Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

ARMIDA (Sat Mtn, Mar 5, 2011)

2011-03-05 | メトロポリタン・オペラ
フレミングがありがた迷惑な皆勤賞を果たした昨シーズンの『アルミーダ』から約一年。
今シーズンもその『アルミーダ』が再演されることとなり、昨年と同様に表題役はフレミングで、カバーがアンジェラ・ミードであることが発覚し、
今年はシーズン開始前にミードのエージェントに駄目もとで直接eメールを出してみました。

”私、映画『オーディション』のプレビューでミード嬢を拝見・拝聴して以来の、大、大、大ファンです。
彼女のメト・デビューとなった『エルナーニ』での代役に関しては、映画がその公演の後にプレビューされたので出遅れ、見損ねてしまいましたが、
その後は私の移動できる範囲内で彼女の歌を聴ける機会はすべて逃さないようにしています。
NY在住ですので、メトの『フィガロ』の伯爵夫人、それからキャラモアの『セミラーミデ』『ノルマ』はもちろん、
最近では彼女のヴェルレクを聴くがためだけに、ピッツバーグまでの日帰り旅行を企てました。
彼女のヴェルレクでの歌唱は本当に素晴らしく、私はあの作品のソプラノ・パートが、あれほど美しく、しかも、あたかも簡単であるかのように、
静かでいながら深い感情に溢れて歌われたのを聴いたことがありません。
あまりにも感激してしまったので、ボルティモアで再び彼女が歌う予定のヴェルレクに足を向けようかと計画中です。
ところで、ミード嬢が今年もまたメトの『アルミーダ』でカバーをつとめると耳にしました。
ミス・フレミングに個人的な恨みがあるわけではないのですが、昨シーズンは、たった一日だけでいいから、
私達にアルミーダ役でのミード嬢の歌を楽しむ機会を与えてほしい、、と心から願っていたのです。
実を言いますと、『アルミーダ』公演日は毎日、その日オペラハウスにいる友人にキャストの変更がないかどうかを確認するテキストメッセージ攻撃をしかけ、
もし、ミード嬢が代役に入るという連絡が入った暁にはメトに飛んで向かう準備もしていました。
しかし、不幸なことに、ミス・フレミングは一度もキャンセルしてくれなかった、、、。
今年も『アルミーダ』を鑑賞する気持ちはあるのですが、もし、ミード嬢が歌う日があるならば、その日に鑑賞したいのです。
(まだチケットは購入していません。)
今の段階で、彼女が歌うかもしれない可能性のある公演日というのはありますか?(メトのサイトでは今のところ、全部ミス・フレミングになっていますが、、。)
もし、ミード嬢がいずれかの公演を歌うことになるとして、それを事前に知る一番良い方法は何でしょうか?
ミード嬢のfacebookはしばらくアップデートがないようなんですけれども。 Madokakipより。”



すると1時間もしないうちにエージェントの方から、
”残念ながら現在の段階では本公演で歌う予定はないのです。でも、万が一、変更がある場合は、私が喜んでメールを差し上げましょう。”
という親切なお返事を頂きました。
というわけで、期待を抱きながらシーズン初日を迎えましたが、
ニ回目の公演、三回目の公演、四回目の公演になってもエージェントからはメールはなく、
実際、相変わらずフレミングが舞台に立っているという裏付けが毎度取れるにしたがって、失望はいよいよ諦めに変わっていきました。
考えてみれば、フレミングって本当にキャンセルが少なくて、やたら健康なんですよね、、、。

というわけで、今日は5回目の公演。いよいよ楽日になってしまいました。
そして、私ももう観念です。
なぜなら、マチネのラジオ放送がある今日のような日に、健康体のフレミングがキャンセルすることはまずあり得ないから。
昨シーズンの『アルミーダ』では、もうこの先20年くらいフレミングの歌を聴かなくても大丈夫なほど、彼女の歌で腹一杯にさせられましたので、
今年の『アルミーダ』はパスをする、という選択肢もあったのですが、二つのことが、私に楽日を鑑賞する決心をさせました。



