2009年も今日が最後となりました。
ここで、「人生の一大汚点」をいったん締めくくりたいと思います。
そんな日常生活を繰り返していた数年前のある日のこと。
私は、いつも利用している近所のお店で買い物をしていた。
ふと、私の前で品物を見ている人の後ろ姿が目に留まった。
スラリとした長身で、足が長くてカッコイイのである。
世の中には、こんな人もいるんだな。
うらやましいと思いながら、買い物を続けた。
しばらく店の中を歩き回っていて、
その人の後ろ姿に何度も出会った。
何度目かで出くわした時、
彼女が振り返って私の顔を見た。
ん?
どこかで見た人だ、と感じたが、思い出せない。
向こうも、いぶかしげな表情で、私の顔をじっと見ている。
なんだかおかしいなと思いながら、レジに並んでいたら、
彼女が静かに私に近づいて来て、こう言った。
「間違っていたらごめんなさい。
失礼ですが、T先生ではありませんか?」
私はびっくり仰天した。
Tは私の旧姓である。
そうだ。
彼女は、あの学校の生徒だった。
すぐには名前が思い出せなかったが、
中学生時代の彼女の顔ははっきりと覚えていた。
後で聞いたら、彼女もこの近くに住んでいて、
ずっとその店を利用していたのだという。
なぜ、それまで出会わなかったのか、不思議だったが、
ともかく、信じられないような再会だった。
神さまがこの出会いを備えてくださったとしか思えなかった。
彼女は時折、メールをくれるようになり、
何度か会って話をした。
彼女との出会いが、私にどれだけの励ましと力を与えてくれたことだろうか。
その後しばらくして、大阪在住の卒業生から電話をもらった。
なぜ、私のことを思い出してくれたのか、
びっくりしたが、もちろんうれしかった。
そして、別の卒業生からも連絡をもらった。
結婚し、東京でもお祝いの会を開くので、出席してほしいとのこと。
彼女は以前から、ときどき連絡をくれていたのだが、
まさか披露宴に招いてくれるとは……。
気恥ずかしく、まったくの場違いと思いつつも、喜んで出席させていただいた。
彼女はその後も、東京に来たついでに、子供さんを連れて会いに来てくれたりした。
その優しさと勇気に、私は心から感謝した。
そしてさらに、別の卒業生から連絡があった。
用事があって東京に来るので、新宿で会いたいとのこと。
あまりにも突然のことに、またまた驚いた。
彼女とは、20年近くも連絡をとっていなかったのである。
なぜ、今頃……と思ったが、とりあえず、指定された日時に新宿に行った。
改札口で私の姿を見つけたとたん、彼女は、
「センセ、生きてた~!」
と叫んだ。
病気で辞めた私のことをずっと心配してくれていたのだ。
私も涙が出た。
彼女は卒業後、一流大学に進学し、就職もしたが、
様々な出来事に疲れ果てている様子だった。
「センセ、生きとってヨカッタ。
センセもがんばってるんやなあ。
私もまた元気になれるよね。
大阪に帰ってがんばるわ」
お互いにあまり余裕がなく、短い時間、スタバで話をしただけだったが、
彼女は笑顔で帰っていった。
ほんとうに不思議なことであるが、
こういう出来事が、ここ数年の間に次々と起こったのである。
こんな落ちこぼれの私、
たったの5年間しか学校にいなかった私を、
今でも忘れずにいてくれる人たちがいる。
そのありがたさに、鳥肌が立つほどの感動を覚えるのである。
世代は違うけれど、
彼らもまた、それぞれの場で、
毎日を闘いながら生きている。
そうだ。私も自分の人生を精一杯生きよう。
そして、何もできないけれど、陰ながら彼らを応援しよう。
彼らのために祝福を祈ろう。
この与えられたつながりを、
神さまに感謝し、大切にしたい。
そう思いながらも、実はまだ、心の中でふっきれないものがあった。
ところが今年、仕事で「心の病」を扱う機会があった。
ストレスの多い現代では、「心の病」はもはや珍しい病気ではなくなり、
社会問題にさえなっている。
どういうタイプの人が罹りやすいか、
具体的にどういう症状が出て、どういう治療法があるか、
淡々と語る専門家の言葉を文字にしているうちに、
自分自身に起きたことを、少し客観的に捉えることができるようになった。
そして、今まで、自分にとってはマイナスだと思えていた様々な経験が、
実はむしろ、プラスになっていたのではないかと思えるようになった。
私の受けた傷を癒して余りある神さまの恵みと憐れみがあったではないかと、
正面から受けとめることができるようになった。
私はずっと「教師」という職業、あるいは立場にこだわってきた。
けれども、大切なのは、その肩書きではない。
あの生徒さんたちひとりひとりとの出会いそのものにこそ意味があるのだと、
あらためて教えられた。
私はすでに、与えられている人生の半分以上(いや、4分の3かな)を歩いてきたと思う。
だから、私が受けた神さまの恵みを、
ここらでちょいと書いておくかな……と思い、
恥を承知で書き続けてきました。
これからも、迷うことがたくさんあると思いますが、
ときどき振り返って、
道しるべにしたいと思っています。
ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
というわけで、
みなさまにとって、
新しい年もまた、
出会いと恵みに満ちた年になりますようにと、
ここからお祈りいたしております。
ここで、「人生の一大汚点」をいったん締めくくりたいと思います。
そんな日常生活を繰り返していた数年前のある日のこと。
私は、いつも利用している近所のお店で買い物をしていた。
ふと、私の前で品物を見ている人の後ろ姿が目に留まった。
スラリとした長身で、足が長くてカッコイイのである。
世の中には、こんな人もいるんだな。
うらやましいと思いながら、買い物を続けた。
しばらく店の中を歩き回っていて、
その人の後ろ姿に何度も出会った。
何度目かで出くわした時、
彼女が振り返って私の顔を見た。
ん?
