その記憶が悪夢となって毎夜蘇るのではないかと思われるほどひどかった、
『椿姫』のドレス・リハーサルでのスラットキンの指揮。
純粋な演奏水準だけの話をしても、あんなにひどい演奏しか出来ないのなら、
私がスラットキンなら指揮を降りるだろうし、私がゲルブ支配人なら、即効で彼をクビにしたと思う。
それも、ドレス・リハーサルまで待たずに。
しかし、驚くべきことに、この3/29の、ゼッフィレッリの演出でステージングされるのは今シーズンが最後の『椿姫』の初日に、
恥ずかしげもなく指揮台にあらわれたのですから、このずうずうしさには本当に驚きます。
しかも、初日の演奏の次の日あたりに、ヘッズのブログ(もちろんチエカさんの!)で、
当人が自らのブログに、とんでもなくふざけたことを書いている事実がすっぱ抜かれ、
おそらく、それが(自ら辞退したにしろ、追い込まれたにしろ、、)、決定打になったのだと思いますが、
ランのその後の公演には戻ってこない旨の発表があったのは、こちらの記事に書いた通りです。
演奏水準が低いのは、それだけでも罪深いですが、
そうなるのを自分でわかっていながら、”自分が学べる良いチャンス”という理由だけで、
キャストを、オケを、観客を犠牲にし、それを恥ずかしげもなく自分のブログで吹聴しているなんて、
相当頭が鈍いか、相当傲慢か、そのどちらかです。いや、その両方かも。
彼が現在デトロイト交響楽団の音楽監督をつとめていることは前の記事で書きましたが、
これほどデトロイト市民にとって屈辱的なことはないでしょう。
デトロイト交響楽団のパトロンや常連客は、今後、どんな気持ちで演奏を聴けばよいのか?
そんな市民の気持ちを反映して、ある意味、出るべくして出たのが、
デトロイト・フリー・プレスの音楽批評担当のマーク・ストライカー氏による記事です。
この記事がスラットキンのブログから引用しているところによると、
当初予定されていた『ヴェルサイユの幽霊』が『椿姫』に変更になった時点では、
演目が変わるならやりたくない、という意向だったようですが、
しばらくするうち、オペラハウスの自分以外の全ての人間が『椿姫』を良く知っているから、
自分は彼ら先達から大いに学べるのではないか、という、例の論理に行き着いたようです。
”色んな資料をひっぱりだし、ヴェルディについて、また作品についての本を読んだ。
いくつかの音源を聴いて、それは役に立った部分もあったけれでも、さらに頭が混乱することにもなった”(おいおい、、)
スラットキンがブログで書いている言葉をそのままとるなら、
結局、自分の中で、『椿姫』の演奏のスタイルを完全に消化できなかったことに最大の敗因があるようです。
でも、『ヴェルサイユの幽霊』が『椿姫』に変更になったと言ったって、
一ヶ月とか数週間前に変更になったわけではなく、2008年の11月半ばにはわかっていたことですから、
まる一年以上の準備期間があったんですけどね、、。
ストライカーはしかし、”最初の直感に従って、『椿姫』は断った方が良かったのかもしれない。”としながらも、
スラットキンが過去にメトで指揮をした『西部の娘』、『サムソンとデリラ』がいずれも高い評価を得たことを強調。
おそらく、『椿姫』のような定番レパートリーでは十分なリハーサル時間をとれなかったこと、
また、ゲオルギューの勝手な行動も事態を良くはしなかったであろうことを推測し、
メトには戻ることはないかもしれないが、彼の最も大事な仕事はデトロイトにあって、
デトロイトには全てを注いでくれている、彼はきっとこれを乗り越える、と結んでいます。
これだって、言わせてもらえば、十分なリハの時間がとれない、ゲオルギューみたいな人に合わせていかなければならない、
なんていうのは、彼女以外のキャストも、オケも、同じなんですけどね。
いいですね、スラットキンはこうやって擁護してくれる人があって。
メト・オケなんて、『椿姫』だけでなく、新演出もの以外の演目すべてをそのようにして毎回乗り越えているわけですけど、
演奏が悪かったら、”演奏悪い””オケ下手”の二言で終わりですから。誰もリハが少ないことに同情なんてしてくれません。
地元の新聞がこうやって温かく書いてくれるのは一見良いことのように見えますが、
そのぬるいメンタリティが今の彼の姿勢につながっているのでないことを祈るばかりです。
スラットキンの指揮にご興味のある方は、4/17のマチネの公演がラジオで放送され、
ネットでの視聴も可能ですので、そちらを聴いて頂いて、、と思っていたのですが、
それが叶わぬものとなった今、この3/29の初日の公演の音源を皆様と分かち合いたいと思います。
私一人で抱えるには、あまりに重過ぎる悪夢ゆえ、、。
すべて第二幕から。
なぜ第二幕かというと、それは私が好きだからです。
好きな幕で聴くと、さらに悪夢にうなされる度500%!