まず、歌唱陣については一役を除いて全員が昨シーズンからの据え置きのキャストなのですが、
その例外の一役というのが、ジェルナンド役で、それを今シーズン歌っているのがアントニーノ・シラグーザである、ということ。
シラグーザに関しては、今までもコメント欄などで少なからぬ方からポジティブな評価を伺っていたということと、
それから、YouTubeで聴く彼の声が音源によって私にはかなり印象が違って聴こえること、
また全体的に彼の声は私にはとても個性的に感じられたということがあって、
一体、生で聴くとどんな声のテノールなのか?という興味が高まっていました。
ただ、彼が得意としているレパートリーは、メトではフローレスやブラウンリーといった歌手に先にキャスティングが回ってしまうことが多いのか、
2003年のデビュー(『セヴィリヤの理髪師』)以降、今年までメトへの登場は一度もなく、
次に彼の生声を聴く機会が来たら、絶対に逃してはならない!と思っていたのです。

それからもう一つは、この公演の二つ前の公演(つまり今シーズン3度目の演奏)でのブラウンリーの歌唱が凄かった、という友人の一言。
もう30年以上メトで鑑賞をし続けている、普段は特にブラウンリーの大ファンでも何でもないその友人が、
”個人の歌唱という面では、これまでに鑑賞したメトの舞台の中で最も印象深かったものの一つ。”と言い切り、
いかに彼の歌唱がすごかったかということを、とうとうと終演後に電話で語り続けるので、
私はその場にいなかった悔しさに歯軋りする余り、奥歯が削れるかと思ったくらいです。



指揮もこれまた昨シーズンと同じ、”忘れられた指揮者”リッカルド・フリッツァで、
昨シーズンは”完全版でない『アルミーダ』は『アルミーダ』でない!”とレクチャーで豪語するほど完全版にこだわり、
実際、彼の意向でそれを実現させてしまったわけですが、
さすがの彼も去年の全幕公演を自分で指揮してみて、フレミングが表題役の『アルミーダ』で完全版を演奏してみても、
それは何ほどの意味も持たないばかりか、観客、演奏者、そして何より自分への虐待であることが良く身に沁みたか、
今年はところどころでカットを採用しています。
昨シーズンと相も変わらず、歌をオケが音で圧してしまう傾向にあるのですが、
(フリッツァ自身はそれを出来るだけ和らげようと、一部の楽器の編成を減らしたり、工夫をしていたようなんですが、それでもまだ、、。)
バレエの場面はそういった歌とのバランスに気兼ねすることなく、思う存分オケを鳴らせるせいもあってか、
その躍動感といい、なかなか悪くない指揮振りでした。
いや、実際、表題役の歌がぴりっとしない今回のような公演では、もはやバレエのシーンの方が公演中の存在感が大きい位で、
ABTのバレエ公演で、彼らの専属のオケが聴かせるへっぽこ演奏にかなりへこまされた経験のある私としては、
今回のように、優れたオケの演奏がついたバレエのシーンを見れる機会というのは本当に至福に感じられます。
考えてみれば、昨年『アルミーダ』を鑑賞したのはプレミエの日の演奏で、その後、相当な数の演奏がシーズンが終わるまでにありました。
たしか10本はくだらなかったのではないかと思います。
そして、今年が5公演。つまり、私が前回鑑賞した時から、15弱公演分の隔たりがあるわけですが、
この間に、特にバレエのシーンに代表される、ステージ上の動きとしてのアンサンブルが大事なシーンでの進化はめざましく、
やはりプロの仕事というのは素晴らしい!と思わされます。
タイトル・ロールの歌唱が最大の魅力であるはずの『アルミーダ』のような作品で、この状態はちょっとどうかと思いますが、
正直、オケの演奏の良さのせいもあり、バレエのシーンがこの作品で最大の見所に成長しつつあるように思います。



