Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

THE NOSE (Thurs, Mar 18, 2010)  前編

2010-03-18 | メトロポリタン・オペラ
注:オペラ『鼻』のあらすじをマイナーなオペラのあらすじコーナーに加えました。

3/6の『アッティラ』の公演の日に、このブログを読んで下さっているNYご在住の方とその奥様より、
”一度お会いしませんか。”という温かいお申し出を頂き、インターミッション中、
ベルモント・ルームのテーブルで、自己紹介を経て、いよいよいろいろお話をさせて頂こうと思ったところに、
相席(土曜のマチネは特に人が多い!)の男性が現れたので、ふと、顔をあげると、
それは、たった二日前の『セヴィリヤの理髪師』の時にも相席だった、例のレイミー・ファンの小柄なおじ様ヘッドでした。
このおじ様、一人でいらっしゃっているので、喋りたくてうずうずしていたと見え、
”おお!!”と瞳を輝かせて挨拶を軽く交わしたかと思うと、それはもうよく喋ること喋ること、、。
瞬く間におじ様に会話の主導権を握られる我々日本人チームなのでした。
(で、実際、全然日本語でお話できなかったので、終演後に仕切り直し、楽しい時間を過ごさせて頂きました。)



私がオペラ・ブログを書いていると知ると、”わしも読みたい!”と言い出し、
残念ながら日本語だけなんで、、と申し上げても、”それでもいいから!”
えーと、ブログのURL何だっけかな、、と思い出そうとしていたところ、
”とはいえ、私が使えるのはメールぐらいなんだがな。”という言葉にこける。
”あ!あと、googleは使えるぞ(←とここでちょっと誇らしげ。)! googleの四角のところに何て入れたらよい?”
、、、。おじさん、URLなしでちゃんとこのブログ見れたかな、、?



さて、そのおじ様は『セヴィリヤ』と『アッティラ』の間、
つまり『アッティラ』の前日の夜は、『鼻』を鑑賞したそう(3日連続鑑賞!)なのですが、
それがおじ様に言わせると、ケントリッジの演出が素晴らしかったそうで、
”1回見るだけでは多分、全部は消化し切れない。2回、もしかすると、3回くらい見た方がいい。”
と、『セヴィリヤ』で、シャーの演出をこき下ろしまくっていたのとは180度転換の大絶賛モードです。



私はシーズン開幕前に年間のほとんどの公演のチケットを一気買いしてしまうのですが、
その時点では、公演の評価(特に新演出の場合)がどうなるかもわからなければ、
シリウスの放送の予定もまだ発表されていません。
『鼻』に関しては、もともと3/18の公演のチケットを手配していたものの、
その日はラジオ放送がある土曜のマチネのすぐ次の公演で、シリウスの放送もないことに公演直前になって気付き、
すると、突然、ゲルギエフにまたキャンセルをかまされるんじゃないか、、という、
オネーギンの悪夢”再現の不安が心にたちこめて来ました。
それで、ふと、その土曜のマチネ(3/13)も観れば、その日はラジオ放送があるからゲルギエフはまずキャンセルしないし、
3/18と合わせて二度見れることになって、一石二鳥!というアイディアが浮かびました。
しかし、3/13は久々の、かつ、一年でも滅多にない、全然オペラの鑑賞予定が入っていない週末で、
うちの二匹の毛深い息子達(犬)とセントラル・パークで爆発的になごむのを楽しみにしていたので、
どうしようか、、と思い悩んだまま、結局チケットを買わずにいたのですが、起きてみれば、13日は朝から大雨!!
神様が私に”メトにお行きなさい”と言っている、、、。



売り切れ覚悟で電話をしてみれば、”平土間でいい座席がキャンセルされて上がってきてますよ。”
やはり神様の思し召し、、。
舞台からそう遠くない列の真正面で、細部に至るまでこれ以上望みようがないほど、
はっきりと色々なものが見える座席で、鑑賞し終わった後にはぐったりしてしまった位です。
そして、一言。あのおじ様の言葉は滅茶苦茶正しかった!!!
この演出、すごいです。すごすぎて、1回では、とてもじゃないけれど、
舞台で起こっていること全部は追えないし、また、咀嚼もできません。
実際、私は頭がパンク状態になってしまったので、勝手ながら、1回目の3/13の感想をすっ飛ばさせて頂くことにしました
というか、ごく簡単な感想を書くことさえ、最低でももう1度見ないと、ままならなかったからです。
おじ様の言う3回どころか、私の頭だと、5回位観てやっと全貌をきちんと掴める位じゃないかと思う、、。
しかし、残念ながらさすがに5回観に行く時間はないので、2回観た現在時点での感想をとりあえずあげてみたいと思います。



ケントリッジがこの演出でベースにしているテクニックは、コラージュとアニメーションで、
とにかく舞台の天井から床までのスペースに、新聞や書物からの切り抜きや抜粋、
この作品の舞台であるサンクト・ペテルブルクの地図、等々のイメージを集めたコラージュが、
1セットや2セットの話でなく、ものすごい数のパターン用意されていて、
各場面に合わせてそれらのコラージュがかなり早いスピードで転換して行く上を、
アニメーション(主に鼻の行動を描写するのに用いられている)が自由自在に闊歩するというスタイルです。



