prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「影裏」

2020年02月29日 | 映画
何度も描かれる釣りの場面のように一見穏やかな水面下で何かが蠢いている、といったサスペンスはある程度醸成されているが、松田龍平のキャラクターがまとわった影の濃い部分といったものと共に綾野剛の隠されていた部分が明らかになってくる方も影の裏というねじれた構造。

物事の間や裏を想像させる演出は野心的だが、ストーリーの方が追い付いているとは思えず、やや不完全燃料の感。




2月28日のつぶやき

2020年02月29日 | Weblog



「1917 命をかけた伝令」

2020年02月28日 | 映画
フィルム時代にはカメラに装着できるワンロールに10分ぶんのフィルムしか詰められなかったので、ヒッチコックの「ロープ」から、相米慎二の「雪の断章」、デ・パルマの「スネーク・アイズ」まで10分を越すカットは黒味を入れたり目の前を横切った物でつないだりして擬似的なワンカットに見せていたわけだが、デジタル時代になって正真正銘の10分以上のカットを撮れるようになつた。

アルフォンソ・キュアロンの「トゥモローワールド」ではデジタル技術で別々のカット素材をシームレスにつなぐことが可能であることを広く示し、今ではありふれた技法にすらなっている。

で、この全編ワンカット「1917」はもちろんデジタル撮影されているのだが、カット素材のつなぎ方は案外古典的な黒味や横切る物でつないでいる方法を採用しているように見受けられる。

伝令兵が進んでいく長い長いノーマンズランドの視界に入っていっては消えていくおびただしい泥濘、腐乱死体、ネズミやカラスといった動物、それらの積み重ねのがワンカットに凝縮されている壮観と悲惨。
撮影はもちろんだが、この背景をトータルで現出させたプロダクションデザインと総技術陣の偉業。

第一次大戦全体からすれば比較的小さな地域も、個人が走破するとなると、しかもいつ見えない敵の視界につかまり銃撃の対象になるかわからない状態では途方もない広がりと重みを持つ。

主役には地味めの若手を使い、ところどころにイギリス演技陣の現代の重鎮たちを配してそれぞれに演技的見せ場を提供する憎さ。




2月27日のつぶやき

2020年02月28日 | Weblog


「37セカンズ」

2020年02月27日 | 映画
37秒出産時に酸欠になったために脳に障害を負った女性が性に目覚めるというか映画なのだが、場面とすると男子中学生と母親みたいなエロ本や大人のオモチャを隠し持っているのが見つかるといったシーンを含む、親離れ子離れのドラマにもなっている。

障害者に対する差別をあからさまに描く場面というのはないのだが(それがいけないことだという教育はさすがに世間一般に行き渡ってはいるだろう)、目に見えない差別、健常者が少しづつ引いていたりしれっとした顔で利用したりしているというのか、どう応対していいのかわからずおそるおそる相対しているのが、される側とすると息苦しい感じになる微妙なニュアンスが出ている。

終盤やや唐突に日本を離れる展開になるのだが、パスポートいつとったのか気になった。
強いて日本を出なくても成り立つ話ではあるのだが、この国を出ないとある種の閉塞感は一時的にも払拭しずらかったかもしれない。




2月26日のつぶやき

2020年02月27日 | Weblog

「プロジェクト・グーテンベルク 贋札王」

2020年02月22日 | 映画
漢字の題名は「無雙」(無双)=並ぶ者なし。

これがダブル、あるいはトリプルミーニングになっていて、贋札作りの話でもあるので本物と贋物、さらには人の本物と偽物が対立して唯一性が揺らいでくる話にまでなってくる。

「インファナル・アフェア」の脚本のフェリックス・チョンらしいとも言える。





「魔術師」

2020年02月21日 | 映画
一座はメスメル(黒沢清監督のCUREではメスマーとして登場)の「動物磁気節」を使う魔術とも科学ともつかない怪しげなのが面白いところ。