バレエの中でリナルド役を担当するダンサーは、マーク・モリスのカンパニーに所属しているアーロン・ルーから、
今年はニューヨーク・シティ・バレエやABTを経てブロードウェイの舞台にも立っているエリック・オットーに変わりました。
ダンスのクオリティはいずれのダンサーも優れているのですが、オットーにはルーよりも舞台上の華があって、
それが今年のバレエ・シーンの印象アップにも繋がっているように思います。
ただ、ハッスルしすぎて、ジャンプのシークエンスの途中で頭に乗せていた花輪が吹っ飛んで床に落ちてしまいました。
それまで本当に綺麗にダンスが流れていたので、振付を数秒投げ出して床から花輪の奪還に燃える彼を見て、
あんなに花輪に拘るなんて、これで彼もいよいよ落ち着きを失ったか?と一瞬思っていたのですが、
考えてみれば、このダンスのシーンは最後にバレエのリナルドが歌のリナルド(つまりブラウンリー)の頭に花輪を載せることで、
初めてこの作品の舞台を見る人に、ああ、このダンサーはリナルド自身を表現していたんだな、と伝える大事な場面があるので、
ここで花輪が頭に載っていないとか、もしくは奪還する前にそれが女装したスパイダーマンのような、
アルミーダの魔力の陰の要素を表現するダンサーたちにずたずたに踏みつけられているというのはちょっとまずいわけで、
結局はオットーの対処の仕方が一番適切で落ち着いていたと言えると思います。



フレミング、ブラウンリー、シラグーザ以外の歌唱陣については、特にここでふれておきたいような大きな変化は去年と比べて見られなかったので、
この3人だけに焦点を絞って感想を書こうと思います。

まず、シラグーザ。
百聞は一見にしかず、とよく言われますが、歌手に関しては、まさに、百聞は一聴にしかず、という言葉がぴったりで、
今日の彼の歌唱を聴いて、なるほどなあ、と思うことがいくつかありました。
先に、彼の声は音源によって私には随分印象が違って聴こえると書きましたが、
それは実際、彼の声はあるラインから上の音域と下の音域で微妙にサウンドが違っていて、そこに主な原因があるように思います。
まず、下の方なんですが、これはどこかこっくりとしたと言えばいいのか、ほとんど”ひょうきんな”と形容したくなるような音色です。
ところが、それが上に上がって行くと、突然そのひょうきんなサウンドが抜けて、非常にストレートで綺麗な音色に変化するのです。
言うまでもなく、私は高音域での音色の方が好きです。
彼があまりメトに登場しないのは、レパートリー的にフローレス、ブラウンリーと被っている点がやはり一番大きいのではないかと思います。
ただ、それ以外に、声のサイズも関係しているのかもしれないな、と事前に推測していたのですが、その点は全然関係ないと言ってもよいかもしれません。
想像していたよりもしっかりした声量と良く響く音色を持っているので逆に驚いたくらいで、メトで歌うのに全くその面では不自由はありません。
ロッシーニ歌唱に必要な技術も申し分なく持っているし、本来なら、歌の内容から言って、もっと観客のレスポンスが良くてもいいと思うんですが、
そうならないところ、そこにこそ、彼の課題があるかな、という風に感じます。

本当はこのようなgeneralizationというのでしょうか、大人数を一からげにして話すのは嫌いなのですが、
あくまで傾向として、日本のオーディエンスとメトのオーディエンスの違いをあげるなら、
比較の問題で(←ここは大事です。決して絶対的な話をしているのではないので誤解なきよう!)
日本のお客さんの方がより歌の内容への志向が強くて、その分スター性への志向は甘め、ということは言えるのかな、と思います。
逆に言うと、メトのお客さんは、歌が上手い、良い声を持っているだけでは十分でなくて、スター性がないとなかなか喝采してくれない、というところがあるように思います。
さらにその当然の帰結として、スター性があれば、歌のなんだそりゃ???な部分には多少目を瞑ってもらえがち、という部分も、あると言えると思います。
(ネトレプコやフレミングのベル・カント、、、。)
で、それで言うと、ちょっと残酷な言い方になりますが、シラグーザにはメトの観客が求めているような種類のスター性はないのかな、、という風に思います。
ずっとこのブログを読んで下さっている方ならば、私個人の考えとしては、もうちょっとメトの観客に、本来歌手が持っているべきもの、
つまり、声とか歌唱テクニックに注意を向けて欲しいと思っていることも、
私の好きな歌手の一人であるストヤノヴァなんかが、せっかく実力がありながら、
完全に、この”メトの観客が求めている種類のスター性がない歌手”のカテゴリーに入っている点にもお気づき頂けることと思います。
なので、私自身は、もうちょっとシラグーザのような歌手の良さも、認められるべきだ、という考えではあるのですが。