まず、ヴァレンティが歌うアルフレード。
ここでも細かいディスコーディネーションが観察されますが、
ヴァレンティよ、スラットキンの方を見ても無駄です!
なぜなら、スラットキンはあなた”から”何かを教えてもらいたくて指揮台に立っているのだから。
普通、メト・デビューにあたる公演で、特に若手でこのような大役だったなら、
指揮者のサポートを受けることはあっても、サポートしてあげることはないと思うんですけどね、、、。
今回で悪運を全て使い果たしたと思って、この先、頑張ってください。
しかし、まだまだ、これは序の口。
ここからスラットキン・ワールドが全開になります。
ヴィオレッタはもちろんアンジェラ・ゲオルギュー、ジェルモン父はトーマス・ハンプソンです。
それにしても、心の動揺からか、ハンプソンがここまで音程を外しているのは本当にめずらしい、、。
そして、彼の歌が崩壊してしまうあたりは涙なくして聴けません、、。
ゲオルギュー、ハンプソン、こんなベテラン2人が、
ここまで合わせて歌うのに苦労する『椿姫』のオケの演奏なんて、本当に尋常でないです。
さ、もう、何もいいますまい。ただ、ただ、音源に耳を傾けて頂ければ、
私がドレス・リハーサルで味わった恐怖を感じていただけることと思います。
Angela Gheorghiu (Violetta Valery)
James Valenti (Alfredo Germont)
Thomas Hampson (Giorgio Germont)
Theodora Hanslowe (Flora Bervoix)
Kathryn Day (Annina)
Eduardo Valdes (Gastone)
John Hancock (Baron Douphol)
Louis Otey (The Marquis d'Obigny)
Paul Plishka (Doctor Grenvil)
Juhwan Lee (Giuseppe)
John Shelhart (Messenger)
Conductor: Leonard Slatkin
Production: Franco Zeffirelli
ON
*** ヴェルディ 椿姫 ラ・トラヴィアータ Verdi La Traviata ***
『椿姫』のドレス・リハーサルでのスラットキンの指揮。
純粋な演奏水準だけの話をしても、あんなにひどい演奏しか出来ないのなら、
私がスラットキンなら指揮を降りるだろうし、私がゲルブ支配人なら、即効で彼をクビにしたと思う。
それも、ドレス・リハーサルまで待たずに。
しかし、驚くべきことに、この3/29の、ゼッフィレッリの演出でステージングされるのは今シーズンが最後の『椿姫』の初日に、
恥ずかしげもなく指揮台にあらわれたのですから、このずうずうしさには本当に驚きます。
しかも、初日の演奏の次の日あたりに、ヘッズのブログ(もちろんチエカさんの!)で、
当人が自らのブログに、とんでもなくふざけたことを書いている事実がすっぱ抜かれ、
おそらく、それが(自ら辞退したにしろ、追い込まれたにしろ、、)、決定打になったのだと思いますが、
ランのその後の公演には戻ってこない旨の発表があったのは、こちらの記事に書いた通りです。
演奏水準が低いのは、それだけでも罪深いですが、
そうなるのを自分でわかっていながら、”自分が学べる良いチャンス”という理由だけで、
キャストを、オケを、観客を犠牲にし、それを恥ずかしげもなく自分のブログで吹聴しているなんて、
相当頭が鈍いか、相当傲慢か、そのどちらかです。いや、その両方かも。
彼が現在デトロイト交響楽団の音楽監督をつとめていることは前の記事で書きましたが、
これほどデトロイト市民にとって屈辱的なことはないでしょう。
デトロイト交響楽団のパトロンや常連客は、今後、どんな気持ちで演奏を聴けばよいのか?
