映画Crouching Tiger Hidden Dragon (邦題: グリーン・デスティニー よく考えてみると、変な邦題!)の音楽監督、Tan Dun (タン・デゥン)が作曲したオペラ、ファースト・エンペラーが、メトでワールド・プレミアを迎えました。
今日は先週の初日に続く二回目の演奏。
初日をラジオで聴いた印象は、長い、印象的なメロディがない、など、
音楽の面からのネガティブなものでしたが、
でも、もしかすると、舞台上ではいろいろとドラマチックなことが起こっているかもしれない、
舞台を見れば、よい感想に変わるかもしれない、
いや、変わるといいな、と思って向かったリンカーン・センター。
残念ながら、インターミッションで、正直、そのまま帰ろうかと思いました。
まずひどいのが、ストーリーそのものと台本。
あまりにひどすぎて、むしろ、家で、歌詞をわからずに、ラジオで聴いていたほうがまだよかったくらい。
ドミンゴ演ずる始皇帝は、自らの国の伝統的な音楽を嫌い、
新しく自分をたたえる国家を作曲させるべく、
ガオ・ジャンリという、優れた音楽家である、幼馴染を探しだすことに。
この音楽家は、当時、始皇帝が治めていた領地の外に住んでおり、
始皇帝は、自らの軍の将軍に、音楽家の住む土地を占領し、彼を捕らえるよう命令し、
それとひきかえに、ユエヤン姫との結婚を許すことを約束します。
約束どおり、音楽家を捕らえた将軍。
幼馴染に久しぶりに会って感極まる始皇帝ですが、
自らの土地や人々を失った音楽家は彼を許すことができません。
始皇帝の、国歌を作れという命に抵抗する音楽家。
いっぽう奴隷の身であるにもかかわらず、始皇帝に特別扱いされる音楽家を、
興味の目で見つめる姫。
抵抗がこうじて餓死を選ぶべく、与えられた食事に手をつけなくなった音楽家を見て、
姫は、始皇帝に、音楽家の説得に向かう役を与えてもらえるよう願い出ます。
許可され、音楽家の前に現れた姫。
あらゆる言葉による説得に失敗した姫は
口移しで食事を与えることにします。
これが功(?)を奏して、姫の思う壺、音楽家は姫と恋に落ちます。
音楽家が姫と一夜を過ごした後、
あら、不思議!びっこだったはずの姫が歩けるように!
ところがこれらすべてが、始皇帝の知るところに。。
怒る始皇帝、しかし、国歌ができあがるまでは、と我慢することにします。
姫とラブラブの音楽家は、一応、死ぬことはあきらめ、普通に暮らすようになります。
そんな生活の中、奴隷が労働しながら歌う歌に心をうたれる音楽家。。
さて、始皇帝は、将軍に娘を与える約束をした手前、この状態はまずいと感じています。
そこで、姫に音楽家をあきらめるよう話しますが、姫に、”じゃ、私は死ぬわよ!”と自殺をほのめかされ、びびりまくり。
そこで、作戦を変え、音楽家にアプローチ。
”一時的に”姫をあきらめてくれるようお願いします。
というのも、彼は、将軍がいずれ近いうちに戦争で命を失うと考えており、
そうなれば、姫は、音楽家に引き取らせる、というのです。
しぶしぶこの案を受け入れ、国歌を作曲することも引き受ける音楽家。
いよいよ始皇帝の戴冠式の日。
玉座に上る巨大な階段をのぼる途中、
姫の亡霊があらわれ、(一時的にせよ)将軍と結婚させられるのがいやだったので、自殺をしました、と告げます。
悲しみにくれつつも、上り続ける始皇帝。
次は、将軍の亡霊が現れ、音楽家に毒を盛られました、と訴え、
さらに、音楽家の復讐に注意されよ、と警告を与えます。
突然、姫を失った悲しみに耐えられなくなった音楽家は、
舌を噛み切り、始皇帝に唾を吐きかけます。
ついに玉座に上った始皇帝の耳に、音楽家の作曲した国歌が聞こえてきます。
それは、例の奴隷による歌でした。
始皇帝は、これこそが、音楽家による究極の復讐であったと驚愕します。
っていう話なんですね。。。
こんなハチャメチャなお話が気にならない向き、もしくはそれを面白がれる寛大な心の持ち主には、私からこれ以上申しあげることは何もないのですが。。
まず、ご都合主義な設定が多すぎるのが気になります、それも大事なところで。。
たとえば、始皇帝が、”一時的に”姫をあきらめるよう音楽家を説得するシーン、
そうすると、音楽家が現れるまでは、まもなく死ぬだろう、と考えていた将軍に、
本気で娘を嫁入りさせようと思っていたのでしょうか?
