洗濯機が新しくなり、楽ちんになったのだが、楽すぎて、どこか後ろめたい気がするのはなぜか……。
以前住んでいた家の隣りに、しっかり者のおばあちゃんがおられた。
たしか、大正生まれで、その当時、70代半ばだっただろうか。
洗濯機も使っておられたが、何かこだわりがあったのだろう。夏も冬も、裏庭の水場に立ち、木の洗濯板で何かを洗っておられた。
ご病気で亡くなったのだが、亡くなる数日前まで、裏庭に出て、洗濯板を使っておられたのを覚えている。
遠くまでよく歩き、庭の畑で野菜を作り、最後までしゃんとした生活を送っておられた。
このおばあちゃんを思い出すたびに、昔の人は強いなあと、尊敬の思いが湧いてくるのだ。
昔は、今のように蛇口をひねればお湯が出るわけでもなく、お母さんたちはみな、冷たい水を我慢しながら、手で洗濯をしていたのかもしれない。
今は、なにもかも便利になりすぎて、我慢することが減っているなあ(別のストレスはあるけれど)。
こういう生活に慣れてしまって、甘えている自分を反省させられる。
楽になった分、他のところでがんばらないと、なんだか人間として退化していくような気がしてしまいます……。
以前住んでいた家の隣りに、しっかり者のおばあちゃんがおられた。
たしか、大正生まれで、その当時、70代半ばだっただろうか。
洗濯機も使っておられたが、何かこだわりがあったのだろう。夏も冬も、裏庭の水場に立ち、木の洗濯板で何かを洗っておられた。
ご病気で亡くなったのだが、亡くなる数日前まで、裏庭に出て、洗濯板を使っておられたのを覚えている。
遠くまでよく歩き、庭の畑で野菜を作り、最後までしゃんとした生活を送っておられた。
このおばあちゃんを思い出すたびに、昔の人は強いなあと、尊敬の思いが湧いてくるのだ。
昔は、今のように蛇口をひねればお湯が出るわけでもなく、お母さんたちはみな、冷たい水を我慢しながら、手で洗濯をしていたのかもしれない。
今は、なにもかも便利になりすぎて、我慢することが減っているなあ(別のストレスはあるけれど)。
こういう生活に慣れてしまって、甘えている自分を反省させられる。
楽になった分、他のところでがんばらないと、なんだか人間として退化していくような気がしてしまいます……。