しかし、今更シラグーザやブラウンリーにもっと背を高くしてみろ、とか、フローレスみたいなルックスになってみろ、と言っても始まらないわけで、
後、勝負できるとすれば、他の歌手にはない何かを持っているか、ここにスター性の源を求めて行くしかないと思います。
で、その点で言うと、私個人的には現時点なら、シラグーザよりもブラウンリーの方にポテンシャルを感じるのです。
同じく現時点で比べた場合、歌と声の安定度や完成度、技術、
ロッシーニものに必要なスピード感、アジリティ、スタイル感といった面ではシラグーザの方が上なんですが、それでも、です。

あともう一つ、スター性のある歌手が絶対に外さないクオリティは、”おさえることをおさえる。””客が期待しているものをデリバーする。”ということです。
先にも書いたように、シラグーザのサウンドは、少し音域によってカラーに違いがあるので、その点についての好悪は多少分かれるかもしれませんが、
それを除けば歌唱の内容は、最後の最後に来るまで、非常に良かったと思います。
ところが、一番大切な、彼のパートの最後の方に現れる高音で、ついテンス・アップしてしまって、
それまで綺麗に出ていた音とは異質の魅力的でない音が出てしまったのです。
失敗と呼ぶには遠く及ばない、”音が綺麗にプロデュースされなかった”という、見方によれば些細なミスですが、
やはり、そこが締まるのと、締まらないのでは、雲泥の差で、
再び、マリア・カラスの”太って醜い女は音符の上に一つか二つ余計に点をつけなければならない。”発言にならうなら、
背が低くて髪のない男(=シラグーザ)も、フローレスみたいな歌手と争って役を取るには、
こういう箇所をきっちり決めて行かないといけないのではないかな、と思います。
それまでの歌の内容が良かっただけに、ご本人もこのミスは悔いが残っているのではないかと推測するのですが、
それが関係しているのか、それとも単にとっとと当日のフライトでイタリアに帰国すべく、空港への路につかなければいけなかったからか、
ジェルナンド役というかなりこの作品では重要で大きな役、しかもラジオやネットでのライブ中継があった日にも関わらず、
最後の舞台挨拶に彼の姿はありませんでした。自分の出番が終わった後、速攻メトを後にしてしまったようです。



ブラウンリー。
彼がon(調子が良い)の日というのは、サウンドが劇場の中でがちっと焦点を結んでいるような音を出すのですが、
今日は最初から、”どうしたの?”という位、拡散し、焦点が定まらない声を出していたので、不調なんだな、というのはすぐにわかりました。
ああ、ミードが一度も登場しないとわかっていれば、彼が絶好調だったという二回前の公演を見に行ったのに!!!
しかし、以前から書いているように、調子が悪ければ万事休す、という訳では決してなく、
今の私のオペラの鑑賞の仕方は、もちろん第一に素晴らしい公演に出会うことが最大の願いではあるのですが、
それと同時に、メトに登場し続けている歌手の歌や声の変化とか、若手の歌手がいかに成長して行くか、ということを見守ることも大きな目的の一つになっているので、
こういう不調な時にどういう切り抜け方をするか、というのは、その歌手がどれ位力を付けて来ているか、ということを見るすごく良い機会だと考えています。
それで言うと、今日の彼はまず良く持ちこたえたと思います。
中盤あたりまで来る頃には、下寄りの中音域から低音域にかけて、音がきちんと入らなくなって来ていて、
このあたりの音に苦労するというのは、風邪気味など、相当、声のコンディションの面で辛いものがあったのだと思われます。
それでも、このリナルド役は難役で、しかも、他の演目であったなら代役に入ってくれそうな、彼とレパートリーが重なる歌手が、
全部すでにこの公演に駆り出されてますから、(なんといっても、この作品は6人ものロッシーニ・テノールが必要なのですから!!)
多分、彼が降板することはもはや許されない状態に近かったのではないかと思います。
高音域では彼の良い時の歌唱にある独特のぎらっとした響きはさすがにほとんど感じられませんでしたが、
それでも一度もクラックなどの大きな失敗なく、きちんと舞台をつとめあげたのは、このコンディションを考えると本当に良く頑張ったといえ、
精神面でもとても強くなって来ていることが伺われ、なかなかに頼もしいです。
来シーズンこそは彼のベストのコンディションで聴きたいな、と思うのですが、それを言うと、彼はメトの新シーズンでは『連隊の娘』のトニオを歌うんですね。
(マリーはマチャイーゼ)。
その絡みで言うと、私はやはりブラウンリーは本当はあまりコメディには向いていなくて、ドラマティックな役柄の方が個性が生きると思っています。
フローレスは実はコメディに関しては非常においしい立ち位置にいる気がして、というのも、彼の場合、コメディックな演技が上手く行けばそれはそれでもちろんOK、
仮に演技にぎこちないところがあっても、彼のようなまじめで好青年風で、シリアスな役がはまる個性の歌手が
ぎこちなくコメディックな演技をしている、というその点そのものがすでにおかしい、という、どちらに転んでも好ましく取られる要素があるからです。
(ただし、今年の『オリー伯爵』でのフローレスはこれまでにない、突き抜けたコメディックな演技を見せていて、
私がこれまでにメトで見た喜劇的作品での彼は、上で説明した後者のタイプに分類されるケースがほとんどだったのですが、
今回は極めて前者寄りのものを見せてくれていて、非常に新鮮です。)

