prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」

2024年03月31日 | 映画
空中に巨大な宇宙船が停泊しているのだが「侵略者」がまるっきり「侵略」する気があるのかないのかわからずほとんど姿も見せないままでいるのに対して、日本人が勝手になんとなく空気に流されて重武装化しているというのはほとんど今の状況のメタファー。
「侵略者」を射殺するのも、宇宙船を撃ち落とすのも手を下すのは人間の側なのだ。これからどう展開するかわからないが、原作を四巻まで読んだ分では基本的な構図に変わりはない。

大半のシーンを占めるのは日常と非日常に片足づつかけた、半分まったりしとして半分不穏な空気感で、その中でいわば仲良しふたりが必死で「何事もない」ように過ごしている。

画面の縦横比が回想シーンになると変わって横が短くなる。
超能力を発揮するシーンで周囲のリアクションが故意に抑え気味になっている。
母船が空に浮かんでいる図は当然「第九地区」を思わせるが、もっと遡ると「幼年期の終わり」かも。




「四月になれば彼女は」

2024年03月30日 | 映画
ずいぶんややこしい構成だなあと思った。
冒頭、森七菜がボリビアのウユニ塩湖ほか海外に一人撮影旅行に行くところから始まり、佐藤健と同居していた長澤まさみが突然姿を消すという展開になる。

そこから回想に入り、といっても、森の回想なのか佐藤のなのか長澤なのかごっちゃになっているものだからかなりスジを追いにくい。大学時代の佐藤が私服で、医者になってからは白衣といった具合に区別をつけるようにしてはいるのだが。
行方不明になっていた長澤が突然帰ってきたのかと誤解するところがいくつかあった。佐藤と長澤が飽きたわけでもなさそうなのに同衾していない(だから行方不明になってもすぐは気づかない)というのもよくわからない。

ドローンを使った撮影が駆使されているけれど、海岸を真上から静止して見下ろすというのはどう撮ったのだろう。

ともさかりえに似てる人が出てると思ったら当人なもので、ますます時間感覚が狂う。
いまどきフィルムカメラや手書きの手紙を使うのだからわざとやっているっぽいが。





「コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話」

2024年03月29日 | 映画
この場合の「ジェーン」というのはジョン・ドゥに対する女性形のジェーン・ドゥ、「無名氏」と言った意味で、中絶が合法化されていない中で秘密裏に中絶する必要があった史実からとられたという。

エリザベス・バンクスのヒロインが妊娠によって心臓に負担がかかるので中絶しなくてはならないことになり、迷っていると、そこに集まった理事の医師たちは全員中絶に反対する。人の命に関わることを医師とはいえ他人が決める、母体の命より中絶を禁じている無言の強制に従うのが優先しているのが手にとるようにわかる。理事たちは全員男なものでまるっきり他人事で、夫がまた頼りにならず所在なげでいる。

そこからヒロインが住んでいる住宅地とはおよそ隔絶した場末でCALL JANEと書いてあるボロボロのポスターというかチラシを見かけ、電話する。電話したのはいいけれど相手が出たらあわててすぐ切ってしまうのがリアル。

冒頭で遠くからやってきたベトナム戦争反対デモ隊が、次のシーンではすりガラスを隔てて警官隊が警棒で激しく殴打しているのがシルエットで見える。
まだこの段階ではヒロインにとっても「社会問題」は他人事なのがわかる。

それが目隠しされて黒人女性の運転する車(タクシーではないとはっきり断られる)に乗せられてやはり場末に到着して怪しげな医者の中絶処置を受けるのを克明に描かれる。
ここで侵襲性の高い処置が施され、肉体に文字通り傷が刻まれることになる。

ヒロインには十代半ばの娘がふたりいて、すでに背丈は同じくらいなのだが多分に反抗的でもあって母親の妊娠にもやや反発しているのがうかがわれる。
あなたたちの問題でもあるのよと言いたそうで言わない。上からものを言えた立場かという感じ。

ラスト近くでニクソンの当選が報じられるのは、アメリカの保守派の巻き返しに従って中絶を禁じる州法が次々と可決されている現在とかぶる。

シガーニー・ウィーバーが中絶の世話役をつとめているわけだが、まことに頼もしい。





「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」

2024年03月28日 | 映画
若松孝二はじめ、井上淳一、木全純治と登場人物が全員実名(金本法子は在日の通名という別の事情はあるが)とは珍しいのだが、それだけ若松プロの身内で作られたということだろう。

とにかく若松孝二のキャラクターとそれを演じた井浦新が魅力的。
怒りと反抗を抱えた監督としての資質とプロデューサーとしてソロバンを弾ける実務能力と、局面によって違う面がくるりくるりとシームレスに変わる。
スタッフたちの紙コップにも名前書かせたものだから「ケチ」と自分の紙コップに落書きされたというエピソードを思いだした。
それで結果として新人監督を世に出すことになるのが可笑しい。ちょっとロジャー・コーマンを思わせる。

