森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2008年12月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |||
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | ||
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | ||
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | ||
28 | 29 | 30 | 31 | |||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
読売、解雇労働者の「生活保護」受給に水
当時と異なるのは、経済のグロバール化と新自由主義的な展開のなかで、企業が国内の消費より海外を重視した結果、一転、不況の深刻化のなかで解雇がうちだされていることです。一方で、当時も、今も変わらないのは、企業というものが常に労働者を使い捨て、犠牲を押し付けようとしている姿です。
そうであるからこそ、労働者にとってはまったく身に覚えもない理由で首を切られ、職につくことも、住まいも奪われ、結局、生活を奪われることになるわけですから、彼らこそは社会的に保護されなければならないと思うのです。
こうした私の考えが間違いであるかのような印象を与える記事に遭遇しました。読売新聞の本日30日付の記事です。
生活保護不正受給、過去最高の91億超…読売調査
記事が紹介する同社の調査は、はたしてどんな意図をもって実施されたのでしょうか。そこに私は疑問をもちます。
読売が扱うのは生活保護の受給について。社会的に保護されなければならないと考える私は、生活保護を今の時期こそ発動しなければならないと思う。
記事は、なるほど、昨今の情勢からみて生活保護が増えるだろうと見通してはいるのですが、その関心は、しばしば扱われる不正受給でした。結局、文脈からすると、この不正受給が生活保護の拡大を妨げる要因になる、こう指摘しているに等しいものです。不正受給の実態があろうとなかろうと、生活する術を断たれた解雇者について、セーフティネットが機能しなければなりません。
この点でまず、記事の着眼そのものに強い疑念をもたざるをえません。
ところで、生活保護費は、厚労省調べによる限りつぎのようです(参照)。厚労省データをもとに表を作成しました。
世帯あたりの保護費を算出すると、表の4年間に徐々に世帯あたりの金額は低下しています。
読売調査によれば不正総額は、総額91億5813万円、件数(07年度)は1万5993件。ですから、不正の発生率は1.4%、額は、直近の数字が得られないために03年度総額で置き換えて算出した場合でも全体の0.4%にすぎません。
確実に私たちが知らされているのは、今回の解雇・雇い止めが8万5000人に及ぶだろうという予測が今あること。彼らの全員が再就職が不可能であるかどうかにかかわらず、少なくない労働者が生活の道をたたれるだろうということは容易に想定される。不正の発生をはるかに上回る生活保護を受給してしかるべき人びとがそこにいるということなのです。
今、必要なことは、彼らを路頭に迷わせることがないようにすることです。すぐにでも公的な支援策を実行に移すことです。もちろん解雇しようとする大企業に撤回を求め、責任を果たさせる課題が重要であることは論をまちません。
読売のように今の時期に不正を問題視することが、労働者支援にどれほどの意味をもつのか。むしろ記事は、視点をそこにずらす役割を果たしているのではないでしょうか。
今回のデータが厚労省発表のものではなく、読売独自の調査にもとづくものであればこそ、その意図はより明確ではないか。
「今後、生活保護の申請増に比例して、不正受給も増えるのではないか」と自治体の担当者は語らせるあたり、いわば確信犯ともいえ、メディアがノイズの役割を果たす典型のようなものといえるでしょう。
(「世相を拾う」08276)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
貧困を生む社会- 派遣切り 関連エントリー
経済のグローバル化と新自由主義にのっかって、日本の大企業は膨大な利益を確保してきました。米国のサブプライムローンのバブルがはじけ、一転して世界経済に影響が及ぶと、企業は労働者へのしわ寄せでそれを乗り切ろうとし、期間工・派遣労働者の解雇・雇い止めを打ち出しています。
以下に12月以降の関連記事をまとめました。また、貧困ビジネス関連エントリーを再掲しています。
規制への反転- 志位グッJobから解雇予測の修正まで (29日)
反貧困の流れを広げることについて (20日)
ヒセイキという現実または靴を投げられたブッシュ (19日)
解雇の年末- 働く能力のある者全てに機会を (18日)
キヤノンの恥辱- 杵築市が失業者を臨時雇用 (16日)
歳末鳥獣戯画-希望は戦争か、連帯か (14日)
「派遣切り」大企業経営者の顔- キヤノンの場合 (14日)
止まらない人員整理- 産業予備軍としての非正規 (10日)
派遣・期間工切りを断て- 強力な介入が要る (6日)
年の瀬に思うこと- 期間工の決起と「大連立」(1日)
貧困ビジネス 関連エントリー (11月9日)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
規制への反転- 志位グッJobから解雇予測の修正まで
自民、民主の対決構図がいかに語られようと、実際の国会審議の内容といえば、それにふさわしいものでは少しもない。この二大政党の国会論戦なんて、まったく迫力がない。
こんな状況が、昨年の大連立密室協議以来つづいている。
一方で、国会審議におけるこの2つの政党の動向とは、実際にはちがったところで政治が動いている。
今年2月、志位共産党委員長が予算委員会で、労働者派遣法をあらため労働者保護法をと迫った。そのなかでキヤノンの雇用実態も暴かれたのだった。
この質問が反響をよび、ネット上では志位グッジョブの文字が躍った。ニコニコ動画のアクセスも急増したという。
その後、キヤノンは、子会社を含めて製造現場で一万二千人におよぶ労働者派遣契約を年内に解消し、六千人を期間工として直接雇用するとともに、残りを業務請負に置き換える方針を明らかにした。同じように、いすゞ自動車も、コマツも、派遣社員も直接雇用に切り替えていく方針を打ち出したり、期間社員にする方針を表明した。
今年は、だから派遣法を取り巻く環境が大きくかわったといえる。規制緩和から規制へ。2009年問題が控えていることも背景にあるだろう。こうした共産党のこの問題での積極的な対応は、労働組合との懇談などを経ての、積み上げられたものだ。
労働者保護、とくに派遣問題をめぐる以上の変化は、昨年の参院選をへていちだんと顕著になった、国民諸階層のこれまでの運動の蓄積が実際に政治を動かしてきた事実と連続している。今、ここで事実と私がよぶのは、たとえば薬害肝炎訴訟や後期高齢者医療制度、医師不足問題などを指している。
これらは、山口美智子ら薬害肝炎患者の長年の運動がかちとったものであり、年齢によるあからさまな差別を持ち込もうとした制度への当の高齢者たちの全国各地での地道な活動であり、本田宏氏はじめ現場の勤務医たちの決起であった。
その労働者の雇用環境は一方で、いよいよ深刻化している。自動車関連産業をはじめ、金融危機と世界不況を理由に解雇・雇い止めが横行する事態にいたっている。当初いわれていた3万人の非正規雇い止めの見通しは、最近8万5千人に修正された。年度末が近づくにつれ、再び修正されることも想定しなければならない。
