森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2009年6月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |||
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | ||
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | ||
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | ||
28 | 29 | 30 | ||||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
核密約証言が語るもの
政府高官「密約はないことになっている」 核持ち込みで 日米両政府の「核持ち込み密約」の存在を河村官房長官が否定したことについて、政府高官は29日、記者団に対し「政府見解だからしょうがない。文書そのものがないことになっている。ないものは出せない」と、政府見解が建前とも受け取れる発言をした。 元外務次官の村田良平氏が密約に関する文書を引き継いだと証言したことについては「政府見解として固まっているから、その人の言っていることは正しい、なんて言えない。本当に証拠を出してくるなら別だが。外交とはそんなものだ」と述べ、政府として調査する考えがないことを強調した。 |
村田元外務次官が明らかにした日米の核密約の存在。
事務次官ですから、重要機密事項に深く関与しているだろうことは否定できませんし、それゆえ村田元時間の証言を信じて余りあるというところでしょうか。
ところが、冒頭の記事にあるように、歴代の自民党政府は、密約はないと一貫して否定してきました。記事の見出しにあるような、奇妙なレトリックを高官がもちいざるをえないのは、(政府の)公式見解と事実との齟齬が明白になったことを裏返しに証明しているものと受け取れます。
「ないことになっている」とは真実と外形が異なっていることを示しています。あるのだが、ないものとして扱うということでしょう。
かつて、米側公文書をもちいて不破哲三氏が森喜朗当時首相などを追及しました。が、政府は、密約はないといっさい認めようとしませんでした。29日の河村官房長官が、記者会見で「ご指摘のような密約は存在しない」と改めて否定したのも、これまでの自民党政府の対応の繰り返しでした。官房長官の発言も注意深く読んでみると、すでに共同通信が6月1日に密約を配信したのちだからでしょうか、どこかに回りくどさ、ある意味で慎重な言い回しのような雰囲気も漂わせています。
「事前協議がない以上は核持ち込みがないと、まったく疑いの余地を持っていない」と述べた。
http://www.asahi.com/politics/update/0629/TKY200906290265.html
むろん事前協議がないので核持ち込みはないという論理は奇妙なものですが、ここでいう事前協議なしに核が日本を移動・通過する、していることがいわば当たり前の常態である(と私は思っています)ので、事前の協議などなかったに決まっているでしょう。
しかし、元次官の証言は重い。
歴代自民党が、事実とは異なる答弁を繰り返していたことは厳しく問われないといけません。国是たる非核三原則が確立されている日本ですから、この事態に際して、国政調査権の発動は当然です。国会真相の徹底究明をすべきだ
同時に思うのは、日米軍事同盟の根深さです。米国の世界戦略にそって、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の原則が日常的に踏みにじられていることを証言は私たちに伝えているのではないでしょうか。
金融危機であらためて露呈したこれまでの大企業優遇の姿勢とともに、自民党政治のもう一つの特徴に、米国追随の姿勢があります。この密約の存在を示した証言は、この米国追随の姿勢をこのまま続けて良いのかということを私たちに問いかけているのではないでしょうか。
日本と米国の間には日米軍事同盟という従属的関係があります。
民主党が今回の核密約問題に反応しないのも、ですから理由は簡単です。
独立国家の主権者がこれをこれからも黙認するのかどうかが問われています。
(「世相を拾う」09118)
■こちらもお願い⇒
都政与党の民主は都議選をどう戦うのか
私たちは中央政治と地方政治という2つの面で政治にかかわっています。
国の動向を決定づける中央政治にむろん私たちは無関心ではいられないわけですが、それでは地方政治とは疎遠であってよいのかといえば、そうではありません。
考えてみると、日常生活におけるたとえば水道代は地方政治によって決まる。そして子どもたちの授業料もまた、地方政治が決めるというわけです。日常生活の少なくない部分は、地方政治にかかわっています。
