まい、ガーデン

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「心」と書いて「うら」と読ませる『心淋し川』西條 奈加著

2021-12-19 08:35:02 | 

西條 奈加 (さいじょう・なか)著『曲亭の家』を読み終わって。
久しぶりの時代小説でなかなかだの感想を持ったのに、当代一の人気作家・曲亭(滝沢)
馬琴の息子に嫁いだ主人公のお路には魅力を感じなかったわけ。
立派すぎてどうもあまり好きになれない、面白く読んでいるのに好きになれない。
変だなと戸惑いつつ、作者の西條 奈加 さんの他の小説も読んでみようと経歴を見た。
なにしろ、初の作家さんだったからね。あらっ?第164回の直木賞受賞されてたんだ。
そうなのか。そりゃあぜひにその小説『心淋し川』を読んでみようと。

 
「誰の心にも淀みはある。でも、それが人ってもんでね」
江戸、千駄木町の一角は心町(うらまち)と呼ばれ、そこには「心淋し川(うらさびしがわ)」と呼ばれる
小さく淀んだ川が流れていた。川のどん詰まりには古びた長屋が建ち並び、
そこに暮らす人々もまた、人生という川の流れに行き詰まり、もがいていた。

小説は連作短編6作からなる。

「心淋し川」
「閨仏」
「はじめましょ」
「冬虫夏草」
「明けぬ里」
「灰の男」

小説のタイトルになった「心淋し川」の冒頭の一節。

その川は止まったまま、流れることがない。
たぶん溜め込んだ塵芥が、重過ぎるためだ。十九のちほには、そう思えた。
岸辺の杭に身を寄せる藁屑や落ち葉は、夏を迎えて腐りはじめている。梅雨には
川底から呻くような臭いが立つ。
杭の一本に、赤い布の切れ端が張りついていて、それがいまの自分の姿に重なった。
ちほはここで生まれ、ここに育った。

この文章に書かれている川の空気が6作全編を流れている。
「心」と書いて「うら」と読ませる。
もうそれだけでこの長屋に住む登場人物の人生が浮かんで来ようというもの。
6作とも決して希望に満ちた明るい話ではない。かといって暗さ一辺倒でもない。
それぞれの主人公の生きる哀しさ生きる喜びはこの心町にあって、なんとかここで頑張って
みようともがいている姿が健気だ。
そんな心淋しい人々にも希望の一筋が見えて、読後はどこかほっとするものがあり温かい。
それが救いとなって、6作とも楽しんで読み通すことができたわ。

なかでも「閨仏」と「灰の男」の話が心に残って。

「閨仏」
青物卸の大隅屋六兵衛は、一つの長屋に不美人な妾を四人も囲っている。
その一人、一番年嵩で先行きに不安を覚えていたおりきは、
六兵衛が持ち込んだ張形をながめているうち、悪戯心から小刀で仏像を彫りだして・・・

四人のお妾さんが四人とも不美人だなんて、せっかくのお妾さんなんだから美人が
いいと思うけれど、六兵衛には六兵衛の思いがある。読み進めていくと明かされていく。
そういうことかなんて。六兵衛からお呼びがかからなくなったおりきが閨仏を作ることで、
ようやくこの心町を抜け出すことができようというのに。
おりきが最後に選んだ道が、そうよねえ、としみじみするの。

「灰の男」
茂十が心町の差配になって十二年が過ぎた。茂十は本名を久米茂左衛門という侍であり、
旧友の会田錦介と年に一度会って酒を酌み交わすのを常としていた。
久米茂左衛門が何故茂十と名乗り心町の差配となったのか。

差配の茂十は、それぞれの話の中に登場する。
茂十が中心にいて五つの話が糸でつながれなおかつ円になっていく。
差配なんだからそれは当然なのだが、茂十の心配りや佇まいにどことなく謎めいたものが
潜んでいて、どういう経歴を経て来たのかと憶測を生むわけ。
同じく心町に住みついている老爺・楡爺との謎のやり取りがあり、その関係はいかにと。
茂十がこの心町の差配として暮らし始めた理由が明かされたとき。
いやいやそんな結末を迎えようとは。
茂十の選択も悲しい、そしてやはりそうやって生きて行くしかないのかなと。

この小説は、晴れて空があくまでも澄み渡ったときに読む本じゃないな、なんて。
どんよりと曇った空の日に読むと、同じ心町び住んでいるような気になって、
ほんと、「心淋しくなる」を実感するのよ。

 

その後読んだ西条さんの本。

          

『涅槃の雪』が圧倒的に面白かった。

 

 


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