たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

長瀞の山をぶらぶらハイク。金ヶ岳から釜伏山、そして小林山。

2018年02月19日 | 奥武蔵の山
◎2018年2月10日(土)

長瀞町役場駐車場(6:58)……金ヶ岳・春日神社(7:56)……仙元峠(9:17)……塞神峠(9:38)……荻根山登山口(10:02)……釜伏山(10:27)……日本水(10:43)……釜伏山(11:13)……釜山神社(11:25)……釜伏峠・車道(11:34)……東屋(11:49~12:18)……塞神峠(12:28)……仙元峠(12:34)……植平峠(13:04)……葉原峠(13:08)……大平山・小林山(13:22~13:31)……葉原峠(13:36)……岩根神社(13:56~14:04)……休憩(14:34~14:39)……県道82号(14:44)……法善寺(14:54)……多宝寺(15:06)……役場駐車場(15:14)

 3連休は大月の山に富士山見物に出かけるつもりでいたが、金曜日夜時点の天気予報では、土曜日は晴れてはいても雲量が7割超えと多く、あっばれ富士山は期待できず、さらに日、月曜日は下り坂。となると、土曜日歩きしかできないが、雪の山を歩きたいという気持ちが今一つというよりもほとんど湧かず、手っ取り早いところで長瀞の山に行くことにした。今回の釜伏山にはいずれ行ってみなければと思ってもいた。こんな天気具合や気分の時には無難でいいだろう。
 だが、皮肉なことに、山から帰ってから天気予報を改めて見ると、日、月の予報はコロッと変わっていて、ことに日曜日は富士山の展望日和になっていた。腹立たしい思いにもなったが、まぁ、こんなものでしょうと今回は諦めるしかない。何せ、今日のブラブラ歩き、あっさりとはいかず、8時間歩きになってしまっていたから、体力的に明日は山梨というのは自分には無理な話なのだ。ちなみに、翌日曜日は多々良沼に白鳥見物ということになったが、残念ながら沼に着いたのが7時半だというのに、向かう途中で空を見上げると三々五々に白鳥が飛び立っていて、結局は10羽くらいしか見られなかった。

 漠然と釜伏山に行って日本水なるところを見て来ようといった思いしかなく、昭文社マップ(以下、単に「マップ」)と周辺の1/25000地形図(以下「地図」)を刷り出して持参しただけだ。他の方々のネット記事もろくに見ることもせずに出向いた。長瀞町役場の駐車場を選んだのも、以前、ハイカーにも開放されているここを利用したことがあったし、他の便利な駐車地を探すのも面倒で、マップをざっと見る限り、多少は長いが、役場からでも行けると思ったからのこと。頭の中に具体的なコースが描かれているわけでもない。
 駐車場には他に2台あった。車の中でマップを改めて広げ、とりあえず金ヶ岳経由で釜伏山に行ってみるかとコースを決めたところで、駐車場には次から次へと車が入って来た。今日の宝登山縦走コースは賑やかなようだなと思っていたら、車から出て来るのは膝までありそうな厚手のウインドブレーカー(正確には何というのか?)を着込んだ小学生と父兄ばかり。やたらとでかいバックを運んでいるところからして、大方、サッカーの試合にでも行くための集合だったようだ。見るからにハイカーというのは、準備中の2人連れのみ。釜伏山のようなマイナーな山に行くとは考えられない。長瀞アルプス歩きだろう。

(あれが金ヶ岳だろうか)


(高砂橋を渡る)


 目の前の国道140号線を渡り、アルプスとは反対側の東の山側に向かう。おそらくこれから先ずは向かう金ヶ岳は視界に入っているのだろうが、いくつかピークがあって特定ができない。おそらく、正面に見えている三角形の山がそれなのかなとは思う。線路が近づくと右手に野上駅。周囲はそろそろ明るくなっているが、写真で撮る風景はまだ薄暗い。右手後方に見えるのは宝登山だ。これならわかる。大きな山容だ。
 街の中を突っ切り、荒川にかかる高砂橋を渡ると県道(82号線)に出る。閑散としていたので、信号無視で渡ったが、帰りは、この県道、ダンプ街道になっていて、歩行者信号のボタン押すことになった。

(ここから入れば行けるようだ)


(雪が残っている)