もうずいぶん前のことですが、老人医療の無料化を打ち出したのは、美濃部都政でした。革新自治体の広がりとともに、その経験が全国に広がりました。そうして、自治体の役割は地方自治法によれば住民の健康と安全を守ることとされていますが、その立場にたてば、住民にとって医療費無料化の動きはまさに地方自治の精神にかなったものと評価されてよいはずでした。しかし、こうした広がりにたいして、たとえば老人医療を充実させることは、枯れ木に水をやるようなものなどというイデオロギー攻撃が自民党によってしかけられ、周到な革新自治体つぶしが準備されてきたのでした。
そして、かつて美濃部亮吉という学者を知事にすえた革新都政も、いまや石原という反動政治家をトップにいただいている始末です。そして、重要なことは、この石原を支えるのが、自民、公明はいざしらず、中央政治で「自民党と対抗しているはず」の民主党が与党として支えている事実でしょう。これを、単純にねじれとして受け止めてよいのか、あるいは地方と中央はちがうなどと私にはほとんど理屈が分からない説明で斥けてよいのでしょうか。
その東京都で、都議会議員選挙がまもなく告示日を迎えます。もとより、中央政治と地方政治は無関係で存在するわけではありません。それだけではなく、東京都は様々な意味で日本の中心であるのは事実でしょうから、ここの議員選挙の動向が中央政治に与える影響は少なくないと考えるのが普通でしょう。
この議員選挙で、中央政治での対決姿勢をことさら強調する民主党はいかにたたかうのかは、とても興味深いところです。なにしろ、都議会では民主党も極反動と私が思う石原を支え、提出される議案に反対することなどないのですから(民主党は知事提出議案の99.3%に賛成したといわれています)。ここでは対決姿勢などありえないはずなのですから。
昨日のエントリーでは、国会における水俣病法案にかかわって、民主党の中央幹部が深く関与し、そこに熊本県知事も加わって、自民党との合意形成に乗り出す民主党の裏の顔に言及しました。つまるところ、中央政治があれほど対決姿勢をことさら強調する民主党が、実は、救済されるべき主人公たる患者・被害者をないがしろにし、企業の救済のために審議を打ち切ることも辞さないという姿勢に、私は率直にいって憤りに似た気持ちを抑えることができません。
中央と地方はちがうのではなく、欺瞞的に対決姿勢を強調するが、実際は、地方政治におけるオール与党体制と似た状況が国会に存在することに目をむけなくてはならないと思うのです。
中央政治も、自公と民主は同じ方向をむいているということです。
話を都議会議員選挙に戻すと、石原与党の民主党が勝利するためには、共産党や社民党のちがいを鮮明にするだけでなく、自民党と公明党という中央政治の与党との違いをはっきり有権者に示すことが、選挙戦術上も不可欠でしょう。ですから、民主党は告示日が近まるにつれ、野党らしさを前面に出し始めたのです。けれども、新銀行に賛成をし、三環状道路に賛成してきた事実をかき消すことはできない。国会ではあれほどムダ使いの是正を主張する民主党ですが、東京都ではいったいどれだけの税金の浪費に加担してきたのでしょうか。
繰り返すと、地方と中央はちがうなどという屁理屈は受け入れられない。むしろ地方のオール与党体制はプロタタイプであって、中央政治においてもこのところの各国会でも繰り返されているように、有権者に見えづらい部分で政治決着が図られるという事実上の自公民の協調体制が顕著になっているのではないでしょうか。その意味で、民主党のいう政権交代というものが、ほとんど無内容なもののように私には思えます。
とりあえず衆院選挙よりは先に実施されるはずの都議会議員選挙は、以上の意味で興味深いものとなりそうです。
(「世相を拾う」09117)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
現実路線という名の政治決着- 水俣病法案
原則的な態度を貫くと硬直的だといわれたりすることは、珍しいことではありません。逆に、非原則的態度で妥協したり、弱点や欠陥に目をつぶることにたいして、現実的という言葉で、積極的な評価を与えることもしばしば遭遇することでしょう。
政治の世界ならば妥協も少なくないのでしょう。が、仮に妥協するとしても、少なくとも妥協によって国民にとって一歩でも前進点があったりすればこその話でしょう。
話は水俣病法案について。
直感的にうかぶのは、幕引きではないかという疑念です。ただし、法案の対象たる患者にとって前進といえる余地があるかどうかを考えなければなりません。
記事から察すると、与党はすでに民主党との間で合意が可能である判断は強いもののように私には思えます。
民主党はこうのべています。
