森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2006年8月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ||
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | ||
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | ||
27 | 28 | 29 | 30 | 31 | ||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
安倍の憲法観またはチョムスキーの歴史認識
辺見庸との対談のなかで二人の話は安保条約に及ぶ。ちょっと長いがしばらくご辛抱を(チ:チョムスキー、辺:辺見)。
チ:日本がすることになった賠償は、アジアに物品を送ること。日本にとっては万々歳です。資金は結局アメリカが賄ってくれるからです。しかしもちろん、アメリカには支払いをしなければなりませんでした。占領経費やその他の犯罪のつけをアメリカに支払う。アジアの人々には支払わない。アジアに対しては何も提案されませんでした。それは日本が、誰もが知るところの真の戦争犯罪人である天皇のもと、以前のファシズム体制を復活させて国家を再建しようとしていたからです。それも、アメリカの派遣の枠組みの中で。
辺:同時に締結された日米安保条約とともにサンフランシスコ体制という、日本の対米盲従構造をつくりました。これが今日もつづいている。
チ:日本はその状態にいたく満足していました。それで富を蓄積することができたからです。日本の戦後復興はこのようにして成された。日本はそこを見つめる必要があります。だがもしも憲法を変えるというのなら、たしかに由々しいことではあります。しかし50年にわたってアジア地域での戦争に貢献してきたことに比べたら、ささいな問題です。
さすがに、辺見はこのあとすぐに「我々にとってはささいではありません」と切り返している。 (引用は、ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』:集英社新書)
長々と引用したのは、チョムスキーが前段で語る戦後日本のデリケートな時期の、日本と、そしてアメリカの時の権力の狙いを、胸がすくように明快に語っているからである。この論脈に私はほとんど賛成する。そして、日本にとって重要なこの戦後の一時期に関する安倍の理解が、チョムスキーと比べると何と痩せ細っていることか。「頭は体を表す」?
安倍は、日本国憲法を敵視し、その改定を視野にいれている。その出発点は、有名になった恥本の憲法前文にたいする攻撃だ。
曰く、
憲法前文には、敗戦国としての連合国に対する“詫び証文”のような宣言がもうひとつある。《われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたい》という箇所だ。
「褒めてもらえるように頑張ります、という妙にへりくだった、いじましい文言になっている」と受け取るのが安倍の読解力だ。
チョムスキーの先の歴史認識と比較してもらいたい。チョムスキーの認識は、東アジアの、欧米の、そして世界の認識であろう。日本政府の認識はほとんど世界各国からそっぽをむかれ、その結果が日本の外交にも表れている。
憲法にたいする安倍の理解は注意を要する。靖国参拝問題では、なるほど安倍は追及の矛先からうまく逃れてしまった。しかし、憲法にたいする安倍の認識は危険であるとともにアキレス腱にもなりうると私は考えている。
軽佻浮薄ぶりは大いに嗤って余りある。しかし、そのことを自認できない男だから危険だともいえる。いまこそ大いに嗤い、嗤いつくす。これである。
付言しておくと、ノーム・チョムスキーのすべてを私は評価しているわけではない。引用にある辺見の指摘にあるように、たとえば日本国憲法をかえようとする動きにたいするチョムスキーの認識は甘いといわざるをえない。
2016年オリンピック招致に敗北 -問われる市長の責任
2016年オリンピック国内候補地は東京都に決まりました。
その選定委員の投票結果は、東京33票、福岡22票というものでした。
◆候補地選定の裏側
この結果について、知人の地方議員は「調整済みだな」と私に語りました。どういうことか。すでに日本オリンピック委員会で東京都と福岡市への票の配分がされているというわけです。そのまま受け取るかどうかは別にして、そんな裏の取引も想定にいれるに足る事実もあるようです。
たとえば、『週間ポスト』(9月8日号)はJOC幹部への接待について報じています。福岡市が「票獲り合戦」の裏工作をやったということについて記事は書かれています。
7月上旬から中旬までJOCの現地調査がおこなわれた。福岡市はこの機会を逃さなかったというわけです。
『ポスト』誌によれば、吉村招致準備事務局長らが接待にあたっています。そして同誌は、市の招致推進部局の対等者だけでなく、こうした接待に、民間企業や県および市のOBが出入りしていることを指摘しました。
◆JOC都市選定に係る行動規範
別のエントリーで紹介したように、JOCには行動規範があり、「接遇」についても定めている。『国内立候補都市選定に係る行動規範』第4項、同第5項を再掲しておきます。
4.本会(=JOC、引用者)及び各加盟団体とも、各都市関係者または代理人など第三者による個人的な接触によって誤解が生じないように配慮するものとする。
5.本会、各加盟団体関係者及び招致TDの現地調査などの際に、各都市関係者、または代理人など第三者による必要以上の接遇がないよう徹底する。
これらの接遇等を含め『現地調査に関する基準』について別途定める。
同誌によれば、先にあげた吉村氏はこの「行動規範に反するとは考えていない」と主張しています。また、県OBの別人が全額接待を受けたことを認めているといいます。
行動規範にこんな条項の規定があるということは、かつてこの条項にやってはならないと定めているような、好ましくない実態があったことを示しています。さらに、『ポスト』誌の指摘の真偽は私には明らかではありません。しかし、それと疑われるような事実があったことは確かなようです。
JOCもIOCもその金権、腐敗の体質が常々、指摘されています。要するに、オリンピックの招致には接待というのがあるものだという認識が、接待する側も、接待される側にも暗黙の了解としてある。今回の記事は、こんな了解があるからこそ、スクープとして存在しているのではないでしょうか。
◆市民の意思を問わなかった市長の責任
福岡市民にとって、山崎市長が「突然、手をあげた」ことによって、当然予算化などされていないで、使われてしまったお金、そして、06年度予算として計上されていたとはいえ使われてたお金。これらはすべて税金ですから、山崎市長の責任はまさに重大です。
市民に賛成か反対か、その意思確認もついにせずに、多額の招致費用がまさにドブに捨てられたのです。だから責任は重い。
その上、彼が金科玉条のようにふりかざしてきた議会の招致決議は、先の招致反対請願署名の審査の段階で、実体として否定されたというのが管理人の考えです。だから、山崎市長は審査が終了した段階で少なくとも招致を撤回すべきだったと私は思います。
いずれにせよ、山崎市長はその責任を議会においても問われることになるでしょう。
2016年オリンピック 国内候補地に東京都
管理人は福岡市の応援集会にも、「福岡オリンピック招致に反対する会」の集会にも参加しました。その報告を紹介します。
2016年オリンピックの国内候補地が東京都に決まりました。当然の結果だと思います。
推進側は市役所1階に会場を設け、応援集会をテレビ放映も交え開きました。しかし、投票結果が知らされる時間が近づくにつれて、会場は「福岡オリンピック招致に反対する会」の人びとで埋まり、結果が知されると、「反対する会」の皆さんから大きな歓声と拍手が沸き起こりました。一方、推進派はしばし沈黙、明暗を分けた格好です。動員された市職員からは苦笑さえもれていました。
この結果を私は当然とのべましたが、これは招致反対の意思を山崎市長につきつけた市民のみなさんと「反対する会」のみなさん方の署名運動が反映された結果です。おそらく「反対する会」のみなさんほど、議会を動かした、市政を動かしたと実感した人はないのではないかと私は思います。「反対する会」の、たとえば13万を上回る署名にはまさに市民の強い反対の意思が示されています。山崎市長は結果的にこの強い市民の反対に勝てなかったのです。
