変色

2020-09-29 13:21:07 | 生物
神楽坂から越して来た

カラタチバナの色がうすくなりました

こうやって次は紅くなるのです

どうやらあかい実までみられそうです
        

お人形ちゃん

2020-09-28 21:12:20 | 日記
私はこどもが嫌いで

孫にも興味がないと書きました

しかし孫はばあちゃんがすきで

ばあちゃんのベッドに乗ると至福の笑みを浮かべる

このくらいは許せるのだが

保育園から帰ってくると

日課のようにわたしのテーブルの上にあるものをさわって

「これ なに」と尋ねる

そして必ずおきまりのパソコンかきまぜ

もーやだー へびだすからね

息子に頼んで100円ショップで買ってきてもらった

「とぐろを巻いたのはなかったの」

「今度さがしとく」

っとこの父親は娘がどんな目に合うか知っているのだろうか

タランチュラとゴムへび
     

     

「これ なに」

「ん ほら もやもやもや」

うぎゃーーーーーーーーー

効果あり

これでもう来まいぞ

いいもん

孫に嫌われても平気だもん

10年

2020-09-20 17:48:13 | 日記
先週は

息子夫婦が猫カフェに連れて行ってくれた話をかきかけて

一週間書けずに苦しみました

私は何を書きたかったのか

私の猫に対する気持に誤解がありそうなのを

息子夫婦に向けて、ブログの外の世界に向けて

書いて置きたかったのでした

猫カフェに連れていってくれたのは

昨年二匹の猫を亡くした私に新しい猫を飼ってやろうという気持ちでしたが

私はそういう出会いをのぞんでいないのです

みやこ、グリエ、文子

どの猫もこちらが準備していないときに

私が保護しなければこの猫たちは生きて行けない

というぎりぎりのところでほごしました

それは神様による必然の偶然と思っています

ですから猫カフェでどんな猫が御望みか

色、猫種をきかれてときは

打算的な見合いの年収、身長、学歴を尋ねられているようで

びっくりしました

猫愛は恋愛に似ています

わたしには出会い方がだいじなのです

結婚相手を求めて恋愛するわけではないのです

またいつかぎりぎりのところで保護する猫に会うかもしれない

だから一応ほごされてる猫よりも道端で会う猫をまちます


みやこが逝って10年たちました


秋のりんご

2020-09-16 21:20:04 | 美食
理屈をいえば

りんごは秋だからわざわざいわなくてもとなるが

秋の香りがほしくて お嫁にかってきてもらった

つがる

とれたてはさくさくしてなくてねばめからと刻んでクレープに

母がよくつくつてくれた クレープノルマンディ

だが私はこの辺で体力がつきてお嫁に交替

お決まりの自家製マーマレードを添えて

孫も大喜び
        


ワレモノ

2020-09-14 20:59:58 | お宝
美しいなあ きれいだなあ

と眺めている

引っ越しの荷物整理から出てきたのを

いつのまにか息子が接いでくれていた

市場に出すわけではないからこれで十分

割れる前はそれほど好きではなかったのが不思議な気がする

実はこれより格上(?)の青磁の香炉があって

これも割れたまま持ち歩いているのに

まだ荷物から出で来ない

こうした骨董はすべて私のあったことのない祖父の趣味だったもので

実家では天袋に入れてあった

それを私が気に入ったものだけ母に頂戴ともらってきた

ああ、残りはどうなった

今ならもっと好きなものもあっかもしれない

「これで最後でございます」

といって祖父の死後骨董屋が持ってきたという

つまりお題は払ったが品物は骨董屋に置いたままだったもののこと

母はこのエピソードを語る時必ず最後に付け加えた

「まだほかにもあったはず」

また青磁の香炉が見つかったら

修理して(もらって)ここに載せます



イチジク&巨峰

2020-09-09 20:03:37 | 美食
ノリコさんはイチジクが好きで