今朝のテレビでは、派遣労働者をインタビューし、彼らをとりまく雇用環境の実態を映し出していた。財布に残ったのはわずかに26円。こうなると、公的支援か、もしくは家つきの働き口を探すしかない。映像で自らの生活ぶりを語る労働者の一人は31歳だが、ハローワークを訪ねても、就職したいのは、もちろん相対的に安定的な職種、彼の場合は警備員だったが、身元保証人のなり手がない彼は、その点だけで採用からははずされるのだ。
もう一人の労働者は、かつての派遣の生活を述懐していた。少し前のエントリーでとりあげた河添誠氏が語ってくれたことが、この労働者の口から、まるで録音でもしたかのように、まさに再生されて出てくるのだ。派遣会社とそこで働く労働者の非対称的な関係を前提にした貧困ビジネスのしくみが、雇用関係に介在する。転職できても、その機会ごとに貧困に向かう蟻地獄。貧困をつくりだす社会的システムが作動している。昔のタコ部屋にも近い小さな部屋に住まわせ、毎日、部屋代1300円、食事代(3食)1500円を請求する。当然、働かなかった2週間程度の期間に、持参していたわずかなお金はなくなってしまっている。もう、こうなると、働かせる側は生殺与奪の力を得たことになるのだ。湯浅誠氏も登場させ、このしくみこそ貧困ビジネスだと番組は指摘していた。
派遣労働者はこうして、現状から一歩一歩、貧困の過程をたどっていくのだ。湯浅氏はこうした社会を総称して「すべり台社会」とよんだのだった(たとえば『反貧困』)。
この労働者を貧困へ貧困へと誘い込むしくみの前に、派遣労働者はどうしてあがなうことができようか。はいあがる展望をおそらくは持つことが不可能にみえ、そうすると、労働者のとる選択肢の一つに自殺というものがありうる。雇い止めは8万5千をさらに上回るだろうから、そうした状況は、いっそう自殺志向を高める要因になると考えられる。
ここ10年ばかり、すでに日本では自殺者が年間3万人を下回ることはない。西欧諸国とくらべて、はるかに多い自殺者の数。その背景には、もちろん日本の貧弱なセーフティネットがあるだろう。そして、それをおそらく後押しするのが、社会的に貧困に追い込むしくみができあがっていることによっているように私には思える。
1989年以来の、労働者派遣法の改悪がつづき、規制緩和がその流れだった。その結果が、つまるところ今日の事態をもたらしている。そこに多くの人が気づき、世論の高まりによって反転の兆しが明確になっている。その反転をしっかりしたものにしていくためにも、この年末から年明けに大企業への規制強化を求め、社会的な責任というものをとらせることが必要ではないか。
(「世相を拾う」08275)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
失業率は、高い労組組織率ほど高くなる?!
五十嵐仁氏の著作についての池田信夫大先生の書評をめぐって、波風が立っている。
池田氏のものしたものが果たして書評とよべるのか疑問だが、知人の紙屋研究所がすでにこれに的確な批判を加えている。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/roudousaikisei.html
当の五十嵐氏が、池田氏の一文に反論しないはずはもちろんなく、徹底した反批判が準備(*1)され、ほぼ池田氏の逃げ道はなくなったように思える。この内在的な批判にどう答えるのか待たれるところだが、応答はないようだ。
池田氏は、五十嵐氏が語っているように、およそアカデミックな立場にある人物だとは思えないような文章を書き連ねている。常習者だ。だいいち、「読んではいけないもの」というカテゴリーすら設けているのだから。けしかけている。
たとえば、ある人をとらえて、「中学生なみの知能」というあたり。これ自体、おかしいではないか。教授たる人物が中学生を「本気」で相手にし扱わねばならないというところが。通常、ほっとくだろうに。
しかし、一方で、たびたび罵詈雑言を並べ立てるご本人の池田信夫大先生が、ではいったい学者としてどれほどの評価をえているのだろう。
氏の著作リストをみても、彼の毒気のある口調とは結びつかない程度のささやかな業績ではないのか。
さて、氏には、こんな具合の言説がある。
「労働者保護」が強く労働組合の組織率の高い国(あるいは州)ほど失業率が高いのは、経済学で確立した定型的事実だ。厚労省の進めている「労働再規制」が、彼らの主観的な温情主義とは逆に、失業という格差を拡大することは確実である。 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5da8be5a2b3647d19defe7fc01fe8e7c |
労組の組織率は18%にすぎないので、春闘でベアをやったところで、もともと恵まれているノンワーキング・リッチがさらにリッチになって、格差が広がるだけだ。サマーズも指摘するように、組織労働者を過剰保護すると非正規労働者にしわ寄せされ、自然失業率は上がる。そもそも業界全体で横並びの賃上げをする春闘という賃金カルテルが、まだ残っているのが異常なのだ。 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/153f6e42c9974b9fecb8587809017d50 |
たしかに西欧諸国の失業率は日本よりはるかに高い。とはいえ、日本には統計上、諸外国に比較すると低く表されるのだが。
たとえばフランス。日本が4.1%(06年)にたいして8.8%。ドイツにいたっては9・8%だ。なるほど池田氏のいうとおりだ。
が、失業率と同時に貧困率も一方でみておかなくては事情は分からないだろう。少々旧いデータ(2000年相対的貧困率)だが、OECDによれば、日;13.6%、フランス;6.0%、ドイツ;8.0%という結果になっている。
日本と比較して貧困率が低い背景には、西欧諸国の生活保障があると推測される。
06年の一時期、高校生も巻き込んだ大規模な、若者雇用促進政策「初期雇用契約」(CPE)反対闘争が海を渡って伝えられたように、長い間、社会保障にかかわる高い企業負担が存在する。だから、結局、反対にあってCPEはつぶれたが、企業は抑制を図ろうとしたのだ。また、ドイツの失業手当は手厚い。
このような労働者の生活保障は、日本の失業給付とくらべるとはるかに充実していることが一因にもなっていると予測できる。
労働者が保護されると失業率が高いと書くとき、池田氏はその部分が一人歩きするのを期待しているだろう。氏が五十嵐氏にかみついたのは、まさに五十嵐氏が(企業にたいする)規制を求めようとしているからで、その規制に反対し、労働者保護に反対する池田氏とは正反対に位置するからである。
そのために、手段をえらばないのが氏である。ちょうど、自分とはちがう見解、学説を「読んではいけないもの」とくくったうえで、排除をけしかけるのに象徴的なように。
この水準は、ブログの世界だ、悪罵、毀誉褒貶に満ちた。氏のようなウヨクでなくても、それは十分に浸透しているといっていい。
激しい言葉の羅列ほど、空虚なものはないのだが。
(「世相を拾う」08274)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
*1;拙著『労働再規制』に対する池田信夫氏の書評への反論(その1~その5)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-12-20
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-12-21
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-12-22
