M's diary

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大晦日です。人生の一大汚点 16

2009年12月31日 10時50分51秒 | Weblog
2009年も今日が最後となりました。
ここで、「人生の一大汚点」をいったん締めくくりたいと思います。


そんな日常生活を繰り返していた数年前のある日のこと。
私は、いつも利用している近所のお店で買い物をしていた。
ふと、私の前で品物を見ている人の後ろ姿が目に留まった。
スラリとした長身で、足が長くてカッコイイのである。
世の中には、こんな人もいるんだな。
うらやましいと思いながら、買い物を続けた。

しばらく店の中を歩き回っていて、
その人の後ろ姿に何度も出会った。

何度目かで出くわした時、
彼女が振り返って私の顔を見た。
ん?
どこかで見た人だ、と感じたが、思い出せない。
向こうも、いぶかしげな表情で、私の顔をじっと見ている。

なんだかおかしいなと思いながら、レジに並んでいたら、
彼女が静かに私に近づいて来て、こう言った。
「間違っていたらごめんなさい。
失礼ですが、T先生ではありませんか?」

私はびっくり仰天した。
Tは私の旧姓である。
そうだ。
彼女は、あの学校の生徒だった。
すぐには名前が思い出せなかったが、
中学生時代の彼女の顔ははっきりと覚えていた。

後で聞いたら、彼女もこの近くに住んでいて、
ずっとその店を利用していたのだという。
なぜ、それまで出会わなかったのか、不思議だったが、
ともかく、信じられないような再会だった。
神さまがこの出会いを備えてくださったとしか思えなかった。

彼女は時折、メールをくれるようになり、
何度か会って話をした。
彼女との出会いが、私にどれだけの励ましと力を与えてくれたことだろうか。


その後しばらくして、大阪在住の卒業生から電話をもらった。
なぜ、私のことを思い出してくれたのか、
びっくりしたが、もちろんうれしかった。


そして、別の卒業生からも連絡をもらった。
結婚し、東京でもお祝いの会を開くので、出席してほしいとのこと。
彼女は以前から、ときどき連絡をくれていたのだが、
まさか披露宴に招いてくれるとは……。
気恥ずかしく、まったくの場違いと思いつつも、喜んで出席させていただいた。

彼女はその後も、東京に来たついでに、子供さんを連れて会いに来てくれたりした。
その優しさと勇気に、私は心から感謝した。


そしてさらに、別の卒業生から連絡があった。
用事があって東京に来るので、新宿で会いたいとのこと。
あまりにも突然のことに、またまた驚いた。
彼女とは、20年近くも連絡をとっていなかったのである。
なぜ、今頃……と思ったが、とりあえず、指定された日時に新宿に行った。

改札口で私の姿を見つけたとたん、彼女は、
「センセ、生きてた~!」
と叫んだ。
病気で辞めた私のことをずっと心配してくれていたのだ。
私も涙が出た。

彼女は卒業後、一流大学に進学し、就職もしたが、
様々な出来事に疲れ果てている様子だった。

「センセ、生きとってヨカッタ。
センセもがんばってるんやなあ。
私もまた元気になれるよね。
大阪に帰ってがんばるわ」
お互いにあまり余裕がなく、短い時間、スタバで話をしただけだったが、
彼女は笑顔で帰っていった。


ほんとうに不思議なことであるが、
こういう出来事が、ここ数年の間に次々と起こったのである。
こんな落ちこぼれの私、
たったの5年間しか学校にいなかった私を、
今でも忘れずにいてくれる人たちがいる。
そのありがたさに、鳥肌が立つほどの感動を覚えるのである。


世代は違うけれど、
彼らもまた、それぞれの場で、
毎日を闘いながら生きている。

そうだ。私も自分の人生を精一杯生きよう。
そして、何もできないけれど、陰ながら彼らを応援しよう。
彼らのために祝福を祈ろう。
この与えられたつながりを、
神さまに感謝し、大切にしたい。

そう思いながらも、実はまだ、心の中でふっきれないものがあった。


ところが今年、仕事で「心の病」を扱う機会があった。
ストレスの多い現代では、「心の病」はもはや珍しい病気ではなくなり、
社会問題にさえなっている。
どういうタイプの人が罹りやすいか、
具体的にどういう症状が出て、どういう治療法があるか、
淡々と語る専門家の言葉を文字にしているうちに、
自分自身に起きたことを、少し客観的に捉えることができるようになった。

