ワレモノ

2020-09-14 20:59:58 | お宝
美しいなあ きれいだなあ

と眺めている

引っ越しの荷物整理から出てきたのを

いつのまにか息子が接いでくれていた

市場に出すわけではないからこれで十分

割れる前はそれほど好きではなかったのが不思議な気がする

実はこれより格上(?)の青磁の香炉があって

これも割れたまま持ち歩いているのに

まだ荷物から出で来ない

こうした骨董はすべて私のあったことのない祖父の趣味だったもので

実家では天袋に入れてあった

それを私が気に入ったものだけ母に頂戴ともらってきた

ああ、残りはどうなった

今ならもっと好きなものもあっかもしれない

「これで最後でございます」

といって祖父の死後骨董屋が持ってきたという

つまりお題は払ったが品物は骨董屋に置いたままだったもののこと

母はこのエピソードを語る時必ず最後に付け加えた

「まだほかにもあったはず」

また青磁の香炉が見つかったら

修理して(もらって)ここに載せます



オールドノリタケ 13くらい

2020-08-21 16:08:28 | お宝
居候して

鈴鳴らして

梨 いちじく コーヒー 梅干し

とすぐ届くのだから不満はないようなものだが

それが食器が気に入りませんの

貧乏学生のアパートじゃないだろうに

留守の間に捨てちゃろうか

と棚を点検すると

おやあたしのとお揃いの皿が

こんなの持ってたの

貴様のものはおれの物

俺のものはおれの物

とか小学校の頃よくいってましたね

しかし俺のものはいずれ孫のもの

では写真をパチリ
        

        


桜姫東文章

2020-07-23 16:07:45 | お宝
この頃映画や新歌舞伎、小劇場でよく取り上げられる

桜姫

これは私に言わせれば

40年近く前に歌舞伎座で上演された桜姫に端を発している

高貴な姫と色悪と輪廻転生が絡み合う

視覚的にも変化の多い娯楽作品

40年前は絶頂期の孝玉コンビ(孝夫玉三郎)が演じた

何人もいる鶴屋南北のうち

四世南北はほかに四谷怪談や遅め久松など

これまた季節感のある色彩豊かな演目を作っている

小学生の息子を連れて歌舞伎座に行くと

大向こうの掛け声をかけるおじさんが

「坊やよくおとなしく見てたね」

といってポスターをくれた

ほかの月の公演とちがってこの時のポスターは

一演目を全面に広げた圧倒的なデザイン

孝夫の足先が玉三郎の着物の下からのぞいているなど

ほんになまめかしい

なくしたと思っていたこのポスター

荷物の整理で出てきて嬉しい


志野

2020-07-10 10:37:15 | お宝
歌舞伎役者は何してるんだシリーズの➀

猿之助が「なんでも鑑定団」で出した志野の茶碗が

6000万円の値をつけられたと話題になっている

見たかったあ

昔のおもちゃなどが出る回には興味がないが

こういう美術品が出る回は見たい

いつか高額美術品だけ

なんでも鑑定団展覧会ひらいてもらいたい

猿之助のは桃山時代の茶碗で

彼がほかのコレクションを売ってまでも入手したとされる
        

絵志野というのか薄い青の線も入っている

彼はこれで時々お茶をのんでいるとか

ほかにも安土時代の猪口のようなもので

お酒を飲む猿之助の写真を見たことがあるがとてもよかった

私の志野は

恩師から結婚の祝に頂いた汲み出し
        

私はお煎茶よりも小鉢がわりに使ったりしている


私が志野の名前を知ったのは

川端康成の「千羽鶴」の中で

最高の女性を志野にたとえて描いた文だった

実際の志野を見たときに想像したものとは違った

川端康成や猿之助にはここに引きつけられる何かがあるのだろう


え、六千万だって?

そんなことはいいから芝居してくれ

うさぎのお箸

2020-06-27 15:04:31 | お宝
そろそろお箸の練習

だそうです 孫が

自分のことをおもいだしても

どうやって使えるようになったが覚えていませんが

その時期に匙をだしてもらえると嬉しくて

匙は優しい味方だったことを覚えています

「どこかいい箸売ってるとこ知らない」

と息子が聞くので

「かぐら坂にも土産物みたいな箸やがあるけど」

と言って

ああそうだ

ひきだしにしまっておいたのを出した
        

これはわたしが幼稚園で使っていたのを母がとっておいてくれたもの

大學時代でさえ弁当用に使っていた

こんなピンクの箸を地味好みのお嫁はなんというかなあとおもっていたら

“うさぎのお箸有難うございます

おばあちゃんが同じ年齢の頃使っていたとわかったらかんどうするでしょうね

ウサギの戦災な造形なのにきれいなままで驚きました”

