森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
*応援お願いします*
カレンダー
2011年12月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | ||||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | ||
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | ||
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | ||
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | ||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
長老の敗北宣言または二大政党制のゆくえ
渡部恒三が民主党の現状を前に嘆いている。
民主離党騒動「泣きたい気持ち」 渡部最高顧問が二大政党論の敗北を宣言
二大政党制は日本に政治の安定をもたらすものだと渡部自身は考えていたことになる。だが、この渡部の思惑はそもそも正しかったのかどうか。二大政党制は日本の政治の安定に寄与するものかどうか。
下記エントリでふれています。ご一読いただければ幸いです。
二大政党制は政治の安定をもたらすか
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
民主離党騒動「泣きたい気持ち」 渡部最高顧問が二大政党論の敗北を宣言
二大政党制は日本に政治の安定をもたらすものだと渡部自身は考えていたことになる。だが、この渡部の思惑はそもそも正しかったのかどうか。二大政党制は日本の政治の安定に寄与するものかどうか。
下記エントリでふれています。ご一読いただければ幸いです。
二大政党制は政治の安定をもたらすか
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
つぶやき#25
つぶやきから。
Twitter Buttons
Twitter Buttons
- どこかで聞いたセリフ>橋下市長「既得権破壊が私の役目」…議会で演説@読売(2011.12.28)
- 闘技的民主主義(Agonistic Democracy)とは、なんかしっくりこない。(2011.12.28)
- なきたい気持ち@渡部恒三。民主党の現状と二大政党制を前に(2011.12.29)
- 民主党、やはりズルズル。首相の「不退転」はどこにいく>党税制調査会は28日の合同総会で「2013年10月に8%、15年4月に10%」と2段階で引き上げる案を示したがまとまらず、税調幹部は29日の決着を目指し、最初の引き上げを14年1月以降に遅らせる方向で検討に入った。@読売(2011.12.29)
- うさんくさいな。大地・真民主党? 本物の民主党って何だ?(2011.12.29)
- 恒例の年末新党つくり。助成金が目当て也。
- 思考は言葉をもちいる以上、「考える範囲を決めないと思考はできない」。そもそも言語は事象を特定してこそと概念として存在するのだから。(2011.12.29)
2011年末または政権の姿
9月なのだから、まだ半年もたたないのに野田政権はかじをとるにも、まったく先がみえていないような気がしてならない。決意だけでは物事が少しも前にすすまないのは誰でも分かっている。が、野田は不退転の決意などといってしまったものだから、取り返しのつかない事態に直面しているというしかないと思う。
アセス。「毎日」が苦しまぎれと伝えている。これに野田は反論できない。何しろこの日本国の行政は28日で仕事納めというしきたりになっているのだから。物理的に考えても提出は間に合わせのようにみえていかにも苦しい。その上、反対する団体などの抗議行動を受けて、沖縄県は27日夕の時点では受理していないと伝えられている。これは、まさに政権の外形を整えるための悪あがきにもみえてしまう。
もう一つの消費税増税という政権のアポリア。ぶら下がりで記者からもう年内(の成案)はないということですねと問われて、めずらしく気色ばんだ。むしろこの野田としては尋常でない対応こそ、この課題がいわば暗礁に乗り上げていることの表現だと思う。小沢一派の動向など、さまざまな反応がでているので、3人の離党もさもありなんということか。
アセスの提出そのものがとくに沖縄県民には県民自身が否定されるようなものと受けとられてもしかたがない。消費税について世論は反対とする人が今も多いと理解する。しばしば逼迫する国家財政をとりあげ危機感をあおる政権だが、消費税だけが選択肢だという一点にたいしては、ほとんどの有権者が反対の態度をとるだろう。これを打ち消すには相当に準備された理路というものを要する。けれど、そんなものは今もって示されていない。
使い古されている表現だけど、決意だけなら野田でなくても誰でもできる。2012年も野田政権のかじとりは闇でまったく先がみえないように思う。大海に浮かぶ笹舟のようにみえてしまう。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
つぶやき(27日)から。
Twitter Buttons
アセス。「毎日」が苦しまぎれと伝えている。これに野田は反論できない。何しろこの日本国の行政は28日で仕事納めというしきたりになっているのだから。物理的に考えても提出は間に合わせのようにみえていかにも苦しい。その上、反対する団体などの抗議行動を受けて、沖縄県は27日夕の時点では受理していないと伝えられている。これは、まさに政権の外形を整えるための悪あがきにもみえてしまう。
もう一つの消費税増税という政権のアポリア。ぶら下がりで記者からもう年内(の成案)はないということですねと問われて、めずらしく気色ばんだ。むしろこの野田としては尋常でない対応こそ、この課題がいわば暗礁に乗り上げていることの表現だと思う。小沢一派の動向など、さまざまな反応がでているので、3人の離党もさもありなんということか。
アセスの提出そのものがとくに沖縄県民には県民自身が否定されるようなものと受けとられてもしかたがない。消費税について世論は反対とする人が今も多いと理解する。しばしば逼迫する国家財政をとりあげ危機感をあおる政権だが、消費税だけが選択肢だという一点にたいしては、ほとんどの有権者が反対の態度をとるだろう。これを打ち消すには相当に準備された理路というものを要する。けれど、そんなものは今もって示されていない。
使い古されている表現だけど、決意だけなら野田でなくても誰でもできる。2012年も野田政権のかじとりは闇でまったく先がみえないように思う。大海に浮かぶ笹舟のようにみえてしまう。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
つぶやき(27日)から。
Twitter Buttons
- 橋下、竹原と同じようなことしてる。>「組合、市庁舎外に出て行って」 橋下・大阪市長が方針@朝日
- またまた火種>辺野古アセス評価書、沖縄県側に郵送 27日受理見通し(朝日)
- アセスも苦し紛れ、消費税増税もいよいよ後がないよ。
- 神は、レトリック以外に我われの前に現われるのだろうか?