そして、今まで、自分にとってはマイナスだと思えていた様々な経験が、
実はむしろ、プラスになっていたのではないかと思えるようになった。
私の受けた傷を癒して余りある神さまの恵みと憐れみがあったではないかと、
正面から受けとめることができるようになった。

私はずっと「教師」という職業、あるいは立場にこだわってきた。
けれども、大切なのは、その肩書きではない。
あの生徒さんたちひとりひとりとの出会いそのものにこそ意味があるのだと、
あらためて教えられた。


私はすでに、与えられている人生の半分以上(いや、4分の3かな)を歩いてきたと思う。
だから、私が受けた神さまの恵みを、
ここらでちょいと書いておくかな……と思い、
恥を承知で書き続けてきました。
これからも、迷うことがたくさんあると思いますが、
ときどき振り返って、
道しるべにしたいと思っています。
ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。


というわけで、
みなさまにとって、
新しい年もまた、
出会いと恵みに満ちた年になりますようにと、
ここからお祈りいたしております。
        

展覧会終わりました&人生の一大汚点 15

2009年12月28日 13時37分26秒 | Weblog
昨日、「ふじだな」での展覧会が終わった。

冷え込む中、遠路はるばる見に来てくださったみなさま、
ほんとうにありがとうございました。
ノートに書いていただいたコメントに、たいへん励まされました。

言い訳になりますが、
今回は、絵を描くことになかなか集中できず、作品数も少なく、
工房主さんに言わせると「手抜き」だったようですが、
ここで気持ちを切り替え、新たに描き始めていこうと思っています。
応援してくださるおひとりおひとりに、心から感謝しています。


さて、今年度、いくつかの役割を引き受けているが、
自分では自治会館問題に一番力を入れるつもりだった。
実際、かなり神経を使った。
あれこれ書類を作り、必要な時には何度も役所に足を運び、
家主さんには手紙を書き、電話をした。
おかげで、あと一歩で改修工事ができるところまでこぎつけた。
もちろん、私ひとりが動いていたわけではない。
快く協力してくださる方々があってこそ、ここまで来れたのである。

けれども、思わぬ展開があり、
結果的には、別の仕事のほうに、より力を注ぐことになってしまった。
私が所属している組織の、来年度の役員候補、あと1名が決まらない。
この秋以来、他の役員さんたちと協力して、いろいろな方に声をかけ、
電話でお願いし、お宅を訪問して説得してきたが、いまだに希望が見えない。

みなさん、それぞれにお仕事があり、家庭の事情がある。
そう簡単には受けられないことはわかるのだが、
一肌脱ごう、という人が現れないのである。
そしてその背後に、地域の見えない力関係が働いていることもわかってきた。
下手に動くと、その中に自分も巻き込まれてしまいそうで、
慎重にならざるを得ない。

今までにも、たとえば子供会だとか、学校の委員会だとかで、
次年度の役員探しをしたことはあったけれど、
今回ほど悩んだことはない。
人様にお願いをするということが、こんなにも神経を使うことだとは思わなかった。
この役員探しを始めて以来、顔面神経痛が出るようになった。
風邪が長引いたことの一因に、この疲れがあるのではないかと思っている。


さて、「人生の一大汚点」も、もうそろそろキリをつけたいものです。

なぜか私は、学校という場所が好きだ。
近所の小学生や中学生を見かけると、
ついうれしくなって声をかけたくなる(不審者じゃありませんよ)。
それもあって、朝の学校安全ボランティアをやっているという面もある。
でも、教師という職業には向いていなかったのだ。
いったい、私は何なのだろうか……。

学校で出会った生徒さんたちのことをなつかしく思い出す反面、
病気に至った経緯、当時の自分のふがいなさを思うと、
心が凍りつくような気持ちになった。
(ここには書けないお恥ずかしい失敗談も多数あるのだ)。
だから、嫌なことはできるだけ思い出さないように、
心に蓋をしていたような気がする。

私がこの文章に「人生の一大汚点」とタイトルをつけたことに対して、
ひとりの友人が、
「なぜ、それが汚点になるのか、よくわからないよ」
と言ってくれたが、
私にはどうしても思い出したくないことだったのである。


実は、結婚式にも、生徒さんが数名来てくれた。
(教え子などという言葉は、とてもおこがましくて使えない)
オルガンの奏楽は、同じ学校に勤めていた音楽の先生に頼んだ。

子供が生まれてからも、
遠路はるばる、遊びに来てくれた生徒さんたちがいた。
あんな形で学校を辞めたにもかかわらず、
私を忘れずにいてくれる彼らの存在が、とてもうれしかった。