しかも、こんなずるっこいやり方、始皇帝ともあろうお方のすることか?とか。。
あと、これらのストーリー上のご都合主義もさることながら、せりふが変な箇所がたくさん。。。
たとえば、音楽家の態度に激昂し、
”殺しちまえ!!”と絶叫する始皇帝。
いざ家来が剣を構えると、”ちょっと、待て!”
”彼には国歌を作ってもらわなきゃいかんのを忘れておった”
。。。始皇帝ってほんとわすれっぽすぎ。
こんなくだらないせりふのいちいちに、ついていけません。
このような意味のない歌詞のせいで、ほんと作品が長大に。
インターミッションは一回だけで、8時に始まって、11時半近くまで続きました。拷問だー。
さて、このように、ストーリー兼リブレットが論外の最悪さの中、
他の部分に目を向けると。
まず音楽。いろいろな中国の楽器を使ったり、リズム、演奏法ともに、
結構凝った作りになっているのですが、
既存作品(もちろん他の作曲家による)寄せ集め的な部分がちらほら。
春の祭典っぽいとこ、トゥーランドットっぽいとこ etc。
あと、Tan Dunはメロディー・メーカーではないように思えました。
作品を通じて、音があまりに無機質で、一フレーズですら、耳に残るような
メロディがなかった。
それから、これは、彼がリブレットを手がけたこととも関係があるのでしょうが、
あまりにも、舞台上で行われている動きや演技に頼りすぎで、
音楽そのものに、物語を語らせることができていないこと。
ヴェルディや、プッチーニ、ワーグナーらのすぐれた音楽家のすごいところは、
音だけ聴いていても、ドラマや登場人物の心の動きが見えるところ、
プッチーニなんて、情景すら見えるっていうのに。
って、彼らとTan Dunを比べるのは酷だけれども。
やはり、映画の音楽とかをやるほうが、この方には向いてるのかもしれません。
オペラは映画音楽とは違いますから。。どちらが優れている、ということではなく。
こんな最悪な台本の中、張芸謀(チャン・イーモウ ”初恋のきた道”、”紅夢”などの映画監督)の演出は健闘していました。ただ、少し、階段や、鐘のセットなどが、巨大で、メトの舞台をしてですら、きちきちな印象を受けました。
もう少し、大きい舞台でできていたら、もっとご本人の意図した感じが伝わったのかもしれません。
あと、衣装のワダエミさん(黒澤監督の”乱”でアカデミー賞をとられました)。すばらしかった。
デザイン画を雑誌で拝見しましたが、それ自体がもうアートワーク。
中国の方が見たら、私が蝶々夫人の衣装を見たときに感じた違和感等、あるのかもしれませんが、
もうエスニシティを超えた部分で、美しい衣装でした。
特にドミンゴの衣装、かっこよかった!
歌手に関しては、もうこれはドミンゴの一人相撲というか。。。
彼の芸術のレベルの高さだけが際立っていた感じ。
高音があまりなかったのもあって、他の役柄で指摘されるようになっている声の衰えもほとんど気になりませんでした。
とにかく、ドミンゴが出てきて一声発すると、空気が変わるというか、
その存在感のすごさ。今まで見たドミンゴの中で一番気合を感じました。
このオペラ、ドミンゴがいなかったら、どんなことになっていたか。。。
とにかく、彼に感謝、感謝!!
フトラルは、もともと、まったく、私、好きじゃないのですが、
まあ、この役の場合、役の気持ち悪さも手伝って(もう、音楽家を
口説き落とすところとか、ほんと、気持ち悪い!!