現代を映す2011年-竹原信一または入試問題投稿事件
橋下の大阪から遠く離れた地方の自治体で、そのふるまいが他に類をみない一人の首長がいた。たとえば、彼のやったことはといえばこんな具合。市長を務める自らの自治体の全職員分の給与明細を公開した。たぶん本人の了解なしに他人の給与を明らかにするというのは普通はありえない。市の職員労働組合の事務所明け渡しを求めた。また、議会にたいしては、自らのブログで辞めてもらいたい議員への投票をよびかけるということもあった。議場にマスメディアがいることにたいして、そのあり方に批判をもっていた彼は感情をむきだしにし議会への出席を拒否したこともある。また、議会の招集をしなかったりもした。まだ、ある。専決権をちらつかせ、職員や議員の給与削減、議員や教育委員や選挙管理委員報酬など専決処分した。この人物は、竹原信一(元阿久根市長)という。
大都市と地方の一自治体という違いはもちろんあるが、橋下を先ほどあげたのは、竹原と橋下との間に政治手法において共通点が少なくないと思うからにほかならない。以前にこの二人と、東京の石原、愛知の河村の似通う点についてふれたことがある。そこではこうのべていた(*1)。
議会の権限を極力、弱め、首長の絶対的な権限をめざしていく。程度の差はあれ、4人は共通しているように思う。この竹原がブログで自らの主張を配信していることを知る人は少なくないと思う。ただ、そのタイトルが「住民至上」というのだから、まったく皮肉としかいいようがない。そうして市長不信任決議、住民投票をへて出直し市長選に立候補したものの、竹原が落選したのが1月だった。紆余曲折の過程があったにしろ、最終的に住民投票という直接的手段で竹原に住民が審判を下したことは、憲法や地方自治法だけでなく多くの法を無視したりそれに抵触するような竹原の言動があったがゆえに、どこかに安堵感をもつし象徴的な結末に思えてくる。
政権党が売りにしてきた子ども手当。その衣替えを政権が企図したのは今年1月だった。新たな子ども手当法案を閣議決定している。その内容は、2010年度の子ども手当を延長し、3歳未満の子供に月7千円を上積みするものであったが、自公に迫られた結果、子どものための手当に名称をかえるとともに、中身も変更されてしまったことは記憶に新しい。
こうした政権の現実がある。だから、さきの4人のような、非民主的な政治体制あるいはそれを志向する考えを権威主義とよぶとすれば、こうした自治体首長の際立った権威主義的手法がよけいに大衆的な共感で迎えられているようにみえるのは、他方の、先行きがまったくみえない政権のかじとりがそれに手を貸していることにあるのは否めないと思える。したがって、こうした政治の現状と傾向は、声高にさけばれてきたいわゆる地方分権という考えをいっそう勢いづかせる結果となっているといってよいかもしれない。
さまざまな出来事が年末にめぐってくる。2011年は、相撲の世界も揺れた。八百長問題が発覚し、協会は関与した力士を処分した。あれだけテレビを席巻していた島田紳助が暴力団関係者との交際を理由に突然、引退した。7月には、地上アナログテレビ放送が停波し、地上デジタル放送に完全移行した。けれど、地デジに対応できない高齢者や低所得者の存在が指摘されながら見切り発車した感はぬぐえない。
この年の1月、秋葉原歩行者天国が約2年7カ月ぶりに再開した。その歩行者天国をいったん閉じる契機になったのは秋葉原事件。11月には実相がいまだに明らかにならないまま、オウム真理教事件の全公判が終了した。この2つの事件は、その時々で現代を映し出していたと思う。
2011年の、現代を投影した出来事とは何だろうか。つまるところ、それは人それぞれ違うかもしれない。しかし、ここでは、大学入試問題のネット投稿事件(2月)をあげたいと思う。カンニングはボクらの時代にもあったし、昔からあったにちがいない。けれど、自分のもつツールでもなく周囲の席の誰かを介するでもなく、つまりボクらが考えるだろうものとは異なり、この年に明らかになったカンニングといわれるものは、携帯電話を利用しウェブ上の不特定の他者を経由しているのだから、一つの歴史の飛躍がそこにみえると思えるのだが。
*1;「河村たかしと橋下徹と竹原信一、そして石原慎太郎」では以下も指摘した。追記する。
現行の枠組みのなかで本来、解決できるものを、いかにも新手の発想であるかのように宣伝し、住民の不満・不安をそこに収斂させていくと詐欺的手法といえなくもありません。
ふりかえってみると、地方自治体の仕事は、地方自治法に示されているように、「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」(第1条の2)のですから、彼らの主張はこの点にふれないところに弱点があるといえるのかもしれません。
議会の役割を低めるという共通点は、すなわち(自治体)首長の事実上の権限を優先させるということにほかなりません。
議員定数の削減という結論に象徴されるように、議論を尽くすという民主主義の遠回りをショートカットし、議会の権限を極力を弱め、行政の絶対的な権限をめざしていくという点でもまったく同じではないでしょうか。
* 現代を映し出す2001年-独断的回顧を一部改変。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
つぶやき(26日)から。
Twitter Buttons
大都市と地方の一自治体という違いはもちろんあるが、橋下を先ほどあげたのは、竹原と橋下との間に政治手法において共通点が少なくないと思うからにほかならない。以前にこの二人と、東京の石原、愛知の河村の似通う点についてふれたことがある。そこではこうのべていた(*1)。
その政治手法がまるでそっくり。議会と職員を狙い打ちにするというそれ。竹原を例にあげると、議員・職員の高給取りを持ち出し、市民の支持をうるという作戦に出る。橋下も河村も、そして石原も同様でしょう。都民、府民、市民の生活を追い込んでおきながら、それを逆手にとって、窮状を実感する彼らの共感を呼び起こすのです。「高給取り」、この言葉はいつも大衆の不満を一言で象徴するものでした。 河村たかしと橋下徹と竹原信一、そして石原慎太郎 |
議会の権限を極力、弱め、首長の絶対的な権限をめざしていく。程度の差はあれ、4人は共通しているように思う。この竹原がブログで自らの主張を配信していることを知る人は少なくないと思う。ただ、そのタイトルが「住民至上」というのだから、まったく皮肉としかいいようがない。そうして市長不信任決議、住民投票をへて出直し市長選に立候補したものの、竹原が落選したのが1月だった。紆余曲折の過程があったにしろ、最終的に住民投票という直接的手段で竹原に住民が審判を下したことは、憲法や地方自治法だけでなく多くの法を無視したりそれに抵触するような竹原の言動があったがゆえに、どこかに安堵感をもつし象徴的な結末に思えてくる。
政権党が売りにしてきた子ども手当。その衣替えを政権が企図したのは今年1月だった。新たな子ども手当法案を閣議決定している。その内容は、2010年度の子ども手当を延長し、3歳未満の子供に月7千円を上積みするものであったが、自公に迫られた結果、子どものための手当に名称をかえるとともに、中身も変更されてしまったことは記憶に新しい。
こうした政権の現実がある。だから、さきの4人のような、非民主的な政治体制あるいはそれを志向する考えを権威主義とよぶとすれば、こうした自治体首長の際立った権威主義的手法がよけいに大衆的な共感で迎えられているようにみえるのは、他方の、先行きがまったくみえない政権のかじとりがそれに手を貸していることにあるのは否めないと思える。したがって、こうした政治の現状と傾向は、声高にさけばれてきたいわゆる地方分権という考えをいっそう勢いづかせる結果となっているといってよいかもしれない。