 右手の「法善寺」というのが標識にあったので気になったが、ここは帰りに寄ることにしよう。寺の手前のすぐに左手に「村社(示すヘンに旁は木に土の字。「社」だろう)春日神社」と記された碑と鳥居があり、奥に道が続いている。これを行けばいいのか。鳥居の脇には案内板があり、ここから30分登れば(自分のノロ足では42分もかかったが)春日神社の小祠(=金ヶ岳)に着くと書かれている。そして神社の説明。ぶなじろうさんのブログでよく見かける武蔵七党の一つ「丹党」の根拠地だったらしい。そう詳しく記されても、自分にはとんと理解できないでいる。
 道に入ると、雪が出てきてすぐに消える。この先もずっとこの繰り返しになる。今のところは凍結しているところもあるが、チェーンスパイクを巻くほどでもなかろう。今日は軽アイゼンも持参したが、使うことはなかった。チェーンアイゼンにしても、少し雪が深いところではダンゴ状になってしまい、半端な積雪ではツボ足のままの方が良かったようだ。言わずもがなだが、チェーンスパイクは凍結路、グズグズ道限定の使い方が限界だろう。

(道はここで右にカーブする。直進は地図上の破線路。もう倒木が覗いている)


(これを越えて行ったが、すぐに戻る)


(カーブにある洞窟)


 道筋を登って行くと、右にカーブを促す古ぼけた標識があった。この道、地図上では破線路通しに沢型を行くと鳥居マークに至ることになっている。マップでは巻きルート込みの2コース表記だ。ただ、その沢型破線の方には標識とは別に「荒れ道のためお勧めできません」と看板に記されている。なら、その荒れ道を参りましょうかと入り込んでみたが、ちょっと行くと倒木地獄の気配。一つの塊を越えてみたが、先にも続いていそうで、歩く人もいないのかヤブめいている。すごすごと戻り、その時に気づいた傍にあった洞窟を覗き込んだりする。真っ暗で踏み入るのは何となく怖い。

(標識は随所に置かれている)


 おとなしく迂回路コースを登る。特段の特徴もない道を登って行く。ところどころに「ながとろハイキング 金ヶ嶽ハイキングコース 約2時間30分」の案内板が置かれている。整備されているのでは迷いようもない。ただ、この2時間半コースがどんなコースなのか知らず、案内板に記されたQRコードをスマホにかざしてみたが、アクセスはできなかった。このまま目的の釜伏山に導いてくれればいいが。

(春日神社)


(神社裏手の山頂)


 周囲が植林混在の地味な風景の中を登って行く。至植平・岩根山・葉原峠→」の標識分岐を過ぎてそのまま春日神社方面に向かう。今のところ春日神社はあっても「金ヶ岳」の標識は見ていない。間もなく先に物置のようなものが見えた。
 その物置のようなものが春日神社だった。神社名の入った扁額としめ縄がなかったら神社とは気づかない。神社の戸は閉ざされている。後ろに小高いところがあり、これが金ヶ岳の山頂だろうが、山名板も標識の類も何もないそっけないピーク。周囲は木立で展望はない。ここまでウインドブレーカーを着こんでいたが、陽も昇ってきたので脱ぐ。
 ここに長居していてもしょうがないので下る。その前に、荒れ道のためにお勧めできないという道がどこに上がって来ているのか確認する。ここからは見る分には普通の道だった。進入禁止のロープガードはなし。

(明瞭な道筋)


(左手に伐採地が見える)


 先ほどの分岐標識に従い、植平方面に向かった。途中、御嶽神社方面行き止まりの標識を見かけ(それはいいが、そもそも御嶽神社ってどこにあるの? マップには出ていない)、明瞭な踏み跡に沿って下る。地図の360m標高点付近を通過。だが、この辺、地図には実線も破線路もない。マップには東に植平峠に向かう直通ルートが記されているのだが。

(ここあたりはまだ正解歩きだったようだ。この「ながとろハイキング」の標識を以降しばらく見かけなかった。左に行くと岩根山とあるが、地図にそんなストレートな道はない)


(この辺は完全に間違いに気づいている。下っている)


 秩父農工高の観察林を過ぎる。そして左に伐採地。どうも気分的にすっきりしない。これ、間違って歩いているんじゃないのか。標識に合わせて歩いたつもりではいた。「植平・岩根山に至る」の標識も確認した。どうも東には行かず、南に下っている気配がある。GPSを取り出す。線も何もないところを歩いている。ただ、このまま行くと、植平峠ではなく植平という地区に向かいそうだ。気づかなかったが、どこかで分岐を通り過ぎてしまったようだ。遠回りになりそうだが、車道歩きを覚悟すれば釜ヶ岳に行けなくもないか。
 今回はコースの検討もせずにやって来たから、ここで座り込み、地図を広げる。今日はこの先どうやって歩こうか。早々におかしな状態になってしまったが、車道経由で釜伏山。そして日本水。戻って、植平峠に北上か。せっかくだし登谷山、皇鈴山までもと考えてみたが、せいぜい登谷山までだろうな。車道の往復が長くなるだけだ。

(民家が見え)


(あっさりと車道に出てしまった)