その点、ブラウンリーはルックスがああなので、下手にコメディックな演技をすると、却ってやり過ぎ、しらじらしいと取られかねないのです。
あのルックスで王子キャラはきつい、、、と思われている方が結構多いかもしれませんが、
実は王子キャラ、ドラマティックな役柄の方が彼にははまる、というのが私の考えで、今回の『アルミーダ』はそれを実証していると思います。



最後にフレミング、行きましょうか。全く気乗りしていないのがばればれですが。
そうですね、、、最近の彼女は以前にも増して、”何をやっても、いつもフレミングしてますね。”感が強いです。
多分、これは彼女自身が一番良くわかっていると思いますが、今のキャリアの時点で、
この『アルミーダ』という作品をチョイスしたのはあまり利口な選択だったとは言えないと思います。
彼女にしてみれば、すでに全幕で歌ったことがあって(かなり遠い昔ですが)、
女性キャストが彼女だけ、という、ディーヴァとしての自分をアピールするには格好の演目であったことなど、色々理由があったのでしょうが、
今の彼女の声には、もうこの演目は、音域の面、スタミナの面、アジリタの面、すべてで荷が重すぎることは明らかです。
それを彼女も重々承知しているので、歌が非常に用心深くなっていて、高音は凍った湖面をそっと歩くような出し方だわ、
スタミナを最後までセーブしておかなければならないために、全力で歌っているようにはとても聴こえないわ、ということになっていて、
こういったことはロッシーニの作品を聴くうえで一番楽しいはずの部分の足を引っ張る結果になってしまうのです。
つまり、観客は心からこの作品を、歌手の歌唱を楽しむことが出来ないのです。
また、昨シーズンの歌唱と比べて、とても気になったのは、彼女の声のプロジェクションが非常に悪くなっているという事実でしょう。
平たく言えば、声が劇場の中に共鳴しなくなっている、通らなくなって来ている、ということです。
ただ、最後の幕は、本当にこれが最後!という彼女の意地だったのでしょうか、
(多分、彼女はもう二度とこの演目を歌うことはないと思いますし、今日が楽日ですから、、、。)
ほんの一瞬、昔の彼女を彷彿とさせる、まともな歌唱と声の名残みたいなものは感じられました。
フレミングには、今シーズン、この後『カプリッチョ』が控えていますから、そちらの方に期待をかけたいと思います。


Renée Fleming (Armida)
Lawrence Brownlee (Rinaldo)
Antonino Siragusa (Gernando)
John Osborn (Goffredo)
Yeghishe Manucharyan (Eustazio)
Kobie van Rensburg (Ubaldo)
Barry Banks (Carlo)
Peter Volpe (Idraote)
Jaime Verazin (Love)
Isaac Scranton (Revenge)
Eric Otto (Ballet Rinaldo)
Conductor: Riccardo Frizza
Production: Mary Zimmerman
Set & Costume design: Richard Hudson
Lighting design: Brian MacDevitt
Choreography: Graciela Daniele
Associate Choreographer: Daniel Pelzig
Dr Circ A Even
ON