私が関西を離れ、こちらに来てからも、
毎年、バースデーカードや年賀状を送ってくれる生徒さんたちも数名いた。

けれども、彼らは大人になり、
ある人は結婚し、子供ができ、
あるいは職場で活躍し(テレビに出演した人もいる)、
みな忙しい日々を送るようになって、
次第につながりが薄れていった。
そして私は私で、ひたすら仕事と家事に追われるようになった。


学校に勤めていた5年間、必死で生徒の顔と名前を覚えた。
私は美術の教師だったので、たくさんの学年を担当していた。
美術の授業は、各クラス、1週間にわずかしかない。
けれども、せめて顔と名前だけは覚えて、
廊下で出会った時も、名前を呼んで声をかけるようにしたいと思っていた。

今では、名前はずいぶん忘れてしまったが、
顔だけは思い出すことができる。
しかし、もう、彼らと直接会うことはないのだろう。
そう思うと寂しかった。


何度か、公立学校の非常勤講師に登録したり、
私立学校の教員募集に応募したりもしたが、
年齢制限などがあり、採用されることはなかった。

私自身はもう教壇に立つことはできないが、
せめて、
自分の子供がお世話になっている先生方を応援したいと思うようになった。
表だっては何もできないが、機会あるごとに、言葉で感謝の意を表し、
家では絶対に先生方の悪口を言わないようにした。

子供たちが先生方との信頼関係を築けるように、
少しでも役立ちたいと思った。
それがなければ、学校教育の場は成り立たない。
幸い、保護者仲間の中にも、同じような考えの人たちがいて、
彼女たちと話をするたびに励ましを受けた。
        

クリスマスの夜ですが…

2009年12月25日 23時49分07秒 | Weblog
今日はクリスマスでしたが、みなさんは良い1日をすごされたでしょうか。

私は、おかげさまで風邪の症状もなくなり、
今日はフツーに散歩に行き、フツーに布団を干し、フツーに食事の用意をし、
フツーの1日をすごした。
特別なことは何もなかったけれど、
こうやってフツーに生活できることこそが、
感謝すべきことなのかもしれない。

昨日も教会のイブ礼拝に行きたかったのだが、
そんな時に限って広報紙の仕事が入ってしまった。
配布の都合上、どうしても昨日の午後に印刷しなければならなかったのである。
昼過ぎから始めたのに、枚数が多く、夕方までかかってしまった。
ホッチキス止めと仕分け作業を終えて帰る頃には、あたりは薄暗くなっていた。
おかげで礼拝には行けなかった。

20日のクリスマス礼拝も熱で休んだし、
今年はこんなことばかりでちょっとがっかりしたけれど、
こんな年もあるさ。

そろそろ今年1年を振り返って、
来年のことをゆっくり考えたいものだと思っております。
         

病院へ

2009年12月21日 22時50分53秒 | Weblog
先週の木曜から37℃前後の熱が出たり引っ込んだり。
だましだまし家事を続けたが、
寒気がして思うように動けない。
咳もひどくて、いったん咳き込み始めると、なかなか止まらず苦しくなる。

以前だったら、熱が出ても、1日やそこらで治っていたはずなのに、
今回はいやに長引くじゃないか。
なんだかイヤ~な予感がしてきた。

そして日曜の夜になって、熱はついに38℃台に。
これはただの風邪ではないのかも……。

今朝、重い腰を上げて、ようやく近くの内科へ。
念のためにとインフルエンザの検査をしたが陰性。
胸の雑音もないとのことで、
抗生物質やら解熱剤やら咳止めやら、いろいろ薬をもらって帰ってきた。

薬を飲んでしばらくしたら体温が下がり、35℃台になった。
えらいよう効きますなあ。

それにしても、風邪で病院へ行ったのも久しぶり。
こんなに熱が続くとは、体力が落ちたのかな。
年を感じます……。
        

風邪ひいてもうた

2009年12月17日 20時45分51秒 | Weblog
できれば毎日更新したいのですが……週に一度になってしまってます。
意図的にやってるわけじゃないんだけど、なぜか木曜日に書いてますね。

ついに風邪をひいてしまった。
冷え込んできたから、気をつけないと……と思っていたのに、
つい油断して、薄着で寝たら、これである。

一昨日くらいから喉が痛いと思っていたが、
今日は咳がひどくなり、熱っぽくなってきた。

こういう時は、早く寝よう。
犬君たち、今夜もお散歩に行けなくてごめんね。
        

今年もあとわずか 人生の一大汚点 14

2009年12月10日 22時03分37秒 | Weblog
ここのところ、オシゴトが忙しく、犬君たちの散歩にもろくに行けていない。
1日中、ほとんど座りっぱなしのことが多く、運動不足もいいところである。