こういうのが中国の男性、好きなんですかね?それとも、Tan Dunの趣味?)、
頭痛ものでした。
まあ、この役の場合、ちょっとお気の毒だったかもしれません。
インターミッションの後も居残ることにした理由はただひとつ。
こんなオペラ、もう二度と再演されることがないかもしれない。
そうすると、歴史上、たった数回演奏された作品を見たことになる。
その歴史的意義は大きいかも。
変な作品の上演にたちあってこそ、真のオペラファン!
そんな気持ちだけでした。
オーケストラ、合唱は、ともになれない音楽であるにもかかわらず
(結構中国っぽい旋律もあり)健闘していました。
特に合唱は、ここ最近ちょっと荒い(特に女声)歌唱が多くて
耳障りなときがあったのですが、
この日はいい意味でパワーがあって、大変よかったと思います。
そうそう、あと、もう一点、このオペラの難点は、
歌詞が英語なこと。
日本語もたいがい歌にのりにくい言語ですが、
英語って本当にオペラにのりにくい。
ロックとかには乗りやすいのに。
中国語とかの方がよかったかもなー、と思いました。
(歌手の方のストレスは大変なものになりますが。)
しかし、よーく考えると、ラジオ放送のときには、英語だって気づかなかった!
ところで、隣の座席にすわったのが、
他都市からNYに遊びにきたアメリカ人の家族の方。
初めてのオペラ鑑賞体験がこの日だったとか。。。
ご愁傷さま、本当に。。。
でも、私もリゴレット、最悪の演出が、初めての生オペラ体験でしたから、
ぜひくじけず、またメトに帰ってきていただきたい!
”変な作品上演にたちあってこそ、真のオペラファン”のスピリットで!!!
Placido Domingo (Emperor Qin)
Paul Groves (Gao Jianli, a musician)
Elizabeth Futral (Princess Yueyang)
Michele DeYoung (Shaman)
Hao Jiang Tian (General Wang)
Wu Hsing-Kuo (Yin-Yang Master)
Conductor: Tan Dun
Production: Zhang Yimou
Costume Designer: Emi Wada
Grand Tier C Odd
ON
***ドゥン 始皇帝 Dun The First Emperor***
今日は先週の初日に続く二回目の演奏。
初日をラジオで聴いた印象は、長い、印象的なメロディがない、など、
音楽の面からのネガティブなものでしたが、
でも、もしかすると、舞台上ではいろいろとドラマチックなことが起こっているかもしれない、
舞台を見れば、よい感想に変わるかもしれない、
いや、変わるといいな、と思って向かったリンカーン・センター。
残念ながら、インターミッションで、正直、そのまま帰ろうかと思いました。
まずひどいのが、ストーリーそのものと台本。
あまりにひどすぎて、むしろ、家で、歌詞をわからずに、ラジオで聴いていたほうがまだよかったくらい。
ドミンゴ演ずる始皇帝は、自らの国の伝統的な音楽を嫌い、
新しく自分をたたえる国家を作曲させるべく、
ガオ・ジャンリという、優れた音楽家である、幼馴染を探しだすことに。
この音楽家は、当時、始皇帝が治めていた領地の外に住んでおり、
始皇帝は、自らの軍の将軍に、音楽家の住む土地を占領し、彼を捕らえるよう命令し、
それとひきかえに、ユエヤン姫との結婚を許すことを約束します。
約束どおり、音楽家を捕らえた将軍。
幼馴染に久しぶりに会って感極まる始皇帝ですが、
自らの土地や人々を失った音楽家は彼を許すことができません。
始皇帝の、国歌を作れという命に抵抗する音楽家。
いっぽう奴隷の身であるにもかかわらず、始皇帝に特別扱いされる音楽家を、
興味の目で見つめる姫。
抵抗がこうじて餓死を選ぶべく、与えられた食事に手をつけなくなった音楽家を見て、
姫は、始皇帝に、音楽家の説得に向かう役を与えてもらえるよう願い出ます。
許可され、音楽家の前に現れた姫。
あらゆる言葉による説得に失敗した姫は
口移しで食事を与えることにします。
これが功(?)を奏して、姫の思う壺、音楽家は姫と恋に落ちます。
音楽家が姫と一夜を過ごした後、
あら、不思議!びっこだったはずの姫が歩けるように!