しかし同時に、市民のみなさんの強い反対を結果として、今回の場合、福岡落選という形に実らせるには、今回の署名のように、市民のみなさんの運動が必要だと私は思います。局面を少しずつ、一歩一歩前にすすめていくのは市民のみなさんのこうした実践です。今回も、13万の署名がなければ果たして東京都が選ばれる結果になったかどうか、疑問です。それだけ「反対する会」の招致反対署名の果たした役割は大きいと、私は率直に思います。まさにこれまでの歴史のもとに打ち立てられた市民運動の1つの道標を築いたと思います。
市長である山崎広太郎氏の責任は重大です。
彼は、議会の招致決議を金科玉条のごとくふりかざし、市民の声には一切耳を貸さなかった。この行政手法は決して市民に受け入れられないでしょう。なぜなら、彼自身が「市民派」を名乗り当選したのですから。「反対する会」の署名運動のなかで、市民から返される言葉は「市長はウソつき」「裏切った」という強い声でした。
その証文としてきた決議さえ、8月11日の請願審査で事実上、否定されたのですから、あらためて9月議会で市長の責任が問われなければなりません。私は、山崎氏は辞任するに足ると率直に思います。少なくとも市民の意思のありかを確認した上で五輪招致をしないという英断を下した札幌市長とは天と地の差であるといえます。福岡市民はこの意味で「恥ずかしい市長」をかついでいることになるのです。
いま1つは請願署名は「継続審議」という8月11日の結論になっているわけですが、これをきちんと採択させる課題が残ります。採択しなければ、理屈の上でも不自然です。与党会派、それから態度変更した民主・市民クラブなどの責任も追及されなければならないと思います。
さらに市民にとって、開発優先の市政と今後許すのかどうかも問われます。福岡市政をめぐる問題は月並みの表現だけれども、まさに山積していると考えられます。
「福岡オリンピック招致に反対する会」の見解はこちら。
保守総結集・党内翼賛化ねらう安倍晋三
ポスト小泉の争いは、小泉の靖国参拝によって露が払われた感がする。つまり8月15日以後、自民党のなかは一路、安倍お坊ちゃん首相にむけて全体が動いているような気がしてならない。『週間ポスト』(9月1日号)はそのあたりの事情を伝えている。
『週間ポスト』(以下、ポスト)の結論はおよそつぎのように要約できる。
この間の「小泉改革」のねらいが、旧経世会(現在の津島派)からの利権の奪取、具体的にいえば「中国利権」の奪取にあったというのだ。これまで「中国利権」を旧経世会が牛耳ってきていた。『ポスト』によれば、これまで対中ODAは経世会の「金城湯池」であったという。
『ポスト』誌は、森派が道路、郵政、そして厚生年金と旧経世会から「利権」を奪い取ってきたという。その上で、つぎにODAの奪取にねらいを定めていると分析する。
森派の筋書きは、対中援助を打ち切るというところにある。
小泉の参拝をきっかけにした対中関係悪化を口実に、対中ODAの大部分を占める円借款を2008年でもって打ち切る方針だ。この間の経過を「現代中国ライブラリィー」はつぎのように伝えている。
町村外相(=当時、引用者)も、北京五輪が開かれる2008年度をめどに新規供与を終了する方針を表明、李肇星外相と合意している。3月29日、2004年度円借款の交換書簡署名後、武大偉・外交副部長は「円借款について日中双方は2008年の終了に向け努力を続ける」と述べ、円借款の「有終の美」を飾ることで両国が一致した。
打ち切ってしまえば、経世会も締め出しをくらうというものだ。要するに小泉らの政治も、対中援助など外交カードを手玉にとって派閥の利権を争うという意味で旧態依然としている。安倍のいう『美しい国』とは所詮、この程度のものだ。
もう一つの面からみればーむしろこの側面にこそ注意を要する-、このように党内の他派閥の利権を奪い取ることは、事実上の党内の翼賛化を図ることに等しいということだ。
つぎにあげる自民党の動向は、こんな動きと合致するものといえそうだ。
安倍晋三が29日、以下のとおり、ポスト小泉政権で憲法などを清算すべきだとの立場を強調したという。(『赤旗』)
戦後61年が経過した。真の意味で戦後レジューム(体制)から脱却を図らなければならない。
自民党総裁は憲法改正を政治スケジュールに載せていくためのリーダーシップを発揮しなければならない。
このように憲法改定に執念をもやす安倍は、教育基本法についても「次の国会でも当然議論されていく。しっかりと教育基本法を変えていく」とのべている。
安倍はまた、こんなことを語った。
「戦後世代に属するものとして、戦前戦中生まれの鍛えられた人々とともに、また国のために尽くしたいと願う若い諸君とともに国づくりにがんばりたい」
恥本とまったくかわらない。安倍のいう「美しい国」とはこんなおぞましいものだ。
◆「対中ODA」
外務省資料によれば、03年度末までの貸付限度額の累計は約3兆472億円に達する。このうち貸付実行額は約2兆964億円、これらにたいする償還額はは元利計で約9401億円だという。
いうまでもなくODAは、円借款、無償資金協力、技術協力からなっている。因みに外務省の調べでは上記の円借款のほかは、以下の実績になっている。
無償資金協力; 約1,416億円
技術協力: 約1、446億円 いずれも03年度末までの実績
ふりかえってみると、日中国交回復以来、巨額なODAを中国に供与してきたということになる。ODAは、大平首相の訪中以来、対中経済協力として位置付づられてきた。その際、だれもが考えることは、この巨額のカネに政治家が群がる姿である。
だが、同時にODAの現状は、右翼的潮流を刺激し、こんなにも支援が必要なのかという不満を掻き立て、小泉政権は実際、従来からのこうした批判を理由にしながらも、表裏、あるいは柔軟織り交ぜ、旧経世会の対中ODAからの締め出しを図ろうと画策してきたといえるのだろう。これが小泉政権の5年間でもあった。
外務省文書にはつぎの表現がある。
我が国の厳しい財政状況や中国の経済発展、軍事力の近代化やビジネスの競争相手としての存在感の増大といった変化を背景に、我が国国内において、対中ODAに対する厳しい批判が存在します。
2016年オリンピック、本日候補地決定
本日、2016年オリンピッックの国内候補地が決まります。
本ブログは、福岡市への招致に反対する立場でいくつかエントリーしてきました。
あらためて管理人が強調したいのは、次の点です。
・山崎市長は、市民の意思を尊重する姿勢をとってこなかったこと。
・議会は昨年、招致決議をあげていますが、8月11日の招致反対署名の請願審査によって決議の意味が失われたこと(審査結果は継続審議)。
このことは、招致決議をいわば錦の御旗にして強引に山崎氏が推進してきた根拠が失われたことを意味します。
・福岡市が提出した計画書は、昨日エントリーしたJOC評価報告書によって言及されているとおり、実現性に乏しいものといわざるをえません。
・何よりも、こうした到達を築いた背景に市民の強い反対の声と怒りがあることです。それは各種世論調査の指標、「福岡オリンピック招致に反対する会」が集約した、市の有権者の1割以上に匹敵する署名などに表れています。
しかし、選定においては結果はどうなるか定かではありません。いずれにせよ、管理人の立場は、選ばれるのが東京都であっても、福岡市であっても反対すべきものだと考えています(別のエントリー)。
今回のオリンピック招致に直接からむ問題として、山崎市長の責任問題や須崎地区の再開発問題が早晩、浮上するだろうと管理人は思います。
◆国内候補地決定を伝える記事を紹介します
西日本新聞は、東京都と福岡市の招致推進担当責任者からのヒアリング記事。他の2紙はいずれも東京優位を報道したものです。
記事はすべてweb版。一部に文字の乱れがあります。
福岡市と東京都が名乗りをあげた2016年夏季五輪の国内立候補都市選びは30日、東京都内のホテルである。日本オリンピック委員会(JOC)理事25人、夏季五輪実施競技団体と日本障害者スポーツ協会の代表30人の計55人の選定委員による無記名投票で決まる。選定委員会は午後1時から。福岡市、東京都の順でプレゼンテーションをしたあと投票に入り、国内候補都市の発表は午後5時過ぎとなる予定だ。
16年五輪の国内候補地、30日決定 委員55人が投票 (朝日新聞)
2016年夏季五輪招致の国内立候補都市選定投票で、全日本アマチュア野球連盟(松田昌士会長)が、東京都に1票を投じる見通しとなった。
五輪国内候補地、野球連盟は「東京」支持へ(読売新聞)
福岡市と東京都が争う2016年夏季五輪招致の国内候補都市選考。30日に日本オリンピック委員会(JOC)の選定委員会が開かれ、役員ら55人の投票でいよいよ候補都市が決定する。当日は選考を左右しかねない最終プレゼンテーションが両都市によって行われるが、それを前に両都市の招致担当者に??最後の訴え?≠闢キ(ママ)いた。