より手厚い救済を主張する民主党の山岡賢次国対委員長は協議後、記者団に「30日は折り合わないと思う」と強調。ただ、「都議選前に解決しようということになる」と語り、7月12日までには合意する必要があるとの認識を示した。 |
さて、私が幕引きではないかとのべるのは、患者会のこの間の主張が今国会での政府与党と民主党の合意形成のための話し合いの本質を正確に衝いているように思えるからです。
私のところに送ってきたコピーによれば、患者会、弁護団の主張は以下のとおり。
合意は与党救済法案を成立させ、患者ではなく原因企業チッソを救済するだけ
大石利生患者会代表と園田昭人弁護団長は参院議員会館で会見し、「与党案は国や県の責任が不明確。水俣病の実情に詳しい作業部会でもっと協議すべき」と指摘。特に法案検討を作業部会からはずした民主党の対応を厳しく批判した。両団体(=水俣病不知火患者会とノーモア・ミナマタ国倍訴訟原告弁護団、引用者)は合意撤回を求め、25,26日の両日、約40人が座り込みを行う。 |
水俣病未認定患者救済法案を成立させたいとする政府与党は、合意づくりのために、民主党とのこれまでの実務者レベルでの協議から与野党の国対委員長レベルの協議に格上げし、予定では30日の環境委員会での採決をもくろんでいます。地元では第一次訴訟からかかわり、民主党法案作成の中心にいた松野信夫議員を協議のメンバーから外しています。
法案に詳しくふれる余裕はありませんが、はじめに加害企業チッソの分社化ありきの法案。肝心の被害者を大量に切り捨てる性格を法案がもっていることは否定できません。いつものように国会終盤で山岡が動き、熊本日日新聞によれば、蒲島熊本県知事が動き、親交のあった前原誠司、菅直人がかかわり、園田博之・自民党政調会長代理が暗躍し、法案実務者レベルの交渉を打ち切り、政治決着を準備した格好です。
これが果たして現実的対応なのでしょうか。あたかも柔軟で、漸進的な積極的評価を含意してしばしば用いられるこの言葉の実態はこういうものなのです。
この法案にかぎっていえば、もっとも大事なはずの被害者、患者が横に措かれ、見捨てられる結果しか生まない決着を到底、評価することはできないのです。
ただ国と企業の責任を免罪するだけでしょう。ここに、自民党はもちろん、やはり民主党もまた、企業にモノをいえない政党だと証明される一つの事実が横たわっているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09116)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
橋下新党構想- 自民党政治の破綻を取り繕うもの
メディアがさかんに橋下や東国原の動きを伝えています。どこかしら、胡散臭さを漂わせながら。これが率直な私の受け止めです。
朝日新聞本日付朝刊によれば、
(http://www.asahi.com/politics/update/0626/OSK200906250158.htmlに同趣旨の記事)
大阪府の橋下徹知事は25日夜、衆院選をにらんで横浜市の中田宏市長らとつくる首長連合について「僕は自治体の長による政党を目指していく」と語り、地方分権を旗印にした新党結成を視野に入れていることを明らかにした。朝日新聞の取材に答えた。 |
さらにこの記事は次のように伝えています。
橋下知事は新党について「地方分権党」というイメージとしたうえで、「地方の政治を考える党。国会議員を擁する政党とは一線を画する。僕と露木町長はそういう考えだけど、賛同者はまだゼロ。まさに今日から」と語った。 首長連合にはこれまで約20人が賛同している。東国原知事も自民党からの衆院選立候補が実現しなければ、首長連合に参加する意思があることを明らかにした。 また、25日には自民党の中川秀直元幹事長が都内で橋下知事と会い、霞が関改革と地方分権で連携を打診。中川氏は「橋下知事の動きは、次の選挙に一定の影響を及ぼすと思う」と報道陣に語った。 |
テレビでは、橋下氏の言動を、どちらの党を支持していくのか、(マニフェストも考慮し)それをはっきりさせる、と報じており、彼らの動きの性格を踏み込んで伝えました。
結局、橋下氏がどのような前置きをのべようが、今の自民か、民主かの選択を有権者に強いようとする保守陣営の思惑、枠組み以上のものではないし、そこを一歩もでるものではないということを証明しているのではないでしょうか。
橋下も東国原も、今度の選挙は、地方分権を問う選挙だとも主張しています。これは、まさに今度の衆院選挙で問われるのが、これまでの自民党政治を続けるのか、それともこれを変えることができるのか、その点でどの政党に一票を託すべきなのか、という論点から有権者の目と耳を塞ぐものといってよいでしょう。