イチジクの話題が出るとかならず

行橋の農家から毎年取り寄せるいちじくが

どれほどおいしいかの説明が始まる

そんなこともあって

イチジクを食べるとノリコさんを思い出す

食欲不振の私がなんとかイチジクを食べることができたので

ノリコさんは今年も食べたかなあと思い

メールで“イチジク食べた?”と問いかけた

すると今年は甘みが足りず不作だったとのこと

そしてその続きに“鞍手の巨峰がおいしかったので送りましょう”と

申し訳ないけど嬉しい

楽しみにまった巨峰は本当においしくていやな部分がゼロ
        

来年からは イチジク&巨峰を食べる度にノリコさんをおもいだすことになった

怒り

2020-09-07 10:57:03 | 美食
アメリカの伯母が帰国したときは

いつも姪(わたしのいとこ)のところに帰省していた

三人で旅行をしたとき

伯母がジュースを買ってきてと言い

従姉がかってきたのを一口飲んで

「おいしくない いらない」と突き返した

伯母はこんなにわがままな人だっけ わたしなら恥ずかしくて言えない

と思ったが

最近の自分の行動を振り返るとこれにそっくり

珍しくちよっと食欲がわいて肉じゃがを食べたいと思った

ますらをに材利用をそろえてもらって

早くたべたいから自分で下ごしらえをしてから交代

ろそろできたかとキッチンに行くと

鍋には何やら汁がはいっていて具は沈んで見えない

「これ何 なんでこんなに知るがあるの」

「もごもごもご」

「アタシの希少で貴重な食欲を滅茶苦茶にしてしまって」

激怒

二十世紀梨が食べたかったとき 世田谷にはないというし

石川小芋がたべたかったとき 近所のスーパーに電話してもないというし

カマス買ってきてというとお嫁が開きならありましたと勝ってくるし
「要らない」

だって私は本当はきすが食べたかったけれど

世田谷はおろか東京では丸いあの姿はみられないだろうと

カマスで譲歩して頼んだのに干物じゃ意味がない

しかし最近の私の態度は居候ともおもえないと反省し

たりのところに謝りにいった

「いいんですよおかあさん 干物しかみつけられなくて」

「かあさん、桜新町のサザエさん通りにきょうかいがあるよ」

「何それ」

「ざんげできる」

「(んもー)私はカトリックしかわかりません」

どうしてまあこんなに憎らしい言葉がすぐにでるの

親の顔が見たい

植物ともだち

2020-09-05 19:14:27 | 生物
京都のホテルの眼下には御池大橋がある
        

その北に見慣れぬ高木が目立っていた

幹が樅のようにまっすぐで樹形も似ていた

しかしこんなところにあるはずがない

「あれは何かしら」

サチコさんに聞いてみた

すると翌朝散歩から戻ったサチコさんが

「こんな葉が落ちていました シナノキの仲間のようですが」

と黄色い葉を持ってきてくれた

私には行けないそのばしょにわざわざ行ってくれて葉を持ってきてくれた

すくなくとも常緑樹ではない

そして旅行から戻って昨日

“あれは菩提樹ではないかとおもいます”とメールがきた

たしかにあの近くの大学や寺には菩提樹がある

鶏が実を食べ、河原の上昇気流に乗って糞をしてそこから芽を出し

長い長い時間をかけて育った歴史のみえる樹

菩提樹に間違いない
      

こういうことは私にはとても大事なことで

それをサチコさんは理解してくれている

卒論のために毎月のように福岡のお屋敷の植生調査をしたときも

無償で手伝ってくれた

大事な植物ともだち

植物友達は大事

私にまだ残り時間と体力があったなら

花背の植生調査もしたかったなあ

花火

2020-09-03 18:04:41 | 日記
旅行二日目の朝食なし
昼食アイスクリーム1/4
夜食なし

食べられないことが分かっているので

最初から予約しない

私はいいとしてほかのメンバーの分は

プランナーに責任がある

二日目の宿は世界一美しい宇多野ユースホステル

ユースにも予約すればおばちゃんたちが作る日替わり定食があって