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-12-23
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-12-24
ブックマークに追加しました- マスコミに載らない海外記事
私のなかでは、暗いニュースリンクと同様の位置を占める。少なくとも私にとっては、疎くならざるをえない海の向こうのことを知る術がそこにあるのです。
さて、2006年にブログをはじめた私ですが、誰でもおそらくそうであるように、まず仲間探しから始まりました。ぎこちなくても、やりとりができる。これほど、はじめた当初、うれしいことはありませんでした。そして、私の場合、周りではリベラル・平和派とよばれる立場のブログ主が相対的に多かった。
以来、月日が経つにつれて、しだいに主張の深浅、別のことばでいえば、私からみて問題の本質にどう迫っているのか、それが気になりはじめました。ですから、以後、頻繁に訪れるブログ、疎遠になるブログの、自分のなかでの色分けが結果的にはっきりしてきました。しばしばそれは、世の中の人気とは別物であることが往々にしてあるようです。
結局、私の自論にてらして、私がいわば勝手に淘汰したものが、真のお気に入りとして今、存在しているようです。さらに、新たにそれに加わったものもあって、その一つがこのブログです。
海外のそれぞれの国の国民の気分感情のいちいちを私は知りません。メディアの記事をどう漁っても、日本の国民のそれを私たちが知るほどに把握できるかといえばそうではありません。
その点で、「マスコミに載らない海外記事」は、たびたび私が参照するブログであることにちがいありません。ブログ主の関心が、どのように整理されているのか、それがある意味で謎で、追求したくも率直にいってあるのですが、ともあれ、日本のマスメディアとはもちろん違う角度から海外を紹介してくれ、魅力に満ちているといわざるをえません。
下記の画像をクリックすると、 マスコミに載らない海外記事 にとびます。
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
年の瀬に思うⅣ- 浅き夢見し。政治の行方
08年もほぼ終わり、浅き夢見し、政治はどう移ろうのか。
政治の世界では、いよいよ自民党政治がゆきづまったという実感と切り離せない。それはたとえば、自公政権の窮状、この間の政策的混迷に端的に表われている。それを軌道修正することは、とくに自民党内での政権の交代をもってしても能わず、麻生政権が誕生したものの、すでに先がみえている、こう誰もが思っている。昨日エントリーでふれた祝儀相場も期待できないとはこのことである。他方で、昨年の参院選では、その時点での、もう自民党はダメだという有権者の判断が働き、結果的に民主党が大勝した。
この流れに立つならば、民主党への支持が加速度的に高まってよさそうなのに、それから1年以上経過したのだが、少なくともそうはなっていない。自民党の次期選挙での敗北の予想は大方のものだが、この1年は、いったい何だったのだろう。
だから、参院選以来の有権者の、政治の現状にたいする不満と不安は、では今後、誰が引き受けるのか、引き受けられるのか。この問いが政治につきつけられている課題ではないか。しかし、この設問にたいする明確な回答を出すことは、必ずしも容易ではない。
私の考えでは、以下にのべるような理由から、民主党にはそれができない。ならば、共産党や社民党がそれに変わりうるか、これも有権者の意識を現状から一変させることに等しいから、選挙制度の問題も手伝って、これもむずかしい。
結局、次期総選挙では、参院選以来の政治のありようをいかに有権者が認識し、各政党のいってきたこと、なしえたことを、つぶさにみて、判断しうるかどうかにかかっている。
小泉構造改革にたいする有権者の関心と期待が一時的に高まって、圧倒的な支持を奪っていったのだが、構造改革が日本社会につくった亀裂が明らかになるにつれて、自民党政治への反発はさらに深まったといえる。
参院選も実はよく似た構図だったと私は思う。結局、小沢代表が、先の小泉と同じ役回りで、左寄りの政策を選挙戦ではかかげ、それが反自民の票を集めるというものだった。小泉は、その主張の本質でもあるだろう、我が亡き後に洪水よ来たれとばかり、構造改革で日本社会に与えたダメージにほおかむりをした。選挙を終え、一方の小沢氏は、自らの政策的方向と参院選戦術の矛盾を解消しようとして、福田首相との密室協議で、大連立を展望したのだった。つまり、民主党は今、政権についておらず、であればこそ、政権に近づくにつれて、自民党とそれほど違わないことを明らかにせざるをえなくなる。なぜなら、彼ら民主党のよってたつところがどこかにそれはよる。少なくとも、民主党が自民党のよってたつところと180度、異なるとは思えないからだ。
つまり、民主党は、政治路線上も、大企業優遇、米国追随をその基本におかざるをえないからだ。
ということで、最近の政局がからんでくる。
政党再編の動き、自民・民主を横断した現政権を批判する勢力の顕在化の問題だ。有権者の自民支持の低下は明らかなのだから、表向き、彼らの主張はより強く自民党の政治を批判する形をとる。加藤、山崎、菅直人、亀井静香であろうと、そして中川秀直であっても、渡辺喜美であろうと同じだ。
そして、民主党からの自民党議員への脱党の勧めもまた、同じ。
一度、彼らの主張を真剣に検討されたらよいが、そこに具体的な政策的主張は何も存在しない。
実は、この点で、小泉も、小沢も、そして今日の彼ら政党再編志向派、現政権批判派は寸分もちがわない。たとえば、政権交代したらすべては片づく、後退したらすべて明らかになる、といわんばかりだ。
つまり、これら現政権批判の可視化は、すなわち本質の不可視化に等しいのだ。
この年末の動きは来年に持ち越し、来年早々に新しい展開もでてこないとはかぎらない。
本質の不可視化とは、別の言葉でいえば、いまの自民党のもつ大企業優遇、米国追随という路線が今後も引き継がれることを徹底して隠しとおすことである。そのための渡辺喜美の、過剰すぎるパフォーマンスであって、中川秀直の懲りない現政権批判であって、場違いに受け取る向きもあったであろう菅の登場なのである。
日本政治の可能性は、基本的に先に示した3つの方向だろうと今でも私は考える(参照)。いよいよその可能性もしぼられてきつつあるという感じなのだが。
その選択可能性を実現可能性に転化しなければならないが、それは、先にのべたように、政治のありようをいかに有権者が認識し、各政党のいってきたこと、なしえたことを、つぶさにみて、判断しうるかどうかにかかっている。
その局面はまさに年末の、雇用問題を軸にしたたたかいに照らし出されている。そして、おそらく年明け早々からつづくであろう雇用問題、国民の生活問題のよりいっそうの深刻化とそれに対抗するたたかいの顕在化にかかっている。
というのも、まさにいまの雇用問題の噴出にこそ、大企業優遇、米国追随か否かが問われているからである。
この年末年始は、何もできなかった政党はどこか、実効ある措置をかちとったのはどの政党か、それを我われの前に明らかにするだろう。冒頭でのべた、表面だけを追っていればなかなか分かりづらかったこの1年間の正体が暴かれるにちがいない。
私は、だからこそ、雇用問題に関心をよせ、政治がどう動くのか、注目したい。
(「世相を拾う」08273)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
【関連エントリー】
政党再編の可能性- 展望は見いだせるのか。。
年の瀬に思うⅢ- 祝儀相場もありえない政治の現状