福岡 東京 国内候補地あす決定 担当者に聞く(西日本新聞)
2016年オリンピック JOC評価報告書
日本オリンピック委員会評価報告書から一部を抜粋して紹介します。
第5章 要約の全文です。
―――――――――――――――――――――
第5 章 要約
第31 回オリンピック競技大会(2016 年)国内立候補都市評価委員会(評価委員会)は、国内立候補都市(福岡市/東京都)の開催概要計画書、本会加盟関係団体等の現地調査報告書の結果を踏まえ、両都市の現地調査を福岡、東京の順に行った。評価委員会は、「世界で勝てる計画」をキーワードとして、IOC 基準と同時にIOC 評価委員会が確認すると想定されるリスク要因について評価を行った。両都市の評価概要は以下のとおりである。
福岡市
「150 万都市福岡の挑戦」というテーマのもと、国際競技大会の実績と経験を踏まえ、IOC オリンピック研究委員会の提言と、IOC テクニカルマニュアルを遵守すべく綿密な計画が立てられている。
3 つのクラスターは自然環境を生かした会場配置が行われ、競技施設についての計画は高く評価される。更に、効率のよい選手・役員の輸送をはじめ、選手本位の競技運営に配慮している。メインクラスターには選手村、MPC/IBC、IOC 本部ホテルが配置され、12競技を実施する。メインクラスター地域の立地が3 方海である点は、災害発生時のリスクマネジメントの点からの課題と考えられる。
選手村には17,000 ベッドが用意され、低層階が中心で、パラリンピックにも配慮されている。
交通について、鉄道は75 駅9 路線において1日あたり約130 万人、570 系統1,800 ヶ所のバス停の配置により1日40 万人を輸送できるとしており、大会期間中訪れる延べ500 万人の観客に対応する。選手・役員の輸送はオリンピックレーンの利用により80%が20 分以内に移動が可能と考えられる。空路による福岡へのアクセスに関し、国際空港(第一種)がなく欧米大陸等からの直行便がない点について、ユニバーシアード競技大会の経験はあるものの懸念される。
ホテル室数は、10km 圏内に25,700 室、20km 圏内に28,100 室であり、50km 圏内に51,000室が用意されIOC 基準を満たしている。建設予定の新設ホテルと大型客船の配置により、計64,000 室となる。大型客船を想定している点については、開催時期特有の台風等へのリスク対応が課題と考えられる。
パラリンピックの計画では、19 競技中18 競技が10km 圏内に配置され、選手の80%が5 分以内で移動が可能である。選手村も4階以下の低層階が提供され、車椅子2 台が乗れる2 方向エレベーターを設置、ユニバーサルアクセス環境を具体的に示している。
財政計画について、2,850 億円の運営予算の都市負担金は0 としている。本会が独自に実施した調査によると、現時点までの福岡市財政は安定的であるが、柔軟性は相対的に小さい。しかし、健全な水準は保っており、投資計画の範囲内であれば特段問題はないと考えられる。
アンチ・ドーピング対策については、国際的動向を踏まえた活動計画が必要である。
オリンピックムーブメントの推進については、日本オリンピック・アカデミー、日本オリンピアンズ協会、日本アンチ・ドーピング機構、NPO 法人ジュースなどの協力を得て、現在・今後・大会開催時の取り組みについて具体的に提案し、全ての人々がスポーツの多様な価値を共有できるとの大きな活動のうねりを創出する計画である。
特筆すべき点として、国際競技大会の運営経験とともに各競技団体および本会との連携を重視した開催に対する高い熱意と意欲をあげることができる。また、西日本ナショナルトレーニングセンター機能の創出および、現在、取り組んでいるタレント発掘事業は、わが国競技スポーツ界の今日・将来的課題を踏まえたものであり高く評価される。
評価委員会が懸念する点として、メインクラスター予定地である須崎地区の再開発に伴う用地取得がある。現段階で、福岡市は120 の地権者に対して説明会を実施しているが、本会が独自に行ったヒヤリング調査では、再開発については条件付き同意とするものが複数おり、2009 年初頭に予定されるIOC 評価委員会による現地調査までに全ての地権者の同意書を取り付けることが出来るか否か、評価委員会として確信が持てない。
東京都
「アジアで初めてとなる2回目のオリンピックを東京で」というテーマのもと、1964年の東京オリンピックのレガシーを引き継ぎ、競技施設をさらに次世代に引き継いでいくことはIOC オリンピック研究委員会の提言に基づくものである。
「世界一コンパクトな大会」を目指し、10km 圏内にほとんどが点在する分散型である。競技施設に関する計画については、東京オリンピックのレガシーを重視しつつ、競技現場の実情を反映させたものとすることが望ましい。選手村、メインスタジアム、MPC/IBCの主要施設は全て都有地であり、土地取得の問題はない。また、メインスタジアムはCO2削減という環境面でのアイデアとして屋根や壁面に芝を張り巡らすことを特徴としている。メインスタジアムの立地が3 方海である点は、災害発生時のリスクマネジメントの点からの課題と考えられる。
選手村には、18,500 ベッドが用意され、全選手に個室が提供され、さらに、ユニバーサルアクセスで設計された住宅を提供する。しかし、高層棟については、IOC の評価を得るための課題を残している。
交通について、半径10km 圏内に290 駅、47 路線において1日あたり2,300 万人を輸送することが可能である。また、大会期間中訪れる延べ850 万人の観客を輸送するため、主要な駅に情報端末を設置して交通案内を行う。選手・役員の輸送は、オリンピックレーンの利用により、選手村と競技会場を全て20 分以内で結ぶことが可能である。各大陸から空路による東京へのアクセスについて問題はないと考える。
ホテル室数は、10km 圏内に78,000 室、20km 圏内には103,000 室が用意されており、IOC 基準を満たし、世界的に高水準のホテルも多く卓越したレベルである。
パラリンピックの計画では、セーリングを除き、選手村から全ての競技会場まで20分以内で移動が可能である。また、選手村はユニバーサルデザインに基づいており、パラリンピック参加選手が支障なく生活できる環境となっている。
財政面では、2,943 億円の運営予算の都市負担金は0 としている。本会の独自調査によると、現在までの東京都財政の安定性は、十分な自主財源を持ち基盤は固く安定しており、柔軟性は高い。投資計画の範囲内であれば問題は無い。
アンチ・ドーピング対策については、国際的動向を踏まえた活動計画が必要である。オリンピックムーブメント推進については、日本オリンピック・アカデミーや日本オリンピアンズ協会と協力し、21 世紀にふさわしいオリンピックムーブメント事業を展開すると共に、スポーツに特化した政府開発援助の創設を提案し、世界にも届ける活動計画を提案している。
特筆すべき点は、世界的知名度と強い財政基盤を裏づけとして、首都機能を生かした計画としている点である。オリンピックへの基金として本年度既に1,000 億円を積み立て、2009 年度までに4,000 億円を積み立てる計画は高く評価される。また、JOC GOLD PLANを重点的に支援する計画があり、ナショナルトレーニングセンター等と連携を行うことにより、効果的に選手強化のための協力を行うとする点は、JOC およびわが国競技スポーツ界の今日的課題を踏まえたものであり高く評価される。
本評価委員会が課題とする点は、国際競技大会の運営経験と協力実績が少ないため、各競技団体との連携の機会がこれまで少なく、本会との接点も少なかった点である。以上、両都市ともそれぞれの特徴を生かした高水準の計画であり、それぞれ魅力的である。準備にあたられた両都市の関係者のオリンピック開催に向けた情熱と努力に本会として感謝するとともに大いなる敬意を表したい。いずれの都市が選定されるにせよ、候補都市決定後には、IOC 評価委員会による評価に向けて、国際的動向を踏まえ、本会および本会加盟団体等とともに計画をさらにより良いものとして、国並びに政府の協力を得て2016 年のオリンピック日本招致をなんとしても実現していきたい。
正式名;第31回オリンピック競技大会(2016年)国内立候補都市評価委員会報告書
(文中の赤字は管理人)
「小泉見解」と無罪判決
加藤紘一元自民党幹事長の実家が放火された事件で、はじめて小泉が口を開いた。ブロガーのみなさんからは、安倍=小泉のだんまりについて厳しく指摘されていたのだが、それが届いたか?