新人をほったらかしにするのかと思うとでしゃばって自分が演出してしまったりと、撮影現場だけでなく若松プロとそれにまつわる人間関係全体を演出しているとも言える。

井上淳一が育ちがよくて若松とは対照的に怒りや反抗といった資質がなく(まあなんと理解のある両親、特に父親であることか)それが逆に負い目になったりしている。
在日だと名乗るタイミングが重くならないのがスタッフキャストがかぶっている「福田村物語」とは対照的。




「流転の地球 太陽系脱出計画」

2024年03月27日 | 映画
地球に宇宙から危機が迫ってきたのなら地球の方を動かせばいいって、「妖星ゴラス」じゃないの。
のみならず地球がそのまま軌道を外れて太陽から離れてあさっての方をさまようって、気候はどうなるのだろう。とにかく大風呂敷を広げるだけ広げている感じ。代わりにセットや大群衆、VFXなどは手をかけるだけかけている。

この本筋に加えてアンディ・ラウの小さな娘が交通事故で生死の間をさまよい、いつの間にかモニターの中でしか存在しなくなる、生きているとも死んでいるともつかない状態になる。
若い姿になったラウが娘と一緒にいる部屋は「2001年宇宙の旅」を思わせる。

世界から集まってきた宇宙飛行士たちの50歳以上が志願して月に出撃していくあたりのヒロイズムは、こういうのは世界共通なのかなと思わせる。
ちなみに日本人や東京はごく軽い扱い。

「三体」の原作者である劉慈欣(リウ・ツーシン)の短編「流浪地球」が原作だが、短編をもとにして長大な三部作(これは第二部)を作ろうという発想がすでに稀有壮大。

それにしても、主演のひとりのウー・ジンが製作監督主演した「戦狼」シリーズがいつの間にか二作目で立ち消えになったのはどういうわけだろう。三作目の予告編が二作目のラストについていたのに。





「デューン 砂の惑星 PART2」

2024年03月26日 | 映画
砂の映像がフラットで荒漠としていて、しかしよく見るとマチエールが稠密だから巨大感が出ている。これは大画面でないとわからないと思う。

押井守がPART1について「スター・ウォーズ」あたりでは宇宙船に細かい凸凹をつけて巨大感が出しているのに対して、のっぺりしたデザインながらデジタル処理でノイズをかぶせてそれに替えていると指摘しているのになるほどと思ったのだが、砂漠の映像もそれに類する処理をしているのではないか。

サンドウォーム登場シーンは人間→巨大なウォーム→さらに巨大な砂の大地という三段構えの画作りをしている。
ウォームに人間が取りついて手綱をとっている図はデヴィッド・リンチ版でもやや不自然に思えたが、ここでも完全には払拭できてはいない。ウォームが手綱をとりきれる大きさを超えている。

リンチ版はムリに縮め過ぎていたし、テレビシリーズ版は画が物足りないと、帯に短し襷に長しの感があったが、今回のはまず満足。





「FLY! フライ!」

2024年03月25日 | 映画
原題はMigration(移住)。
渡り鳥の一家がそれまでの狭いが安定した生活を離れて冒険の旅に出る話だが、一家の中でも立場によってかなり態度が違い、妻子の方が積極的で夫はぐずぐずしていたりするのが逆みたい。

空のロードムービーみたいなかなり緩い構成なのかと思っていると、途中から急激に緊迫するチェンジ・オブ・ペースが面白い。そのあたりに人工的な背景と道具立てを持ってきていて、自然の風に乗る(宮崎駿みたい)描写にはさまれている。





「こいつで、今夜もイート・イット アル・ヤンコビック物語」

2024年03月24日 | 映画
ダニエル-ラドクリフがアル-ヤンコヴィック役をやっていて両方とも知名度は高いにせよかなりあり方としては微妙なせいか日本では劇場未公開。

かなりエピソードに虚構というかウソというかホラが混じっているのは替え歌というヤンコヴィックの持ち芸に対応したものと考えていいのだろう。
この映画の脚本自体、ヤンコヴィックと監督のエリック・アペルとの共同。

ハリー-ポッター以後のラドクリフがかなりキッチェな持ち味が輪をかけることになる。





「不思議の国の数学者」

2024年03月23日 | 映画
数学でリーマン予想を出すのは大風呂敷が過ぎはしませんか。何百年にひとつという超大物の証明問題ですよ。

カメラワークがかなりフワフワ気味。
黒板に書かれた数式越しに俳優を撮る(つまり数式がガラスのような透明な上に乗っている按配になる)あたりなど、数式を面白く見せようと腐心しているみたい。

チェ・ミンシクが今回は警備員に身をやつした脱北者役で、北から南に渡る越北者というのもいるのを知る。

最初の方で鶏が三度鳴いて云々というのはキリストが使徒に言うセリフで、今さらながら韓国がキリスト教国であるのがわかる。

バッハを音楽の父と言い、ヘンデルを音楽の母というのは韓国でもそうなのかと思った。

数学では(というより学問では)問いが正しく立てられているのが重要で、俗っぽい数学教師が出題者に媚びて正しく立てられていない問いでもとにかく答えてテストの点をとるのを優先させろと押し付けるのに反発するのはごもっとも。
このセリフが全体の肝になっている。