さまざまな出来事が年末にめぐってくる。2011年は、相撲の世界も揺れた。八百長問題が発覚し、協会は関与した力士を処分した。あれだけテレビを席巻していた島田紳助が暴力団関係者との交際を理由に突然、引退した。7月には、地上アナログテレビ放送が停波し、地上デジタル放送に完全移行した。けれど、地デジに対応できない高齢者や低所得者の存在が指摘されながら見切り発車した感はぬぐえない。
この年の1月、秋葉原歩行者天国が約2年7カ月ぶりに再開した。その歩行者天国をいったん閉じる契機になったのは秋葉原事件。11月には実相がいまだに明らかにならないまま、オウム真理教事件の全公判が終了した。この2つの事件は、その時々で現代を映し出していたと思う。
2011年の、現代を投影した出来事とは何だろうか。つまるところ、それは人それぞれ違うかもしれない。しかし、ここでは、大学入試問題のネット投稿事件(2月)をあげたいと思う。カンニングはボクらの時代にもあったし、昔からあったにちがいない。けれど、自分のもつツールでもなく周囲の席の誰かを介するでもなく、つまりボクらが考えるだろうものとは異なり、この年に明らかになったカンニングといわれるものは、携帯電話を利用しウェブ上の不特定の他者を経由しているのだから、一つの歴史の飛躍がそこにみえると思えるのだが。
*1;「河村たかしと橋下徹と竹原信一、そして石原慎太郎」では以下も指摘した。追記する。
現行の枠組みのなかで本来、解決できるものを、いかにも新手の発想であるかのように宣伝し、住民の不満・不安をそこに収斂させていくと詐欺的手法といえなくもありません。
ふりかえってみると、地方自治体の仕事は、地方自治法に示されているように、「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」(第1条の2)のですから、彼らの主張はこの点にふれないところに弱点があるといえるのかもしれません。
議会の役割を低めるという共通点は、すなわち(自治体)首長の事実上の権限を優先させるということにほかなりません。
議員定数の削減という結論に象徴されるように、議論を尽くすという民主主義の遠回りをショートカットし、議会の権限を極力を弱め、行政の絶対的な権限をめざしていくという点でもまったく同じではないでしょうか。
* 現代を映し出す2001年-独断的回顧を一部改変。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
つぶやき(26日)から。
Twitter Buttons
- 「割れ窓理論」などと大上段にふりかざさなくても取り締まりの強化でないの? これまでとどこが違う?>「割れ窓理論」で犯罪防止、取り締まり強化へ@読売
- 龍という想像上のものを生物で置き換えようとする滑稽さ。似てるとこ探すのがたいへん>龍の代役はイグアナ!サファリで干支引き継ぎ式@読売
- キム・ジョンウンの知っている自由って? 自由とそうでない環境=不自由を認識してはじめて、自由が分かるのだろうけど>http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111223-OYT1T00787.htm
- 人間は考える範囲を決めないと考えることができない。安全神話が確立してしまうと、想定の外の部分を考えなくなる。>失敗学 畑村洋太郎@原発事故「中間報告」
- なるほどコンビ・メルコジ(Merkozy)*2。
*2;oウムラウトが文字化けする。サルコジはハンガリーの出だからね。
「失われた3年」と政権-つぶやき#24
2011年は年初から内閣改造ではじまった。改造は前年の閣僚の問責を受けたものだった。このことに象徴されるように、今年1年の民主党政権は、政権の維持に汲々とするだけでなく、むしろそのことによって国民・有権者と政治との距離をさらに遠ざけてしまったといってよい。日本は、東日本大震災に3月みまわれた。そして原発事故。例をみない災害・事故に、いわば政権の命運をかけてしかるべきだと思ったが、あにはからんや。政府の対応は遅々としてすすまず、これがわが日本国のかじとりをはたして任されている政権なのかと思うくらい、責任感のみじんすら感じられないほどに菅内閣の反応ぶりは思えた。その菅直人は、原子力事故収束にむけた工程表のうち一段階の達成を自らの退任日として定め、その後、辞任した。しかし、民主党政権の実力は、たとえば被災者への賠償がいまもってほとんどすすんでいないといっていい現状に端的に尽くされている。
その後を継いだのは野田佳彦。野田の手法は、というものがあるかどうかもはっきりしないが、平たくいってしまうと煮え切らないようにみえる。けれど、はっきりしているのは、民主党政権のよってたつ支持基盤の要請を菅内閣以上に明確に位置づけ推進しようとしているということ。それは、普天間基地移転、消費税増税への強い執着に表れていると思う。別の言葉でいえば、自民党政権がやれなかったことを今やろうとしているといえるかもしれない。
この中で、大震災と原発事故は、電力会社ばかりか保安院のやらせも明らかにした。電力会社・原発企業と経産省、御用学者と政治家が「原子力ムラ」をつくり、「安全神話」をふりまきながら、原発推進につきすすんだこれまでの足跡が厳しく指摘された。この癒着構造をムラとよぶとすれば、どこにでもあるし、民主党によっても自民党政治がこうして継続するかぎりなくならないと思える。
政権はどうかといえば、防災担当大臣の松本龍はおよそ閣僚とは思えないほどの横柄な態度がメディアで鮮やかに伝えられ辞任した。さらに野田内閣のもとで、3人の閣僚が辞任または問責となった。被災地域にたいする無神経きわなりない発言の鉢呂。一川、山岡の言動はそもそもの閣僚の資質が問われるものだった。結局、野田内閣は終局へ向かっているように思えてならない。
今年は、いっせい地方選の年でもあった。地方政治に劇的な勢力の変化といえるものはなかったと思う。なるほど大阪での維新の会の勢力拡大がメディアでは意識的に報じられた。維新の会の拡大傾向はその後、11月の大阪府知事・市長選での松井・橋下の当選によって、あらためて有権者を惹きつけていることを示している(*)。それだけ有権者と今の政治が疎遠になっている証左だと考えてもよい。
こうして足早に今年を振り返ってみて、自民党にとってかわった民主党政権がそれまでの自民党政治をかえることができなかったというだけでなく、かえようともしなかったという現実が残ってしまう。有権者のなかには、自民党にない何かを期待して民主党に託した人もいるにちがいない。その点で民主党は鳩山・菅・野田の三代にわたって有権者を裏切ったということになる。
来年はまた内閣改造ではじまるという予感がまったくしないわけではない。そうなると、今年のはじまりをまた繰り返すことになる。この1年、政治は有権者の側からすると、いい方向にはすすまなかった、動かなかったということを意味するともいえる。失われた10年という言葉は、バブル景気崩壊後の90年代から2000年代前半に及ぶ不況の時期を指しているといわれている。それならば、いったい民主党政権下のこれまで3年足らずはどのように位置づけられるのか。それを仮に失われた3年として総括するためには、来年は、その否定の上にたった政治を国民の側にひきつけることが必要だし、そのための国民の作業が前提となる。それはまさに有権者の行動如何にかかっているように思う。
* 橋下と維新の会の勢力拡大を当ブログでどうみているのかは以下を参照ください。
総選挙前に皆、思惑がある-つぶやき#16
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
つぶやき(24日)から。
Twitter Buttons
その後を継いだのは野田佳彦。野田の手法は、というものがあるかどうかもはっきりしないが、平たくいってしまうと煮え切らないようにみえる。けれど、はっきりしているのは、民主党政権のよってたつ支持基盤の要請を菅内閣以上に明確に位置づけ推進しようとしているということ。それは、普天間基地移転、消費税増税への強い執着に表れていると思う。別の言葉でいえば、自民党政権がやれなかったことを今やろうとしているといえるかもしれない。
