M's diary

よかったを探そう

味のルーツ

2006年09月28日 21時29分07秒 | Weblog
 NHK『きょうの料理』のバックナンバーを見ていたら、京料理の先生が、ナスのごま和えを紹介していた。
 実に簡単、ナスを縦半分に切り、さらに3mm幅に斜め薄切りにし、熱湯でさっと茹でて、冷水にとり、水気をしぼって、砂糖、しょう油、だし、すりごまで和える。ただそれだけ。
 ナスは好きだが、自分では、焼きナス、炒め煮、揚げ煮、麻婆ナス、オーブン焼きと、そんなことしか思いつかない。料理の本を見ても、それまでは、ナスの和え物にはお目にかかったことがない。
 で、さっそく、このごま和えをやってみたのだが……。

 食べてみてびっくりした。
 これは、子供の頃、家でよく食べていた懐かしい味ではないか。
 その後、別の本で、やはり、京料理としてナスのごま和えが載っていた。違う先生なので、材料が少し違っていたが、ナスのごま和えは京都の人がよく作って食べるおかずなのかもしれない。

 そういえば母方の祖父母は、兵庫県北部の、京都寄りの地方の出身で、京都にも親戚が何軒かある。
 正月の雑煮も白味噌の京都風であるし、祖母や母の作る料理はあちら系のものが多かったのかもしれない。
 それにしても、子供の頃食べていた味というのは忘れないものなんだと、ちょっと感動した。

 それから数日たって、実家に電話をしたら、図らずも母がこう言った。「おナス食べてる? おひたしも作んなさいよ」。母が言う“おひたし”とは、ごま和えのことだなと思い、うれしくなった。
        

キンモクセイの香り

2006年09月23日 11時20分06秒 | Weblog
 3日ほど前、庭のキンモクセイの木に薄緑色のつぼみがついているのに気がついた。
 翌朝には、ほんのり黄色に色づき、早くも甘い香りがただよってきた。
 ご近所の方から「お宅、キンモクセイあるの?」と声をかけられるほど、少し離れていてもわかる、独特の芳香。

 「キンモクセイはトイレの芳香剤の匂いがするから嫌いだよ」と言っている人がいたが、鼻を突くような人工的な匂いとはちょっとちがう(私も子供の頃は、フルーツガムの匂いだと思っていたけど)。
 この香りをかぐと、ああ、秋だなあとしみじみ思う。

 ただし、この木は放っておくと大木になるようだ。
 うちのは、前の住人が植えられたものだが、今ではあんまり手入れをしていないので、どこまで伸びるかと不安になるほど大きくなっている。友人宅でも、手に負えず、根元から切ってしまったとか(お互い、広い庭だったらいいんですけどね)。

 今日明日と、文化祭のある学校も多いようだ。
 台風14号が東に逸れ、荒天にならずによかったです。
        

やっと晴れました

2006年09月19日 22時40分13秒 | Weblog
 今日は久々の晴天。
 朝一番にベランダに出て布団を干した。
 空を見上げて驚いた。
 空が高い! そして、すっかり秋の雲になっている。
 何という名前かわからないが、魚のウロコのような、乳白色の細かい雲が、青空に広がっているのを見ると、気持ちが晴れ晴れとしてくる。なんだかとても懐かしい風景。
 明日も晴れだそうです。やっぱりうれしいねえ。
        

歩かんとあきませんなぁ

2006年09月15日 21時52分59秒 | Weblog
 雨が続いて、3日ほど散歩をサボってしまった。
 犬君たちもストレスが溜まってきた様子。
 で、今朝は雨も上がったことだし、なんとしても散歩に出なくては……とはりきって行ったのはよかったが……。
 足が上がらない。
 チビ犬に引っぱられて足をとられ、転びそうになった。いつもなら難なく上れる坂道も、歩きづらい。足の筋肉が弱っているのが、自分でもはっきりわかる。
 そういえば、この数日間、家の中でも柱に足をぶつけたりすることが多かった。これはかなりショック。ヤバイぞ。

 たかが犬の散歩と思うけれど、一日座って仕事をしている者にとっては、貴重な運動の機会なのだ。
 ご近所の方が「50過ぎると、一日一日、自分が老いていくのがわかるんだよ」と言われていたが、もはや他人事ではないんだなと、痛感した(まだ50じゃないけど)。
 忙しいと、散歩に行く時間が惜しいと思うこともあるが、犬君たちのためだけでなく、自分のためにも歩かないといけないようです。