 そうと決めてこのまま下って行くと、標識は「至 二十二夜堂・植平・塞神峠」となり、やがて椎茸でも育てているのか、ホダ木が並び、墓地もある。そして人家が見えだすと、案の定、舗装された車道に出た。これは林道だろうか。車の往来はない。この道は地図でも確認できる。このまま進むと登谷山の方に続いている。釜伏山は途中でちょっと北に入り込む。いくら何でもこれではなぁと思ったが、分岐を見過ごしてしまった以上はこれを行くしかない。釜伏山に行ければいいんだし。だが、何だか面白い歩きには程遠くなってしまったなぁ。

(塞神峠分岐の標識)


(登って行くと)


(正解ルートが右から下って来ている。自分は左下から来た)


 車道を5~6分ほど歩くと、塞神峠への山道が分岐する。正直のところほっとした。このまま車道歩きになるかもなとおぞましく思っていた。
 少し荒れ気味の山道で、すぐに植林の中に入ったが、作業道ぼくなり、分岐のところに肝心の標識がない。上に尾根が見えるので、あれに登ればいいのだろうが。
 「日本水 釜山神社」の石柱が置かれているところからして、この辺は神社の領域ということだろう。やがて尾根伝いに左上から下って来た道に合流した。つまり、金ヶ岳から自然に植平峠に出られると思っていた道だった。遅ればせながらの予定コース歩きに入った。すぐ先が仙元峠。ここで「ながとろハイキング 金ヶ嶽ハイキングコース 約2時間30分」の案内板が復活したから、よほどに間抜けな歩き方をして標識を見逃していたみたいだ。いずれにせよ、帰路はここにまた戻ることになるから、重複歩きを少なくしたことにはなる。

(物置と標識)


(件の石標)


 峠には物置のようなものがあったが、これは何なのか。神社ではないようだ。ここから雪が少しばかり多くなってきた。せっかく持参してきたチェーンスパイクを巻く。登りだし、あった方が滑る心配をせずともいい。さて、ここあたりから石標状の標識を見かけるようになる。石標の四面ともに地名が記されている。たとえば、ここの石標のそれぞれの面には、「日本水、釜山神社」、「蕪木」、「葉原峠、みかん山」、「扇沢」とある。当初、ただの羅列かなと思っていたが、それぞれの方向に向いていることを理解するまで時間がかかった。何せ、このタイプの標識は初めてだったし。

(この程度の雪道なら大歓迎だ)


(傾斜も緩い)


(塞神峠。正面の尾根から下って来た)


(塞神碑)


 たいした起伏もない道を歩いて行く。雪の上には昨日までらしきトレースが複数。のんびり気分で歩ける。465m標高点付近を通過にして下りにかかると、また舗装車道が現れた。ここが塞神峠。これまでの山道を加えると十字路状になっている。
 この「塞神峠」、「さいじんとうげ」とでも読むのか。帰宅してから調べると、「塞の神(サイのかみ、またはサエのかみ)」は道祖神と同じで、悪霊、邪鬼が集落に入り込むのを防いでくれる神様だそうな。だが、周囲に神社や祠の類がないなと周辺を回ると、「塞神」と彫られた石が道端にひっそりと置かれていた。

(車道歩き)


 ここから車道歩き。チェーンスパイクをつけていたこともあって、最初のうちは車道端の雪のあるところを選んで歩いていたが、路面に凍結やら残雪はなく、結局は、チェーンスパイクを外して車道を歩いた。右手の展望が開けて日差しも降りそそぐ。暑いに近い暖かさだ。汗が出てくる。
 今日は下着もシャツも、試し着を兼ねての冬支度でやってきた。これまでのヒートテックが耐用年数に達したのかちっとも暖かくなく、下は「極暖」、上は「超極暖」なる少々高いヒートテックを買ってみた。さらに、シャツはモンベルの「メリノウール」とかいう素材のシャツを着ている。本当はウール地が欲しかったが、高いのであきらめた。さらに裏起毛地のズボンとあっては、この陽気では暖かさを通り越すのもあたりまえで、ちっとも試し着の状態にはならなかった。
 振り返ると単独氏が車道を登ってきた。まさかの車道の通しだろうか。先に行って欲しく、たまたま、左に迂回するような雪道が見えたので、グズグズとチェーンスパイクを巻いていると、オッサンは車道をそのまま歩いて行った。この先の釜伏山方面への分岐に足跡はなかったから、おそらくあのまま登谷山、皇鈴山にでも向かったのか。車道歩きでは面白くもないだろうになと思ってしまう。

(ここから左に入ってみると)


(こんなのがあって)


(東屋。右手が展望地になっている)


(展望地から。両神山が奥にうっすらと)