この中で、大震災と原発事故は、電力会社ばかりか保安院のやらせも明らかにした。電力会社・原発企業と経産省、御用学者と政治家が「原子力ムラ」をつくり、「安全神話」をふりまきながら、原発推進につきすすんだこれまでの足跡が厳しく指摘された。この癒着構造をムラとよぶとすれば、どこにでもあるし、民主党によっても自民党政治がこうして継続するかぎりなくならないと思える。
政権はどうかといえば、防災担当大臣の松本龍はおよそ閣僚とは思えないほどの横柄な態度がメディアで鮮やかに伝えられ辞任した。さらに野田内閣のもとで、3人の閣僚が辞任または問責となった。被災地域にたいする無神経きわなりない発言の鉢呂。一川、山岡の言動はそもそもの閣僚の資質が問われるものだった。結局、野田内閣は終局へ向かっているように思えてならない。
今年は、いっせい地方選の年でもあった。地方政治に劇的な勢力の変化といえるものはなかったと思う。なるほど大阪での維新の会の勢力拡大がメディアでは意識的に報じられた。維新の会の拡大傾向はその後、11月の大阪府知事・市長選での松井・橋下の当選によって、あらためて有権者を惹きつけていることを示している(*)。それだけ有権者と今の政治が疎遠になっている証左だと考えてもよい。
こうして足早に今年を振り返ってみて、自民党にとってかわった民主党政権がそれまでの自民党政治をかえることができなかったというだけでなく、かえようともしなかったという現実が残ってしまう。有権者のなかには、自民党にない何かを期待して民主党に託した人もいるにちがいない。その点で民主党は鳩山・菅・野田の三代にわたって有権者を裏切ったということになる。
来年はまた内閣改造ではじまるという予感がまったくしないわけではない。そうなると、今年のはじまりをまた繰り返すことになる。この1年、政治は有権者の側からすると、いい方向にはすすまなかった、動かなかったということを意味するともいえる。失われた10年という言葉は、バブル景気崩壊後の90年代から2000年代前半に及ぶ不況の時期を指しているといわれている。それならば、いったい民主党政権下のこれまで3年足らずはどのように位置づけられるのか。それを仮に失われた3年として総括するためには、来年は、その否定の上にたった政治を国民の側にひきつけることが必要だし、そのための国民の作業が前提となる。それはまさに有権者の行動如何にかかっているように思う。
* 橋下と維新の会の勢力拡大を当ブログでどうみているのかは以下を参照ください。
総選挙前に皆、思惑がある-つぶやき#16
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
つぶやき(24日)から。
Twitter Buttons
- この人物の頭の中は「小さな行政」。地方自治法など無視、法律家ではなかったのか。>橋下市長、市立幼稚園は民営化方針 待機児童解消も重点@朝日
- 米の見立ての一つはこういうこと。「金総書記の死去後、短期的には統一が保たれるだろうが、1、2年で軍の統制が利かなくなり早期に政権が崩壊する」。可能性として否定はできないけど。。>正恩体制めぐり議論=早期崩壊備え危機管理-米@時事
- ミタの対抗馬が真央ちゃんでは? 40%はやはり脅威。>視聴率:フジ8年連続3冠ピンチ…“ミタの衝撃”に真央で反撃@毎日
- 粛々とということ?>知事容認も展望開けず=普天間評価書提出へ-政府@時事
- 変節とはいわないだろ・むしろ化けの皮がはがれた民主党政権が正しい。>「変節政権」に痛撃=消費増税にも暗雲-中島氏離党@時事
- 民主党政権の現状は救いがたいが、メディアの役割を示す好例。>八ッ場ダム建設再開問題 相次ぐ民主党のマニフェスト違反に街では落胆の声@FNN
- 指摘をまつまでもなく交付公債はいかがわしい。>交付国債は「粉飾的手法」と公明=野党、発行法案に反対の構え@THE WALL STREET JOURNAL(日本語版)
- フレディ・マーキュリーはやはりどこまでも人気らしい。
- 記事にあるように「同省は『本人の意向を尊重する。強制ではない』と説明しているが、額面通りには受け止められない可能性もある」といえる。>厚労省:生活保護受給者に後発医薬品の使用促進へ@毎日
- 大合唱、 「マニフェスト総崩れ」
- キム・ジョンウンが自由を知っているか?(2011.12.25)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111223-OYT1T00787.htm - ソ連崩壊後20年。権威主義的国家もいま、揺れる。(2011.12.25)
八ツ場ダム-東電の補償金が隠されている
件の八ツ場ダム。政権の存在意義そのものが四方八方から問われている問題だといえるだろう。野田は苦渋の決断(参照)というのだけれど、はたしてそうなのだろうか。行きつ戻りつしたこの間の経過には、何かしらそれなりの背景があると考えざるをえない。一方でその事業費については、すでに過剰な見積額だと指摘があるのは周知のことだろう。
ということで、いくらか過去にさかのぼってみた。その中に首をかしざるをえないものがやはりあった。
八ツ場ダムの事業費については前述したように過剰だという指摘があった。しかし、注目しないといけないのは、東京電力への配慮が見積もりの前提としてあるということ。つまり、事業費のなかに減電補償という名で東京電力への多額な補償金があらかじめ見込まれているという事実がある。
このことに関連してアーサー・ビナードが語っている(参照)。
しかし、実はすでに「赤旗」がこの点についてふれていた。減電補償金額が年間17億円にのぼることが明らかにされている(参照)。
記事は、2009年9月のものだが、そこで1年分だけで17億円の減電補償金について指摘していて、アーサー・ビナードの発言とそれは一致している。民主党政権がなぜ右にゆれ左にゆれと思わせながらも、つまるところ建設継続に踏み切ったのか。その理由を、福島原発事故と重ねてわせてこの八ツ場建設をとらえ、基幹産業たるエネルギー産業である東電への政府の手厚い配慮にあると考えたところでまったくおかしくはない。
いかなる形をとろうと政権への肩入れである献金・寄付金が結局こんな形で大企業に還元されるのだということをしっかりとらえておくのがよいと思う。
* エントリは、八ツ場ダム建設で減電補償金が東電に入る(coleoの日記;浮游空間)を一部改変しました。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
ということで、いくらか過去にさかのぼってみた。その中に首をかしざるをえないものがやはりあった。
八ツ場ダムの事業費については前述したように過剰だという指摘があった。しかし、注目しないといけないのは、東京電力への配慮が見積もりの前提としてあるということ。つまり、事業費のなかに減電補償という名で東京電力への多額な補償金があらかじめ見込まれているという事実がある。
このことに関連してアーサー・ビナードが語っている(参照)。