作品が始まる直前にしばらく無音の時間があって、コラージュの上に
メリーゴーランドのような輪状のものが回転する黒い影絵のアニメーションが映るのですが、
回転し終わった時に、その黒い影がショスターコヴィッチの顔のイラストに像を結んで、
つい観客から笑いと拍手が出た途端、オケの演奏が始まります。



ケントリッジの演出の優れている点の一つ目は、ある出来事の舞台となっている場を
全面的にフォーカスするのではなくて、舞台上の空間を大きなキャンバスに見立て、
そこにビジュアル、心理面の両方で、実に絶妙なバランスの大きさで収めている点です。
今、オペラハウスでメジャーな演目としてかかっている演目のほとんどは、
オペラの最初から終末にかけて起こる登場人物の心の変化、
登場人物同士の関係の変化といったことが最大のポイントであるため、
その登場人物がいる場所を舞台一杯に使って展開するのがオーソドックスな演出のスタイルかと思うのですが、
この『鼻』という作品はそれとは少し違っていて、登場人物の誰も(コワリョフですら)、
オペラの頭と最後で、大した変化をとげません。
『鼻』が描いている対象は、コワリョフ自身でも、彼の鼻でもなく、彼らを取り巻く環境の方にあるからです。
なので、コワリョフの家にしろ、新聞社の社屋にしろ、やたら舞台の大きさに対してセットが小さく、
空間の大部分をその上にのしかかるようなケントリッジ作のコラージュが占めているのは、実に適切だと思います。



他にも、冒頭のシーンにあたるイワン・ヤーコウレヴィッチ(理髪師。彼の食べようとしたパンの中から、
客の一人であるコワリョフの鼻が出てくる。)と妻プラスコーヴィヤ・オーシポヴナが朝ご飯をめぐって、
冷え切った夫婦に特有の冷たいやり取りを交わすシーンでも、
彼らの家はコラージュの中のごく小さな面積を占めているにすぎません(上から三枚目の写真)。
それも、わざわざ、一階と二階にわけ(しかもなぜか理髪店が二階で台所が一階!)、
2人が同じ階にいる場面は全くなく、問題の鼻入りパンを含む食事は、妻が滑車を使って台所から二階にあげます。
そこまで夫を冷遇するのか、、、。



ケントリッジ演出の優れた点二点目は、とにかくユーモアがあること。
イワンの家のセットを舞台からはけさせるのに、
妻プラスコーヴィヤ・オーシポヴナ役に扮する重量級の体格の歌手ウェイトが
まるで大道具の野郎スタッフのように、一人で押しているような演技をつけたり
(もちろん裏には本当の大道具のスタッフがいるはずですが)、、
鼻を失くしたコワリョフを置いて、鼻が抜き足差し足で脱走していくアニメーションの愉快さ、
また、コワリョフと逃げ出した鼻が初めて差しで対面をする場所は教会で(一幕七場)、
この教会に鼻が入る前に、オケによって美しい宗教的ともいってよい旋律が演奏されるのですが、
いきなり鼻がその音楽に感動した面持ちで膝から崩れ落ち、しおらしい様子で祈りを捧げる姿の上で、
Nose at pray(祈る鼻)という文字の映像が白く踊っていたり、とにかく、観客をくすっと笑わせたり、
にやりとさせる個所には事欠きません。



彼のユーモアは、もちろん、それだけ額面どおりに受け取って見ても楽しいものではあるのですが
(実際、私は一度目の鑑賞では、それを追うだけでかなりのエネルギーを使ってしまって、
その後ろにあるメタファーとか深い意味は、何かが背後にありそうだ、、という
もやもやした感覚で終わってしまった感があります。)
それのお陰で、本来は非常に深刻なテーマがコーティングされ、残虐さが緩和されている部分もあるので、
こちらがうかうかしていると、見落としてしまう、、ということも大いにあると思います。



鼻がコワリョフの元に帰って来るきっかけとなる、屋台の女の子が警察官にからまれるシーンも、
例の大道具系妻プラスコーヴィヤ・オーシポヴナを歌ったのと同じかなり大柄な(横に)ウェイトが、
フラフープを5本くらい体の周りにつけたような衣装でオーバーに演技をつけるので怖さが緩和されていますが、
権威を傘に来た警察が女性に暴行まがいのことを働こうとしているこの状況は、
よく考えるととても笑って見れる場面ではありません。
彼が南アフリカの出身で、アパルトヘイトをテーマにした作品も発表していたことは、
初日の前に行われたレクチャーについてのポスティングで書きましたが、
その作風は声高にアパルトヘイト反対を叫ぶのでも、いかに深刻な問題かを悲痛に述べるのでもなく、
淡々とアパルトヘイトにつながるイメージを提示することで問題提起を行って来た彼らしいアプローチと言えるかもしれません。