事の発端からすでに1年はとっくに過ぎたわけだけれど、いまだに危機から脱出したとは誰もいえない。よくいわれる100年に一度という言葉が、いまの資本主義がこの危機をいかに大きなものとして受け止めているか、それを端的に表現している。資本主義の限界を説く論調もかなり出てきた。資本主義の危機・・・。
なかなかピンとこないのは、世界一を宣言したトヨタ、日本の企業をリードしたきたトヨタが、一転して赤字に転落するしくみと我われの生活の範囲がほとんど無縁でダブらないためでもあるのだろう。米国ビッグ3もいまや破綻に紛うことなく直面している。
事の発端に少し言及すると、こんなことだ。起点はサブプライムローン市場の広がりだった。日本では比喩的にいえば貧困層はネットカフェ化する。ところが、米国では、ブローカーが登場し、住宅ローンで家を買うことを甘言交え、誘う。周知のように、米国は隣国等からもふくめて海外からの移住者、国籍取得前の貧民は多い。これら貧民がターゲットだったといわれる。彼らが家を買い始めると、住宅価格はどんどん上がる。住宅を取得して転売すれば、差益が生まれる。こんな筋書きが住宅投機を呼んだ。米国の場合、ローン契約を住宅ローン会社、銀行に売りつける。つまり、住宅ローン会社が貧困層にローンを組んでやるのだ。だから、こうして契約は成立する。こんどは、住宅ローン会社が、住宅ローンの債券を、金融機関、証券業に売りに出る。金融機関は、住宅ローンの債券を集めて、利息分を上乗せした新しい紙切れ(証券)をつくる。これを持てば、住宅ローンの債券の利息が手に入るというしかけだ。これを大量につくるのだが、そのなかに延滞や焦げ付きなどの危険のあるものをふくめて、組み替え、きめ細かい証券をつくるわけである。これを大量に売りまくったのだ。農林中金などは膨大な証券を現に抱え込んでいる。
以上で明らかなとおり、住宅ローンの利息込みの証券という紙切れに、結局、全世界の過剰資金、投資家が動員されたといえる。
そもそも貧困層という未払いを前提にした商品でもあるのだから、値崩れした場合の保障を、保険会社が元本を補償するという仕掛けもつくられている。保険をかけるのだ。保険会社に保険料を支払わねばならない。これを、1枚の紙切れに乗せ証券として売る。この証券だけで昨年末、世界で6000兆円だといわれた。
この証券は、1つの保険料が未払いとか元本保証できない自体になると連鎖的に証券が意味を失う。この保険会社の最大のものがAIGだった。周知のとおり、経営危機に瀕したが米国政府によって救済された。
6000兆円という規模は日本のGDPが500兆円だから12年分に相当する。この規模からその衝撃は理解できるかもしれない。100年に一度というのは、その危機の衝撃の大きさを象徴するだろう。
だから、このような取引の全体像を誰も正確に把握することはできない。つぎつぎに連鎖的に表にでてはくるのだが、危機がどの深さまで進んでいるのか、だれも分からない。どの証券会社がどれほどのリスクある証券、債券を抱えているのか、分からない不気味な状態に今、ある。
貧困者を対象にした商品が起点となった今回の金融危機。壮大な貧困ビジネスとその結末ともえいる。
麻生首相は、10月30日に政局ではなく政策だといって、この金融危機への対応を強調してみせた。まさに米国発の天災が日本を襲っているかのように。この発言は、考えてみると、日本の自民党政治の責任というものがすっぽり欠落している。
日本の新自由主義的な構造改革は、今回の住宅ローン問題にみられるカジノ資本主義とともに歩んだわけで、加害者だともいえる。麻生発言はこれを隠蔽する意味でもあった。
米国のバブルに乗じて売り上げを伸ばしてきた、たとえばトヨタが困難に直面している。
私たちは、しかし、こうした一連の経緯のなかで、トヨタが膨大な資本蓄積を図ってきたことにあらためて注目すべきではないか。膨大な利益は、何に転移されたのか。労働者の賃金にか。ではない。社会的にいったい、いかほど還元されてきたのか。つまるところ、内部留保という形でため込まれてきたわけだから。
日本は、祝儀相場も期待できないほどに、自民党の政治、構造改革路線の破綻がきわまっている。安倍、福田の連続する短命と、そして麻生の急落する支持率に象徴的なように。
いまはこの政治的破綻に加え、麻生首相にあてこすれば未曾有の不況のただなかに日本があるということだ。
現局面で、その犠牲を一手に引き受けざるをえない、非正規雇用労働者、期間工・派遣切りに対抗する一つひとつの決起と運動に大いに期待したい。
(「世相を拾う」08272)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
年の瀬に思うⅡ- 貧富の二極化と新しい福祉国家
70年代以降、各国で国家改造がおこなわれました。
つまり、それまで国内経済を機能させてきた国家的な規制や大きな政府部門の存在は、高い利潤を求め、世界各国を市場として活動する投資ファンドや多国籍企業にとっては、企業の自由な行動を阻害するものとして攻撃の対象になってきたのでした。要するに、各国の国内経済の安定と巨大多国籍企業の利害は一致しなくなる。政府は、国内経済の安定化と多国籍企業の利害擁護という二つの課題に迫られるわけですが、政治・経済・社会のありようを巨大多国籍企業の利害を前提に変え続けてきたというわけです。
日本では、臨調行革の名のもと国鉄などの分割民営化がおこなわれ、労働組合の力は急速にそがれる形になりました。その後の規制撤廃、社会保障制度の改悪に抗することもできずに、貧富の差は拡大してきたといえます。
一国の市場であっても、世界市場であっても、規制がなく自由に企業がふるまうと何が起こるのか、強いものだけが生き残るという経済にすべてが委ねられると、だれが苦しむのか、この30年間、いやというほど日本国民もまた味わってきたはずです。そのドラスティックな展開を、私たちは今日の世界経済にみてとることができるのではないでしょうか。トヨタが世界一の自動車販売台数を高らかに発表したのは昨年のことでした。そして、今、同社史上初の営業赤字を一転して見込まなければならない事態に陥っているのですから。その後、続くのは労働者の解雇なのですから。
このように概略を俯瞰してみると、新自由主義というものを反転させて、いまの資本主義経済を人びとがいかにコントロールしていくか、これを考えざるをえません。
この際、しばしば見聞きするのは、日本と同じ先進国のなかでの福祉国家の経験です。
しかし、こうした福祉国家自身も、世界市場での弱肉強食を認め、世界市場での競争で勝つ必要性を否定してきわけではありません。別のことばでいえば、福祉国家を支えてきた社民主義者が訴えることができたのは、せいぜい広がる国内の格差への配慮であって、新自由主義を正面から批判することはできなかったのです。そうはいっても、今日の金融危機から国内経済をどう守るかという点で、政府が強く介入しようとする西欧諸国と日本との間に大きな対応の差が生まれていることも事実です。
日本は西欧の福祉国家とはちがったコースを戦後、たどりました。
別のエントリーで強調したように80年代に入るまでは、日本型雇用が安定しており、自営業や農業にたいしても規制と補助が機能してきたといえます。
しかし、国家財政の少なくない部分が、西欧諸国とちがって社会保障や教育などに使われずに、交通網や港湾・空港などインフラを中心にした大型公共投資に投下され、企業優遇税制もとられてきました。結局、このことは大企業の高蓄積を保障してきたといえます。つまり、日本はこの意味で開発主義的でした。
この点で、福祉国家が直接的に社会保障などをとおして国民生活を支援するのにたいして、開発主義をとった日本では、大企業の高蓄積を保障しながら、間接的に国民生活の維持・向上をこの時期に図ってきたといえるでしょう。