アジフライやハンバーグが食べられるが

京都に来てそれはちょっと

繁華街に遠い宇多野では店に出かけるのもひとくろう

ユースの坂下に風情のある店がある

ただメニューが豆腐料理だったり中華総菜だったりインドカレーだったりで…

でもまあ庭がきれいだそうだから我慢してもらうか

私はベッドで待機なので大人三人の席を予約した

「ヨシカワが豊中から会いにくるって」

じゃ四人

ヨシカワは息子の京都での予備校の寮の友人

浪人時代に息子を訪ねたとき

「友達がおかあさんに会いたいって」

え、なんで。この年代の子供なら友人の親なんかあいたくないはず

「なにご馳走すればいいの」

「フランス料理がいいって」

なんなのー そのともだち

あってみれば屈託のないリラックスした しかし行儀のよい坊やだった

ヨシカワとはそれ以来の付き合い

最後に会ったのは息子の一度目の結婚式で

遠方から出席してくれた

ちっともかわっていないけれど

前夜われわれが泊まったソラリア西鉄ホテルを

「電鉄系のホテルは×××××」

というあたりはすっかり銀行マン

みんなそろって夕食にでかけ 戻ってくると

「よかった いい店だった おいしかった」

「何たべたの」

「すぶた 鶏のからあげ まーぼどうふ …」

それはよかった

では次の行事の花火だが豊中の人は帰るかと思いきやさんかするという


十日の月の出た中庭をつっきってバーベキューの炉の前で始める

以前から持っていた花火と新たに買った花火を混ぜてみんなでぱちぱち


ヨシカワは日の始末バケツの返却などすべて終えてから帰り支度

「ヨシカワさん 花背で野菜沢山もらったから 少しもっていって」


「よろこんで」

次はいつ会えるのか会えないのか

しば漬け

2020-09-03 08:44:56 | 美食
思い出旅行ではないつもりだったが

一か所だけどうしても過去を向いてご挨拶すべきところがあった




別荘や畑を無料で貸してくださった

花背のF家

45年前は先代のご夫婦がおられたが

今はその頃大学生だったご当主と奥さん

昔話をするうちに

私が花背滞在のあと東京へ帰るときはいつも自家製しば漬けを土産にもらっていた話になった

当代の奥さんは知らない時代の話なので

「私もつくりたい」となり

ご主人は自分の母親の味なのでうれしそうに聞いておられた

「茄子、胡瓜、ピーマン、みょうが、紫蘇が入っていましたよね
樽はまだありますか
実はこの後美山荘にしば漬けを買いに行くのです
美山荘のしば漬けが一番お母様のしば漬けに近いからです」

F家のしば漬けの材料はもちろん自家栽培

美山荘は同じ花背の町内の料理旅館


サチコさんの分と合わせて5包み買って次の行事へ

河原におりて川遊びをすることを考えていた

車から河原までが私にとっては難行

下り口までははーはー喘ぎながら歩き

下り口からの斜面はほとんど息子にぶらさがって水面に達した

ただ石に腰かけて足を見ずにひたすのだが


これが何にたとえようもなくここちよい


時々足で砂をかき分ける

食事はスタートから食べ終わるまで

ただ一方向に向けて収束することを目指す行為だが

川に足を浸す行為は方向や収束がない

ただ受け身ということだろうか

この冷たさとやわらかさ

人はなぜ水辺を好むのだろう

冬以外ずっとこうして遊んでいたいと思った

帰宅してしば漬けを刻み


お茶漬けにして食べるのだが

今の私はご飯粒をうけつけない

それでご飯をよけて食べるので

まるでしば漬けスープを食べているようなもの

これがおいしい

洋でいうなら同じ乳酸発酵のザワークラウトも

しみ出した乳酸菌いっぱいの汁が体にいいといって飲む人がいるらしい

市販のしば漬けは酸味料などのつけ汁に浸したものだが

美山荘のしば漬けはくーっとくる酸味と自然発酵の臭みを交えてクセになる

F家の味が再現される頃私はいないかもしれないが

それを分けてもらいに息子たちがお邪魔するところを想像すると

幸せな気分になれる