マックス・フォン・シドーの座長がセリフがない。
クライマックスであの長い顔が迫ってくるのは相当コワい。

冒頭の登場人物が揃った劇的な緊張感に富んでいる取り調べ場面から、それぞれのキャラクターに分かれて楽屋裏的な感覚に移行したシーンを積み重ね、また魔術をやってみせるところで集結し、大きく芝居を盛り上げる構成の妙。

女たちの色目の使い方が凄い。




「キャッツ」

2020年02月20日 | 映画
人間に毛を生やしたヴィジュアルはデジタル技術を使えばこういうことが出来るのだよと調子に乗りすぎた感じ。

ダンスシーンも脚の長さを生かした振付で、猫のはずが人間っぽいプロポーションなのがかえって変で、何かいちいち計算がずれている。

ストーリーらしいストーリーがなくずうっと音楽で運んでいくのは結構生理的にキツくて、ドラマ場面とミュージカルナンバーの緩急とか流れというのは大事なのだなと改めて思った。

かなりキャッツシアターという箱の仕掛けと結び付いたアトラクションという性格が強くて、そこから離れるとどうも妙な見世物ということになってしまう。






2月19日のつぶやき

2020年02月20日 | Weblog
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「バッドボーイズ フォー・ライフ」

2020年02月19日 | 映画
ヒット作はいくら時間が経っていてもリブートさせるというのが最近は珍しくなくなっている。


誰でも知っているような映画となると限られるし、公開時に見ていない客も予習でも復習でもビデオや配信で見られるという保証もあってか、まあどう延命するかに眼目が移った感がある。


「インディ・ジョーンズ」シリーズにしてもそうだが、どう代替わりあるいは跡継ぎを用意するかというややこしいといえばこれ以上ないややこしい課題に取り組むことになる。


アクションシーンやバディものの定型のやりとりは、まあ定型通りにやっておりますという他ない。

その上でどう続けるか、リーサルウェポンばりにバディの異なる性格に合わせて実作でマーケットリサーチしているみたいな感がある。









2月18日のつぶやき

2020年02月19日 | Weblog


「犬鳴村」

2020年02月18日 | 映画
一家の人間関係がどうなっているのか、それほど複雑でもなさそうなのにキャスティングの年齢配分もあってかなり掴みずらい。

照明がさりげないけれど見事で、暗い場面がホラーだから当然多いのだが、背景が暗いながらはっきり見えて、懐中電灯代わりのスマホのライトの明るさとのバランスもとれている。

同じ東映の「犬神の悪霊(たたり)」みたいに犬と人間との交わりみたいなものを暗示してはいるのだが、中途半端。

考えてみると公衆電話の呼び出し音というのは聞いたことなかったけれど、本当にああいうのだろうか。
今では現役とはいえかなり古めかしいものになっているが、黒電話ほどムードはありませんね。

ワンカットの中で二つの時制がシームレスにつながる、かなりアートフィルム的な技法は今では珍しくないが、精練された使い方。

高嶋政伸が名家の家長の権威意識丸出しの役というのは意外だったが、考えてみるとこの一番の仇役がどうともしないのは物足りない。一番祟られるべきキャラクターではないか。

三吉彩花が見るともなく視界の隅で見えてしまう幽霊の表現はいかにもJホラーっぽく堂に入っているが、結局本筋とは関係ないというのはどんなものか。

呪われた映像はやはり古めかしくぼやけたフィルムが似合う。

製作委員会のメンバーに全日本プロレスが入っているのにあれまと思う。




2月17日のつぶやき

2020年02月18日 | Weblog



「ジャック・ドゥミの少年期」

2020年02月17日 | 映画
ジャック・ドゥミとアニエス・ヴァルダ、夫婦で映画監督というのも珍しいが、最後まで別れず一緒でしかも作風が全然違うというのが面白い。
全然違ったからプライベートでうまくいったのかもしれない。

アニェス・ヴァルダはフェミニストとしても有名だけれど、フェミニストであることと男を愛し一緒に居続けることは矛盾しないことを示した。

ドゥミの晩年の姿の実写と少年時代の再現映像、ドゥミの監督作品の抜粋が交錯する構成だが、それらが対立することなく総体としてロマンチストと音楽好きとしての顔にまとまる。