日本と西欧のこうした違いは、①明治以来のキャッチアップ重視、開発中心主義、②企業内組合によって、企業内課題、つまり賃上げにとどまり、公的保障や雇用に目が向きにくいこと、などに起因すると考えられます。
労働者の雇用不安がかつてなく広がる今、思うのは、西欧の福祉国家の経験もふまえながら、それとはちがって、新自由主義を反転させ、多国籍企業や投資ファンドに強力な規制を加えることのできる、新しい福祉国家を視野に入れることです。
そのためにも、大企業の横暴に強い指導をおこなうくらいのことは各党で一致してほしいところですが。
(「世相を拾う」08271)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
政権交代論者の憂鬱
というわけでもないのですが、この学者先生は相当、脇が甘い。先日は、件の高名ブロガーに手酷い批判を浴びていました。
何しろこの山口二郎先生は、小選挙区制度の導入を、世間からみると右・左分けると「左寄り」の立場から積極的に推進してきた人物。むろん私は高名ブロガーと立場を異にすることを最初に申し上げておきますが、彼の批判はこの点においては正確です。
金がかかる選挙を改めるとのふれこみで導入された小選挙区制度。結局は、政党の排除・淘汰がその機能として明確になったのでした。おそらく現実には、自民党と民主党、どちらでもよいが、当選に有利な政党から立候補する、こう志す、たとえば松下政経塾主出身者がどれほど、その後、輩出されたのでしょうか。彼らの言動は、民主党所属であっても自民党所属議員となんらの違いはない、逆に自民党であっても民主党と何ら区分するものはない。この現象は、そもそも自民、民主に垣根がないことを示しているのかもしれません。
山口二郎氏に戻ると、氏が、「有意義な政権交代のために」なる一文を『週間東洋経済』に投稿しています(参照)。
もとより政権交代は、交代してしかるべき事態にあるからこそ、交代するわけですし、では氏のいう有意義なとはどんな意味をもつのでしょうか。
むしろ、あいまいさをなくすのなら、国民生活にとってよりよい方向に変化する交代こそ、意味があり、求められているわけで、そこがはっきりしないで、有意義な、あるいは意義のない政権交代を抽象的に問うてもまったく意味はありません。
現実にはこの間、政権交代がことあるごとに、たびたび語られてはいるものの、政治の何が、どのようにかわるのか、そこを一切、有権者・国民が知らされていない、ここに日本の政治の貧困があるように思います。つまり、日本国民は、その意味で不幸です。何がかわるのか、変えようとするのか分からずに、政党を選ぶことを迫られるわけですから。
こういうと、今より少しはよくなる、というような希望的観測じみた強い横槍が入るのがこれまた日本の実情。まさに、お人好しの世界。どこに保障がある。そう想定する根拠がはっきりしているのか、それすら明らかでないのに。こう考えるのです、私は。
氏の主張は、これと同様の水準にとどまっているのではないか、これが率直な感想です。
たとえば、
自民党では世論迎合政治が決定的に支配するようになった。受けのいいリーダーを選んで、それにぶら下がって次の選挙を迎えるという安易な手法が蔓延するようになった。自民党全体でリーダーを鍛え上げ、問題に立ち向かうというよりも、人気のありそうなリーダーという勝ち馬に自分も乗るという、ケインズの言う美人コンテストのようなリーダー選びが、ポスト小泉の時代には続いた。政府の行動について世論の支持を作りあげるという能動的な姿勢は影を潜め、世論らしきものを常に忖度しながら、それにおずおずとついていくという意味で、消極的な世論迎合政治が自民党の特徴となった。 |
このように氏はのべているのですが、この一文の自民党を民主党に置き換えてもほとんど違和感はないのではないでしょうか。昨年の参院選で、この世間の反応を敏感によみとった小沢氏の態度は、その典型ではなかったのか。
これまで、民主党の政権交代を至上命題としてきた氏ですが、一方でのトーンダウンが顕著な傾向として垣間見られるようになりました。
民主党のマニフェストについていろいろ話は伝わってくるが、大局観が見えてこないことは残念
むしろ今の民主党に必要なのは、政策面での戦略と準備である。政治改革という単一争点だけで、その他の具体的な政策課題に何ら手をつけられなかった細川連立政権の失敗が頭をよぎる。 選挙前の再編論議も出てくるだろう。しかし、そんなものに付き合って、政権交代の意義をぼやかすようなことをすれば、民主党にとっては自殺行為である。仮に、小泉政権の新自由主義改革路線や対米追随路線に対する総括もなしに、中川秀直元幹事長やいわゆる若手改革派とつながるならば、それは大義名分も理念もない、自己目的的な再編ゲームである。そのような見え透いた策動に誘い出される軽率な政治家はいないだろうとは思うが、気になるところではある。 |
などのように。
一つの調査で即断するのは禁物ですが、こんな調査もあることは事実(参照)。
この調査結果には、有権者の隠しようのない率直な思いも反映しているように私には思えます。これほどの、自民党のていたらくなのに、民主党の支持が爆発的とはいわないまでも、急激に伸張しないのは、こんな意識がやはりあるのでしょう。
逆にいえば、山口氏もこの有権者の意識を「常に忖度しながら、それにおずおずとついていく」という態度をとっている、平たくいえばそんなところでしょうか。
民主党が爆発的人気を得るには、自民党とは本質的にこう違うのだという主張とともに国民の前で実際にやってみせることです。そう、たとえば緊急で横においておけない年末解雇への対応で、一度、経団連に堂々と乗り込んで解雇を撤回しろと要求してほしいのです。
おそらく道義的に、全政党が一致しうるであろう解雇の横行を阻止する課題で、民主党にイニシアチブがとれるでしょうか。
私は、ノンとみたてるのですが、それができれば、もっと民主党支持はあがるはずなのですが。
山口氏の憂鬱も存外、そのあたりにあるのかもしれません。
(「世相を拾う」08270)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
塀の中-刑務所でも医療費抑制
以前に、生活保護受給者について、医薬品に関してはジェネリックを使えと厚労省が指示を出したことについて、以下のように批判しました。
この通知は、3月3日の厚労省・関係主管課長会議において、すでに伊奈川保護課長が発言した内容を受けたもの。 この発言や冒頭の通知で明確なのは、「貧乏人を差別する思想」であって、彼らには「必要最低限の医療」を施せばよいという考えがここに貫かれていることだ。 医療給付費をいかに抑えこむかという発想のみの、厚労省の姿勢は厳しく批判されないといけないだろう。つまるところ命の差別化をもたらすものといっても過言ではない。 厚労省が差別を指示-生活保護は後発品を使え。 |
結局、この厚労省の指示は表向き、取り消されることになりました。
しかし、陰に陽に、厚労省がただ医療費抑制のために、差別の精神を温存していることを、私は、つぎのニュースで知りました。
今日では、会員制のサイトやメールニュースという媒体のウエイトが大きくなっているのでしょうが、医療界では、いまも少なくない企業が、情報をファクスで送信するサービスが商売として成り立っているようです。私が知ったのは、「塀の中まで後発品使用を促進」というタイトルで、医薬経済社が発信したものです(RIS FAX・5248号)。
塀の中とは、つまり刑務所の中のこと。記事はこう紹介しています。
一般社会だけでなく刑務所や拘置所など、法務省が所管する刑事施設でも後発品による医療費削減が本格的に進められる。政府決算をチェックする会計検査院は10月、法務大臣に、刑事施設の医薬品調達について是正要求を出した。刑務所などが医薬品を購入する際、組織内の医師が医療上必要と認めた場合以外については、調達担当者が「一般名」を記載し、後発品の使用が進むよう求めたのだ。法務省は会計検査院の要請に従い改善に応じる方針だ。塀の中まで「医師任せ」の状況から、医療費削減を進めることになる。 |
