prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「オッペンハイマー」

2024年04月06日 | 映画
世界は破壊された、というセリフが繰り返される。
原爆の製造によって抑止力が生まれ平和が来るといった思惑とそれをあっさり裏切る断絶にも言えると思うし、それ以前に敵味方の区別を超え人類の文明、どころか地球上の生物の生存、この星の存在すら物理的に破壊しかねないと言っても大げさではない。それがあっさりスルーされて「今まで通り」の勝つか負けるかの発想で政治家に運営されるのがいかに奇異なものか。
その一種絶対的な物理現象に片足を置き、もう片足を戦争と政治というぐちゃぐちゃした世界に置いたのがオッペンハイマーということになる。

ハーバード大学でオッペンハイマーが初めから物理を学んだのではなくてホワイトヘッドに哲学を師事したりしている(ホワイトヘッド自身、数学から哲学に移ってきたのだが)。割と後まで何やるか決めてなかったらしい。

核爆発のカウントダウンにつれて、意外なくらいの不快感に襲われた。場面としてはこれまでも繰り返されたクリシェなのだが

後半のふたつの聴聞会のカットバックで、主にオッペンハイマーとルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)との主観が時制も交錯させて激しく乱反射する。
ノーランは「メメント」の昔から「インセプション」「ダンケルク」「テネット」など主観=時制を交錯させる技法を好んでいたけれど、その一環ということになるだろう。
「テネット」など物理の法則そのものをネタではなくモチーフとして扱っている気すらする。

広島長崎の圧倒的惨禍の描写を避けているわけだけれど、吉田喜重の意見ではないが、映画には描けないことがある。熱も苦痛も映画に写りはしない。
ただ、描けないなりに迫ろうとした試みは無数にあるわけで、そういう時の人間の視点は虫の目であって神でも物理法則でもない。

ふたつの聴聞会のうちカラーで描かれる一つを奥行きのある構図で人物を不規則に配置し、モノクロで描かれる方を横に広げた整理された構図にしている対照。