12月も10日になった。
毎日、日が暮れるのが早い。

午後2時を過ぎると、お日さまが山に隠れてしまい、
我が家には日が当たらなくなる。
しかし、ベランダから見ると、
筋向かいのお宅にも、坂の上のほうのお宅にも、
まだ日が当たっているのである。
うらやましくなる。

でも、たしか22日が冬至だから、
それを越せば、また日が長くなるはずだ。
あともう少しのガマンである。


さて、「人生の一大汚点」がなかなか進みません。
その後のことをどう書いていいのか、正直言って迷っています。

結婚して、子供が生まれ、忙しくて目の回るような日々が続いた。
食事の用意、掃除、洗濯、買い物、そして子供の世話に追われ、毎日クタクタ。
でも、そのおかげで余計なことを考える余裕もなくなり、
精神的には元気になっていけたのかもしれない。
あるいは、そういう何でもない日常生活の繰り返しが、
心に力を与えてくれたのかもしれないと思う。

しかし、どこか心の隅っこに、
自分は失格者だ、駄目な人間なんだという気持ちがずっとあった。

また、自分はどこかおかしいのではないか。
周りの人は、あの人は変だと思っているのではないか。
ふと、そんなふうに思うこともあった。


そのうち子供たちが学校へ上がり、
保護者会だ、参観日だと学校へ行く機会が多くなった。
教壇に立つ先生方を見るたびに、劣等感にさいなまれた。
どの先生も私の目には立派に見えた。

優秀な先生であるかどうかは関係ない。
あの人たちは、いろんな苦労を乗り越えて、
10年、20年と教師生活を続けているのだ。

体力もあるんだろうなあ。
指導力もあるんだろうなあ。
それに比べて私は……という思いにとらわれた。

中には、病気や家庭の事情でやむなく欠勤したり、休職したりしながらも、
根気強く教員を続けている方々もある。
感情的な保護者からクレームをつけられ、
保護者会でさんざん叩かれても、
淡々と仕事を続けている方もおられる。

生活がかかっているから当然と言ってしまえばそれまでだが、
私は尊敬してしまう。
ひとつの職業を続けていくというのは、なんとすごいことではないか。
しかも人間相手の仕事である。
特に今どきは、細かいことで苦情を言ってくる親も多い。
傷つけられることも多多あるだろう。
それでも、それを乗り越えて働き続けるということは……。

たまに、教員をしている方と個人的に出会うことがある。
ついうれしくなって、
「私も昔、学校に勤めていたんですよ」
などと口に出してから、
言わなきゃよかったと自己嫌悪に陥ることがしばしばあった。

もし、自分にもっと体力があったら、
もっと大きな声が出せたら、
もっと自信があったら、
長く学校に勤めることができたのではないか……。
いや、どっちにしろ、結婚して引っ越すことになっていたのだから、
辞めなければならなかったんだけど……。

振り返ってみたら、この20年間、
そんな思いが毎日、心に浮かんでいたような気がする。


しかし、落ち込むたびに、私は思い出した。
あの研修会で出会ったイエスさまのことを。
私を造り、そして、私を癒された方のことを。

そこに立つ時に、新しい力が与えられた。
          

ひとりごと

2009年12月03日 22時36分38秒 | Weblog
今日は一日雨で寒かった。
こういう日は気分も暗くなります。

そういえば昨日は、朝から天気が良く、暖かくて穏やかな日だったなあ。
朝の散歩の時、ご近所の方々数名がリュックを背負って山登りに行かれるのに出会った。
「こういう日は、なんだかじっとしていられなくてね」
ごもっともです。
私もたまには身軽に、山にでも行ってみたいもんである。


さて、ここのところ、あまりにもいろんなことが重なりすぎている。
しかも、あっちもこっちも行き詰まっており、すんなりと片がつかない。
そのうち、必ず答えが出るはずなんだけど、先が見えないというのは不安である。

しかも、じっとしていて自然に解決されるような問題ではないので、
誰かが動かなければ、ことは前に進まない。

しかし、ただやみくもに走り回るのではなく、
神さまが最善の結果を用意してくださっていることに信頼しつつ、
今日なすべきことを誠実にやり遂げられる力がほしいと思う。


今年もあとわずか。
年内に、少しでも光が見えてくれるといいなあ。