ところがこれらすべてが、始皇帝の知るところに。。
怒る始皇帝、しかし、国歌ができあがるまでは、と我慢することにします。
姫とラブラブの音楽家は、一応、死ぬことはあきらめ、普通に暮らすようになります。
そんな生活の中、奴隷が労働しながら歌う歌に心をうたれる音楽家。。
さて、始皇帝は、将軍に娘を与える約束をした手前、この状態はまずいと感じています。
そこで、姫に音楽家をあきらめるよう話しますが、姫に、”じゃ、私は死ぬわよ!”と自殺をほのめかされ、びびりまくり。
そこで、作戦を変え、音楽家にアプローチ。
”一時的に”姫をあきらめてくれるようお願いします。
というのも、彼は、将軍がいずれ近いうちに戦争で命を失うと考えており、
そうなれば、姫は、音楽家に引き取らせる、というのです。
しぶしぶこの案を受け入れ、国歌を作曲することも引き受ける音楽家。
いよいよ始皇帝の戴冠式の日。
玉座に上る巨大な階段をのぼる途中、
姫の亡霊があらわれ、(一時的にせよ)将軍と結婚させられるのがいやだったので、自殺をしました、と告げます。
悲しみにくれつつも、上り続ける始皇帝。
次は、将軍の亡霊が現れ、音楽家に毒を盛られました、と訴え、
さらに、音楽家の復讐に注意されよ、と警告を与えます。
突然、姫を失った悲しみに耐えられなくなった音楽家は、
舌を噛み切り、始皇帝に唾を吐きかけます。
ついに玉座に上った始皇帝の耳に、音楽家の作曲した国歌が聞こえてきます。
それは、例の奴隷による歌でした。
始皇帝は、これこそが、音楽家による究極の復讐であったと驚愕します。
っていう話なんですね。。。
こんなハチャメチャなお話が気にならない向き、もしくはそれを面白がれる寛大な心の持ち主には、私からこれ以上申しあげることは何もないのですが。。
まず、ご都合主義な設定が多すぎるのが気になります、それも大事なところで。。
たとえば、始皇帝が、”一時的に”姫をあきらめるよう音楽家を説得するシーン、
そうすると、音楽家が現れるまでは、まもなく死ぬだろう、と考えていた将軍に、
本気で娘を嫁入りさせようと思っていたのでしょうか?
しかも、こんなずるっこいやり方、始皇帝ともあろうお方のすることか?とか。。
あと、これらのストーリー上のご都合主義もさることながら、せりふが変な箇所がたくさん。。。
たとえば、音楽家の態度に激昂し、
”殺しちまえ!!”と絶叫する始皇帝。
いざ家来が剣を構えると、”ちょっと、待て!”
”彼には国歌を作ってもらわなきゃいかんのを忘れておった”
。。。始皇帝ってほんとわすれっぽすぎ。
こんなくだらないせりふのいちいちに、ついていけません。
このような意味のない歌詞のせいで、ほんと作品が長大に。
インターミッションは一回だけで、8時に始まって、11時半近くまで続きました。拷問だー。
さて、このように、ストーリー兼リブレットが論外の最悪さの中、
他の部分に目を向けると。
まず音楽。いろいろな中国の楽器を使ったり、リズム、演奏法ともに、
結構凝った作りになっているのですが、
既存作品(もちろん他の作曲家による)寄せ集め的な部分がちらほら。
春の祭典っぽいとこ、トゥーランドットっぽいとこ etc。
あと、Tan Dunはメロディー・メーカーではないように思えました。
作品を通じて、音があまりに無機質で、一フレーズですら、耳に残るような
メロディがなかった。
それから、これは、彼がリブレットを手がけたこととも関係があるのでしょうが、
あまりにも、舞台上で行われている動きや演技に頼りすぎで、
音楽そのものに、物語を語らせることができていないこと。
ヴェルディや、プッチーニ、ワーグナーらのすぐれた音楽家のすごいところは、
音だけ聴いていても、ドラマや登場人物の心の動きが見えるところ、
プッチーニなんて、情景すら見えるっていうのに。
って、彼らとTan Dunを比べるのは酷だけれども。
やはり、映画の音楽とかをやるほうが、この方には向いてるのかもしれません。
オペラは映画音楽とは違いますから。。どちらが優れている、ということではなく。
こんな最悪な台本の中、張芸謀(チャン・イーモウ ”初恋のきた道”、”紅夢”などの映画監督)の演出は健闘していました。ただ、少し、階段や、鐘のセットなどが、巨大で、メトの舞台をしてですら、きちきちな印象を受けました。
もう少し、大きい舞台でできていたら、もっとご本人の意図した感じが伝わったのかもしれません。
あと、衣装のワダエミさん(黒澤監督の”乱”でアカデミー賞をとられました)。すばらしかった。
デザイン画を雑誌で拝見しましたが、それ自体がもうアートワーク。
中国の方が見たら、私が蝶々夫人の衣装を見たときに感じた違和感等、あるのかもしれませんが、
もうエスニシティを超えた部分で、美しい衣装でした。
特にドミンゴの衣装、かっこよかった!