アーサー「(笑)。あのね、八ッ場ダムを作ると僕らの税金が、あの、東京電力に入る仕組みになってるんですよ。」 吉田「ふざけてるねえ」 アーサー「これあの、見事ですよ」 吉田「これそうなの」 アーサー「うん。八ッ場ダムの上流には東電が水力発電を行ってる関が、あの、3箇所あるんです」 吉田「はいはい」 アーサー「その水を発電に使うんです。」 吉田「ああ」 アーサー「発電につかうと、その、送水管に入れるわけ。」 吉田「ああー」 アーサー「川から引いて。そうするとその水は送水管を通って、八ッ場ダムの建設予定地よりも下流で、その吾妻川に戻るようになるんですよね。ごめん吾妻川。そう吾妻川にもどるようにもう作られてもう作られて、もうとっくに昔にそうなってるわけ」 吉田「へえー、へえー」 アーサー「だから治水を、これ使えばできるじゃんっていう話ももちろん、あの、できるんだけど。それはおいておいて。ようするにあの、水を発電に使うと八ッ場ダムには水がたまらないんです」 吉田「はあ」 アーサー「だから何が治水だよ。もう、貯まらないダムなんです。」 吉田「ひどい」 アーサー「でも、無理してでっちあげて作っておいて、それで、作ったら今度水を貯めなきゃ体裁が……」 吉田「わるいやね」 アーサー「ね。体裁悪よね」 吉田「ダムじゃないもんね。」 アーサー「ただのコンクリートの壁になるから。で、水を貯めるためには、今度その、水を、あの、水力発電に使わないでためなくちゃいけないんです」 吉田「はあーーーー。変な話だねこれーーー」 アーサー「首都圏の水が余ってるのに水力発電は減らして、それで水を貯めるわけ」 吉田「はぁーーひどい。イカサマの権化だねえ」 アーサー「ねえ。そうするとこれがうまいんですよ。このやり方うまいですよ。あの、八ッ場ダムが完成すると、東電から利水、利水権を買って、僕らの税金で買って。それで発電をおさえてもらって、それでダムに水を流すようにするしかないんです。そのために……」 吉田「なめきってるねこれ……」 アーサー「(笑)そのためにね、費用として、まあ50%の取水制限を行った場合、まあそういう事になるだろうって」 吉田「はああああああ」 アーサー「言われてんだけど。そうすると毎年17億円の税金が東電に支払われる」 吉田「ふざけるな東京電力」 アーサー「で、東電は別の方法で発電すれば充分間に合うから、東電の儲けは減らないんです。でも、あの、17億円は棚ぼて(※棚ぼた)で入るんです。」 吉田「はあーー」 アーサー「だから税金、棚ぼた、総括原価方式が、またここで利益を産み出して、で、自然エネルギーを増やそうっていってるくせして、八ッ場ダムで自然エネルギーを減らすんですよ」 吉田「ああースゴイ話だ」 アーサー「それが通ろうとしてるわけです。」 |
しかし、実はすでに「赤旗」がこの点についてふれていた。減電補償金額が年間17億円にのぼることが明らかにされている(参照)。
国土交通省が群馬県に計画する八ツ場(やんば)ダムの総事業費が同省が予定する予算4600億円を超過する公算が大きいことがわかりました。これは、ダム周辺に水力発電所を持つ東京電力への補償金に数百億円が見込まれるため。建設の継続はより多くの事業費負担を生み、国民の批判を受けるのは必至です。 同ダム予定地を流れる吾妻川の水系は水力発電の一大産地。東京電力の水力発電所が14あります。 現在、同ダム予定地上流の三つの堰(せき)で取水した毎秒30トンの水は、発電のため川を通らずに送水管を通ります。大量の水がダム予定地をう回する格好です。 この状態では、仮に八ツ場ダムが完成しても水が貯まらないダムになってしまいます。そのため国交省は東電から水利権を譲り受ける必要があります。 そこで発生するのが、発電量が減ることへの補償金(減電補償)です。東電への減電補償がいくらになるのか、国交省は「個別企業の経営上の問題にかかわる」として明らかにしていません。 日本共産党の伊藤祐司前群馬県議は、近隣の県営発電所の買電価格などを参考に試算。2004年10月の県議会で取り上げました。50%の取水制限を行った場合、直接関係する五つの発電所の影響額は、1年分だけで17億円、30年分で510億円と見積もりました。 ところがダム事業費4600億円のうち減電補償などに充てる「特殊補償」枠の予算は217億円にすぎません。しかも、これは導水管の移設工事費なども含んだ金額。予算不足は明らかです。 「八ツ場ダムをストップさせる市民連絡会」の嶋津暉之さんは「減電補償はダム完成直前に支払うものなので、それまで伏せておくことができる。それをよいことに国交省は東電と交渉中だとか、4600億円に織り込みずみなどと言ってごまかしているが、数百億円の規模になって事業費再増額の一要因になることは確実だ」といいます。 八ツ場ダムの工事費をめぐっては、減電補償の他にも、地すべり対策工事費や関連工事の進捗率が低いことから、さらなる増額の恐れが指摘されています。 |
記事は、2009年9月のものだが、そこで1年分だけで17億円の減電補償金について指摘していて、アーサー・ビナードの発言とそれは一致している。民主党政権がなぜ右にゆれ左にゆれと思わせながらも、つまるところ建設継続に踏み切ったのか。その理由を、福島原発事故と重ねてわせてこの八ツ場建設をとらえ、基幹産業たるエネルギー産業である東電への政府の手厚い配慮にあると考えたところでまったくおかしくはない。
いかなる形をとろうと政権への肩入れである献金・寄付金が結局こんな形で大企業に還元されるのだということをしっかりとらえておくのがよいと思う。
* エントリは、八ツ場ダム建設で減電補償金が東電に入る(coleoの日記;浮游空間)を一部改変しました。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
マニフェスト政治の終焉
いよいよ末期ともいってよいほどのありさまに民主党は今ある。八ツ場ダムの建設再開を国交相が昨日22日、表明し、それに前原が本体工事費が計上された場合、「国土交通省の予算を認めることはできない」と応じるなど、政府と民主党の不一致が露呈してしまう始末なのだから、あきれてしまう。野党の批判やメディアの論調など民主党にとってさらに厳しくなるにちがいない。
それでも、やはり見栄えのする方向ばかりに気をはらう民主党のパフォーマンス政治に未練を残すのはもうよしたほうがいい。このパフォーマンス政治の象徴がマニフェストだったと思う。朝日のいうマニフェスト違反が有権者にとって結果的によかったものも含まれていると考えるけど、しかし、結果はこのとおり(参照)。これは自民党からもとことん揶揄されている。今、To be, or not to be? を有権者はつきつけられているように思う。自民党にないものを民主党に期待した人たちはなおさら迫られていることになる。その人たちにとっては失望極まれりといったところだろうか。
民主党のパフォーマンス政治はいまや完全にいきづまった。冒頭のようにつじつまをあわせることすらできない。
この八ツ場ダムの建設再開に至る一部始終は自民党がこれまでやってきた政治と寸分もかわりないことを事実でもって鮮やかに示していると思う。たとえばマニフェストとは、つきつめていえば政治の世界では選挙公約になるはずだが、自ら掲げたのにそれをこれだけ軽いものとして扱う民主党にはやはりノンをつきつけないといけない。
あらためて考えると、そもそもこの政党には綱領あるいは党是というものがないのだから、日本国の現状をどのように認識しているのか、日本国をどのような方向に導くのか、それを示していないし、示しえないということになる。したがってそれにもとづく具体的な個別の政策もある意味で根拠がないともいえ、なので筋のとおった政策があるのかないのかといえば、ないとボクは応えざるをえない。マニフェストとは本来、こうした道筋を示したものでないといけないはずだと思うし、政策でしっかり各党が争ってほしい。それなのにマニフェスト、マニフェストといって、いわば有権者をあざむいて、格好だけをつけてきた感じの民主党。大見得をきった2008年にさかのぼり当時の民主党をふり返り、あらためてこの政党に評価をくだす必要がある。
民主党のいうマニフェスト政治とはここで訣別したほうがよい。民主党が語ってきたマニフェストとは、もはや公約、約束でも何でもない、ただの紙切れにすぎない、形だけのインチキなのだから。八ツ場ダム建設問題の「落着」は、この民主党の素性を露わにして余りある。その終わりを宣告する時がきたと思う。もちろん、だったらいっそ自民、橋下でとはならないんだけど。。
つぶやきから(22日)。
Twitter Buttons
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