小泉首相は28日朝、首相の靖国神社参拝を批判した加藤紘一元自民党幹事長の実家が右翼団体幹部に放火された疑いが強まっていることに関し、「暴力で言論を封ずるのは決して許されることではない。こういう点については厳に我々も注意しなければならない。戒めていかなければならない問題だ」と語った。15日に起きた事件について首相が言及したのは初めてで、首相公邸前で記者団の質問に答えた。 (朝日新聞)
安倍も記者会見で「仮に加藤議員の言論を弾圧し、あるいは影響を与えるような行為であるとすれば許されない。そういうことに言論がねじまげられてはならない」と語ったという。
『朝日』によれば、小泉は事件について「言論は暴力で封殺してはならない。これは大いに、国民に分かるように、様々な分野で周知していかなければならない。言論の自由がいかに大切かがよく分かるように、注意していかなければならない」とも述べた。
よくぞいった。ならば、この判決を小泉はどう思うのだろう? 事件そのものは無罪判決がでたが、東京地検のことゆえ、控訴も十分にありうると管理人は思う。
無罪判決とはつぎの事件にたいするものだ。『朝日』から引用しよう。
東京都葛飾区のマンションに04年12月、政党ビラをまくために立ち入ったことで住居侵入罪で起訴された被告の住職荒川庸生(ようせい)さん(58)に対し、東京地裁は28日、無罪(求刑・罰金10万円)を言い渡した。大島隆明裁判長は近年の住民のプライバシー、防犯意識の高まりに触れつつ「ドアポストまで短時間立ち入っての配布が、明らかに許されないという合意が社会的に成立しているとはいえない」と判断。荒川さんの立ち入りには「正当な理由がある」として住居侵入罪の構成要件を満たしていないとした。
朝日記事によれば、判決は、「どんな時に立ち入りが許されるかは、社会通念を基準に、立ち入りの目的・態様に照らし、法秩序全体の見地からみて社会通念上、許される行為といえるか否かで判断するほかない」として、以下に列記する諸点について指摘している。
・立ち入りの滞在時間はせいぜい7、8分と短時間だったことを重視
・このマンションではピザのチラシも投函(とうかん)されているが、投函業者が逮捕されたという報道もない
・40年以上政治ビラを投函している荒川さんも立ち入りをとがめられたことはない
・現時点で、ドアポストに配布する目的で昼間に短時間マンションに立ち入ることが、明らかに許されない行為だとする社会的な合意がまだ確立しているとはいえない
判決について弁護団はこんな見解を見解をのべている。
「憲法が保障する言論の自由の重要性を明確にすることで、『憲法の番人』としての司法の役割が見事果たされた」
この事件はマンション住人の通報から事ははじまっている。
通報は、ビラまきだけでなく、街頭での署名活動でもその他の活動にたいしても行われている。しかも、特定の集団が、特定の政党や市民団体をねらって通報し、さまざまな法的嫌疑をかけて、しょっぴいていくという狡猾なものだ。デマを使って演説会を特定集団が妨害したこともかつてあったことを管理人は思い出してしまう。
被告の荒川さんは意見陳述でこう訴えた。「形式的に侵入かどうかを判断するのではなく、表現の自由が危機にさらされていることに思いを致して判断してほしい」。
同種の事件では、立川市の防衛庁官舎での反戦ビラ配布をめぐり、市民団体のメンバー3人が起訴されたケースがある。一審は同罪の構成要件に該当すると認めつつ、刑事罰には値しないとして無罪とした。二審では罰金10万~20万円の有罪判決となり、弁護側が上告している。
小泉は、言論は暴力で封殺してはならないといった以上、この判決にたいしても見解をのべるべきではないか。安倍は「加藤議員の言論を弾圧し、あるいは影響を与えるような行為であるとすれば許されない」と語ったというが、実家が放火され炎上した事実だけで精神的威圧をも加え、現実にはすでに言論は封殺されたも同然ではないか。自分の家に放火をされたら、だれだって身の危険を感じて萎縮するだろう。
ブッシュのいう「テロル」にあれほどすばやく、のこのことついていく男が、自らの国で起こった、しかも「同僚」にかけられたテロルに、これほど頓着しないのはなぜか。
加藤実家の放火事件への小泉の生ぬるい対応と今回の無罪判決を荒川さんがかちとるまでの経過は、「言論の自由」の価値を見出すこともできない小泉と「ポスト小泉」の水準をそのまま示している。
福岡オリンピックは実現するか -あす国内候補地決定
いよいよ明日30日、2016年オリンピックの国内候補地が決定します。
マスメディアも指摘するように東京都の優位は動かないようです。
◆「朝日」世論調査結果から
『朝日新聞』が世論調査結果を書いています。五輪開催に期待を寄せるか等に関する世論調査です。いまの時期のこの記事が掲載された意味も考える必要がありそうですが、ともかく結果は以下のとおりでした。
国内候補地決定に、
・「関心がある」と回答した人 51%(男性:55%、女性:47%)
・「関心はない」と回答した人 46%
このうち、女性の「ない」は48%、60代の男性は「関心がある」68%とされています。一方で、日本での開催には57%が期待を示したということです。
また、朝日記事はつぎのように報じています。
「日本で開催してほしい」と答えた人はどの年代でも5割を超えた。関心がある人では81%に上る。日本で開催してほしいと「思わない」は全体の30%だった。
国内候補都市は30日に選定委員の投票で決着する。「関心がある」は男性が55%と高めで、60代の男性では68%。女性では「ある」47%、「ない」48%と二分された。
地域別に回答結果を見ると、「関心がある」は九州56%、東京53%、「日本で開催を」は九州61%、東京52%で、ともに九州がやや高かった。
この結果をみて注目したいのは、つぎのことです。
国内候補地決定に関心がある人とない人が拮抗し、「関心がある」とした人の割合が九州でもほとんど東京でも変わらないという事実です。
福岡市は招致活動をむろん市をあげて取り組んできたはずです。福岡・九州オリンピック招致推進委員会のホームページによれば、「招致署名」は手をかえ品をかえ、企業も動員するなどあらゆる手段を使って取り組んで、その到達は840,374名(8月24日現在)とされています。
それだけの活動の上での調査結果ですが、かねてから都民の関心がなく盛り上がらないといわれてきた東京都と関心度が変わらない、うごかしがたい福岡市の現実です。逆に、これは福岡市民の強い批判の反映だとみてよいのではないでしょうか。
管理人自身の開催についての考えはこちらをご覧ください。
◆市長選をにらむ各党
さて、国内候補地はいずれにしても明日決まる。その結果は山崎市長の去就に大きく影響するでしょう。マスメディアも、候補地決定とつぎの市長選に関心が向いているようです。
仮に福岡市が国内候補地に選ばれれば与党会派は次期市長選での山崎市長推薦にむかうかもしれません。選ばれない場合は、おそらく山崎氏自身の市長の椅子そのものが危ない。議会与党会派からもおそらく責任問題が浮上するからです。
管理人は、11日のオリンピック招致反対請願署名の審査結果は与党会派の自己否定を意味するものであることを指摘しました。同時に、問われなければならないのは、民主・市民クラブと社民・市政クラブの態度です。
たとえば、民主・市民クラブは態度変更の理由をのべました(別のエントリー)。民主・市民クラブはつぎのようにのべたのです。
「招致決議後に招致の内実が見えた。須崎埠頭の再開発につながる五輪招致には反対する」と強調。「国内候補都市の選考が間近で、招致中止は現実的ではないが、財政状況の厳しさを理由に再開発中止を求める請願の趣旨には賛同する」
すでにこんなことはずいぶん以前から明らかなのに、自らの「不勉強ぶり」をさらけ出す民主党。だから、今回の市長選で吉田氏をかつぎだすことを決めた同党を管理人はおよそ信用できない。
当の吉田氏は市民投票を考えているといわれてきたが、これは欺瞞以外の何者でもないでしょう。なぜなら、明日30日の国内候補地選考に一切を委ねるわけですから。ほとんど福岡市が選ばれることは考えにくい状況にあって、自らの招致にたいする見解も、市民投票もやる必要はないのですから、これほどうまい話はありません。
事実、朝日記事によれば吉田氏はつぎのように語っています。
五輪は無理という声が市民の中で大きい。その意見が結果につながるだろう。最初から無理があったのなら、検証がいる
招致にたいする吉田氏の見解がこれだけだとすると、彼は上手に見解をのべることを避けているといえるのではないでしょうか。吉田氏の態度もあるいは議会での民主・市民クラブの態度変更も、市長選目当てのものとしてしか私にはうつりません。