生活保護受給者へのジェネリック使用を厚労省が求めた際、発端の通知は、社会保険事務所から医療機関へつぎのような内容で送られていました。
1.必要最低限の保障を行うという生活保護法の趣旨目的にかんがみ、被保護者に対しては、医学的理由がある場合を除き、後発医薬品を使用するようお願いします。 2.後発医薬品の使用に関して、被保護者から相談を受けた場合は、効能や安全性について、できるだけ分かり易い説明をお願いいたします。 3.被保護者にかかる調剤の内容を確認するため、当福祉事務所から、処方箋の内容確認や、処方箋の写しの提出をお願いする場合がございます。その際は、ご協力をお願いいたします。 |
しかも、その後、正当な理由なく価格の高い先発品を使い、後発品への変更指示に従わなかった場合は「保護の停止または廃止を検討する」と宣言していたのでした。
このようななりふり構わぬ、弱者を対象にした医療費抑制が、こんどは、受刑者にむけられたということになります。しかし、それでも医師の処方に介入することは許されません。必要な医療と処方は受刑者であっても他と同様に扱われなければならない。
政府調査では、受刑者の高齢化にともなう医療費の高騰があるという。医療関係費は89年度の9億円から、08年度予算では37億円と4.1倍に膨らんだことをファクスニュース記事は伝えています。
政府のとろうとする方針は、社会保障の、他と比べても決して大きくはない受刑者の医療費なのだから、それを削減の対象にする以前に、要らない支出、急ぐ必要のない支出、いいかえれば逆にこれまで手をつけることのなかった米軍関係費、思いやり予算や税の優遇のあり方を見直すほう先だという思いをいっそう強くさせるものです。その方が、少なくとも大きな効果がもたらされるであろうことは明確でなのですから。
何よりも日本国民はすべて平等に扱われる権利を有するのです。
(「世相を拾う」08269)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
【関連エントリー】
「生活保護は後発品…」その後。。 (4月27日)
厚労省が差別を指示-生活保護は後発品を使え。 (4月18日)
反貧困の流れを広げることについて
そのエントリーの一つに、「労働者」というHNをもつ方からご意見をいただきました(「労働者」さんのコメントは、このエントリーのコメント欄を参照ください)。
そこには重要だと思われる論点をふくみ、いくつか感想をもつので、さらに提起されている質問に答えなければならないと私が判断する限りにおいて回答するために、エントリーをあげることにします。
■現状をどう理解するのか
「労働者」さん(以下、氏)とは、私はいくつかの点で意見が異なる。結局、そのちがいはこの見出し、現状をどう理解するのかという点におそらく起因しているだろう。つまり、氏がコメントで言及され、私のエントリーでものべた湯浅氏や河添氏の実践、そのほか労働組合や政党のこの問題での取り組みに私は積極的な意義を見出す。けれど、氏はつまるところ否定的ではないにせよ懐疑的な立場だといえる。
「どのように反転の萌芽があるのか」と問われるけれど、これを私は萌芽ととらえているということだ。エントリーの文脈からみても、これ以外にはないのだが。
氏の懐疑的な態度は、もっとつきつめると、「現実は一人一人が立ち上がるしか具体的な解決案がないのが現実だ」とする氏の把握の仕方に根本がある。その把握には、立ち上がらないで解決策があるのか、という反論が成り立つ。立ち上がらないで解決したいと氏が考えておられるとは思いたくないが、つまるところそんなことだ。
しかし、人間の歴史は、闘争の歴史でもあったわけで、現にかかわっておられる方ならすぐ分かるとおり、要求のある者が立ち上がらなければ物事は解決しない。そのかかわり方が様々あるにせよ。
解決の方途を政府に求めるのか、あるいは大企業に解決をしてもらうのだろうか。
そんなことはありえない。政府が動き、大企業が動くのは、一様でないにしても、国民の世論と運動が少なからずあるからだ。
もちろん氏が言及されているように、非正規労働者のおかれている雇用環境、劣悪な労働環境を私は知らないわけではない。しかし、誰か一人が言い出して、その意味で立ち上がり、共感をよび二人に広がり、三人、四人と広がり、大勢が賛同し、合流する。これが、ひとり労働運動だけでなく、国民のさまざまな社会運動の歴史が教える法則だろう。
先のエントリーでも言及したとおり、河添氏の話を聞く機会があった。彼は、彼のかかわる首都圏青年ユニオンに加入する青年労働者のことを語ってくれたが、容易に推測されるように非正規労働者の運動への組織はむずかしい。勤務の形態がまちまちな、個人加盟の青年労働者たちだし、第一、組合費を高く設定ができない。数百円の世界だ。彼らを同じ労働者としてまとめ、同じ労働者としてのいわゆる階級観をもってもらうための学習の時間すらどう確保するのか悩みの種だろう。河添氏は、組合にとって組織困難な対象を、どのように自覚を高めながら、一緒に取り組んでいるのか、その日、紹介してくれた。
労働組合の活動家だけでなく、非正規労働者と共同してイベントを取り組んだり、ホームレスの支援などの議論に私も加わることが少なくない。その限りで、今日の労働者、非正規労働者の置かれている立場は承知しているつもりだ。
ようは、出発点の現状をどうみるか、この点が氏と私は大きくちがうということだ。物事のどこに積極点を見出すか、ということに尽きる。私は、上記のような今日の運動のなかに積極点、つまり萌芽を見出すのだ。
■ブログに何を求めるのか
甘すぎる、抽象論だとする氏の感想はそのまま受け止めたい。
私がふれたい2点目は、しかしこの感想にかかわっている。つまり、抽象論だという指摘は、当該エントリーが具体的解決策を示していないということと直結している。
なるほど具体的解決策を、当該エントリーで私はのべていない。のべる必要もない。なぜなら、具体的解決策を提示するのが主題のエントリーではないからだ。
しばしば、何でもかんでも、(文章は)状況をのべただけにすぎない、本質は何かという議論や、問題をしめしているが解答がないという意見を目にする。あるいは議論がある。氏も同じような批判を私に向けられたわけである。
学術論文ならば、結論を欠いては成立しないだろう。イントロダクションや方法(実験データなど)、結果、考察がどのようにうまく書かれていても、結論を欠いているのなら、学術論文として成立はしない。あるいは、労働組合の方針書ならば、どれほど情勢を書き込み、前期までの到達を書き込んでいても、方針を欠くならば、誰もそれを労働組合の運動方針としないだろう。
けれど、ここはブログの世界。ブログに何を、どのように、どこまで書くのか、あえていえば意見の表明にすぎないのだから、それは管理人の判断に委ねられている。もちろん、事実誤認や虚偽を記したら手ひどい批判をあびなければならない。
つまり、2点目は、氏と私のブログの役割のとらえ方にかかわっている。
つけ加えていえば、ブログの役割を認めるが、限定的なものとして私はあくまでとらえる。現実世界にとってかわることはできない。
だから、たとえば高名ブロガーの言説をこのように批判するわけだ(参照)。
ようするに、具体的解決策を論じるのは現実世界のなかであるべきだ。労働の現場で、顔と顔をつきあわせ、議論すべきだ。いうまでもなく、ブログで論じていけないということではない。
ただ、そんなことをするより、現実の議論で大いに尽くせばよい。そのための議論に少なくない部分を私は割いているし、これからも割きたい。