それでも、やはり見栄えのする方向ばかりに気をはらう民主党のパフォーマンス政治に未練を残すのはもうよしたほうがいい。このパフォーマンス政治の象徴がマニフェストだったと思う。朝日のいうマニフェスト違反が有権者にとって結果的によかったものも含まれていると考えるけど、しかし、結果はこのとおり(参照)。これは自民党からもとことん揶揄されている。今、To be, or not to be? を有権者はつきつけられているように思う。自民党にないものを民主党に期待した人たちはなおさら迫られていることになる。その人たちにとっては失望極まれりといったところだろうか。
民主党のパフォーマンス政治はいまや完全にいきづまった。冒頭のようにつじつまをあわせることすらできない。
この八ツ場ダムの建設再開に至る一部始終は自民党がこれまでやってきた政治と寸分もかわりないことを事実でもって鮮やかに示していると思う。たとえばマニフェストとは、つきつめていえば政治の世界では選挙公約になるはずだが、自ら掲げたのにそれをこれだけ軽いものとして扱う民主党にはやはりノンをつきつけないといけない。
あらためて考えると、そもそもこの政党には綱領あるいは党是というものがないのだから、日本国の現状をどのように認識しているのか、日本国をどのような方向に導くのか、それを示していないし、示しえないということになる。したがってそれにもとづく具体的な個別の政策もある意味で根拠がないともいえ、なので筋のとおった政策があるのかないのかといえば、ないとボクは応えざるをえない。マニフェストとは本来、こうした道筋を示したものでないといけないはずだと思うし、政策でしっかり各党が争ってほしい。それなのにマニフェスト、マニフェストといって、いわば有権者をあざむいて、格好だけをつけてきた感じの民主党。大見得をきった2008年にさかのぼり当時の民主党をふり返り、あらためてこの政党に評価をくだす必要がある。
民主党のいうマニフェスト政治とはここで訣別したほうがよい。民主党が語ってきたマニフェストとは、もはや公約、約束でも何でもない、ただの紙切れにすぎない、形だけのインチキなのだから。八ツ場ダム建設問題の「落着」は、この民主党の素性を露わにして余りある。その終わりを宣告する時がきたと思う。もちろん、だったらいっそ自民、橋下でとはならないんだけど。。
つぶやきから(22日)。
Twitter Buttons
- ジリ貧の党勢を反映ということか。共産も同じことがいえるけど。次の選挙で挽回できるか?>福島党首の5選有力=無投票に不満も-社民@時事@時事
- 労組の組織率低下は、なくてもいいと思う人が増えているということのストレートな反映だろ。ナショナルセンター別にみても同じ傾向だと思えるから、労組のレゾンディテールが問われている。と、いつからいってるのだろう。
- この男もいうことがくるくるかわる。「八ツ場ダム建設について『最終決定は政府に委ねる。極めて残念だ』と述べ、事業継続を容認する考えを示した」だって。>民主・前原氏、辞任を否定@時事
- To be, or not to be? このままでいいのか、いけないのか、(民主党)。
- 責任も明らかにしない一方で、料金値上げの東電。総括原価方式のからくりもある。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
選択肢で支配されるということ
あれだけの露出で橋下のふるまいを眼にし、そのスピード感というものをメディアがあちこちでもちあげるのをみせつけられると、野田がまったくかすんでしまう。とはいえその野田が一点突破ともみえるほどにことに強調しているのが消費税増税だというのは誰も疑わない。政府が用意した消費税増税の議論の前提には、もちろん一体改革がある。しかし、国民に提起されるときには、日本のとるべき道、いいかえれば国民が選べる道はあらかじめ限定されてしまっているといえるのではないか。
たとえば、このメディアの姿勢はどうか。メディアは政府の姿勢に追随し加担しているようにさえ思う。
一体改革―税制の全体像を描け
やろうとする税制改革の中身を明らかにしろという社説の結論なのだけれど、基調は、政府の言い分とほとんど変わらない。「消費税以外の税も議論を深める必要がある」といいながら、「法人税は国際競争の厳しさを考慮して実効税率の引き下げが決まっており、所得税や相続税が焦点となる」という具合にまったく穏やかになってしまう。
この風景は以前に筒井淳也氏がのべていた言葉を想起させる。筒井氏の説明では権力とはこういうものらしい。
ここで筒井氏の語っているところは、つまり、予め選択が権力に支配されているといいかえることができると思う。これは、昨日のエントリにもつながる。消費税増税と、自ら身を切ったと有権者に了解させ、増税やむなしへの道を拓いていくための手段として議員定数削減の2つを政権は今、選ぶべき選択肢として示しているといえる。
しかし、税をどこからどのようにとるのか、これは拠って立つところを問うわけだから、厳しい議論が予想されるわけだけれど、一度、根本から検討し直してもいいのではないか。何も消費税増税と議員定数削減だけではない。でも、正直なところ、根本から問い直すには、劇的な国会の議席の配置転換が必要なのかもしれない。もちろんはやりの橋下潮流によってではなく。
政府はあとがないというように危機感をあおるが、それくらいの時間の余裕は、神がいるとすれば与えてくれるような気がする。閉塞感を打開するとは結局、国会の顔ぶれをどのように変えるか、その有権者の選択と審判によっていると思う。いいかげんに支配から卒業しろと諭されているようにみえてならない。
つぶやきから(22日)。
Twitter Buttons
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
たとえば、このメディアの姿勢はどうか。メディアは政府の姿勢に追随し加担しているようにさえ思う。
一体改革―税制の全体像を描け
やろうとする税制改革の中身を明らかにしろという社説の結論なのだけれど、基調は、政府の言い分とほとんど変わらない。「消費税以外の税も議論を深める必要がある」といいながら、「法人税は国際競争の厳しさを考慮して実効税率の引き下げが決まっており、所得税や相続税が焦点となる」という具合にまったく穏やかになってしまう。
この風景は以前に筒井淳也氏がのべていた言葉を想起させる。筒井氏の説明では権力とはこういうものらしい。
社会学者は規範モデルから組織を説明するということをあまりしませんから、現実の組織で権力が不当に使用されている場面に注目しようとします。そこで登場するのが、権力は意思決定だけではなく制度を形作ることで人々の選択肢の配置を支配する、という考え方です。「選択肢の中から選択させる」のも権力だけど、「選択肢を作る」のも権力だ、ということです。 なぜ経済学には権力という概念がないか |
ここで筒井氏の語っているところは、つまり、予め選択が権力に支配されているといいかえることができると思う。これは、昨日のエントリにもつながる。消費税増税と、自ら身を切ったと有権者に了解させ、増税やむなしへの道を拓いていくための手段として議員定数削減の2つを政権は今、選ぶべき選択肢として示しているといえる。
しかし、税をどこからどのようにとるのか、これは拠って立つところを問うわけだから、厳しい議論が予想されるわけだけれど、一度、根本から検討し直してもいいのではないか。何も消費税増税と議員定数削減だけではない。でも、正直なところ、根本から問い直すには、劇的な国会の議席の配置転換が必要なのかもしれない。もちろんはやりの橋下潮流によってではなく。
政府はあとがないというように危機感をあおるが、それくらいの時間の余裕は、神がいるとすれば与えてくれるような気がする。閉塞感を打開するとは結局、国会の顔ぶれをどのように変えるか、その有権者の選択と審判によっていると思う。いいかげんに支配から卒業しろと諭されているようにみえてならない。
つぶやきから(22日)。
Twitter Buttons
- 無節操の極み。まあ政権党にも、所属政党遍歴も一筋縄でない人物がたくさんいるし。>今の政権党にも鳩山邦夫氏、自民に復党願 党幹部「節操ない」@朝日
- 張成沢がキー。どうふるまっているか、ふるまうのか?
