ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

ルーマニアのドラキュラ伝説

2009-07-18 | お出かけ先のナイススポット


ルーマニアのお土産物やさんでよく見かけるこのモチーフ、ヴラド・ツェペシュ公。通称ドラキュラ公または串刺し公(Vlad Drăculea / Vlad Ţepeş)と呼ばれ、15世紀半ばにルーマニアのワラキア公国を治めた方。

お父さんのヴラド2世がドラクル(Dracul=竜公、または悪魔公、神聖ローマ帝国より竜騎士団の騎士に任命されていたから)と呼ばれていて、その息子、という意味でドラクレア(Draculea=竜の息子、英語名ドラキュラ)。怖い名前が付いているけれど、人数で圧倒的に勝るオスマン・トルコ軍を、武勇と作戦で撃退したルーマニアの英雄なのです。

串刺し公とは、敵兵や罪を犯した者を容赦なく串刺しにしていったから。teapa(長い木の棒=串)を使って、串刺し。Tepesとは、人を串に刺すひと、という意味。当時ワラキアへ進軍してきたオスマン・トルコ軍は、自分たちの仲間が串刺しにされているのを見てそら恐ろしくなり、戦意を喪失したと言われています。

また、ワラキアの街の水汲み場には純金のコップが置かれていましたが、誰も盗む人がいません。それをいったん自分のものにして持ち帰りでもしたら、即、串刺し。みんな恐ろしくて罪を犯す人はいなくなったと言います。



文字どおり血のしたたる残忍さとバルカン半島スラブ民族の間の言い伝え=吸血鬼(バンパイヤ)伝説が結びついて、小説『ドラキュラ伯爵』のモデルとなりました。作者はアイルランドの作家ブラム・ストーカー、舞台はクルージ・ナポカ近郊のビステリッツァ。主人公の弁護士がこの街のホテルに宿泊し、ドラキュラ伯爵の居城へ向かったというところから始まります。



そしてルーマニアの観光名所となっているのが、ブラショフ近郊にあるブラン城。私たちが訪ねたときにも暗い雲がかかり、雰囲気、かもし出しています。



ドラキュラ城として有名ですが、この城は、ドラキュラ公ヴラド3世のお祖父さんにあたるミルチャ老公(英語名Mircea the Elder)が14世紀に住んでいたところ。ヴラド3世本人のものではなく、住んでいたわけでもなく、滞在暦があるだけ。



実際に本拠地としたのは、ワラキア領内のトゥルゴヴィシュテ(1396年から1714年までの間、ワラキア公国の首都であったところ)。現在のブカレストの北西約40キロ。



その後、1459年9月20日にヴラド・ツェペシュ公がいまのブカレストの地を都とし「Bucureşti」と名づけたのが、ブカレストの起こり。ブカレスト博物館には、この日付とヴラド3世のサインが記された文書が残っています。これにちなんで「9月20日」は「ブカレストの日」となり、毎年お祭りムードに包まれます。

ヴラドの生誕地はトランシルバニア地方・シギショアラ。1431年生れ。ここの旧市街には彼の生家が彼にちなんだレストランになっており、これも観光名所に。



小説の舞台、ビステリッツァ北東約45キロ、ピアトラ・フンテネレ(Piatra Fântănele)には、小説をヒントにしたもうひとつの「ドラキュラ城」、カステル・ドラキュラ・ホテル(Castel Dracula Hotel)があります。併設のドラキュラ博物館(入場料2レイ、09年4月現在)は、一度でいいから(=いちどで充分!)体験してみてほしいちょっとびっくり観光名所。



ルーマニアを旅しているとあらゆるところで出会うヴラド・ツェペシュ公、それだけの英雄であり、歴史上、誇れる大人物なのです。

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