自民党政治のゆきづまりはほとんどの有権者が感じとっているでしょうし、ではこのゆきづまりを有権者本位、国民本位の政治にかえうるのは誰か、そこに有権者の関心もあるのでしょう。民主党の政権交代論も大々的に打ち出されてきたものの、いまや、その後の政局の推移のなかで、自民党とのちがいがいっこうに明らかにされないままで、有権者のなかには民主党の裏と表に気づきはじめている人もいるように私には思えます。このまま民主党にも託せない。鳩山氏の献金問題が好例であるように、ほとんど両党の現実政治のなかでのちがいはないのです。
こうした自民党政治のゆきづまりと、民主党もおよそ自民党と変わりがないことが有権者にはっきりしてしまえば、そもそもの保守派が画策してきた二大政党制も危うくなるわけで、ある意味で橋下、東国原、そして中田宏らの動きは、これをくいとめ、もう一度、自民か(あるいは自民改革派か)、民主党か、という論点に有権者を引き戻そうというのが本質でしょう。
彼らの一挙手一投足をさも新しいものであるかのようにメディアは報じます。
しかし、冒頭のように、どちらを選択するのかを決めるともいいきっているわけで、この首長連合とやらの潮流が、自民、民主という枠組みのなかでの「再編」以上のものでは少しもないことを知ることが大事でしょう。
そもそも地方分権といいながら、地方政治において新自由主義的手法の延長で、住民に犠牲を強いてきているのが橋下であり、東国原であり、中田といえるのでしょうから。
まあ、結論づけていうと、たとえるなら橋下は起死回生の、新魔球を投げたつもりでいるのでしょうが、せいぜい保守派の変化球を投げているにすぎません。
(「世相を拾う」09115)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
迂回献金疑惑の与謝野氏がのべる社会保障費抑制
与謝野氏が迂回献金疑惑にさらされています。
日本政治のていたらくを直近のエントリーでふれましたが、この件に関する報道は、終末期とも思われる自民党にとっては、それを加速するに足るものとなるのかもしれません。
与謝野氏といえば、麻生政権にとって、財務・財政・金融を一手に引き受ける要職にあるわけですから、その影響は否定しようがありません。
経済財政運営の基本方針である「骨太の方針2009」が決定されました。
これをどう評価するのか。みる者の立場がはっきり別れます。
たとえば読売新聞はつぎのようにのべています。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090623-OYT1T00927.htm
この見出しをみれば一目瞭然、読売は、社会保障費抑制を撤回したことをいちばんの押し出しにしています。しかし、むしろ私たちは依然、政府が社会保障費を抑制しようとする姿勢を崩していないことに着目しなければならないのではないでしょうか。
もともと喧伝されている2200億円の抑制というものを考えると、増えるのが「自然」だと考えられる部分にメスを入れ、自然増を抑制するという痛みを国民に押しつけてきた矛盾が今日の状況をもたらしているのですから。それを撤回して、いわば当たり前のはず。
実際は、前のエントリーでものべた生活保護の母子加算廃止にみられるようなもっとも弱い部分をさらに痛み付けることに何の呵責も感じていないのが今の自公政権にすぎません。
そう考えると、強調すべきは、むしろ社会保障費を抑制するという姿勢を政府が堅持していることです。冒頭の与謝野財務・金融・経済財政相はたしかに2010年度予算編成では2200億円の抑制を適用しないとのべたのわけですが、その彼が「骨太の方針06」をふまえて歳出改革を継続するとのべたことを重視すべきだと私は思います。しかも、10年度はあきらめましたが、5年間で1.1兆円の抑制そのものを決して諦めたわけでもなく、きちんとそうのべたのですから。
そして消費税増税の11年度からの実施を織り込んでの発言であることを確認しておくことが重要でしょう。10年はやらないが、11年になったらやる(かもしれない)。消費税増税で財政的不足を補おうというものですから、まさに二重のごまかしが隠されています。
読売の記事は、その点で甘く、政府与党の対応をこの点で持ち上げた格好であるのは否めません。
さあ、これに民主党は対抗できるのでしょうか。私には、残念ながら不可能なように思えてなりません。
まあ、献金疑惑のただ中にある大臣がもっとも弱い立場の人に牙をむけていくことを
方針として堂々とのべるこの日本国。政治のていたらくの極みの一つがここにあります。
(「世相を拾う」09114)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
貧困が視野から欠如する日本。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090424/crm0904240029001-n1.htm
