はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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本稿は以下の続きである。
07-12-05「因果」を考える
07-12-31「因果」を考える (2)
08-01-19「因果」を考える (3)
08-03-11「因果」を考える (4)
08-04-10「因果」を考える (5)

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前回、非保存的外力で水門を開閉させる場合の「水漏れ水路モデル」を考えることで、水門の開閉と水の流量の間に成立する"因果関係"の例を見た。これを使ってあらためて、時間的因果の意味を確認してみよう。
例えば、出口側の水門を強制的に狭めることが原因となり、漏れ口の流量が増える結果につながる因果関係において、「原因」→「結果」の時間的順序は決して逆転しない。これが「時間的因果律」と呼ばれる原理である。ただし、今考えているモデルにおいて、この原理は、原因-結果の間に介在する水路の中で起こる物理過程によってもたらされるものではない。何が起こったとしてもその跳ね返りの影響を受けずに水門の開閉を強制できるという原因設定の動作の部分がその本質を担っているのだ。この動作が、非保存的で、現象の時間反転対称性を拒否しているために、時間的な因果の方向性が確定・保証されている。そのようなタイプの、系への原因設定操作とその影響を考慮の対象とするときに、我々は「因果関係」を認識すると言ってもよい。

「因果関係」と「相関関係」を区別する際に、多くの人は、現象の波及や依存関係を決めるメカニズムだけに意識を向けてしまいがちだ。そして、しばしば、そこに時間的なディレイがあるかどうかによって因果的か否かを判定しようとしてしまう。しかし、それは正しい方針ではない。時間的因果は、原因→結果の順番が逆転してはならないということだけを絶対原理にするものであって、ディレイがあろうが同時に起ころうが、因果関係の必要条件は満たされている。起きる現象のメカニズムが詳らかでない場合には、ディレイがゼロであるか非ゼロ有限であるかは微妙であり、実験的な判定が不可能であることも多い。統計的な処理などを経て間接的にしか観測されない現象については、時間軸の誤差が大きいために、見かけ上の因果の順序逆転だって観測されるかも知れない。このような事象の微妙な前後関係に捉われて、因果の判定に悩むのは、全く不毛な議論というべきである。結局のところ、「時間的な因果」は、因果の必要条件、すなわち、誤った因果認定を反証するためには役立つが、それ以上の意味は有しておらず、因果の本質・主役概念にはならないのだ。

因果関係をを判定するためには、観測対象となる現象の外側から、現象の跳ね返りを阻止して強制的に条件設定(変更)が為されているかどうかを見定めることが重要なのである。
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本稿は以下の続きである。
07-12-05「因果」を考える
07-12-31「因果」を考える (2)
08-01-19「因果」を考える (3)
08-03-11「因果」を考える (4)
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前回、「因果」という認識が生じるときの本質的要件にかなり迫った。ここをもっと掘り下げるため、基礎物理現象のモデルを使って考察を進めようと思っていたのだが、丁寧に書いていく時間がとれないこともあって(--; 既に登場させた素朴な状況設定:「水漏れ水路モデル」(と勝手に命名)を再登場させ、イメージを説明する方針をとろうと思う。
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<再掲図>
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⇒ 水流  ⇒  ⇒  ⇒  ⇒  ⇒  ⇒  ⇒

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実は、この図を使った以前の説明では、あえて曖昧にしていたところがある。「穴から水が漏れ出す」とか「出口の流量が減ってしまう」(また、「穴が生じる」を否定の形で使ったりもした)などの表現においては、状況に変化があることが(暗に)意識されているが、-その変化が何によってどのように引き起こされるか-という問題には触れなかった(そこが気になった慧眼な方もいると思う)。実はそこが鍵だったのだ。

上の図が表す物理現象は、図に見えている〔入口-漏れ口-出口〕という一連の機構の外側に、〔水を送り込む要素〕,〔水の漏れ口の状況を決定する要素〕,〔水の排水口の状況を決定する要素〕、という三つの要素があって成り立っている。今、送り込む側は安定・不変であるとして考慮から外すならば、漏れ口と出口それぞれの水の流量を制限する要因が考慮すべき対象だ。これら要因を、具体的にイメージするなら、それぞれの口にシャッターのような機構を設け、それが開閉する仕組みまで考えるということだ。

シンプルな場合として、(駆動装置などで動かされるのではなく)自重のために適当な力で閉まろうとするヒンジのような水門を考えても良い(右下図)。
何かの拍子で、出口側が閉まり加減になっている時には、漏れ口側では、その分少し開きぎみになっているだろう。漏れ口側が少し閉じ加減になっている瞬間には、出口側は少し開きぎみになっているはずだ。流体系は不安定状態をつくりがちなので、それぞれの開閉は逆相関をもって不規則振動的に変動するかも知れない。そう、このような時、漏れる水と出る水は、相互依存的に「依る」の関係でつながってはいるが、どちらからどちらへ向かうというような因果関係の存在しない状況になっている。

さて、ところが、非保存的な外力によってシャッターが開閉されるとしてみよう。具体的に言えば、摩擦力のために容易には動かないシャッター水門をモーターの駆動力か何かによって強制的に開閉する状況だ。この水門を漏れ口側にとりつけたとすれば、例えば、「漏れ口の水門を開けたことが原因となって、出口側の流出水量が減る」ということが起きるだろう。また、出口側にとりつけたとすれば、「出口側の水門を強制的に絞ったことが原因となって、漏れ口での漏れ水量が増す結果を招く」というようなことが起きるだろう。明らかに、このようないずれの状況も、原因から結果に至る因果関係そのものになっている。
<ing>


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