 迂回路とはいっても、右下には車道が見えたまま。左に建屋が見え、「FORT EDWARD AMERICAN GARDEN」と看板が立てられている。鉄線で囲まれて中を覗き込むことしかできないが、何の施設なのか、州の旗のようなものもひらめいている。そもそも、この「FORT」だが、人名なのか砦のfortなのか、建屋の想像はそれ次第といったところだ。
 門を過ぎると東屋があり、その先で車道に出てしまった。ここは展望地で展望板も置かれている。晴れて青空が半分以上あるのに浅間山すら見えない。うっすらと両神山といったレベルだ。

(なんだかなぁといった感じ)


(釜伏山へ)


 車道歩きに戻ると、右手にゴチャゴチャしたところが現れた。何やら、宗教のような、精神鍛えのような文字が記された板が並んでいる。ここを登れば聖地らしい「荻根山」というところに出るらしい。怪しげな感じがしたので自分はパスしたが、仮面林道ライダーさんの記録を拝見すると、山頂は591m標高点のあるところのようで、山頂の文字板も賑やかなところらしい。改めて行ってみることはないだろう。
 ちょい先に行くと、左に釜山神社の標識(「ふれあい道」付きだ)。ここに入ればいいのようだが、釜伏山の表示はない。「日本水」はあっても、釜伏山は相当にマイナーな山なのか。これまでの経験からすると、釜山神社の奥社が釜伏山にあるといった感じだ。ちょっと雪があるが、新しい踏み跡はない。やはり、さっきのオッサンは車道伝い歩きのようだ。

(こんな感じのところを歩き)


(正面に釜伏山)


 すぐに露出した木の階段になり、少し登ると、先に三角形をつぶしたような山が見える。あれが釜伏山か。確かに、釜のような山容になっている。なだらかになったところに標識があり、右下向きに「釜山神社」となっている。釜山神社に行くだけなら、ムダな登りをしている感じがしないでもない。道はなおも先に続くが、壊れかけた山名板には「日本水」とある。あくまでも釜伏山の標識はない。これは最初の金ヶ岳と同じだ。日本水も今日の目的の一つだし、悩まずにそちらに行く。

(天狗松休憩地)


 下って鞍部。「天狗松休憩地」というスポットらしい。標識には「この山を登り降り日本水へ」とあったが、「この山」そのものが釜伏山なのだろうが、ここで山名を明かすわけでもない。地元の方にとっては、ただの奥社であって、山名はどうでもいいのだろう。
 休憩地には鳥居があって、横に東屋らしきものがある。そして寄居町設置の防火水用のドラム缶が置かれている。このドラム缶。先々で見かけたが、「火の用心」と書かれてはいても、たまにバケツが備わったドラム缶もあるものの、中を覗くと天水が溜まってもいない。これではただの美観を損ねるドラム缶になっている。

(山頂の釜山神社奥社)


(彫刻が施されている)


(あったのはこれだけ)


 鞍部からの登りは、これまでの登りと違って、さも山歩きといった感じになる。距離は短いがチョイ岩場の登りになる。登りきって現れたのが「奥の院休憩地 日本水→」。ここに至っても釜伏山の名前は出てこない。
 山頂には奥社の社殿と狛犬が置かれている。手書きの山名板には「釜伏山582M」と記されている。そして石祠と石塔らしき丸い石、社殿とはいっても大きめの石祠だが、獅子らしい彫刻が施されている。時間の関係か日陰になっていて、のんびりできそうなところではない。

(見晴台休憩地)


(こんなのが立てられている)


(見晴台から。たいした見晴らしではない)


 ここで釜伏山には登ったから、次は日本水となる。マップではすぐ近くにありそうだが、実際は100mほど北に下ることになる。山頂からすぐに北がちょっとした展望スポット。標識が雪の上に裏返しに倒れていたので起こしてみると「見晴台休憩地」とある。山頂には、最初はアンテナかと思ったが、何というのか忘れたが、長い竹竿の先にワラの束を結わえたものを立ててあった(梵天と言ったかなぁ)。

(日本水に下る)


 日本水に向かって下る。北側だけあって、雪がちょっと深くトレースなし。チェーンスパイクは雪ダンゴ。岩ゴロ地帯になっていて、チェーンでガードされている。マップを見る限りはすぐだと思っていた。ちょっと一時的に傾斜が緩むところがあり、そこだろうと見当をつけたが、下からツボ足で登って来た2人組に日本水の場所を聞くと、まださらに下の鞍部に出てから先とのことだった。登り返しが嫌になりそうだ。
 雪が消えて鞍部。日本水方面には「岩盤の崩落が予想されるので立入禁止」と記された看板が置かれ、ロープが張られている。

(立入禁止地帯へのトレース)


(日本水)


(風布川の源流)


(崩落が予想される岩盤を入れて)