ビジュアルの中にはもちろん常に体制を意識させるアイテムが登場し、
赤い色はもちろん(下の写真は第二幕第二場に登場する新聞社のセットですが、
これが赤いのは、作品の中で新聞社の社員とコワリョフの会話からわかるとおり、
新聞社も悪しき官僚主義的な、個人への思いやりを欠いた、
いわゆる”お役所仕事”に毒された存在として描かれているからです。)
ところどころにぷかっ!ぷかっ!と煙を吐くパイプのアニメーションが登場するので、
何だろう、、?と思うと、しばらく後に、そのパイプをくわえたスターリンの像がばばーん!と登場する、といった具合です。
ややや、こいつだったのか!、、、という、、(笑)
つまり、パイプの煙が、人々の生活に否が応でも、鬱陶しいまでに漂っている共産党の影響力を表現しているわけです。
(ちなみにスターリンの共産党書記長在任期間は1922年から1953年、
ショスターコヴィッチが『鼻』を完成させたのは1928年のことです。)



この作品はトータルのランタイムが1時間45分ほどの作品ですが、
今回の演出では、一度、数分の場面転換のためのポーズはありますが、インターミッションなしで一気に演奏されます。
第一幕は7場、第二幕は4場、第三幕は5場からなっていて、かなり場所の移動が激しいのですが
(地理的にはすべてサンクト・ペテルブルクですが、もっと細かい意味での場所として)、
ケントリッジが実にスムーズに場面の転換を行っていて、全然だれさせません。
それは場と場をつなぐアイテムがきちんと計算されているからでもあって、
一幕第二場でイワンの家の二階の階段の手すりだった部分が、そのまま、次の場の川にかかる橋になる、といった具合で、
階段にかかっていた洗濯物の山のようなものが、すっと落ちると、そこには巡査が仁王立ちしていて、
それに気付かないイワンは、巡査の目と鼻の先で、必死にパンから出て来た鼻を
処理し(捨て)ようとしているのが実に滑稽です。



後編に続く>


Paulo Szot (Kovalyov)
Andrej Popov (Police Inspector)
Gordon Gietz (The Nose)

Vladimir Ognovenko (Ivan Yakovlevich)
Claudia Waite (Praskovya Osipovna)
Grigory Soloviov (Constable)
Sergei Skorokhodov (Ivan - Kovalyov's servant)
Erin Morley (Female Voice)
Tony Stevenson (Male Voice)
Brian Kontes (Footman)
Sergei Skorokhodov (Porter of the Police Inspector)
Gennady Bezzubenkov (A Cabby)
James Courtney (The Newspaper Clerk)
Ricardo Lugo (The Countess's Footman)
Brian Kontes / Kevin Burdette / Philip Horst / David Crawford / Philip Cokorinos /
Grigory Soloviov / Christopher Schaldenbrand / Jeremy Galyon (Caretakers)
Brian Kontes / Sergei Skorokhodov / Kevin Burdette / Philip Horst / Michael Myers /
David Crawford / Brian Frutiger / Tony Stevenson / Jeffrey Behrens / Grigory Soloviov (Policemen)
Philip Cokorinos (Father)
Maria Gavrilova (A Mother)
Dennis Petersen / Jeremy Galyon (Sons)
Vassily Gorshkov (Pyotr Fedorovitch)
LeRoy Lehr (Ivan Ivanovitch)
Theodora Hanslowe (A Matron)
Claudia Waite (A Pretzel Vendor)
Christopher Schaldenbrand (Coachman)
Gennady Bezzubenkov (The Doctor)
Adam Klein (Varyzhkin)
Erin Morley (Mme. Podtochina's Daughter)
Barbara Dever (Mme. Podtochina)
Sergei Skorokhodov / Michael Myers / Brian Frutiger / Brian Kontes / Kevin Burdette /
David Crawford / Tony Stevenson (Gentlemen)
Jeffrey Behrens (Old Man)
Dennis Peterson / Grigory Soloviov (Newcomers)
Philip Horst (Black Marketeer)
Vassily Gorshkov (Distinguished Colonel)
Philip Cokorinos / Michael Myers (Dandys)
Christopher Schaldenbrand (Someone)
Sergei Skorokhodov / Brian Frutiger / David Crawford / Jeremy Galyon / Tony Stevenson /
Jeffrey Behrens / Vassily Gorshkov / LeRoy Lehr (Students)
Kathryn Day (A Respectable Lady)
Kevin Burdette / Philip Horst (Respectable Lady's sons)
Vladimir Ognovenko (Khorsev-Mirza)
Brian Kontes / Michael Myers / Kevin Burdette (Kovalyov's Acquaintances)

Conductor: Valery Gergiev
Production: William Kentridge
Set design: William Kentridge, Sabine Theunissen
Costume design: Greta Goiris
Video compositor and editor: Catherine Meyburgh
Lighting design: Urs Schönebaum
Associate director: Luc De Wit
ORCH O Even
OFF

*** ショスタコーヴィチ ショスタコヴィッチ 鼻 Shostakovich The Nose *** 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