「変な家」

2024年03月22日 | 映画
原作は読んでいない。
ユーチューバー間宮祥太郎が家の見取り図を見て、なんでこんな隙間みたいなスペースが必要なのかと疑問に思うところから始まり、建築家?佐藤二郎がここは抜け道になっていてここは上げ蓋になっていて、全体としては人を殺すための家だと結論付ける。このあたり、飛躍が過ぎやしないかと思うが佐藤の柄で持たせてしまう。

初め舞台が現代の一戸建てで、若夫婦が建てるにはいやに立派だと思っていたら時代がいつの間にか時代設定が遡っておどろおどろしい道具立ての田舎の家になる。
田舎の方が広い間取りになるから都合がいいと判断したのか知らないが、これまた飛躍が過ぎる。

クライマックスからラストにかけてバカ丁寧過ぎてなかなか終わらない。もうちょっとスパッと終わらないものかな。




「DOGMAN ドッグマン」

2024年03月21日 | 映画
ベッソンらしいなと思うのと、むしろ良い意味でらしくないかなと思うのと両方だった。
ギャング団との闘いで「ランボー」シリーズばりのゲリラ戦になるのは、らしいところ。
主役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズは初恋の相手が結婚していて(このがっかり感)あっさり女優を引退してしまうあたりから性的な興味がなくなったらしく、いわゆるドラッグクイーンなのだけけど、むしろアセクシャル(無性愛)に近い。
人の代わりに犬が、それも大勢の犬が支えになる。

ステージでエディット・ピアフを影歌で歌うところは歌の内容と演者の個性と車椅子からムリに立つ危なっかしさとが一体になってスリリング。





「RED SHOES レッド・シューズ」

2024年03月20日 | 映画
「赤い靴」といったら真っ先に思い出すのは1948年製作のマイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー製作監督脚本のバレエ映画の大古典で色彩撮影のエポックメーキングなのだが、これはまあ関係ない。というか、今度検索してみてアンデルセンはともかく韓国ドラマに同題のがあるのを知った。

これはオーストラリア製で主演のジュリエット・ドハーティは米国最大級のバレエコンクール、ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)でゴールドメダルに輝き、他にも全米芸術文学協会(NSAL)、北京国際バレエコンクールでの受賞など輝かしい成績を収めているとのこと。 出演者全員が当然ながら踊れる。というよりバレエの実力者をキャスティングしたわけで、オーストラリア映画のせいかどうかアメリカともヨーロッパともテイストが違う。

ヒロインが憧れていた姉の訃報を受けて踊れなくなり、生活が荒れて万引きしてしまい裁判所で社会奉仕活動を命じられ、通っていたバレエ学校で清掃の仕事につくというあたりからこういうとなんだが、キツめの美形(オリヴィア・ワイルド似)な割りにもっとダサいというか素朴な作り。

音楽もおよそ高尚なというか気取った感じはない。





「マッチング」

2024年03月19日 | 映画
マッチングアプリから始まる話かと思ったら、そちらはあまり発展しないでおどろおどろしい因果話になってしまう。

土屋太鳳扮する結婚式を取り仕切るマネージャーが自分はてんで婚活が実を結ばないものでマッチングアプリを使い始めるのだが、果たせるかなさっそくストーカーが釣れる。

いくら同僚のおせっかいで半ば偶然で始めたにせよ、最低限メールくらいブロックしないのかなあと思ったのだが、この後細かくは言わないがますます不自然な展開になる。

特殊清掃人という自殺や殺人などで出来た痕跡の後始末をする、それこそ特殊な仕事が出てくるのだが、扱いがどうも軽い。





「コヴェナント 約束の救出」

2024年03月18日 | 映画
covenantというあまりなじみのない言葉を辞書でひいてみると、約束、盟約、合意、協定と同時に、聖書における神とイスラエル人との契約 といった例が出てきて、この場合アメリカ兵とアフガニスタン人通訳との間のそれなのだから、どこかずれている。簡単にわかったような気になってはいけないのだろうが。

アフガニスタンとカンボジアの違いこそあれ、アメリカから見た異文化と罪障意識という点で「キリングフィールド」とモチーフがかぶる。どこか「わかっていない」感じがするところもそう。





「ARGYLLE アーガイル」

2024年03月17日 | 映画
シリーズものの小説を書いている小説家の描くキャラクターが画面として描かれて交錯する趣向というと「アンリエットの巴里祭」とそのリメークの「パリで一緒に」、それから「おかしなおかしな大冒険」などと古くから連綿として続いているわけだが、その手の込み方とくるりくるりと転換するシチュエーションの密度はまあ大変なもの。
一体、どのように展開してどのように落ち着くのかさっぱり読めない。

スローモーションを多用して華麗なバレエのように振り付けられたアクションが魅力。
ヘンリー・「スーパーマン」・カヴィルの整いすぎた容姿が作り物っぽすぎて可笑しい。