 ここでやってはならないことをした。さっきの2人組らしき往復4人分のトレースが雪の上に付いていた。同じことをする。
 何となく予想はしていた。ニホン水ではなくヤマト水と読むのだろう。そして、日本武尊にちなんだ水だろうと。まさにそうだった。解説板を読むと、ここは風布川の源流のようで、地元の人たちには古くから霊泉としてあがめられていたようなことが記されている。「沸かして飲んで下さい」とあったが、そのまま2口いただく。甘く深みのある感じの水だ。

(見上げるほどの登り)


 マップにはここから引き返さずにそのまま先ほどの展望スポットの東屋に出られる線が記されているが、果たしてそんな道は見あたらない。というか、それは後で地図を見て知ったことで、このまま釜伏山に戻るしかないと思っていた。だが、そういうルートがあれば気づくものだが、雪に隠れて見えなかっただけのことだろうか。この100mの登り返し、本日一番の難所であった(笑)。

(釜伏山からの下り)


(階段付きで整備されている)


 山頂手前の見晴台休憩地で一息入れ、菓子パンを食べて一服。山頂は素通りして釜山神社に向けて下る。鳥居を過ぎたところでアレっと思ったのは、あの2人組、このまま神社には向かわず、左に下っていることだ。マップにも地図にもそんな道はなく、むしろ、地図の方に車道幅状の道が南から来て、ここで南東に向かっている。車が通れるような道ではない。正解はカシミール地図。確かに、鞍部から南東に実線があった。2人組がこれを下って風布方面から周回したとすれば、えらく短いお歩きのようだ。

(釜山神社)


(鳥居)


(これがやたらとある。ヤマトタケルには付き物だ)


(そして長い参道)


 下って行くと神社が見えてきた。その時は普通の神社に見えた。社殿もそれほど大きなものではない。扁額に記された「釜山神社」、ふと、ここも朝鮮系の神社なのかなと思った。埼玉はそういうところが多いし。
 車道に向かって参道を歩く。えらく長い。長いと、いろいろと気になるところが出てくる。道路沿いに並ぶ狛犬や石造物が多い。それだけ寄進者が多いということだろうが、その台座には「釜伏神社」、「釜伏山」と記されているものもある。ということは、この一帯がやはり釜伏山なのか。

(釜伏峠に到着)


(また車道歩き)


(登谷山が見えている)


 次のポイントは車道が乗り入れる釜伏峠だが、頭の中では、登谷山に行くかどうか混在状態になっている。車道を歩いてもなぁといった気持ちと、車道歩きだから楽に行けんじゃないのと。そして、釜伏峠に出た。登谷山方面に行くのはやめにした。考えてみれば、4年前に外秩父七峰ハイキング大会に参加し、登谷山方面からここの峠を経由して寄居に下っていた。改めてその一部区間を歩くこともあるまい。
 車道歩きに復帰。軽トラと乗用車が各1台脇を通って行った。もうチェーンスパイクに用はないだろう。釜山神社の分岐から先はさっき歩いたところだ。

(ここでゆっくりランチタイム)


 FORT EDWARDのある東屋で休憩する。30分はゆっくりしたか。時間的にもランチタイム。微風でポカポカしていて気持ちが良い。だれに会うこともなく、このままベンチで寝転がりたいところだが、まだ先がある。この程度の車道歩きなら我慢もできるが、葉原峠から役場に至る車道歩きがコースタイムで最低70分はある。近辺の寺をいくつか見たら1時間半はかかる。
 塞神峠に向かって下る。ここに来たなら武甲山くらいは見ておきたいが、あいにくの木立の邪魔か、もしくは薄いガスのためか確認できなかった。
 ここから戻り道の様子をだらだら記しても仕方がないので省略し、一気に仙元峠に移動する。また金ヶ岳経由で戻るつもりはないし、往路で見落とし歩きをしてしまった植平峠を経由し、葉原峠から下ることにしている。

(植平峠に向かっている)


(石碑があって)


(石仏)


 仙元平に置かれた例の金ヶ嶽ハイキングコースの標識、改めてQRコードを読み込んでみたが依然として「ページが見つかりませんでした」となった。まぁどうでもいいやと、さっき気づいた二股を上に行く。
 植林の中を行くと「小御岳石尊大権現」と彫られた石碑があり、賽銭も置かれている。そしてその先には石仏。ここは釜山神社に至る信仰の道かと思ったところで植平峠、と思ったがそうではないらしい。標識によると、風布に下る道が分岐しているだけのスポットのようだ。

(ちょっと陰気な感じ)


(何もない小ピーク)


 だらだらと歩いて行くと、道は左の小ピークを迂回する。単調な歩きが続いているので、ついそのピークにヤブ漕ぎで登ってみたが何もなし。先で迂回路に合流。また日陰の雪が出てきたりしたが、チェーンスパイクはザックにぶら下げたまま。この時間だし凍結もしていない。ちょっと下るとようやく植平峠。仙元峠から20分のコースタイムだが30分近くもかかっている。これは石碑や石仏を見たり、余計なピークに登っただけの理由ではあるまい。本当にノロ足になってきてしまったようだ。コースタイムとてGBタイムなら情けない。