歌手に関しては、もうこれはドミンゴの一人相撲というか。。。
彼の芸術のレベルの高さだけが際立っていた感じ。
高音があまりなかったのもあって、他の役柄で指摘されるようになっている声の衰えもほとんど気になりませんでした。
とにかく、ドミンゴが出てきて一声発すると、空気が変わるというか、
その存在感のすごさ。今まで見たドミンゴの中で一番気合を感じました。
このオペラ、ドミンゴがいなかったら、どんなことになっていたか。。。
とにかく、彼に感謝、感謝!!
フトラルは、もともと、まったく、私、好きじゃないのですが、
まあ、この役の場合、役の気持ち悪さも手伝って(もう、音楽家を
口説き落とすところとか、ほんと、気持ち悪い!!
こういうのが中国の男性、好きなんですかね?それとも、Tan Dunの趣味?)、
頭痛ものでした。
まあ、この役の場合、ちょっとお気の毒だったかもしれません。
インターミッションの後も居残ることにした理由はただひとつ。
こんなオペラ、もう二度と再演されることがないかもしれない。
そうすると、歴史上、たった数回演奏された作品を見たことになる。
その歴史的意義は大きいかも。
変な作品の上演にたちあってこそ、真のオペラファン!
そんな気持ちだけでした。
オーケストラ、合唱は、ともになれない音楽であるにもかかわらず
(結構中国っぽい旋律もあり)健闘していました。
特に合唱は、ここ最近ちょっと荒い(特に女声)歌唱が多くて
耳障りなときがあったのですが、
この日はいい意味でパワーがあって、大変よかったと思います。
そうそう、あと、もう一点、このオペラの難点は、
歌詞が英語なこと。
日本語もたいがい歌にのりにくい言語ですが、
英語って本当にオペラにのりにくい。
ロックとかには乗りやすいのに。
中国語とかの方がよかったかもなー、と思いました。
(歌手の方のストレスは大変なものになりますが。)
しかし、よーく考えると、ラジオ放送のときには、英語だって気づかなかった!
ところで、隣の座席にすわったのが、
他都市からNYに遊びにきたアメリカ人の家族の方。
初めてのオペラ鑑賞体験がこの日だったとか。。。
ご愁傷さま、本当に。。。
でも、私もリゴレット、最悪の演出が、初めての生オペラ体験でしたから、
ぜひくじけず、またメトに帰ってきていただきたい!
”変な作品上演にたちあってこそ、真のオペラファン”のスピリットで!!!
Placido Domingo (Emperor Qin)
Paul Groves (Gao Jianli, a musician)
Elizabeth Futral (Princess Yueyang)
Michele DeYoung (Shaman)
Hao Jiang Tian (General Wang)
Wu Hsing-Kuo (Yin-Yang Master)
Conductor: Tan Dun
Production: Zhang Yimou
Costume Designer: Emi Wada
Grand Tier C Odd
ON
***ドゥン 始皇帝 Dun The First Emperor***