- 橋下流詭弁術。(文科省の見解では)「知事や市長は教育について語れなくなる」。
- 予め選択が支配されているということ。>「選択肢の中から選択させる」のも権力だけど、「選択肢を作る」のも権力だ、ということです」@筒井
- 政権のガバナンスがたぶん問われるよ。鈍感&脇の甘さ>内閣情報調査室が事前に官邸に、「特別放送」は1994年の金日成主席の死去以来であることを示した資料を送っていたことが明らかになった。これは、20日の公明党の会合で内閣情報調査室の幹部が明らかにしたもの。@FNN
- それでも除染に重きを置いているのは否めない>「避難の権利」に関する意見への共産党からの回答@ペガサス
- 新自由主義は一つの運動だから、下支えさせるための合意形成に血道をあげる。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
「わが身を切れ」の危うさ
不退転の決意という言葉で消費税増税を打ち上げた野田だが、反発は大きかった。まずわが身を切れという、増税を提起される側からみるとしごく当然とも思える反論が返ってきた。しかし、この主張をそのまま無条件に受け取るわけにはいかない。わが身を切れという主張は、定数削減や議員宿舎の削減がお決まりになっている。メディアもそこに着目し、有権者に向けて煽るというしくみが定着してしまった。こうした有権者の反発の大きさも手伝い、あるいはそれに乗っかって、いや逆手にとって今回の野田の発言(下記)があると考えてもおかしくはない。
定数削減についてエントリでこうのべた。
民主主義を尊重しようとする立場であれば、いかなる少数の意見も排除してはならない。定数削減が小選挙区制度を前提に組み立てられているとすれば、それに反対せざるをえない。なぜなら、小選挙区制度では少数政党を支持する有権者の票が制度的に排除されてしまい、いわゆる民意とはかけ離れた議席配置が結果としてもたらされるから。こう考えると、あえていえばわが身を切れという主張はあらかじめ危うさを孕んでいるといえるし、それが定数削減を指すのであれば反対せざるをえない。
有権者から政治がはるかかなたに遠ざかり、閉塞感を誰もが抱かざるをえないという今日の不幸は、政治を有権者の側にひきつけるためのしかけを求めているのかもしれない。それに応えるとすれば、その際、いかにして有権者との接点をつくるかという視点が必要ではないかと思う。しかし現実は接点をつくる方向ではなく、逆にしだいに有権者との隔たりを生み出すしくみが採用されているのではと疑わせる。それだから、議員との遠い関係が議員は要らないという論理を導くことにもなる。
今の日本の政治は、政党助成金を受け取らないという姿勢を貫いている共産党を除き、助成金に多かれ少なかれ依存している。換言すると、助成金で賄える政治という思考に政党が陥る可能性が少なくないと思える。だから、このしくみのあり方自体が政党と有権者の距離を広げる方向に力を働かせているようにみえて仕方がない。そうした政治と各政党のあり方を問うてこそ今日の閉塞感を打開する方途が浮かび上がるように思う。助成金を受け取って当たり前だという認識があると、政党とは国民の税金の一定のパイを互いに分け合う、せいぜいその程度の差異にすぎないと考えても不思議ではないような気がする。受け取る側もそんな気分にならないという保証は少しもない。その上、選挙制度上、小選挙区と結びついてしまえば、有権者の支持のいかんにかかわらず、しだいにより大きな政党に税金が還流されていくというフローは民主主義とは相容れない。
こんな現状にあるのだから各政党はむろん、メディアも決して政党助成金の廃止など口にはしない。が、助成金廃止は、政治と有権者との隔たりをなくす上で必須で有効ではないのか。そのほうが少なくとも現状よりはるかに日本の民主主義をしなやかにするように思う。だから、わが身を切れという話を持ち出すのであれば、政党助成金を俎上にのせなくては点睛を欠くと指摘されてもしかたがない。
税のとり方については言葉の上の話ではなく聖域なしで検討してほしい。これまでの政権は話の前提で自らに不都合なものは排除して、「聖域なき」などと語っていた。政党助成金を横に措き最初から検討の対象とはしないという態度は即刻あらためたらどうか。野田の今回の発言には、したがって強く反対する。
つぶやきから。
Twitter Buttons
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
定数削減についてエントリでこうのべた。
考えなければならないと思うのは、議員定数問題は選挙制度と切り離して考えにくいし、現に小選挙区制とセットにしようというものだからだ。有権者の政党支持の動向を反映するには比例代表制がもっともよいと思う。選挙区の当選者数を小さくすればするほど、有権者の政党支持の状況とは異なる選挙結果が出るしくみになる。仮に1人を選ぶ小選挙区で5つの政党が候補者を立て、票が分散し5人にほとんど票差がないとすれば、21%という得票率でも当選できる。だからこの場合、残りの約80%は死票になってしまう。ここまで極端なケースでなくても、当選できなかった4人の候補者の得票はすべて生かされないのだから、小選挙区は民意を反映しない制度だと容易に理解できる。そうなると自分の票は生かしたいというインセンティブが働き、より当選しそうな政党/候補者に票が集まる投票行動が想定できるだろう。議員定数問題が小選挙区制度の拡大と対で提起されるということは、結局、二大政党制をすすめ、少数政党を排除する手段にするものだと受け止められてもしかたない。 |
民主主義を尊重しようとする立場であれば、いかなる少数の意見も排除してはならない。定数削減が小選挙区制度を前提に組み立てられているとすれば、それに反対せざるをえない。なぜなら、小選挙区制度では少数政党を支持する有権者の票が制度的に排除されてしまい、いわゆる民意とはかけ離れた議席配置が結果としてもたらされるから。こう考えると、あえていえばわが身を切れという主張はあらかじめ危うさを孕んでいるといえるし、それが定数削減を指すのであれば反対せざるをえない。
有権者から政治がはるかかなたに遠ざかり、閉塞感を誰もが抱かざるをえないという今日の不幸は、政治を有権者の側にひきつけるためのしかけを求めているのかもしれない。それに応えるとすれば、その際、いかにして有権者との接点をつくるかという視点が必要ではないかと思う。しかし現実は接点をつくる方向ではなく、逆にしだいに有権者との隔たりを生み出すしくみが採用されているのではと疑わせる。それだから、議員との遠い関係が議員は要らないという論理を導くことにもなる。
今の日本の政治は、政党助成金を受け取らないという姿勢を貫いている共産党を除き、助成金に多かれ少なかれ依存している。換言すると、助成金で賄える政治という思考に政党が陥る可能性が少なくないと思える。だから、このしくみのあり方自体が政党と有権者の距離を広げる方向に力を働かせているようにみえて仕方がない。そうした政治と各政党のあり方を問うてこそ今日の閉塞感を打開する方途が浮かび上がるように思う。助成金を受け取って当たり前だという認識があると、政党とは国民の税金の一定のパイを互いに分け合う、せいぜいその程度の差異にすぎないと考えても不思議ではないような気がする。受け取る側もそんな気分にならないという保証は少しもない。その上、選挙制度上、小選挙区と結びついてしまえば、有権者の支持のいかんにかかわらず、しだいにより大きな政党に税金が還流されていくというフローは民主主義とは相容れない。
こんな現状にあるのだから各政党はむろん、メディアも決して政党助成金の廃止など口にはしない。が、助成金廃止は、政治と有権者との隔たりをなくす上で必須で有効ではないのか。そのほうが少なくとも現状よりはるかに日本の民主主義をしなやかにするように思う。だから、わが身を切れという話を持ち出すのであれば、政党助成金を俎上にのせなくては点睛を欠くと指摘されてもしかたがない。
税のとり方については言葉の上の話ではなく聖域なしで検討してほしい。これまでの政権は話の前提で自らに不都合なものは排除して、「聖域なき」などと語っていた。政党助成金を横に措き最初から検討の対象とはしないという態度は即刻あらためたらどうか。野田の今回の発言には、したがって強く反対する。
議員定数削減、通常国会で決着…首相が明言 野田首相は21日午後、国会内で開かれた民主党両院議員懇談会であいさつし、「議員定数の削減は来年の通常国会の早い段階で決着をつけたい」と述べ、通常国会で消費税率引き上げの関連法案を成立させる前に、国会議員の定数削減を実現させる意向を示した。 |
つぶやきから。
Twitter Buttons
- 加藤の創作ノート出る。17~22歳の頃のものという。星菫派論争と重なる若き加藤がそこにいるかも。(2011.12.20) http://mainichi.jp/enta/art/news/20111219dde018040029000c.html