って

二歳の子は感動せんじゃろ

するとしたら またその孫に渡す時かな

梅の帯

2020-02-05 20:20:14 | お宝
長嶋(成)織物の帯というと

きんきらきんの地に
        

文物風景を描いたものがふつうですが
        

これは赤に金で梅を織り出した希少なデザイン
        

小紋にも合うし
        

        

訪問着にも合わせられます
        

        

        

これは羽織なんかしてはいけないので

早く胃炎を治さないと

帯に歳なしは名言です

羽裏

2020-01-22 19:55:49 | お宝
久しぶりに着た羽織の

裏地が好きで
        

ほかの羽織も確かめてみました
        

        

けれども新しいものはどれもこれも白で

わずかに織模様が浮き出るのが面白いくらい
        

京都などでは時々羽裏展が催されているようで

見に行きたい

これはコートの裏
        

新しいコートはせいぜいこの程度
        

やっぱり着物は昔のものの方が面白い

樹木希林も昔の着物を集めて仕立て直していたけれど

その理由はそれらの技術者にちゃんと生活して

技術を維持してもらいたいからということだった

銀花

2019-02-04 21:14:57 | お宝
この雑誌が消えて何年になるだろう

創刊の頃はよく買っていたのに

手元にのこっているのは二冊だけ

引っ越しのときに処分したのだ

いまでは日本の隅っこに残っている美しいものも

メディアになにかしら引きずり出されてさらされて

手垢をつけられて

奥ゆかしさや孤高の美しさを感じさせることが少なくなった

そう思うのは

ひさびさにこの本を手にとって

これを初めて目にしたときはそんなことはなかったと思うからだ

もう手元にはない45年前の銀花の中に

黒田辰秋の特集では椅子が京都の進々堂にあると載っていたので

腰かけに行ったことがある

バンコなので真ん中にすわると両側にほかの人が来ると

大きくまたがないと外に出られなかった

丹波の特集では栃餅を食べる風習があると知り

探して探してやっと鞍馬でみつけた

その頃私はガリ版のエッセイ集を時々作っていたのだが

草の遊びをまとめた「くさのあそび」も書いた

その後

茉莉さんが「石井さんの真似をした本がある」と教えに来た

それが銀花の草花童戯集特集だった

それをまとめた人は東京の下町で日本の遊びをまとめていた

そこにないものを知らせようと私のガリ版刷りを送ると

学門的にまとめないと意味がないという風の返事が来た

銀花の編集長にも他のエッセイと一緒に「くさのあそび」を送ると

“一度あなたにお会いしたい”という返事が来た

銀花を創刊した名編集長として知られた人だった

いつかまた

初期の頃の銀花を集めてみたい




服装

2018-01-18 07:50:29 | お宝
このお皿はチェコさんが結婚祝いにくれたもので

もうこの一枚だけしか残っていません

裏にYamatoと印があり

多分有田焼の陶磁器メーカーのものです

チェコさんとの仲ですから

私の方からこれにしてとリクエストしたものです

これは月刊雑誌「服装」に素敵な皿としていくつか載っていた一つでした

日本の陶磁器メーカーのものなど

外国のブランド品が輸入されるようになってからは平凡な製品になりましたが

私が服装で見た頃は

コース料理を出す代官山の小川軒のスープ皿に

このシリーズが使われていたことを覚えています

そして今ではアンティークとして取引されるようになりました

「服装」は今も残る装苑と並ぶ雑誌でほかに「ドレスメーキング」というのもありました

私にとっては少女時代の「ジュニアそれいゆ」が廃刊になった後

美しいもの創作的なものを探す雑誌が「服装」でした

横山道代の食べ歩き連載を参考に

学生の身分で背伸びして東京のあちこちにでかけたものです

本の最後にはグラビアページの型紙の引き方がついていたので

気に入ったファッションを自分で作って学校に来ていきました

私のウェディングドレスも服装に載っていたページから採用して作りました
        

後年、麻布のレストランで

そのウェディングドレスを着ていたモデルと隣席になり

昔の話なんかお喋りしたことがあります

服装はなくなり、装苑も様変わりしました

自分で布を買って服を作る人は少なくなりました

ああまた昔話

四冊のアルバム

2017-08-12 13:58:46 | お宝
恩師の葬儀で

姪御さんと義妹さんが

私にもらってほしいと

くださったアルバム

先生とご一緒した京都の思い出がいっぱい

先生は「あの頃が一番楽しかった」とおっしゃっていた

スケジュールをきちんと記録され
        

何時どこに行ったかがわかる

誰がどうというようなエピソードや感情的なことは

一切書かれていない

私にとっても一番楽しかった時期

今はまだとても開く気にはなれない





今日初めて新しいタブレットパソコンで写真を撮り

それを使って投稿文を書いてみました

なれるまで不備だらけで

ご勘弁ください