市民の招致反対の意思は明確です。でも、政党や政治家の公式見解は上でみてきたように、玉虫色にみえてきます。市民の監視がいつにも増して重要な時期になっています。
関連して、以下のエントリーをご覧くだされば幸いです。
福岡オリンピック招致に反対する請願署名がもたらしたもの (13日)
オリンピック招致反対で福岡と東京が手をつなごう(15日)
安倍晋三の語る「教育の再生」 -安倍の出方6
日本国憲法とともに改悪を許してならないものがある。教育基本法だ。
9月召集される臨時国会でも教育基本法改悪法案の廃案はまさに国民にとって無視できない課題となっている。
安倍の恥本の最後の章は「教育の再生」とある。いうまでもないが、安倍はいまの教育を敵視している。だからこそ「再生」をいうのだ。安倍がここでいうことは教育基本法の改定をめぐる政府与党のいうところと基本的に同じだと考えてよいので、まず同法の改定をめぐる問題を考えることからはじめる。
◆改定理由を示せなかった小泉政権
小泉政権が改悪をねらった教育基本法。同法は、すべての教育関係の法律の根本、文字通り基本法だ。だが、先の国会で政府は、なぜ教育基本法の改定が必要なのかを具体的に明らかにすることはできなかった。
分かりやすくいえば政府与党は、すべてが教育基本法が悪いというところからはじまっている。また、改定論者は、現在の「教育の荒廃」を同法と結びつけようとする。この態度は、この恥本の安倍の態度と少しも変わらない。しかし、冷静に考えてみると、教育と子どもをめぐるさまさまな危機は、この間の自民党政治にこそあるのではないかというのが管理人の率直な思いだ。基本法の理念をふみにじってきたのが自民党の政治ではなかったか。どうだろうか。
◆改定論者たちの主張
■改定論者たちの主張の第一
彼らの主張には「国を愛する態度」の強要など、内心の自由を侵害する改定内容が含まれていた。あれこれの「徳目」-奇異な言葉だ-について目標を設定し、その達成を義務づけようとする。そうなれば、政府の思いによって特定の価値観を子どもたちに強制することになることは、ほとんどの人が理解できるだろう。憲法が保障する思想・良心・内心の自由を侵害するもの以外のなにものでもないだろう。
これにからんで先の国会で「愛国心通知表」についてやりとりがあったことを記憶している読者の方も多いだろう。福岡市の小6年生で使われていた事実が発覚したことに端を発し、全国各地で使われていることがつぎつぎに明らかになった。岩手、埼玉、茨城、千葉、愛知などなど。追及されて答弁した小泉は「率直にいって評価するのは難しい」といわざるをえなかった。
さらに「日の丸・君が代」の強制がある。東京都はこれを先取りし、常軌を逸した強制が行われ、事態は起立しなかった教職員の処分にとどまらず、学校にたいしてもその矛先がむけられた。さらに、埼玉県では父兄にまで攻撃の矛先を向けようとしたのだ。
「愛国心」は強要するものではない。政治の責任は、子どもたちが愛するに足ると思える国づくりのために、主権者である国民の利益をどうまもるのか、そこにこそ政治の責任があると管理人は思う。
■改定論者たちの主張の第二
改定論者たちの主張の2つ目は、国家権力が教育の内容と方法に無制限に介入できるようにしようとするものであった。
教育基本法のいう「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に直接に負って行われるべきものである」(第10条)という条項は、国家権力の「不当な支配」を拝していると考えてよい。教育する者は、政府や行政をとおして責任を負うのでなく、学習する権利にこたえ、子ども、父母などに直接責任をおって教育おこなうようを定めたものと考えてよい。
安倍のいうところ引いておこう。
義務教育の構造改革は、まず国が目標を設定し、法律などの基盤を整備する。つぎに市区町村と学校の権限と責任を拡大して、実行可能にし、最後にその成果を検証する仕組みがあってはじめて完了する。
とすれば、まず教育は、まず義務教育は何を目標にするのかを、あらためてはっきりさせなければならない。
ぜひ実施したいと思っているのは、サッチャー改革がおこなったような学校評価制度の導入である。学力ばかりでなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを国の監査官が評価する仕組みだ。
◆何を強制するのか
そこでつぎの問題とされなければならないのは、どんな教育を政府が今後、強制しようとしているのか、そのねらいである。詳細をふれることができないので項目をあげる。
■勝ち組・負け組にふりわける
・中央教育審議会が作成した「教育振興基本計画」の「参考例」には「全国一斉学力テストを実施する」と記されている。
⇒全国一斉テストはかつて1961年から64年に実施されている。競争が激化するなど国民からの反対を理由に中止された。
・習熟度別指導
⇒小学校の早い時期から「出来る子・出来ない子」の区別をつけるものとして批判が強い。
■格差社会をすすめる人間をつくる
次の発言に注目ねがいたい。教育改革国民会議の座長を務めた人物・江崎玲於奈である。
ある種の能力が備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になりますよ
人間の能力は遺伝によって決まるといわんばかりだ。ヒトラー流の優生学とどうちがうのか、唖然とする。
◆国策支える人間づくり
先の国会で政府が提出した教育基本法のごく簡単に要約すると以上のようになると管理人は考えている。つまるところ、同法を改定するねらいがどこにあるのかといえば、「国策」に従う人間をつくるという一言で表すことができるのではなかろうか。改憲によって「戦争をする国」をつくろうとする流れに従う人間をつくろうとすることだ。憲法改定と教育基本法改定はまさに一体のものなのである。
■安倍の主張
安倍の恥本で主張するところを列記する。
・問題を起こす児童・生徒に対する教員のしつけの権限を法制化したり、地域に悪影響をおよぼすおそれのある問題家庭を24時間監視するなど、善悪のけじめをきちんとつけること、犯罪の芽を初期の段階で摘むことに重きをおいている。
・教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。
・義務教育の構造改革は、まず国が目的を設定し、法律などの基盤を整備する。つぎに市区町村と学校の権限と責任を拡大して、実行可能にし、最後にその成果を検証する仕組みがあってはじめて完了する。
・なんといっても、喫緊の課題は学力の向上である。
・ぜひ実施したいと思っているのは、サッチャー改革がおこなったような学校評価制度の導入である。学力ばかりでなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを国の監査官が評価する仕組みだ。
以上のとおり安倍の主張は、これまでみてきた改定論者のいうところと概ね等しいと考えてよい。安倍の『美しい国へ』とは、要するに憲法と一体のものとして教育をも、分かりやすくいえば戦前への回帰を視野に入れたものだといえる。
『美しい国へ』の各論のいくつかを、管理人の独断でながめてきた。恥本の感想はこれでひとまず終わりにしたい。
―――――――――――――――――
<日本会議>
憲法改定と教育基本法改定を目標におく日本会議の決議(以下)はねらいを知る上で参考になる。この団体は、自民、民主200人の日本会議国会議員懇談会と一体のものとされる。
・我々は、国会が速やかに憲法改正の発議に踏み切るよう強く働きかける。
・我々は、わが国の歴史・伝統を基調とする、教育基本法の全面的改正を求める。
・我々は、靖国神社を蔑ろにする国立追悼施設計画を阻止し、首相の靖国神社参拝の定着化を求める。
・我々は、崩壊しつつある家族と地域社会の再生をめざし、道徳心涵養の国民運動に取り組む。
安倍晋三の「小さな政府」・続
安倍が言及した札幌母子家庭事件を単なる過去の事件として扱ってはならない。孤独死や餓死事件があいついで北九州市で起こり、そのことをNHKや『東洋経済』(6月号)が取り上げた。
これらの事件はいまの「格差社会」がもたらす結果を端的に示している。むろんあの安倍の恥本には書かれていないので少し紹介したい。
同市門司区の市営住宅で57歳の男性がミイラ化した状態で発見された。警察の発表ではうっ血性心不全とされたが、栄養失調による餓死事件でもあった。
一人暮らしで身体障害者でもあったこの男性は昨年8月に失業、毎日の食事にも事欠いていたという。9月には水道やガスが止められた。
その後の経過は以下のとおり。