どこかで見た人だ、と感じたが、思い出せない。
向こうも、いぶかしげな表情で、私の顔をじっと見ている。
なんだかおかしいなと思いながら、レジに並んでいたら、
彼女が静かに私に近づいて来て、こう言った。
「間違っていたらごめんなさい。
失礼ですが、T先生ではありませんか?」
私はびっくり仰天した。
Tは私の旧姓である。
そうだ。
彼女は、あの学校の生徒だった。
すぐには名前が思い出せなかったが、
中学生時代の彼女の顔ははっきりと覚えていた。
後で聞いたら、彼女もこの近くに住んでいて、
ずっとその店を利用していたのだという。
なぜ、それまで出会わなかったのか、不思議だったが、
ともかく、信じられないような再会だった。
神さまがこの出会いを備えてくださったとしか思えなかった。
彼女は時折、メールをくれるようになり、
何度か会って話をした。
彼女との出会いが、私にどれだけの励ましと力を与えてくれたことだろうか。
その後しばらくして、大阪在住の卒業生から電話をもらった。
なぜ、私のことを思い出してくれたのか、
びっくりしたが、もちろんうれしかった。
そして、別の卒業生からも連絡をもらった。
結婚し、東京でもお祝いの会を開くので、出席してほしいとのこと。
彼女は以前から、ときどき連絡をくれていたのだが、
まさか披露宴に招いてくれるとは……。
気恥ずかしく、まったくの場違いと思いつつも、喜んで出席させていただいた。
彼女はその後も、東京に来たついでに、子供さんを連れて会いに来てくれたりした。
その優しさと勇気に、私は心から感謝した。
そしてさらに、別の卒業生から連絡があった。
用事があって東京に来るので、新宿で会いたいとのこと。
あまりにも突然のことに、またまた驚いた。
彼女とは、20年近くも連絡をとっていなかったのである。
なぜ、今頃……と思ったが、とりあえず、指定された日時に新宿に行った。
改札口で私の姿を見つけたとたん、彼女は、
「センセ、生きてた~!」
と叫んだ。
病気で辞めた私のことをずっと心配してくれていたのだ。
私も涙が出た。
彼女は卒業後、一流大学に進学し、就職もしたが、
様々な出来事に疲れ果てている様子だった。
「センセ、生きとってヨカッタ。
センセもがんばってるんやなあ。
私もまた元気になれるよね。
大阪に帰ってがんばるわ」
お互いにあまり余裕がなく、短い時間、スタバで話をしただけだったが、
彼女は笑顔で帰っていった。
ほんとうに不思議なことであるが、
こういう出来事が、ここ数年の間に次々と起こったのである。
こんな落ちこぼれの私、
たったの5年間しか学校にいなかった私を、
今でも忘れずにいてくれる人たちがいる。
そのありがたさに、鳥肌が立つほどの感動を覚えるのである。
世代は違うけれど、
彼らもまた、それぞれの場で、
毎日を闘いながら生きている。
そうだ。私も自分の人生を精一杯生きよう。
そして、何もできないけれど、陰ながら彼らを応援しよう。
彼らのために祝福を祈ろう。
この与えられたつながりを、
神さまに感謝し、大切にしたい。
そう思いながらも、実はまだ、心の中でふっきれないものがあった。
ところが今年、仕事で「心の病」を扱う機会があった。
ストレスの多い現代では、「心の病」はもはや珍しい病気ではなくなり、
社会問題にさえなっている。
どういうタイプの人が罹りやすいか、
具体的にどういう症状が出て、どういう治療法があるか、
淡々と語る専門家の言葉を文字にしているうちに、
自分自身に起きたことを、少し客観的に捉えることができるようになった。
そして、今まで、自分にとってはマイナスだと思えていた様々な経験が、
実はむしろ、プラスになっていたのではないかと思えるようになった。
私の受けた傷を癒して余りある神さまの恵みと憐れみがあったではないかと、
正面から受けとめることができるようになった。
私はずっと「教師」という職業、あるいは立場にこだわってきた。
けれども、大切なのは、その肩書きではない。
あの生徒さんたちひとりひとりとの出会いそのものにこそ意味があるのだと、
あらためて教えられた。
私はすでに、与えられている人生の半分以上(いや、4分の3かな)を歩いてきたと思う。
だから、私が受けた神さまの恵みを、
ここらでちょいと書いておくかな……と思い、
恥を承知で書き続けてきました。
これからも、迷うことがたくさんあると思いますが、
ときどき振り返って、
道しるべにしたいと思っています。
ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
というわけで、
みなさまにとって、
新しい年もまた、
出会いと恵みに満ちた年になりますようにと、
ここからお祈りいたしております。