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北海道は・・・2018-10-07&2020-06-19 

2022年06月30日 | 地震に関わる事々

昨年あたりから・・・

自宅近辺はもとより

出かけたところ、出かけたところ

えらいことになっている。

 

直接出かけたというばかりではないが、

え?地震?この間通ったところ・・という具合で・・

 

その中でも

北海道はちょい、ショックだった。

函館でも大雨にふられてしまい

ビール館から、かえってくる途中

傘などやくにたたない・・大雨に振られた。

タクシーの運転手さんは

ここ2,3年前から

北海道に梅雨は無い・・というのが、嘘になってしまうような

変な天候で・・

と、言っていた。

 

死ぬまでにもう1度北海度にいきたいと思っていたが、

ありがたく、仕事がまわってきて

同伴をきめた。

 

しかし・・・

正直を言うと、外国人(アジア系)がおおすぎて、

商店街にはいって、買い物をしたり

路地を歩くだけで、

よくわからない言葉をかけられる。

外国人にまちがわれるといっていいか。

「あの?何を言っているのか、判らないのですが」

と、いう、こちらの日本語に

商売人さんが、「ああ、日本人か」という顔を見せる。

それくらい外国人がおおくなり

むこうでは、流行なのか?

ちょっと、日本の若い女性は引くわ~~という派手な格好のおねえさんがいたり

特徴のなのか、無茶苦茶大声ではなしたりしてる。

「やかましい」とおもわず口から出ても、通じないので

気にもせずしゃべり続けている。

 

なんだか、北海道にいったというより、

外国人をみにいった・・という気分になっていた。

 

まあ、別に北海道にかぎったことではないのだろうけど・・・

一昔前、日本人がハワイに押し寄せたときもそんなものだったのだろう。

 

だが・・

どこかで、危惧があった。

ある程度の観光整備は良いと思うが

観光に依存しきってしまったら、

街が売り物になってしまう・・

うまくいえないな・・・

漠然とおもっていたことだったが

今回の地震頻発でそこが、判った気がする。

確かに、観光でなりたつのは良いが

成り立たない事態になったとき、

復興すればよい・・けど

何度も被害が起きたら

観光というものが、砂上の楼閣のようにもろいものではなかろうか?

なにか、それに依存しきらないでおける「町つくり」も

考えていかなきゃならないのだろう・・・

そんな気がしていた。

 

そういう意味では、旭山動物園

(これは、最初に行ったとき、開園時間よりはやすぎて、入園しないまま帰ってきた。

それも、あって、いろいろな創意工夫を施し、話題にもなっていたし・・

心残りを一掃したくもあり・・行ってきた)

もともと、観覧目当てというのが動物園だし

よりよく見せられる・・という方針が良いと思える。

 

観光客目当てというより

あそこにいったら行ってみたいと思わせる努力による。

なにか、外国人がごった返している中にぽつねんと立たされた気分というのが、

古臭い日本人の感じ方でしかないとも思うのだが

なんだか、一方でものさびしい気分を味わう。

 

それは、最初の北海道での出来事で感じたものに似ている。

摩周湖の遊歩道あたりで・・・

野鳥(シジュウカラとか・・)がほんの近くにとんできて

枝にとまったりしていた。

立ち止まって、そっと、小鳥を眺めていた。

すると、そこに、シマリスがあらわれた。

じっと、たちつくしながら、そっと、カメラにてをのばし

ゆっくり、カメラをもちあげ‥と、撮影準備にだいぶ、気をつけていた。

そこに、むこうのほうから、

「あ、リスがいる~~~♪」と、大きな声をだしながら、どかどか走ってきてカメラにおさめようとするカップル。

あっというまに、リスがいなくなってしまった。

「・・・・・・」

 

自分だけの観光地でもあるまいし

がっかりするのは、おかしいのだろうが

一種、傍若無人な振る舞いに思えた。

 

こういうのに、似た思いがわいた。

「見世物」があり「物見遊山」で、見に来て・・・

函館山のレストランでは夜景をみようと

窓際の席をじんどったものが、いつまでも、追加注文をして

その席に座ったまま・・

(あるいは、ゆっくり食べるとか)

判らないでもない。

そんなにちょくちょくこれないから、

そんなチャンスはたっぷり味わいたいだろう。

 

だけど、夜景を見ようという前に

ちょっと、人間の狡さ、独占主義?を見るだけになっているようで

それで、やっと食事にありつけたとしても

その夜景をたのしめるだろうか?

いや、取れぬブドウは酸っぱいのイソップの狐ではないつもりだが・・・

 

かなり待ったが、途中で順番待ちから抜けた。

 

なにか、こういうどこか、殺伐とした思いがうめられてしまう気がして

観光地として、なりたったとして、

「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 倭し 麗し」

と、読まれるような「まほろば」=心地よい場所になりえるのだろうか?

Jump to search

まほろばは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。「まほらば」「まほらま」「まほら」ともいう。

 

そして、どうやら、今回の地震で被害にあった札幌の住宅を背景に

記念撮影をしていく輩まで、でてきているという。

観光を売り物にしてしまった以上、

その観光地に訪れる観光客の恣意のままになるのは、当然の結果と言ってしまえば

それまでだが

観光を売っても、人の心まで売り物にしてはいない。

 

代理も時折、audioのことで、

客もメンテナンス屋を選ぶことができるが

メンテナンス屋(当方)だって、

客を選ぶことはできる。

例えば、初期依頼においてohしないなんてのは、断る。

 

それとおなじように、

観光客も観光先をえらべるけど

観光先だって、客をえらびたいだろう。

安売り扱いにならぬ「観光」の在り方もかんがえなきゃいけないんだろうね・・・

 

********

2020-06-19 

2年前の懸念だったが・・・

3年前の

北海道、観光地の真ん中でさえ(TV塔あたり・・・)

空き店舗がちらほらあった。

その時思ったのは、外国人観光客相手に対応できない商法?商売類?で

観光客相手では逆になりたたなかったか?

と、その時の情勢の怖さ?みたいなものを思ったが

先にかいたように、では、何かあった時

観光依存になりすぎていたら、これも怖いのではないか?

と、いうことだったが、

コロナにより、それが、現実になったきらいがある。

昨年も高橋、北海道にいったが・・・

3年前でも、すでにあやしかったのが、

1年前はもっと、

「烏賊」スルメイカが激減していた。

これは、ある盗賊団wwの取り放題によるものだったけど

盗賊団の裏事情もむごいものがある。

観光は

けして、日本だけの「事情」で、なりたたない。

 

観光客側に余裕や余暇があって

観光もなりたつ。

観光客側の「懐」次第のところがあるぶん

観光客が来れ無くなれば

接待側は、自然淘汰?がはじまってしまう。

生き残り商戦・・などという生易しいものでなく

「必須」にちかい「売り物」を持たざるを得なくなる。

 

今後、どのようにコロナ(その後の悪疫も含め)とむきあうか、

地震などの自然災害も想定したうえで

「必須」にちかい売り物・地盤を開発?していく「過渡期」にはいってきている今を思うと

2018年の感慨など、まだまだ、甘いものだったと思える。

 

 

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