・9月28日 同市住宅供給公社の職員が衰弱したこの男性を発見。水道局に連絡。
・9月30日 水道局職員が門司区生活支援課の保健婦に連絡。連絡をうけた保健婦と保護課はケースワーカーが男性宅を訪問。
男性は壁をつたって歩く状態。保健婦は栄養状態が悪く、受診したほうがよいとケースワーカーに助言した。
このとき男性は生活保護を受けたいと訴えたという。ケースワーカーは福祉事務所に来るよういったものの、すぐに保護を受けられるよう措置をとることはなかった。
男性が同日、福祉事務所を訪れた際、事務所側は「親族でよく話しあいなさい」と伝えるだけだったという。そのために以後、保健婦が週に一度、家庭訪問をおこなうようになった。しかし、男性が求めていたのは、医療機関にかかるための医療費だったのであり、それを可能にするには生活保護しかなかった。
それからおよそ2カ月たった12月6日、男性は再び福祉事務所を訪れた。「保護をお願いしたい」。他におきかえることのできないこの言葉で事務所に訴えた。健康状態はさらに悪化し、親族からの援助も続かなくなるなかでの必死の叫びだったが、事務所側は親族の援助をいうばかりで、かたくなに申請を拒んだ。これが最後だった。
男性の3回の訴えを拒んだ福祉事務所。その対応が男性を死に追いやったといわれている。対応は以下の法律違反があることが指摘されている。
・9月30日に急迫保護(生活保護法第7条但書、同25条)
・同じく9月30日に訴えがあったにもかかわらず、申請の要件でない扶養義務をもちだし、申請受理をおこなわなかった(同法第7条、24条)
・12月6日、申請意思が伝えられたものの、9月30日と同様の対応をおこなった。
この餓死事件以外に、北九州市では孤独死が相次いでおきている。今年1月、NHKはドキュメント『生活保護は助けない』を放映した。
狭心症の女性を市のケースワーカーが「3カ月の保護受給の約束がなぜ2年にもなるんだ」「あんたは太ってるから就労できないんだ。1週間くらい断食してみろ」と恫喝する映像。ドキュメンタリーは、こんな目に余る同市の生活保護行政を告発した。
一連のこんな事件は何を教えているのだろうか。
北九州の「闇の北九州方式」とよばれる人権侵害の行政のあり方がそこにはたしかに横たわっている。同市は国の指導のもと、つぎの「実績」をあげた。
1967年の生活保護率:6.72%(全国一)⇒40年間で同:1.2%
つまり5分の1まで減らしたのだ。同市市民の生活水準がこれだけ改善したわけがない。矛盾は、ほんとうに生活保護が必要な人びとに押しつけられているということだ。
こんなとらえ方が必要だと管理人は思う。厚労省は「生活保護行政を適正に運営するための手引」によって全国の福祉事務所に保護抑制を指導しようとしている。北九州市はその先取りだともいえる。要はこの北九州の事態の日常化、全国への普遍化をめざそうとしているといえる。他人事ではない。
「小さな政府」論はこうした社会保障の切り捨てと表裏の関係にある。政府を「小さく」という際、切り落とされるのは社会保障だ。だが、生活保護世帯がすでに100万を超えたこと、生活保護を受けてはいないが生活保護以下の生活を余儀なくされているワーキングプアの存在をいったいどうするのか。
安倍を選ぶということは、この事態が全国に広がるのを認めることにつながる。日本の生活崩壊がそこに待っている。
安倍晋三の語る日米関係 -安倍の出方5
安倍が恥本で祖父岸信介の「功績」をたたえる、うさんくさい記述からはじめよう(長い引用で恐縮します)。
1951年、サンフランシスコ講和条約といっしょに結ばれた日米安全保障条約には、アメリカが日本を守るというはっきりした防衛義務を定めた条項がなかった。事前協議の約束もない。このとき、アメリカとしては、日本に自由に基地がつくられることになっていたのだ。
そればかりか、日本に内乱が起きたときには、米軍が出動できることになっていたり、アメリカ人が日本国内で犯罪をおかしても、日本には裁判権がないなど、独立国とは名ばかりの、いかにも隷属的な条約を結んでいたのだ。
祖父はこのとき、この片務的な条約を対等にちかい条約にして、まず独立国家の要件を満たそうとしていたのである。いまから思えば、日米関係を強化しながら、日本の自立を実現するという、政治家として当時考えうる、きわめて現実的な対応であった。
だが、「隷属的な条件を対等なものに変えた」と見出しがついたこの章で、ここまでいえば欺瞞としか私には思えない。旧安保条約も、新安保条約も、日米両政府の思惑で成り立ったものだからだ。うがった見方をすれば、「政治家として当時考えうる、きわめて現実的な対応」とは、二国間の外交の結果、どんな結論がでようとも使える都合のよい言葉だともいえる。
現代史の重要な1つの歴史の節目を限られたスペースでふりかえるのはとても危険だが、あえてそれを試みると、つぎのように日米安保体制は日米両政府の思惑の上でもとよりできあがっている。
大戦後、日本を占領したアメリカは、日本を非武装化し無力な存在にしておくことが当初のねらいだったといわれている。
しかし、冷戦がはじまることによって、このアメリカのねらいはついえ、ソ連など「共産主義陣営」から日本をどう防衛するかにアメリカの視点も移らざるをえなかったといえる。1950年代には、内灘事件、砂川事件、ジラード事件などによって激しい反米基地闘争が起こり、安保条約に対する不満が高まっていた。保守政治家が安保改定を志向した背景には、「不平等条約」と呼ばれた日米安保条約を改定し、双務的で対等な同盟関係を得ようと考えており、安保改定交渉は鳩山一郎内閣のときから水面下で行われていたという。
当時は、50年にはじまった朝鮮戦争、革命後の中国、それにソ連というように、アメリカにとって日本は地政学的にみても重要な拠点たりえたのだ。アメリカはこの日本で自由に軍事行動ができる条件下においておくことが必要となった。
日米安保条約の締結の経過をアメリカ側からのぞくとこうなると思う。一方、これが「吉田ドクトリン」とよばれるような当時の日本の政権内の思惑にも合致していたのだ。
上の安倍の恥本にあるような「独立国とは名ばかりの、いかにも隷属的な条約」という理解とそれをもとにした圧力が新しい安保条約にむかわせたし、アメリカ側は、世界戦略にとって日本をわが陣営につなぎとめるために安保改定を容認する方途をとったという以外のなにものでもない。
その結果、できあがった日米安全保障条約といわゆる「地位協定」によって、安倍のいう「独立国家を満たす条件」がつくられたといえるだろうか。否である。みなさんはどのように考えられるだろうか。
私が「ゆがんだナショナリスト」と別のエントリーで安倍をよんだのも実はこの点にかかわっている。安倍だけでなく、自民党政権はつねに日米安保条約のもとで、独立国家とはとてもいえないような対応をしてきた。それはいまでも変わらないし、小泉はそれをいっそう前に進めた首相だ。安倍の恥本の欺瞞は、日米関係のいまのこの実態をいっさい覆い隠しているところだ。
よく引き合いに出される米軍への「思いやり予算」を考えてみよう。
2006年の参院決算委員会の議事録から興味ある数字をひろってみた。
【日本政府が負担する在日米軍の駐留にかかわる「思いやり予算」】
年間2326億円(2006年度)
・1978~2006年度の予算累計
5兆269億円(契約ベース)
【エアコン】
・米軍の小中高校 ほぼ100%設置
・日本の小中校 6%設置
米軍に大盤振る舞いの一方で、子どもたちにはこの扱い。これがいいなりでなくなんだというのか、腹立たしくなる。当初は負担しなかった光熱水費や訓練移転費など、年々日本側の負担が増えている。
これが安倍のいう「独立国家」の実態なのだ。
もう1つあげれば、日米共同演習である。われわれが実際にはなかなかつかみえない数字だけれど、こんなデータが示されていた(しんぶん赤旗)。米軍と自衛隊による共同訓練・演習の実態はつぎのとおり。
・2005年度 106回 のべ416日
・2004年度 100回 のべ331日
回数で6日、日数で85日ふえた計算になる。在日米軍の再編に先立ち、すでに共同訓練の拡大がすすんでいることを示している。
さて、あの岸は、つぎのように語っていた。
「日本は米国の経済的その他いろいろの援助を受けて立ち直ってはきたが、内心には一種の劣等感があり、一方米国は優越感を持っている。これらは占領時代の残りかすであり、それを払いのけることによって真の平等の立場が生まれてくる」(岸信介『岸信介回顧録』330頁)
安倍はこれをそっくりそのまま表現してしまったらしい。だが、その結果できあがった「独立国家」の現状について、政治家らしい周到な調査にもとづき記述すべきであった。そうでないから、安倍の書いた本はまさに恥本だ!