(この「みかん山」が気になった)


(葉原峠)


 峠に置かれた標石が気になった。葉原峠方面に「みかん山」というのが併記されている。このみかん山とは? 葉原峠の先にある大平山の別名だろうか。しかし、マップには「大平山(小林山)」とある。
 これまでの延長歩き、強いて言えば違いは右下に家屋のようなものを見たことぐらいか。ほどなく林道(「ふれあい林道葉原峠線」)に出た。ここが葉原峠。このまま舗装林道を下るのもなぁと、大平山に行ってみることにする。頭の中には、もしかすると小林山以外に「みかん山」の別称があると思ったからだ。

(物好きな方でなきゃ直進することはあるまい)


(小林山。左寄りに三角点)


(山名板)


 踏み跡を辿って行くと、本道らしい道は右に分かれて行く。ここは踏み跡の薄い尾根伝いだろうと直進。少々急で、ヤブっぽいが踏み跡はしっかりしていて山頂に出た。三角点が置かれ、「小林山」の山名板がある。みかん山ではないようだ。北側にもピークが続いているが、そこまで確認に行くこともなかろう。大方、下のミカン園の一帯をみかん山とでもいうのだろうと思うことにする。
 雪で腰をおろすところもなく、三角点標石に腰をかけて一服。陽が陰ると寒く、風も冷たくなってさっさと下山。

(下って)


(林道)


 長い林道歩きの開始となった。林道の雪は日陰部分だけだが、車の轍を歩くと滑ってしまう。むしろ雪の上を歩いた方が無難だ。
途中で左から林道が合流する。「葉原支線・起点」とあり、そちらの方向の標識は「至春日神社 塞神峠」となっている。春日神社とは金ヶ岳にあった神社で、金ヶ岳からの下りで間違って出てしまった車道に出る道なのだろうか。こう車道が入り乱れていると、地図を見てもどうも釈然としない。

(こんなのがあって)


(岩根(山)神社)


(裏の大きな丸い岩)


(岩をくり抜いて安置されている)


 墓地やら廃屋を見ながら歩いて行くと右手に神社が見えた。手前には東屋もある。岩根山神社というらしい。「長瀞八景」の案内板が置かれ、「例大祭(四月十七日)の頃、一千株超えるミツバツツジやヤマツツジ云々」とある。きっとここもまた一帯が岩根山なのだろう。ついでだし、この神社を探索する。本殿の後ろには丸い大岩があり、石碑や石像、祠がいくつかあった。
 林道歩きに戻って地図を見ると、この先は長い屈曲カーブになっていて、これはこれで当然、ショートカットの対象とするつもりだが、神社の手前に実線が記され、こちらの方がもっとショートカットになりそうなので戻る。来るときには気づかなかった。だが、その分岐の先には神の社務所になっていて、鉄の柵で閉ざされて入れないようになっている。これでは行けない。そもそも、柵を乗り越えたとして、社務所の後ろに引き続きの道があるのかも疑わしい。戻る。

(岩根山歩道入口)


 ちょっと厳しいショートカットをして林道に復帰すると、「岩根山歩道入口→」の標識が左手に延びていた。この入口は閉鎖されていない。ということは、社務所ではない別のところに出るようになっているのか。神社のもう少し上まで行ってみればよかった。勝手な想像だが、この歩道伝いにツツジが咲くような気がする。

(道路沿いの石仏)


(見上げると石碑群)


 車道歩きに飽きてきたが、傍らの石仏を見てほっとする。その先で右上を眺めると、石碑がずらりと並んでいる。往時には古道か里があったのか。
 ぼちぼちと民家が現れる。不思議に別荘だ。こんなところにといったら失礼か。続いて民家。洗車中の方がいる。日向で腰をおろして一服する。

(里に入り)


(県道が見えてきた)


(県道歩き)


 本格的に里の風景になり、釣り堀の脇を通ると県道に出た。ダンプが行き交って、騒音の世界になった。右手先に宝登山を眺めながら行くと、今朝ほどの登山口の鳥居に出た。ここからすぐ先に法善寺がある。別にこの寺に思いがあったわけではなく、案内標識があるくらいだから相応の寺だろうと思い、見たかっただけのことだ。

(法善寺)


 門前の説明版を読むと、特記するようなこともない普通の内容だが、正式には金嶽山法善寺で、寺の裏山が金ヶ岳という位置づけになっているようだ。中に入ってみたが、しだれ桜が有名らしい。自分には特別な思いは残らなかった。

(高砂橋から宝登山)


