美術が好きな人が
たくさんいる。
絵が得意な人。
工作が得意な人。
絵描きや
デザイナーになりたくて
美大や芸大、
美術系の専門学校に行ったのに、
思うような仕事に就けない人もいる。
だけど、
美術的な才能を生かすのは、
絵描きやデザイナーだけじゃない。
オバサンは、
この頃、よく思う。
先日、
ある先生の
算数の授業のお手伝いをしていた。
その先生は
図工の先生ではないが、
工作が好きなんだそうだ。
手先が器用で、
美しい正多面体の模型を
作ったりされる。
授業を組み立てる時も、
教科書通りではない、
独自の工夫をされることが多い。
人まねではない、
オリジナリティに
こだわっておられるように
見受けられる。
その日は、
4年生の
「計算のくふう」という学習。
整然と並んだドットの数を、
どうしたら速く簡単に求められるか、
という問題だった。
ドットを
ひとつひとつ数えるのではなく、
いくつかの「かたまり」としてとらえ、
それを×や+を使ってひとつの式に表すのだ。
算数の苦手な子供たちに
問題の意味を理解させ、
意欲的に取り組ませるのは、
なかなかむずかしい。
その先生は、
教材として
オセロを使われた。
各グループに配られたオセロを
ドットに見立て、
子供たちが自分の手で
それを動かして考えるのだ。
「かたまり」とみなした部分は
裏返して白にする。
そうすれば、
子供たちの考え方が
一目瞭然でわかる。
どの子も
興味津々。
オセロを動かし、
友だちと相談しながら
あれこれ工夫していた。
普段、
集中力のない子供たちも、
熱心に取り組み、
自分で考えて
ひとつの式を作り上げていた。
意外な子が、
誰も思いつかないような
発想をして、
先生が驚かれる場面もあった。
それが
おもしろいのだ。
たまたま、
他学年の先生が
授業を見に来られて、
「この授業、
完璧だよ!」
と絶賛されていた。
単に、
ベテランだから
そういう授業が
できるというのではない。
その先生が持っておられる
美術的な才能が
そこに生かされているのだ。
オバサンは、
その授業を見て
すごく感動した。
そして、
その授業を間近で見られたことを
とても幸せに
思いました。
たくさんいる。
絵が得意な人。
工作が得意な人。
絵描きや
デザイナーになりたくて
美大や芸大、
美術系の専門学校に行ったのに、
思うような仕事に就けない人もいる。
だけど、
美術的な才能を生かすのは、
絵描きやデザイナーだけじゃない。
オバサンは、
この頃、よく思う。
先日、
ある先生の
算数の授業のお手伝いをしていた。
その先生は
図工の先生ではないが、
工作が好きなんだそうだ。
手先が器用で、
美しい正多面体の模型を
作ったりされる。
授業を組み立てる時も、
教科書通りではない、
独自の工夫をされることが多い。
人まねではない、
オリジナリティに
こだわっておられるように
見受けられる。
その日は、
4年生の
「計算のくふう」という学習。
整然と並んだドットの数を、
どうしたら速く簡単に求められるか、
という問題だった。
ドットを
ひとつひとつ数えるのではなく、
いくつかの「かたまり」としてとらえ、
それを×や+を使ってひとつの式に表すのだ。
算数の苦手な子供たちに
問題の意味を理解させ、
意欲的に取り組ませるのは、
なかなかむずかしい。
その先生は、
教材として
オセロを使われた。
各グループに配られたオセロを
ドットに見立て、
子供たちが自分の手で
それを動かして考えるのだ。
「かたまり」とみなした部分は
裏返して白にする。
そうすれば、
子供たちの考え方が
一目瞭然でわかる。
どの子も
興味津々。
オセロを動かし、
友だちと相談しながら
あれこれ工夫していた。
普段、
集中力のない子供たちも、
熱心に取り組み、
自分で考えて
ひとつの式を作り上げていた。
意外な子が、
誰も思いつかないような
発想をして、
先生が驚かれる場面もあった。
それが
おもしろいのだ。
たまたま、
他学年の先生が
授業を見に来られて、
「この授業、
完璧だよ!」
と絶賛されていた。
単に、
ベテランだから
そういう授業が
できるというのではない。
その先生が持っておられる
美術的な才能が
そこに生かされているのだ。
オバサンは、
その授業を見て
すごく感動した。
そして、
その授業を間近で見られたことを
とても幸せに
思いました。