しめくくりに丁度良い言葉がみつかった。
安倍の言葉だが、そのまま引用するわけにはいかない。カッコ付の言葉を挿入し、はじめて意味がわかるというものだ。
わたしたちが守るべきものとは何か。それはいうまでもなく国家の独立、つまり国家の主権であり、わたしたち(権力者)が享受している(権力者にとっての)平和である。具体的には、わたしたち(権力者)の声明と財産、そして(権力者の)自由と人権だ。 (カッコの中はすべて引用)
こんな文脈でとらえると、日本の今後の姿もたちどころにみえてくる。
思いやり予算;
在日米軍の駐留経費における日本側の負担のうち、日米安全保障条約、及び日米地位協定に負担の根拠がなく、特別協定によって負担が定められているものを指す。防衛施設庁予算の「在日米軍駐留経費負担」が思いやり予算に相当する。(ウィキペディア)
福岡オリンピック 請願審査後の新たな展開
国内候補地決定まであと5日を残すのみとなった。全国紙もこの五輪招致問題に関心を寄せ扱うようになった。招致をめぐっては国内候補地決定の問題は当然だが、須崎再開発をめぐっていくつかの重要な問題が表出していると考えている。
そこで、あらためて福岡市民にとって、招致をめぐってどんな展開があり、どんな問題が課せられているのか、管理人の知るところから考えてみたい。
◆請願審査の影響
管理人は11日の「福岡オリンピック招致に反対する会」の提出した請願署名の審査を契機にした変化に着目したい。結論を先にいえば、これは議会内外に大きな波紋を投げかけたということだ。
何よりも与党会派がこれを無視できなかった。それに民主党や社会党なども、その理由もなく態度をかえるなど、13万の署名のもたらした影響を無視することはだれもできないだろう。現に、招致に賛成する者の、「反対する会」で奮闘した人のwebサイトにたいするほとんど悪意をもった反応をあらわにしていることに端的に表れているように、とくに推進派に与えた「反対する会」の運動の力は大きかったと管理人は考える。
◆評価委員会報告にみる報道姿勢
こんななか、『朝日新聞』が25日、web版で次のように報道した。
16年夏季五輪の国内立候補都市選びで、日本オリンピック委員会(JOC)の評価委員会は25日、東京都の財政力を高く評価し、福岡市には主会場予定地の再開発について懸念を示すなど東京をより高く評価する内容の報告書を公表した。
林務・評価委員長(JOC副会長兼専務理事)は「開催概要計画書や現地調査の結果をそのまま報告した。課題、評価の比重、問題が大きいものなのか過小な問題ですむのか、選定委員が自覚してもらうことになる」と話した。
要約部分で東京都側にはない「懸念」の文言を入れた福岡市の再開発問題については「我々の範畴(はんちゅう)でない問題。疑問、課題と言うより深刻という受け止め」とした。 (東京都を高く評価 五輪候補地でJOCが報告書公表)
一連のエントリーで明らかなように、管理人はこの報道の認識に異論はない。
だが、一方で提灯持ち新聞・西日本新聞(24日付)はいまだにこんな報道をするていたらくだ。
福岡市と東京都が争う2016年夏季五輪招致の国内候補都市選考で、日本オリンピック委員会(JOC)は23日、それぞれの開催計画と能力を検証した評価報告書を両都市に示した。報告書は、両都市の計画を「高水準」と評価したうえで、福岡市については再開発に伴う用地取得の実現性を懸念、東京都に対しては、計画内容の不確定要素や国際大会運営実績の少なさを課題として指摘している。しかし、全体としては明確な優劣をつけていない。
(JOC、評価報告書提出 明確な優劣つけず 福岡「用地取得懸念」 東京「不確定な計画」)
ただし、こんな提灯持ち新聞もあえてこういわざるをえないのだ。
福岡市の課題として、メーン競技場を置く須崎埠(ふ)頭(とう)再開発に関し、すべての地権者の同意が取れていない点への「懸念」を要約に特記。第一種国際空港がないことから、空路によるアクセスの弱点も指摘された。
この違いは何か。ちがいは権力におもねる程度の差だ。むろん『朝日』にそんなところがないといっているのではない。
◆「反対派」を自認する勢力の姿勢
いま1つは、マスメディアのこれまでの報道姿勢に加えて、反対派を自認する「勢力」の精彩のなさだ。これは贔屓目にみた上でのことだが、とくに11日をへてそのように強く感じるようになった。
30日の候補地決定までわずかに5日を残すところとなり、いわゆる反対派といわれるもののうちだれが市民の立場にたって運動しているのか、明確になったいま、市民運動の発展に寄与しようと思うのであれば、あえて「反対派」を自認するもの、とくに、「反対するブログ」などと銘打って、そして自らもアクセスが増えているとのべ、一定の影響をもつブログならば、その位置と役割を自覚し、自分の言説に責任をもつのが当然だというのが管理人の考えるところだ。
ところが、以下のブログはどうか。
管理人の一連の指摘に敏感に反応した―と管理人は考えているが、弁解することしきりである。「偏向報道」を感じるようになったのは7月上旬だとか、民主党吉田氏の出馬の不可解さをのべてはいるが、「それはブログをみればわかる」旨を書くなどと、およそわけのわからないことをのべている。しかし、当のブログがどこで吉田氏出馬のいきさつに疑念を呈していたのか、記事上ではほとんど不明だ。
さらに、11日以降の市民の動向については、ふれることが不可能なのかどうかしらないが、その運動の評価はおろか、ほとんどふれられてはいない。これでは、当のブログが「批判」する提灯もちとどこが違うのか。率直に思わざるをえない。
要するに、管理人がいいたいのは、五輪招致の問題は市民の運動という大きな流れがあるのだから、それに寄り添うような視点がどうしても必要なのだ。それが決定的に欠けている。軸足をどこにおいているのか分からないのだ。私がマスメディアに組み込まれているといったのも、たとえばこんなところに表れているのではないかとの思いからだ。
広い意味でのこのようなメディアの役割には、もっと関心が寄せられても良い課題だといえる。
追記)管理人のブログ上で五輪招致問題をめぐる記事について一定の議論があった。その問題についても管理人は重要だと考えるので別に言及したい。
安倍晋三の「小さな政府」 -安倍の出方4
ポスト小泉「本命」と目される安倍が『美しい国へ』を出版したのは、いまさらいう必要もない、自らを売り込むためだ。だが、タイトルで明らかなように、国のあり方を「美しい」国にかえたいとの意思がそこに働いている。安倍が美しいというものは何かをあえて詮索したくはない。きっと不気味にちがいないし、逆に、安倍のいう美しいものとは、庶民にとって危険で、おぞましく、阻止すべき対象だと考えざるをえないからだ。
あとがきでは「この本は政策提言をのべたものではない」と書き予防線を張っている。たしかに中身はないが、この本には従来、安倍が主張してきたことを隠していて曖昧な部分と同時に、これまでの主張を臆面もなくのべる記述もある。
◆どこまでが国の役割か
「構造改革」にからむ安倍の考えがのべられている一例をあげたい。
「どこまでが国の役割か」という中見出しだけで、およそ検討がつくだろう。いわゆる「小さい政府」論だ。しかも、「夜警国家」と「超福祉国家」という、ほとんど意味のない二項対立の問題を勝手に設定し得意になっている。現存する国家でこの両翼に属するものはなく、両翼の間にあるにもかかわらずである。
その際の安倍のスタンスは、つぎの、特に前半の表現で明白。
わたしは、小さな政府と自立した国民という考えに賛成だが、やみくもに小さな政府を求めるのは、結果的に国をあやうくすると思っている。
問題は、安倍らが現在の日本の国をどんなベクトルでどこに向けようとしているかである。少し古いが手元にある『経済財政運営と構造改革に関する基本方針2004』(以下、『方針』)という文書を参照して2つの点を考えてみたい(タイトルは管理人)。
◆「簡素で効率的な政府」=小さな政府
『方針』では(構造改革とは、このように)、「新たな経済社会の環境に、企業、地域、個人が柔軟に対応し、その持てる力が最大限に発揮されるよう、制度や政策、更に政府の在り方そのものを変革する不断の取組である」。「政府は、簡素で効率的であらねばならない」「政府は、時代の変化が生み出す新たな要請にも応えていかねばならない。例えば、国際環境の厳しさが増すなかで、安全と安心がこれまで以上に重要な課題となっている」。
註;安全と安心が政府の役割ということだ。安全・安心といえば治安や軍事をすぐに想定できる。さすがに軍事という言葉では直截にはのべてはいない。しかし、大規模防災などとあわせ、治安、テロ、有事対応が課題としてあげられている。
だが一方で、こんなことも頭をめぐった。大惨事となったJR脱線転覆事故やマンション耐震偽装事件は、民営化による経営効率化と建築確認という認可行為における民間活力の導入が、いいかえると構造改革のすすむ路線がどのような結果を国民にもたらすかを端的に示した。国民が切望する本来の安全・安心とはまったく異質のもの、むしろ反対のものであることをいまや我われは知っている。
◆資本の市場参入=民間活力の導入
『方針』はまた、つぎのようにのべている。
「医療や介護、子育て等の分野で新商品・新サービスの開発が進めば、高齢化は逆に経済活力に結びつく。」「国民の価値観の多様化、高度化は、画一的な行政サービスに飽き足らず、公の分野においても選択の自由を求める傾向を強めている。」
註;人口減少社会が到来し高齢化しても、国民は「選択の自由を求める傾向を強めて」おり、企業がこの分野に介入することによって「新商品・新サービスの開発」が進む。しかし、どれだけの人がサービスを自由に選択できるのだろうか、果たして疑問である。郵政民営化を思い起こしたい。
結局、国のこうした分野への負担は削る、財政的な効率化を図る。と同時に、その分野の担い手としての企業に市場を開放する、これだ。要は、企業にこれらの分野を開放することが目的である。削った財源は、いうまでもなく安全と安心に回るのだ。安倍もこの『方針』の論理を免れてはいない。