いいたいのは、私とのバーチャルな世界で議論するより、折角、組合運動にかかわっておられるのなら、そこで議論すべきではないのか、これが私の考え方で、その方が具体的な展望を切り開くことができるだろう。
あえて、氏と同じ水準で反論するならば、こんな形になる。湯浅氏や河添氏の運動に疑念をもつのなら、だったらおまえがやれよ、という程度のものだ。無前提に結論を迫るのがいかに不毛な議論かが分かるだろう。
ブログで解決しようと思ってはならない。
コメントをいただく前に一連のエントリーをご笑覧いただければ、何を私が考えているのか、お分かりいただけたとは思うのだが。
■最後に
富と貧困がこれほどまでにひろがった日本では、国民のみなさん一人ひとりがそれを実感されていることだろう。富は一極に、そして貧困は裾野広く、比喩的にいえばこんな日本社会だろう。
労働者だけでなく、あるいは労働戦線だけではなく、すべての場面で私たちは貧困に直面しているということになる。
あらゆる階層が反貧困で立ち上がる条件が生まれている。その条件を生かすかどうか、それは一人ひとりの国民にかかっているということだ。
だから、これ以上の具体的解決策は、「労働者」さん、あなたが書かなければいけない。
(「世相を拾う」08268)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
ヒセイキという現実または靴を投げられたブッシュ
会見を取材にきた記者が会見する側に大小の暴力的行為を働くとすれば、会見自体の成立条件を欠くことになる。当該の記者もそんなことは十分承知の上で、記者の職業倫理を上回る一イラク人としての彼にとっての良心がそうさせたことを意味している。徹底した反ブッシュの感情が込められている。
このニュースを知ったとき、私が思ったのは日本の今日であった。
抑えがたい感情でもって指弾されてもおかしくはない日本の企業の態度である。明日からはもう来なくてよいといわれて意気消沈しない人がいったい、いるだろうか。しかも、派遣先と派遣会社のきわめて非対称な関係をもとに、派遣元からたとえば派遣工1000人を削減するといわれた派遣会社から解雇を通告されるわけだから。
数日前のエントリーに記したように、以前ならまだ他の派遣先に派遣されることも可能だったのだが。いまは、景気の低迷が進行するなかで、仕事を奪われる。仕事に就くことを絶たれる。選択肢はない。
だから、いま強く思うのは、昨日の表題のとおり、働く能力のある者全てに機会を、ということであって、これが可能か否かは、あるいはこの考えで救済の道を探ろうとするか否かは、湯浅誠氏の言葉を借りると、日本社会の溜めのあるなしを象徴する。
つまり、この溜めをなくしたのは、新自由主義的諸施策の結果だと考える。労働法制の度重なる改悪だといえる。そして、その立場で雇用問題に片をつけようとする大企業・財界の姿勢だといえる。
これだけの構図が今、日本社会のなかで展開されているわけだから、気が早くて、情緒的な人ならば、そう、靴を投げよという思考になるのだろう。だから、それに従えば、靴を投げられるべきは財界・大企業という設定になる。
しかし、私はそんな情緒的なふるまいよりも、道理にかなった方途で、大企業に対峙しようとする労働者の地道な努力に注目したい。解雇された労働者と連帯してたたかう労働組合、そして政党に着目したい。緒についたばかりとはいえ、政府も動かざるをえなかったし、雇い止めを撤回させたり寮入居期間の延長を実現した、具体的な経験も生まれはじめている。
日本のカローシはすでに国際語として定着したが、おそらくヒセイキという言葉も(日本の)非正規労働者を表す国際語として成立するのではないかとさえ私は思っている。それほど日本の非正規雇用労働者の環境は、国際的にみれば、先進国のなかで特殊で劣悪なものだからである。つまり、他の外国語では置き換えられない内実を、日本の非正規労働者をとりまく環境はもっているということだ。ヒセイキという日本の現実を想わざるをえない。
では、だからこそ、現在の非正規雇用の実態からこんどは反転させて少なくとも西欧並みの雇用環境をかちとることはできないだろうか。
同一労働・同一賃金の原則がILOで確立されたのは1951年だから、およそ60年にもなろうとしている。だが、日本では、男女間の賃金格差はもとより、正規・非正規という雇用形態による賃金格差がいまだに残されている。これを是正するためにも、この年の瀬に解雇をつきつけられた労働者一人ひとりへの具体的救済を企業に求める必要がある。政府に指導強化を迫る必要がある。
解雇を撤回せよと声をあげ、同じ働く者を救済するのに、正規と非正規の区別は要らない。同じように、立ち上がって連帯すべきだろう。年末の解雇にたいして、労働者が立ち上がり、労働組合・政党が動き、自治体が救済措置をとろうとするとき、そこに、この反転にむけた萌芽があると確信するのだが。
(「世相を拾う」08267)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
解雇の年末- 働く能力のある者全てに機会を
ポスト麻生をめぐる動きが活発になって、自民党内で反目しあう状況を招いている。政界再編を前提に動き始めた一部にたいする党内からのさや当てが強まれば、一方の側がそれに反論するという具合に。重要なことは、彼らが、緊急の課題ともいえる労働者の雇用や景気回復のための具体的な手だてなど、寸分も語ることなく、抗争に明け暮れているということだ。その意味で、党派を超えた対応が必要で、それは具体的に解雇される一人一人の今日、明日、当面の生活を守ることだ。
面白いのは、とるに足らないこんな喧嘩のようなものにつきあうブロガーも少なくないことだ。
メディアが追いはじめた政界再編など、路線対立といえるものだろうか。名前のあがっている連中をくくる枠組みとははたしてどんなものか、まったく明確ではない。それは党内の主導権争い、離合集散以上のものではない。それ以外の意味づけは不要なように私には思える。
明確なのは、雇用環境の悪化をもたらした大企業の対応が依然、労働者への犠牲の押しつけを軸にしたものであって、それは昨日エントリーでふれたように、経団連の春闘への対応方針に明確に表われている。ベアは困難だという。一方で雇用安定を放棄したかのような方針になっている。
日経新聞は、労働組合のベア要求を牽制して「『非正規』しわ寄せも」という見出しを立てた(12月17日)。賃上げと雇用とを対立させて、分断で労組の足をとめようというものだ。
朝日新聞記者の伊藤千尋氏は、講演で、よくコスタリカの民主主義を紹介する(『活憲の時代』)。コスタリカでは小学生でも憲法違反の訴訟を起こすそうだ。
小学2年生の少年が放課後、サッカーに興じていた。ボールが校庭そばのドブ川に落ちることがしばしばだったという。なぜなら、柵が設けられていないためだ。夢中になればドブ川に落ちるボール。これは、ちゃんと遊ぶという自分の権利が守られていないというわけで、訴訟し、勝ったという。
国は柵を後日つくることになった。
日本では考えられないことだが、コスタリカでは電話一本でも「憲法違反だ」といえば訴訟がはじまる。もちろん訴状はいるが、それはなんとビール瓶のラベル裏に書き留めた、簡単なもので可というのだから、驚く。
我われ日本人が疑問をもつのは、なぜ小学生が憲法を知っているのかということ。大人でも憲法に親しむ作風が日本にあるのかといえば、そうではないのに。その種明かしは、コスタリカでは小学入学時に徹底して基本的人権を教えるらしい。もちろん、そんな難しい表現ではなく、「人は誰でも愛される権利がある」という一言だ。つまり、少年は、サッカーに興じる環境にないことを、自分は愛されていないと受け止めたわけである。「人は誰でも愛される権利がある」という言葉は小学校に入ってはじめて習う言葉なのだ。