*** ロッシーニ アルミーダ Rossini Armida ***

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4 コメント

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レヴァイン氏は? (ぬー)
2011-03-28 13:37:34
Madokakip様。
観察力とウィットに富んだ記事、いつも楽しく拝見しております。
「アルミーダ」、暫くMetでは掛からないかもしれませんね。
フレミング様ももう「ロッシーニ歌いのスペシャリスト(某記事でこのように紹介されていました)」と誤解されることはないでしょう。
ところで、この記事の内容とは異なりますが、「プチニュース」の欄を見ていると、マエストロの降板が続いているようですね。
是非6月5日のMetデビュー40周年、日本でお祝いしたいのですが(それより興業自体があるか、ですが)。今は遠く離れた日本から回復をお祈りするばかりです。
返信する
Unknown (チャッピー)
2011-03-28 21:01:16
>今年はところどころでカットを採用しています
どの辺をカットしてますか?
最終幕はノーカットかな?

>シラグーザよりもブラウンリーの方にポテンシャルを感じるのです
確かに。2年前のチェネレントラでは、新国立のシラグーザが勝ってたと思うのですが、昨年のアルミーダでブラウンリーを見直しました。ちんちくりんな容姿が気にならない素晴らしい声と歌唱でした。
返信する
ぬーさん (Madokakip)
2011-03-29 12:55:27
ありがとうございます!

>「アルミーダ」、暫くMetでは掛からないかもしれませんね。

と思われますでしょう?ところがどっこい、それなりにお金をかけて作ったプロダクションですので
元をとらなきゃ!というわけで、2015-6年シーズンにダムラウが歌う予定があるようです。
(ただ、ここまで先になると、実際のシーズンまでに予定が変わったりすることも多いので、
あくまで現在の段階でそういう可能性がある、という程度の話に過ぎませんが、、。)

http://bradwilber.com/metfuture/

ただ、フレミングのアルミーダはこれが最後になったであろうことは間違いなく、
私はもうそれだけでほっとしております。
ダムラウなら、もしかすると面白い舞台になるかも、と思いますが、
むしろ、6人のテノールはどこから連れてくるのよ、、と、そこも気になるところです。

>フレミング様ももう「ロッシーニ歌いのスペシャリスト(某記事でこのように紹介されていました)

、、、、。誰ですか?そんなわけのわからないことを言っているのは!!(笑)
彼女がロッシーニのスペシャリストだったことなんて、一度もないと思うのですけれど!

>マエストロの降板

そうなんですよ。
結局、BSOの音楽監督も降りることになりましたし、
『ヴォッツェック』、『ワルキューレ』、それからメト・オケのコンサートに専念することを選択したみたいなんですが、
普通に考えて、二回の『ラインの黄金』を振るのが難しくなっている彼が『ワルキューレ』を振る、、、
ちょっと上演時間の長さを考えてもそれはあり得ないんじゃないかな、、、と思えて、
『ワルキューレ』の方も、全回とは言わなくても、いくつかはルイージと分け合う可能性が
大いに出て来たかもしれないな、と思います。
『ライン』にルイージを投入したのは、今後のリングの演目は、レヴァインが指揮出来ない場合、
彼が指揮しますよ、という布石かな、という風に思います。
返信する
チャッピーさん (Madokakip)
2011-03-29 12:56:44
カットされているのは全体で10分強くらい、全幕にわたっています。
本文にはあのように書きましたが、フレミングの負担を軽くする、というのが狙いではなく、
全体的に上演時間が長すぎるのをトリムするのが目的で、
カットされた場所は、彼女だけでなく、他の歌手の歌唱部分にもまたがっています。
ほとんどすべて、繰り返し部分の省略で、ドラマ的には大きなインパクトはないので、
“あ、あのメロディーが丸ごと欠けてる!”というような種類のカットではありません。

>2年前のチェネレントラでは、新国立のシラグーザが勝ってたと思うのですが、昨年のアルミーダでブラウンリーを見直しました

オペラはなまもので、たった数年でどんどん状況が変わって行きますからね、、。
ブラウンリーみたいな、すごい勢いで伸びている歌手を聴くのは非常に嬉しいことですが、
一方で、非常に短い間に、“どうなってしまったのか?”という、逆の方向に進んでしまう歌手もいるわけで、
それはやはり聴くのが辛いです。

ただシラグーザも良い歌手であることには間違いなく、
今はこのあたりのレパートリーに良いテノールがたくさんいて、幸せなことだと思います。
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