殊勝にも安倍はこの本で、札幌母子家庭餓死事件や学資保険裁判をあげている。期待をもたせるではないか(笑)。
この2つは過去の問題にちがいないが、これだけ経済的格差が語られている今日、それだけにとどまらない。全国のどこでも、いつでも起こりうる問題として想定しておく必要があるからだ。現にいま、生活保護申請をしたものの、いってもいっても受理されず、ついには自殺と言う事例が全国で報告されているではないか。だから、安倍がこの2つにどう向き合うのか、けっして軽視することはできない。まさに、この2つの事件の当事者やそれを支援してきた人びと、社会保障の拡充をめざしてきた人びとの長年の経験をいかに引き継ぐか、それが我々にも問われているということだ。
◆安倍の考える最低保障とは
話を元に戻すと、安倍は2つの事件をとりあげたのち、つぎのように語っている。
生活保護というのは、憲法でいう「最低限度の生活」を保障するための制度だが、その運用は大変むずかしい。その人が本当に生活に困っているかどうか、厳密に審査をしないと、給付費が財政を圧迫するだけでなく、本人の自立につながらないからだ。なかには、働けるのに働けないふりをして不正に受給するとする者もいる。
答えは、最低限度の水準を明確にし、基本的に自主申告にもとづき審査をおこなう、これ以外の解釈をいくらしようと解決しないというのが管理人の考えだ。自主申告で、審査のありようは別途検討すればよい。安倍はこの意味で従来の域をまったく出ていないと考えるのだが、あえて一部の不正受給をもちだす心境こそ問題だ。管理人はその心理を疑わざるをえない。
この違いは、その人のよって立つところ、申請する側に立つか、それとも申請を拒む立場に立つか、これに起因する。安倍は勝ち組・負け組みの論理を主張する。ミニマムを決め申請を基本的に受け入れることこそ、われわれに求められることだろうと思う。あえていえば申請を拒むことは容易だし、まさに地方自治そのものの実践的困難が行政にとって宿命ともいえるのだ。
この本は、安倍の主張を隠蔽し曖昧にした部分と、従来の主張を臆面もなくのべる部分をあわせもっている。AbEndの「恥本」という認識はけっしてまちがっていないが、その「恥本」が売れる条件も現にあり、それをみすえた総反撃が急務だといえそうだ。
福岡オリンピック ―用地買収は難問
JOCの評価委員会報告書(正式版)が明らかになったそうである。
『朝日新聞』はつぎのように伝えている。
福岡市と東京都が争う2016年夏季五輪招致の国内候補都市選定で、両都市を調査した日本オリンピック委員会(JOC)評価委員会がまとめた報告書の全容が23日、分かった。競技団体は福岡側の評価が上回ったが、選定に影響力の大きい評価委が見解をまとめた「要約」では東京側をより高く評価している。
事態は少しもかわらない。
すでに報告書の概要は17日に伝えられていた。再三、指摘しているとおり、東京の財政力を評価し、同時に福岡の実現性が劣っていることを指摘していることが報告書の中核といってよい。
福岡の実現性について概略を『朝日』が示している。
福岡市については、国際大会の運営経験などを評価する一方で「メーンクラスター(主会場群)予定地である須崎地区の再開発に伴う用地取得」を「懸念」と指摘。
この内容をこれまでもJOCは匂わせてきた。実際、別のエントリーに示しているように用地買収は相当の年月をかけないと完了しないだろう。須崎埠頭には、管理人はどんな企業が入っているか皆目かわらないが、買収交渉は難航をきわめることが予測される。
写真は上組(別のエントリー)だが、同社についてはつぎのいきさつもある。かつて参院では、上組などが暴力団を使った労働組合役員にたいする暴力事件について審議している(1974年11月28日、第073回国会・参院法務委員会)。質問したのは当時の佐々木静子議員(社会党)、内藤功議員(共産党)。
こんな事情を知れば、なおさら用地買収は前途多難ではないかと予想したくなる。
『朝日』によれば、
東京都については、財政計画に関して「09年度までに4000億円を積み立てる計画は高く評価される」と記した。主要施設について土地取得が不要な点や世界的知名度の裏付
けなどを評価した。
(福岡市の財政面について=引用者)「現時点までは安定的であるが、柔軟性は相対的に小さい」と東京より評価を低くした。
もともと招致できなくても開発はやるといってきた山崎氏。須崎地区の用地買収をはじめ実現性は乏しいという指摘は候補地決定の大きな要素となる。また、そこにすでに存在する企業との買収交渉に多額の資金を要することは容易に察しがつく。その意味で須崎地区の再開発は市民にとって重大な問題だといえる。
安倍晋三の「格差社会論」 -安倍の出方3
定着した「格差社会」
日本が格差社会であることはいまやジョーシキとなった。小泉でさえこれを認め、「格差社会」がボキャブラリーとしても定着した。だが、たとえば『論争 格差社会』(文春新書)という本のタイトルにもあるように、その実体や是非をめぐって議論がいまでもある。
わがコピペ・安倍晋三はこれをどうとらえているか。例の本『美しい国へ』からすこし拾ってみよう。
この本には中見出しに「日本は格差社会になったのか」とある。結論からいえば、安倍も日本が格差社会であることを一応は認めているようだ。
曰く、
一億総中流といわれた過去の日本にくらべれば、格差が出てきているのは事実である。
安倍の認識をもっと記せばこうだ。
昭和30年代の日本では、多くの国民がまだ貧しかったが、努力すれば豊かになることを知っていた。だから希望をもてたのだ。あれは高度成長期だからあり得たのだという人がいるかもしれない。でも、そうだろうか。努力した者が報われる社会なら、低成長時代であろうと誰もが希望をもてるはずである。
壊れる所得再分配機能
だが、安倍は、努力が正当に報われるには競争がおこなわれなければならないと結論づける。これは安倍自身がのべるように、「構造改革がめざしてきた社会」にほかならない。しかしちょっと、まてよ。「2001年の所得再分配で、税金などを差し引かれる前の当初所得で見ると、たしかに過去最高の0.4983を示している」とのべているのは当の安倍である。ついでにいえば、安倍はこの0.4983を補正後の0.3812とを比較し、「それほど顕著な格差の拡大はみられない」などと無責任な見解をのべている。
これは同じ性質をもつ数字の経年比較が重要だろう(下記参照)。安倍は経済が分からない、と心底疑いたくなる。
安倍ものべているとおり、ジニ係数を補正するのは所得再分配の機能なのだが、それがじっさいには「構造改革」がすすめられるなかで機能していないことを問題にあげないといけない。
日本での代表的なジニ係数の統計には、厚労省の「所得再配分調査」(3年ごと)や、総務省の「家計調査」(毎年)がある。しかしそれぞれの長期傾向を見ると、日本のジニ係数は1960年代から1970年代までは一定範囲内で変動していたが、80年代からは不平等度が拡大しているといわれている。
以下の数字をみてほしい(厚生労働省「所得再配分調査」)。
・当初所得 0.47(1999年)⇒0.35(1981年)
・再分配後 0.38(1999年)⇒0.31(1981年)
この変化の背景は、こう考えることができる。このときは、福祉切り捨てや「規制緩和」「自由化」などが「改革」の名によって進められた時期と重なる。
「構造改革」のなかで法人税減税の一方で所得税負担がひきあげられたのは低所得者だ。ごく大雑把にいうと、法人税減税分を庶民の増税で補ったといったほうが分かりやすい。それだけではない。社会保障も所得再分配機能をもつが、だれでも分かるとおり、その給付水準の引き下げや保険料のアップによって、本来であれば調整し、ジニ係数を引き下げる方向で補正する、つまり格差を縮めるその機能は低下しているのである。
「構造改革」のなかで所得再分配機能が低下させられ、それゆえに所得格差が広がる。これが「構造改革」の1つの表現ともいえる。
ところが、安倍は、「努力をした者が報われる社会」をめざさなければならないといっておいて、そのために競争がおこなわれるべきだと説くのだから、安倍のめざすところは、およそつぎのように断定できる。つまり、競争をおこない努力が報われる社会=格差社会をいっそう促進する、と安倍は説いていることにはかならない。
安倍がめざす勝ち負けの社会
堂々と安倍はいう。
競争がおこなわれれば、勝つ人と負ける人が出る。格差があらわれてきたのは、ある意味で自然なことであろう。
まさに開き直りとはこのことだ。
たしかにそのあとでセイフティーネットを申し訳程度にのべているが、その具体的な中身はいっさい明らかにしていない。
それどころか、つぎのように聞き捨てならないことをのたまう。
人は誰でも失敗する可能性があるし、不幸にして病気になることもある。そういうときの保障がきちんと手当てされていなければ、再挑戦が不可能になる。
競争や勝ち負けの論理で彩られる安部の頭のなかに、誤解をおそれずにいえば庶民という存在はない。要するに格差社会をつきつめるとこんな姿だろう。弱者切り捨ては、ポスト小泉の既定の路線だ。だからこそ、AbEndなのだ。
―――――――――――――――――――――――――
一億総中流;
1960年代から見られる日本の国民意識を指す。70年代から80年代に特に強くみられた。終身雇用に支えられた9割方の国民が、自分を中流階級だと考え、ほんの少し無理をすればマイホーム・自家用車・家庭電化製品などの耐久消費財に手が届くようになった時代。
「消費は美徳」「金満日本」という言葉が、一億総中流の時代を象徴しており1974年のロッキード事件などの度重なる汚職が、時代の空気を反映していた。
1991年のバブル崩壊と同時に、一億総中流の社会も崩壊してしまったとする意見もある。
ジニ係数;
イタリアの数理統計学者ジニが1936年に考案した指数。所得にかんするジニ係数なら、“その国や集団の構成員の所得格差が、全体として、平均所得にたいしどれだけになるか”を表す。
たとえば、平均所得が5百万円でジニ係数が0.4の集団なら、構成員どうしの所得の差を全体としてみると、5百万円の40%にあたる2百万円の格差があることになる。
« 前ページ |