少々古いこの記事は、西淀川の事件を虐待の悲劇として伝えています。報道では、この女児はこれまでも両親から虐待を受けていたわけですし、その兆候はみられたといいます。そのサインを周囲がつかむことができず、適切な対応がとられることなく、結果的に最悪の事態を招いたということでしょう。
さて、入院によって、これまでの自らの行動様式を、いやがおうでも見直さざるをえず、生活のすべてを大げさにいえば再検討することになりました。こうした環境におかれてみてあらためて、これまで余り気にとめなかったような問題をある意味で深く考える機会を与えてもらったと解釈すべきでしょうか。気づかなかったことももちろんたくさん発見できました。折にふれて扱っていければと考えています。
いっぽうで日頃、題材として政治をとりあげてきましたが、この期間中、政治のていたらくの感想をいよいよもたざるをえませんでした。およそ政治に信頼を寄せるなどとは考えにくい今日の国会状況だと思えます。自民党の終末期的右往左往は極まっていますが、一方の民主党も少なくない有権者には自民党とかわらないことが徐々に見抜かれてきたのではないでしょうか。
先の西淀川の事件は、こうした自民党と民主党の狭くて、少しも面白くはない政権争い劇とは、うってかわって、日本の今日の社会的状況を深刻に映し出す一つの出来事だと考えることもできるのではないかと思います。
虐待の背後に貧困の問題がある。
報道によれば女児は、離婚していた母親とともに、昨年12月に現父親と同居をはじめたといいます。その時期には、両親とも失職しています。背景に貧困の問題が横たわっていると多くの人が考えても不思議ではありません。
虐待という一種の病を、社会がつくり出している。そう思えます。だから、そう考えると、この家族の問題はこの家族だけの問題ではありません。
世界的な金融危機は、この病を拡大する可能性をはらんでいます。派遣切りで仕事と住居を奪うにとどまらず、正社員からも容赦なく仕事を奪う事態ですから。
ところが、わが政府の対応は、14兆円もの税金を使って人気とりはやるのですが、もっとも困難な立場に置かれている人びとにとって、これがどれほど有効なのでしょうか。そうではなく、政府がやってきたことは、一つあげると、この4月からの生活保護の母子加算の廃止です。もっとも弱い立場の人に目をむけるのではなく、もっとも弱い立場の人にさらに苦しい生活を強いたのが自公政権です。
この一例に象徴的なように、日本(の政府)には貧困の概念がきわめて希薄なのではないか。ほんとうに国民の生活を安定させ、安心できる社会をめざそうとしているのか、疑わしい。貧困の概念が希薄といいましたが、日本政府は貧困という概念をまず認めていない。貧困の基準をもちえていないのです。
相対的貧困という考え方があります。OECD(経済協力開発機構)などが採用しているものです。収入が仮に同じでも、発展途上の国と先進国では生活水準はまるっきり違う。分かりやすくいえば、この考え方は、その人が生きている社会の通常の生活レベルと比較して貧困を判断するというもので、基準は各国共通です。
全世帯の所得を世帯人数で調整後、高い方から低い方に並べ、その真ん中の世帯を中央値とよび、その中央値の半分に満たない世帯を貧困と定義づけるのです。仮に21世帯であれば、11番目の世帯の所得が中央値というわけです。
統計上は、ルクセンブルグ所得調査のデータが使用されていますが、日本はこのルクセンブルグ所得調査プロジェクトには参加していないといわれています。
数字は冷厳です。
貧困率をとりOECD所得と比較すると、日本はOECD諸国26カ国中10位。貧困率は14.3%。貧困率がもっとも低いのはデンマークで2.4%、日本の6分の1にあたります。貧困率1位はメキシコ(27.7%)、アメリカが第二位(21.9%)。
以前に日本のこどもをめぐる環境の問題について、以下のエントリーで言及しました。
日本の子どもは「孤独」、誰がこうしたのか
そこでは、日本は、親が働いていない家庭の割合が、先進国中で最も少ない0・4%。ところが、平均収入の5割を下回る家庭に暮らす「貧困児童」の割合は、14・3%にのぼり、最悪の米国(21・7%)から数えてワースト9位となり、子どもを持つ「ワーキングプア」の家庭が相当数に達していることにふれました。
80年代半ばから世界各国では貧困対策がとられてきました。その結果、80年代半ば~90年代半ばにかけての時期と、90年代半ば~2000年という2つの時期で貧困が拡大したのは、先のエントリーでも名前のあがっていたニュージランドと日本だけということです。
貧困の基準すらない日本。であればこその結果といえるのではないでしょうか。
西淀川の事件は、その日本のまさに氷山の一角。ましては、両親を責めるだけでは、虐待とその背景にあるだろう貧困を解消することはむろんできるはずがありません。
(「世相を拾う」09113)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