そんな市民の気持ちを反映して、ある意味、出るべくして出たのが、
デトロイト・フリー・プレスの音楽批評担当のマーク・ストライカー氏による記事です。
この記事がスラットキンのブログから引用しているところによると、
当初予定されていた『ヴェルサイユの幽霊』が『椿姫』に変更になった時点では、
演目が変わるならやりたくない、という意向だったようですが、
しばらくするうち、オペラハウスの自分以外の全ての人間が『椿姫』を良く知っているから、
自分は彼ら先達から大いに学べるのではないか、という、例の論理に行き着いたようです。
”色んな資料をひっぱりだし、ヴェルディについて、また作品についての本を読んだ。
いくつかの音源を聴いて、それは役に立った部分もあったけれでも、さらに頭が混乱することにもなった”(おいおい、、)
スラットキンがブログで書いている言葉をそのままとるなら、
結局、自分の中で、『椿姫』の演奏のスタイルを完全に消化できなかったことに最大の敗因があるようです。
でも、『ヴェルサイユの幽霊』が『椿姫』に変更になったと言ったって、
一ヶ月とか数週間前に変更になったわけではなく、2008年の11月半ばにはわかっていたことですから、
まる一年以上の準備期間があったんですけどね、、。
ストライカーはしかし、”最初の直感に従って、『椿姫』は断った方が良かったのかもしれない。”としながらも、
スラットキンが過去にメトで指揮をした『西部の娘』、『サムソンとデリラ』がいずれも高い評価を得たことを強調。
おそらく、『椿姫』のような定番レパートリーでは十分なリハーサル時間をとれなかったこと、
また、ゲオルギューの勝手な行動も事態を良くはしなかったであろうことを推測し、
メトには戻ることはないかもしれないが、彼の最も大事な仕事はデトロイトにあって、
デトロイトには全てを注いでくれている、彼はきっとこれを乗り越える、と結んでいます。
これだって、言わせてもらえば、十分なリハの時間がとれない、ゲオルギューみたいな人に合わせていかなければならない、
なんていうのは、彼女以外のキャストも、オケも、同じなんですけどね。
いいですね、スラットキンはこうやって擁護してくれる人があって。
メト・オケなんて、『椿姫』だけでなく、新演出もの以外の演目すべてをそのようにして毎回乗り越えているわけですけど、
演奏が悪かったら、”演奏悪い””オケ下手”の二言で終わりですから。誰もリハが少ないことに同情なんてしてくれません。
地元の新聞がこうやって温かく書いてくれるのは一見良いことのように見えますが、
そのぬるいメンタリティが今の彼の姿勢につながっているのでないことを祈るばかりです。
スラットキンの指揮にご興味のある方は、4/17のマチネの公演がラジオで放送され、
ネットでの視聴も可能ですので、そちらを聴いて頂いて、、と思っていたのですが、
それが叶わぬものとなった今、この3/29の初日の公演の音源を皆様と分かち合いたいと思います。
私一人で抱えるには、あまりに重過ぎる悪夢ゆえ、、。
すべて第二幕から。
なぜ第二幕かというと、それは私が好きだからです。
好きな幕で聴くと、さらに悪夢にうなされる度500%!
まず、ヴァレンティが歌うアルフレード。
ここでも細かいディスコーディネーションが観察されますが、
ヴァレンティよ、スラットキンの方を見ても無駄です!
なぜなら、スラットキンはあなた”から”何かを教えてもらいたくて指揮台に立っているのだから。
普通、メト・デビューにあたる公演で、特に若手でこのような大役だったなら、
指揮者のサポートを受けることはあっても、サポートしてあげることはないと思うんですけどね、、、。
今回で悪運を全て使い果たしたと思って、この先、頑張ってください。
しかし、まだまだ、これは序の口。
ここからスラットキン・ワールドが全開になります。
ヴィオレッタはもちろんアンジェラ・ゲオルギュー、ジェルモン父はトーマス・ハンプソンです。
それにしても、心の動揺からか、ハンプソンがここまで音程を外しているのは本当にめずらしい、、。
そして、彼の歌が崩壊してしまうあたりは涙なくして聴けません、、。
ゲオルギュー、ハンプソン、こんなベテラン2人が、
ここまで合わせて歌うのに苦労する『椿姫』のオケの演奏なんて、本当に尋常でないです。
さ、もう、何もいいますまい。ただ、ただ、音源に耳を傾けて頂ければ、
私がドレス・リハーサルで味わった恐怖を感じていただけることと思います。
Angela Gheorghiu (Violetta Valery)
James Valenti (Alfredo Germont)
Thomas Hampson (Giorgio Germont)
Theodora Hanslowe (Flora Bervoix)
Kathryn Day (Annina)
Eduardo Valdes (Gastone)
John Hancock (Baron Douphol)
Louis Otey (The Marquis d'Obigny)
Paul Plishka (Doctor Grenvil)
Juhwan Lee (Giuseppe)
John Shelhart (Messenger)
Conductor: Leonard Slatkin
Production: Franco Zeffirelli
ON
*** ヴェルディ 椿姫 ラ・トラヴィアータ Verdi La Traviata ***