(多宝寺)


 そのまま役場に戻ろうとしたが、マップを見ると、高砂橋を渡って先を右に行くと「多宝寺」というのが記されている。法善寺がこんなものかと思っただけに余計に回り道をしたくなった。まして、道端の看板には、別名「秋の七草 桔梗の寺」とも書かれている。結果としては、まぁ、その時期に行けばきれいだろうなで終わってしまった。

(電車の通過を待ち)


(長瀞町役場に帰り着く)


 踏切で電車の通過を待ち、国道を渡って長瀞町役場に着いた。何ということもない8時間のだらだら歩きだった。別に自分の体調が悪いわけでもないが、普通の山慣れした人なら5時間程度のものだろう。こんな単調な歩きコースでも、自宅に帰ってからカシミールに入れてみると、累積標高差は1100mを超えていた。こういうのってあまりあてにはならないか。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

※今回の歩き、正直のところ冴えない歩きなのに写真が多くなってしまった。改めて見ると、どれもこれもといった感じ。表紙の写真からしてこれではなぁ。

コメント (15)    この記事についてブログを書く
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15 コメント

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Unknown (みー猫)
2018-02-20 07:35:22
おはようございます。連休の天気には騙されました。このあたりは未踏で全く土地感がありません。しばらく記事が無かったのでどうしたものかと思っておりました。仕事を再開すると、むしろ暇なしになって大変なんですね。もうちょっと雪やってもらえたら面白そうな……と思うのは自分だけでしょうか?たそがれさんの迷走気味な味は健在のようなので安心しました。暖かくなりましたら…ご一緒お願いします。
返信する
Unknown (候酔)
2018-02-20 08:31:27
こんにちは、たそがれさん
楽しく記事を拝見しました
寒神峠はかんじんとうげと読みます
私の地元で、丁度その日の正午ごろ
私も自転車で風布から登っておりました
あの界隈は閑散としていてとてもいいところですよね
返信する
Unknown (候酔)
2018-02-20 12:32:49
たそがれさん、嘘ついたすみませんでした。峠の名称は”さいじんとうげ”だそうです。麓に五〇余年生きておって今の今までかんじんとうげと呼んでました。
死んだ親父も爺さんもうちの隣のおっちやんもかんじんとうげと呼んでました・・・。
恐らくは、今の俺の様な無学で慌て者の田舎者が言い習わしたのでしょうか
どうか許してください
返信する
みー猫さん (たそがれオヤジ)
2018-02-20 19:22:43
みー猫さん、こんにちは。
まぁ、そんな次第ですが、年をとってきたせいだろうなとは確信しておりますが、極端に寒がりになっていて、頭の中では雪の中を歩きたいといった思いは強くあるのですが、どうも身体がついていけない感じがして二の足を踏んだ状態になっています。
でも、実際は、雪だから寒いわけではなく、吹雪ならともかく、陽気の良い日なら寒さも感じないでしょうけどね。
たまには、こんなところの歩きとは思っても、やはり、いつも通っている山の方が、見慣れた風景ではあっても、ちょっと気づかなったところ、四季に合わせた変化に面白みを感じるものですね。
こういった歩きが続くと、自分には方向違いですが、これで甘んじてしまいそうで恐いところがありますよ。
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候酔さん (たそがれオヤジ)
2018-02-20 19:23:17
候酔さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
地元の方からの発信というのもうれしいものです。以前、歩いた山にケチをつけて、お叱りのコメントをいただいたことが何度かあり、いろいろな表記に注意はしているんですけどね。
「塞神峠」、結局は「さいじんとうげ」でしたか。「塞」ではなく「寒」で覚え、そのまま「かんじんとうげ」になったのではないでしょう。子供の頃からならそれで通されていたとしても、地元ではよくあることですから、無学云々とは関係ないかと思いますよ。
そうですか。候酔さんは自転車で通過されましたか。あの辺は林道も舗装されていて、自転車なら、まして当日は暖かかったので気持ちも良かったでしょう。
つい、外秩父七峰ハイキングコースに目が向いてしまい、私が歩いたあたりはむしろ穴場ですね。本当に静かな歩きに浸れましたよ。
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Unknown (ぶなじろう)
2018-02-20 21:37:44
今晩は。
複雑怪奇なお歩き、お疲れ様でした。
自分の場合、「サイガミ」で今の今まで信じて疑いありませんでした。地名は難しいですね。
金ヶ岳は歩いた事が無く、いずれはと思っていました。特にツツジシーズンにとは思っているのですが、どうもツツジシーズンのみ有料の料簡が気に食わなくて先送りになっております。
