はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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本稿は以下の続きである。

07-12-05「因果」を考える
07-12-31「因果」を考える (2)
08-01-19「因果」を考える (3)
08-03-11「因果」を考える (4)
08-04-10「因果」を考える (5)
08-04-30「因果」を考える (6)
08-05-09「因果」を考える (7)
08-05-27「因果」を考える (8)
08-06-29「因果」を考える (9)
08-08-28「因果」を考える (10)
08-09-07「因果」を考える (11)
08-09-30「因果」を考える (12)
08-10-06「因果」を考える (12-b)
08-10-19「因果」を考える (13)
08-11-10「因果」を考える (14)
08-11-30「因果」を考える (15)
08-12-24「因果」を考える (16)
09-01-24「因果」を考える (17)
09-02-12「因果」を考える (18)
09-04-05「因果」を考える (18-b)
09-04-20「因果」を考える (19)
09-05-12「因果」を考える (19-b)
09-06-20「因果」を考える (20)
09-07-31「因果」を考える (21)
09-09-25「因果」を考える (22-a)
09-11-06「因果」を考える (22-b)
09-12-29「因果」を考える (23)
10-04-26「因果」を考える (24)


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割れたガラスの破片をうまく運動させて、重りの球を高く突き上げる事態を生じさせるというのは、さすがに、実現のリアリティーに乏しい例となってしまった。ここで示したいことは、実は、球を落下させてガラス板を割るというモデル現象の逆転を実現する手段の内容云々ではない。重大な視点は、原因から結果へ至る一連の系の中で、因果をつなぐ純粋に物理(または化学)現象的な機構に目を向ければ、その出入り口付近でインターフェースを担っている部分とは、多少なりとも相互に影響し合っていると考えられるので、どこかに逆転現象が認識できる領域を見出すことができる、、という一般論である。

例えば、物が燃えるとか溶媒に溶けるというのは、かなり典型的な時間反転禁止型の現象であるが、それでも、燃焼や溶解によって生じた化学成分が逃げ切らずに近傍・周囲に立ち込めれば、燃焼や溶解の反応を抑制する方向に働くだろう。この発想を進めれば、反応の出口にある物質状況を強制的に設定することで、反応の入り口側の物質の消費状況を変えるという、一種の、部分的(不完全)な、因果の逆の流れが起こることが分かる。これは、跳ね返りの効果または逆現象と呼んでいいことの一種だろう。

具体的で分かりやすい例とするため、自動車のエンジンとマフラーから出る排気ガスの関係を考えてみよう。排気ガスと同成分の物質を準備して、これを排気口の付近に集めてどのような運動を与えたとしても、これに因ってエンジンが稼動し始めるということはない。しかし、排気ガスの流れの様子は、少なからずエンジン回転に影響を与えることも事実なのだ。排気の流れを押さえ込む(単純には出口をすぼめる)などの操作を行うと、エンジンの回転速度は低下し、逆に、排気を強制的に吸引してやれば、今度は回転速度が増す結果につながる、、このように排気の状況がエンジンの動作に跳ね返る事態は、容易に予想することがにきるだろう。さらに、これを、次のような因果認識として表すこともできるだろう。

『エンジンの排気の出方を(外部から)加減することに因って、エンジンの回転状況が(いくぶん)変動する結果が生じる.』
(なお、ここでは、目的の回転速度やパワーを出すべく(アクセルに)フィードバックをかけたりはしないという前提である.)

これは、上で述べた「部分的な因果の逆現象」に対応する一例になっている。

一般論に戻って、次のようなことが理解される。ある認識の仕方にしたがって、跳ね返りの効果が断ち切られた一方方向的な因果関係が確認できたとしても、それをもって、その現象に関する一切の跳ね返り、すなわち逆現象が無いと判断するのは早計・危険である。因果関係をつなぐ系には科学的な相互依存関係が必ず介在しており、そこを中心にして、認識の範囲を探ると、不完全な因果の逆が成り立つ状況を見出すことができるのが普通である。

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さて、さまざまな因果的現象を見渡すと、一見、一方通行の因果関係のように思えて、実は、逆現象を起こすという物理現象が多々存在することに気づく。

その分かりやすい一例として、半導体発光素子(一般的なのはLED)と太陽電池の逆現象をあげることができるだろう。

まずは、昔ながらの発光装置であるフィラメント電球を考えてみる。フィラメントに電流を流したときに起こる現象は、かなりの発熱を伴う、時間反転禁止型の性格を帯びた現象である。このことから、単純に、フィラメントに光を当てれば発電が起こるということは期待できないと推察できる(ただし、光電管型の真空管をつくって、バイアス電圧をかければ、光で電気信号を加減することは可能である.)。

さて次に、半導体発光素子のLEDについては、光を当てて発電が起こるという逆現象が、ごく簡単な実験で確められる(LEDを電圧計につなぎ、光を当てるだけでいい)。
参考リンク例:LEDを光センサとして使ってみる! (実験室)

そうなると、太陽電池の逆現象、すなわち、太陽電池素子に電源をつないで電流を流すと、発光するのかどうかに興味がもたれる。普通に考えると、太陽電池の一般的な材料であるシリコンが発光デバイスにはなっていないことが明らかなので、発光を観ることは難しそうに思える、、が、やってみると、案外、光が見える場合もあるという(Using led as solar cell)。おそらく、実際のシリコン材料の乱れた(クラスター)構造などが関与しているのだろうが(ポーラスシリコンシリコンナノ結晶,他参考情報多数あり)、そんな専門知識に結びつけなくとも、半導体接合界面で起こることは、電球のフィラメントで起こることよりもずっと要素的(すなわち、時間反転禁止は強くは効いていない)であるというイメージさえあれば、ちょっとした条件の付加で逆現象を起こすことができそうだと推察できる。これが、本稿を通して考察してきた我々の合理的直感というものである。
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〔雑記的追記〕
この考察は、実は、純粋客観的な科学現象と、人間の(言語的な)認識にかかる現象との間には溝があり、人間は結局のところは因果的に現象を捉え理解せざるを得ないのではないか、、そしてこれは、しばしば量子論の混乱の元となる「観測」の意味の曖昧さ、という大問題に結びついているのかも知れないと、私自身が今気づき始めている。

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