という絵には、思わず引き込まれてしまった。
丘の向こうに沈み行く夕日。川べりに立ち並ぶ家々の壁には、まだあたたかみが残っている。なんだか懐かしい風景。まるで、自分もその場にいるかのように感じさせるのは、そこに「空気」が描かれているからなのではないか。
絵にはいろんな見方があると思うけれど、特に風景画を見る時、デッサンが正しいとか、本物そっくりとか、そういうことではなくて、「空気が感じられる」ということが、私にはとても大切なことに思えるのだ。
生きている画家が絵筆を持って、自分の選んだ色をキャンバスの上にのせていく。絵画という表現方法によって、目の前にある「物」だけでなく、こうして、その場の雰囲気、空気までも描き出すことができるというのは、なんとすごい技なのだろう。
これは、写真とはまったく別の世界である。
メアリー・カサットの『赤い帽子の少女』もよかった。
子供の肖像を描かせたら、ルノアールとカサットの右に出る者はないと、どこかで読んだことがあるが、確かに。
有名な絵描きさんでも、「子供らしさ」を表現するのはむずかしいようだ。なんとなく「小さな大人」のようで、表情が堅いことが多い。
このカサットの絵に描かれた少女は、まさしく「子供」である。
こんなに素晴らしい作品を所蔵している村内美術館。
機会があったら、ぜひ訪れてみてください。
見なきゃ、もったいない!
そう、今年の目標は、「家族で美術館めぐり」。これで、第2回目(1名欠けたのが残念)。
友人の薦めもあって、八王子にある「村内美術館」に初めて行ってみたが、友人の言うとおり、夏休みの日曜日だというのに人が少なく、ゆっくり見ることができた。
個人でこれだけのコレクションを持っているというのはすごい。
まあ、美術館については、工房主さんが詳しく書かれると思うので、自分なりの感想をちょこっと書かせていただきます。
バルビゾン派が中心のコレクション。
バルビゾン派といえば、ミレー、コロー、クールベなど。コローの風景画はまあまあ好きだが、概してこの派の作品は色調が暗いので、今までは、特に関心がなかった。
しかし、今回見たドービニーの『ボニエール近郊の村』という絵には、思わず引き込まれてしまった。
丘の向こうに沈み行く夕日。川べりに立ち並ぶ家々の壁には、まだあたたかみが残っている。なんだか懐かしい風景。まるで、自分もその場にいるかのように感じさせるのは、そこに「空気」が描かれているからなのではないか。
絵にはいろんな見方があると思うけれど、特に風景画を見る時、デッサンが正しいとか、本物そっくりとか、そういうことではなくて、「空気が感じられる」ということが、私にはとても大切なことに思えるのだ。
生きている画家が絵筆を持って、自分の選んだ色をキャンバスの上にのせていく。絵画という表現方法によって、目の前にある「物」だけでなく、こうして、その場の雰囲気、空気までも描き出すことができるというのは、なんとすごい技なのだろう。
これは、写真とはまったく別の世界である。
メアリー・カサットの『赤い帽子の少女』もよかった。
子供の肖像を描かせたら、ルノアールとカサットの右に出る者はないと、どこかで読んだことがあるが、確かに。
有名な絵描きさんでも、「子供らしさ」を表現するのはむずかしいようだ。なんとなく「小さな大人」のようで、表情が堅いことが多い。
このカサットの絵に描かれた少女は、まさしく「子供」である。
こんなに素晴らしい作品を所蔵している村内美術館。
機会があったら、ぜひ訪れてみてください。
見なきゃ、もったいない!