小林山は今は踏み跡ありですか!かつて小林山に向かった事があったのですが、猛烈な藪で、数mで引き返しておりました。藪の種類は覚えていませんが、もしかしてスズ竹だったかもしれません。だとしたら今がチャンスですかねぇ~。参考になりました。
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Unknown (瀑泉)
2018-02-20 23:14:43
しばらく記事がアップされないなぁ~とは思っていましたが,再就職された先の週休二日が隔週で,おまけに日曜日は家の用事有りでしたか。それでは,中々,出かけることが出来ませんネ。
かくいう自分は,4月から町内の仕事が加わると,どうなるか分からないから,今のうちに極力出まくっておりますが。
それはさておき,釜伏山は知りませんでしたが,もう一つの目的である「日本水」は名水百選の一つなので,知っておりましたヨ。昔,湧水の採取を趣味にしていた時期があったモノですから。とはいえ,さすがに此処まで足を運んではいませんケドね。
それにしても,時間にして8時間,累積標高差1100mは,水というより,石仏やら石碑が目的のような気がいたしますが,充実した歩きだったようですネ。此れでは,翌日天気が良くても,さすがに遠出する気にはなれなかったでしょう。
対して自分は,あまりの不甲斐なさに,庚申山の翌日に,雲竜渓谷に出向くことになりましたケドね。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2018-02-21 07:13:13
ぶなじろうさん、こんにちは。
ぶなじろうさんはこの周辺を下も含めて随分とお歩きのようですから、私の歩きに特に目新しいものもなかったと思います。
金ヶ岳はツツジがきれいなところなのですか。そんな感じはしませんでしたが、どの付近なのでしょうかね。そして、有料とは、どこで料金を徴収するのか気になります。あとで調べてみますよ。
下りで寄った岩根山神社ですけど、あそこの駐車場、ただの空き地で整備もされていないのに有料の看板が出ていました。初詣用の有料かなと思ったりしたのですが、今の話からしてツツジの時期に有料なんでしょうね。たいしたところでもなく、ツツジがきれいだとしても、あまりそんな事実は知りたくないですよ。何だか、一帯があさましい感じがしてしまいますから。寺社、神社の土地だとしてもねぇ。
小林山に関しては、間違うところはありません。せいぜい、写真に出した分岐を尾根直進するだけです。踏み跡はありますし、尾根伝いですから問題はないと思います。スズタケを見ることはありませんでしたから、あの辺は絶滅でしょう。
もし小林山に行かれるのでしたら、その先にも小ピークが2つほど見えましたから、ちょっと覗いて来てくださいよ。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2018-02-21 17:10:39
瀑泉さん、こんにちは。
充実した歩きとは恐れ入ります。石仏やら石碑は予定外のことでして、日本水はさほどに感動はありませんでした。周囲も看板でゴチャゴチャしていたし。石仏も年代が読み取れなくて残念でした。新しいのか古いのかさえ分からずというのも困りものです。
しかし、瀑泉さんが名水アタッカーだったとは知りませんでした。そういえば、ブログの随所に詳しいなと思うような記載がありますね。ここの水は「沸かして飲め」とはあっても、生水のままでも十分においしかったですよ。ガブガブ飲むようなものでもないですけどね。
今回の歩きブラブラハイクにはちょうど良かったですが、舗装した長い車道歩きには閉口しました。あれさえなかったら、少しは充実感もあったかと思います。まさに不甲斐なさを感じもしましたが、瀑泉さんのように挽回に出かけるような気分にはなれないですね。まして、雪山を二日続きというのは、今の自分には不可能です。
まぁ、そんなわけで、山行の機会もグンと減った次第ですが、半年の我慢だと思っています。これまで、有給休暇は当たり前のように思っていて、ありがたく感じたのは初めてですよ。
今の仕事柄、各地区の区長さんとかに接触する機会が多いですけど、終日パチンコ屋に行っているヒマな区長もいれば、ご多忙な方もいます。ああいう名誉役はやりようでしょうけど、現役の瀑泉さんがやるようなものではないと思うのですが。周辺に年寄りが住んでいないということでしょうかね。
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Unknown (ハイトス)
2018-02-22 18:21:01
こんばんは。
長い間記事がアップされなかったのでどうなされたのかと危惧しておりました。
そういうことでしたか。
そういう自分も1週の内2日は会社へ、2日は公務へとなってしまって結構自由な時間が取れない状況です。
毎日が日曜日とどちらが良いかと言うとやはり行くべきところが有った方が充実しているような気がします。
友人で全く仕事から離れた人もいますが、ジムに行ったりなんやかやで、どちらかというと時間を潰す事を探すようになってしまったと言っておりました。
そのうち何かを始めるのだと思われますが。
ところで久々の歩きにしては長時間でしたね。
石仏や石碑の類を眺めながらのぶらぶら歩きは体力維持には丁度よいかも。
雪山も良いですが静かな里山散策も捨てがたいですね。
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