 今日はちょっとだけ日が差していた。明日はもっと晴れるといいなあ。
        

冷えますなあ

2006年09月15日 07時05分18秒 | Weblog
 日曜日に兵庫の実家から、20世紀梨が送られてきた。一番好きな果物である。
 ちょうどその日は残暑が厳しく、真夏のような気温だったので、冷蔵庫で冷やして大切にいただこうと、わくわくした。
 実家にお礼の電話をすると、「こっちは毎晩27℃以上あってね、暑くて寝られへんのよ。でも、今日は雨が降ったから、気温が下がって助かったわ。あんたとこも雨が降ったら涼しくなるんとちがう?」とのこと。
 
 で、月曜日には東京にも雨が降り、確かに気温は下がったのだが……。
 ……寒い。とても9月とは思えない。朝起きても、何を着たらいいのか頭が回らず、冬物を引っ張り出してきた。
 一昨日の八王子は、最高気温19℃、最低気温17℃とのことだが、実際はもっと寒かったような気がする。買い物に行ったら、店のクーラーが効きすぎて、半袖の人は手で腕をかばうようにして買い物をされていた。

 まるで夏から一気に冬になったような感じで、梨を見ても食べる気になれない。冷蔵庫の中のトマトやきゅうりを見ると、さらに寒々とした気持ちになる。梨もトマトもきゅうりも、やっぱり、暑いからおいしいんだなあと、あらためて思う(おかしなもので、急にホウレンソウが食べたくなってきた)。
 寒さに強いはずの我が家の犬君も、咳をしていた。これじゃ、風邪をひく人も多いだろう。

 今朝は、久しぶりに雨が降っていない。お昼頃にはちょこっと晴マーク。
 私も早く秋晴れの青空が見たい。
        

親殺しが流行ってる?

2006年09月04日 21時59分30秒 | Weblog
 山口瞳の『血族』『家族』という小説が好きで、何度も繰り返し読んでいる。
 好きと言っても、どこが好きなのか、自分でもよくわからない。
 『血族』の中心にあるのは、山口氏の亡き母への想いである。しかし、単純な話ではなく、母が一生隠し通した、山口氏の出生の秘密と、母自身の秘密を追っていく中で、山口氏は、母への愛情を再確認している。
 そして、『家族』では、父親の秘密を追い、子供の頃から抱き続けてきた父への不信感、不満を書きながらも、やはり父への愛情に満ちた作品になっている。こちらは、父の思い出と並行して、競馬やギャンブルに関する話が書かれており、やや、とっつきにくいというか、品が落ちるように感じることもあるが、二つの話は絡み合い、最後にはひとつになっていく。

 山口氏は、実は、両親に対して、愛とともに、疑いや憎しみをも感じていたのにちがいない。
 父親には、常にどこか胡散臭いところがあった。また、老後の父は、山口氏にとってはお荷物でもあった。
 一方、母親はかつて、幼い山口氏を連れて、電車に飛び込み自殺を図ったことがあり(もちろん、未遂に終わったのだが)、山口氏はこの時の体験を一生忘れることができなかった。

 しかし、山口氏は、繰り返し両親のことを思い起こし、文章にするうちに、両親への理解を示していくのだ。

 人は、両親に対して反発を抱くことが多いと思う。特に、10代の頃はそうだろう。
 子供が親の立場や考えをうかがい知ることはむずかしい。世代が違うし、甘えもある。最も身近な存在だけに、かえって、理解できないこともあるだろう。
 しかし、自分もまた大人になり、結婚し、子供ができ、歳をとっていった時に、なんとなく親の気持ちがわかるということも多いのではないだろうか。

 最近、若者が自分の親を殺すという事件が急増しているようだ。
 母親を殺した少年が、「とんでもないことをしてしまった」と、しきりに後悔していると新聞に書いてあったが、人を殺してしまったら、もう元には戻らない。
 少年にも言い分があるだろう。苦しい環境に育ち、両親を恨みたくなる気持ちはわかる。でも、彼が母を殺すことを思いとどまっていたら、やがて成長して、自分の家庭を持った時、ひょっとしたら、両親の立場が理解できたかもしれない。両親と和解できたかもしれないのだ。
 そう思うと、ほんとうに残念でならない。殺された母親の人生だけでなく、彼の人生もまた、傷つき、失われてしまったのだ。

 我慢できない、すぐにキレてしまう若者を作ったのは、大人であり社会である。
 彼らの人生が、豊かにされていくことを願う。