コスタリカみたいな実践的な憲法教育が日本で定着しているとはもちろんいいがたい。
しかし、考えてみると、わが日本国の憲法もまた、よくできている。
憲法13条をまずあげたい。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 |
コスタリカとかわらないのではないだろうか。
その上で生存権を具体的に規定する。たとえば第27条。
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 3 児童は、これを酷使してはならない。 |
ようは、労働能力のある者には就労の機会を与えよ、労働する者に関しては人たるに値する生活が可能となる賃金・労働時間その他の労働条件を保障せよということだ。
労働権ともいわれるこの憲法の条項にてらして、今日、日本国で繰り返されているのは違憲ともいえる実態ではないだろうか。
働く能力のある者に最大限の手当をつくせ。これこそ、我われがいま一致すべき要諦ではなかろうか。そのための連帯の輪をひろげないといけない。
国会は、だから超党派で可能な具体策をとれということだ。大企業にたいする規制は焦眉の課題だ。政治の責任は重い。
だから、冒頭のいさかいは滑稽ですらある。
(「世相を拾う」08266)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
小沢一郎氏- 派遣切りも政権交代に回収するのか
他の言葉で置き換えるならば、やはり使い捨てとしかいいようのない派遣切り。新しい年が一歩一歩近づくにつれて、たとえ一人の解雇であっても、その社会的意味の大きさを私は取り上げざるをえません。この日本国では、それが数百、数千の規模でまるでなだれを打ったかのように、大企業が右へならえで派遣切りを断行するのですから。
問われるべきは、6千人の解雇を予定するトヨタや日産、ホンダなど自動車関連産業であり、期間途中で契約打ち切りという違法な手段にうって出たいすゞであり、派遣社員の処遇にまで介入したマツダの違法であって、なんら派遣社員に責任はありません。社会的存在であるべき大企業の違法、横暴ぶりは今、強い非難の対象になってしかるべきです。
経団連の、この点でのイニシアの発揮を私は今日までひそかに期待していたのですが、会長・御手洗氏にそんな殊勝なことを望むのがまずまちがっていたようです。もっとも、私たちは、かつてこのようなことを経験してきました。
日産自動車のCEOに件のカルロス・ゴーン氏が就任し、「日産リバイバルプラン」を発表したときのことです(1999年)。プランの本質は、大リストラ計画でした。3つの組立工場と2つの主要部品工場を閉鎖し、グループ14万8000人の労働者のうち2万1000人を削減するというのですから、大リストラ計画にちがいはない。3年間で1兆円のコスト削減を見込むというドラスティックなものでした。
問題はこのときの財界の反応です。これだけの計画ですから、当該労働者はもちろんのこと、関連企業や工場のある地域の経済に多大な影響を及ぼすだろうことは誰もが想定できることで、当時の関西経済連合会の会長はつぎのようにのべて印象的でした。
隣の家を取り壊してでも、自分の家の火を消すというやり方は受け入れられない |
と。
当時の日経連会長も(ゴーン氏の計画に)否定的な発言をしたのです。私は何の抵抗もなく関経連会長のこの言葉を理解するのですが、少なくとも当時の財界トップの認識は、このようなものでした。
しかし、10年足らずの時を経て、財界トップの認識もまた変化をとげたのでしょうか。この10年の間にかわったことといえば、新自由主義的施策の深まりでしょう。その先頭に小泉がたってきたのです。分かりやすくいえば、財界・大企業と米国のために。
新自由主義の旗をふる財界には、雇用の不安定が深刻になるなかで、では労働者の働く条件をいかに確保するのか、その手立てをどうとろうとしているのか、それが問われなくてならないでしょう。
ところが、伝えられるところによれば、経団連の春闘方針では、あらためて賃金抑制が強調されています。内需をいかに浮揚させるのか、そこに日本の景気後退を打開する、遠いようで近道があると私などは思うのですが、大企業はそうではないようです。経団連の示す方針は、いよいよ労働者に犠牲を押し付けるものと断言してもよいものです。
そうであれば、なおさら今の解雇宣告に一つひとつ救済の道を求め、企業に社会的責任を果たすよう、世論を形づくることが不可欠なように私には思えます。
こんなニュースが伝えられています。
スペイン坂デビュー自体をとやかくいうつもりはありません。
取り上げたいのは小沢一郎氏の発言です。
非正規雇用をまったく禁止するわけにはいかないが、待遇面ではきちっとやるべきだ。政権を取ったら法的な規制をしていく |
注目するのは、この後段。「政権を取ったら」、これを私は見過ごすことはできない。
ただ単に小沢氏の無神経と断ずるわけにはいかない。
一人であってもそうですが、これだけの規模で、しかも同じ大企業という立場にある企業が、同じやり方で労働者に犠牲を転嫁し、利益確保は追求しようとする日本の大企業の姿勢を問わないといけないでしょう。
その点で、小沢一郎氏の発言もまた問われないといけない。
国会でいうまでもなく無視できない影響力をもつ民主党が派遣労働者の立場にたって、モノをいえばどれだけの仕事ができるのか。たとえば民主党と比較すると少数政党といわざるをえない共産党・志位氏が企業と直接、面談し、緒についたばかりとはいえ、実際に大企業を動かしつつある事実と見比べるとき、国民の、いいかえると派遣労働者の期待にいかほど民主党はこたえられているのでしょうか。民主党の現在の力をもってすれば、どれほど大きな仕事がやれるのか、そこに期待すればなおのこと、民主党の今を思わざるをえない。
すべてを政権交代にという小沢氏の主張は、(今は)何もやらないという宣言に等しい。こんなレトリックになっている。今は、今日、明日、首を切られる労働者を確実に救えるような実効ある措置を取らせるところに最大の課題がある。だから、そんな政党が、では仮に政権交代して、この仕事を確実にやれるという確信だけを我われに求めようとしても、それはできない相談でしょう。
これだけの自民党の「窮地」にあればこそ、民主党が野党の身分であっても大きな仕事をやった、そんな確信を我われに与えてくれてこそ、自民党とはちがうことを有権者は実感するのでは。
小沢氏の態度は、全てを政権交代に回収するもので、逆に民主党への期待を裏切るものではないでしょうか。
すべてを政権交代に収斂させていく態度は強く批判されてしかるべき、私はこう思います。
(「世相を拾う」08265)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
ブックマークに追加しました- SADAOKA.NET
そのほかコンテンツには、3つの旅行記が収められています。読ませていただくと、そこにはふんだんにその国の人びとと暮らしが記されていて、さすがに共産党の議員さんです。すでに過去の言葉になったでしょうか、ブ・ナロードということですね。
管理人さんの柔らかく、温かい視線が文章にうまく生かされています。写真もいい。 定岡さんをはじめ、共産党の議員・候補者の方との相互リンクは以下をあわせ3つになりました。
- こんにちは田中みゆきです(旧;blog♪ たなみゆ) 衆院福岡1区予定候補(比例重複);田中みゆき さん
- open+ さいたま市議会議員;斉藤まき さん
下記の画像をクリックすると、 SADAOKA.NET にとびます。
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
« 前ページ |