- 米国にならう? 一つの方向ではあるけれど。>民主税調、富裕層の増税議論 所得税率の引き上げ検討@朝日。(2011.12.20)
- 力点は当然、朝鮮半島情勢とその対応に置かれている。基地問題は想定内。>日米外相共同会見要旨@時事。(2011.12.20)
- 形式の繰り返しは滑稽ですらある。たとえば、発語の最初にいわゆるを必ずつけるとか。ピョンヤンの映像で伝えられる民衆の一様の号泣。(2011.12.20)
- 政治手法が異なるのと思想・主義が異なるのとは同じことではない。(2011.12.20)
- 橋下と小泉、小沢、壊すのが好きで共通している。手法が同じともいいかえることができる。(2011.12.20)
- また山岡。政治家以前に社会が成り立つためのルールを知らない人物だということ。>山岡氏:「事務方が出席すべきだった」安保会議遅刻に釈明(毎日)(2011.12.20)
- 民主主義の自殺行為。>議員定数削減、通常国会で決着…首相が明言@読売(2011.12.21)
- 闘士はこんなことを語るんだ。「統一ロシアを『詐欺師と泥棒の党』と辛口批判して有権者の心をつかみ」と。ロシアならずとも日本のほとんど政党にも妥当する。保守をなのっても革新をなのっても>「ブログの闘士」を釈放=下院選抗議デモの立役者-ロシア@時事)(2011.12.21)
- 2011年の政党助成金⇒年総額319億4200万円。(2011.12.21)
- 逃げるが先。率先避難。(2011.12.21)
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
壊すのが好き-橋下・小沢会談
民主党の面子はみな小沢に近い人物ばかり。再編にかかわって意見交換があるかもしれないと考えていたが、記事ではその辺りはふれていない。記者が席を外してのちに話があったのかもしれない。以下の記事が扱っているのは、都構想への協力を橋下が要請したという一点のみ。
注目したのは、橋下が「古い仕組みを壊す」という表現をもちい、「古いものをぶっ壊さないといけない」と小沢が応じたところ。「壊す」とは何やら物騒な話だが、すでにボクらはこの言葉の洗礼を受けていたはずなのだけれど。しかし、大阪市長選、府知事選では、この主張は再び有権者を惹きつけたといえる。
小泉純一郎が自民党をぶっ壊すといって、総裁選に勝利したのを覚えている人は少なくないだろう。自民党の総裁選に立候補しながら、自民党をぶっ壊すというのは論理矛盾にほかならないのだけれど、こうした短い言葉で表現する彼の方法が新鮮なイメージを有権者に与えたといってよいと思う。この小泉の政治信条を橋下は引き継いでいるといわれており、その入れ込みぶりは、小泉の引退表明では感動ですなどといったくらい。
一方の小沢。小沢はずいぶん以前、1992年のことだが、日本改造計画をぶちあげている。彼は翌年、自民党を出て新生党を結成する。以後、新進党、自由党を経て民主党に参加した。政党が変質するのか、それとも彼の主義主張あるいは姿勢がころころと変わるのか。それは、これだけの政党の離合集散に直接、中心としてかかわっている経歴が端的に示していると思う。
小泉も、小沢も、橋下も外形的に古いものを攻撃する。また、意見が異なると、えてして相手にレッテルを張り批判し敵とみなす。小泉は、反対派を「抵抗勢力」とよんだ。「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」のように。小沢も党内の閣僚争いで相手を守旧派と決めつけた。橋下はいわずもがな。政策的には新自由主義的な手法を共通して好む。ただ、手法が異なるのと思想・主義が異なるのとは同じことではない。他の自民党・民主党議員とくらべて小泉・小沢・橋下は手法が異なるのであって、思想・主義が必ずしも異なるわけではなく、けっこう古い体質であったりする。あれだけ吹いてる橋下の言葉の端々にも自民党の誰がいったとしてもおかしくはない考えが垣間見える。
さて、その古いもの。彼らが攻撃する古いものが有権者にとって不要なもの、役に立たないもの、利益とならないものかといえば、そうではない。有権者にとってどうなのか、そこをモノサシにしなくてはならないと思う。古いものといって、たとえば君が代歌わない教員は免職といって橋下が切り捨てようとしているものは思想・信条の自由なのだし、あるいは聖域をつくっておきながら「聖域なき構造改革」を小泉は訴えた。つまるところ、痛みを押しつけられたのは国民という結末になってしまった。この3人は有権者に迎合するための演説や手法には長けているが、その主張の視野に有権者がしっかり位置づけられているかといえばそうではない。
都構想の全容は今、明らかでない。しかし、これまでの主張を追ってみるかぎり、首長専横に橋下は強く拘っているように思える。その姿勢にこそ変わり身の早い小沢が飛びつき、新たな受け皿づくりも視野に入れた結果の今回の動きというのは深読みすぎるか。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
注目したのは、橋下が「古い仕組みを壊す」という表現をもちい、「古いものをぶっ壊さないといけない」と小沢が応じたところ。「壊す」とは何やら物騒な話だが、すでにボクらはこの言葉の洗礼を受けていたはずなのだけれど。しかし、大阪市長選、府知事選では、この主張は再び有権者を惹きつけたといえる。
橋下市長、小沢元代表と会談 都構想に「協力」引き出す 橋下徹大阪市長と松井一郎大阪府知事は20日午前、東京都内で小沢一郎元代表と原口一博元総務相、輿石東幹事長、平野博文国対委員長ら民主党幹部らと相次いで会談し、大阪都構想実現への協力を求めた。 橋下、松井両氏は小沢氏と30分余り会談。同席した原口氏によると、橋下氏は都構想を説明して「(ダブル選で)有権者は古い仕組みを壊すことを選択した。国会で私たちの法案を後押しすることに協力してほしい」と要請。小沢氏は「これだけの改革は大変なことだ。古いものをぶっ壊さないといけない。ついては基本となる法律が必要だろう。そこに自分たちも協力したい」と応じたという。 一方、平野氏は、橋下氏らに「もう少し具体的な説明が必要。私たちは良いものは良い、悪いものはアカンと申し上げていく」と語り、橋下氏は「しっかり説明していく」と答えたという。 |
小泉純一郎が自民党をぶっ壊すといって、総裁選に勝利したのを覚えている人は少なくないだろう。自民党の総裁選に立候補しながら、自民党をぶっ壊すというのは論理矛盾にほかならないのだけれど、こうした短い言葉で表現する彼の方法が新鮮なイメージを有権者に与えたといってよいと思う。この小泉の政治信条を橋下は引き継いでいるといわれており、その入れ込みぶりは、小泉の引退表明では感動ですなどといったくらい。
一方の小沢。小沢はずいぶん以前、1992年のことだが、日本改造計画をぶちあげている。彼は翌年、自民党を出て新生党を結成する。以後、新進党、自由党を経て民主党に参加した。政党が変質するのか、それとも彼の主義主張あるいは姿勢がころころと変わるのか。それは、これだけの政党の離合集散に直接、中心としてかかわっている経歴が端的に示していると思う。
小泉も、小沢も、橋下も外形的に古いものを攻撃する。また、意見が異なると、えてして相手にレッテルを張り批判し敵とみなす。小泉は、反対派を「抵抗勢力」とよんだ。「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」のように。小沢も党内の閣僚争いで相手を守旧派と決めつけた。橋下はいわずもがな。政策的には新自由主義的な手法を共通して好む。ただ、手法が異なるのと思想・主義が異なるのとは同じことではない。他の自民党・民主党議員とくらべて小泉・小沢・橋下は手法が異なるのであって、思想・主義が必ずしも異なるわけではなく、けっこう古い体質であったりする。あれだけ吹いてる橋下の言葉の端々にも自民党の誰がいったとしてもおかしくはない考えが垣間見える。
さて、その古いもの。彼らが攻撃する古いものが有権者にとって不要なもの、役に立たないもの、利益とならないものかといえば、そうではない。有権者にとってどうなのか、そこをモノサシにしなくてはならないと思う。古いものといって、たとえば君が代歌わない教員は免職といって橋下が切り捨てようとしているものは思想・信条の自由なのだし、あるいは聖域をつくっておきながら「聖域なき構造改革」を小泉は訴えた。つまるところ、痛みを押しつけられたのは国民という結末になってしまった。この3人は有権者に迎合するための演説や手法には長けているが、その主張の視野に有権者がしっかり位置づけられているかといえばそうではない。
都構想の全容は今、明らかでない。しかし、これまでの主張を追ってみるかぎり、首長専横に橋下は強く拘っているように思える。その姿勢にこそ変わり身の早い小沢が飛びつき、新たな受け皿づくりも視野に入れた結果の今回の動きというのは深読みすぎるか。
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
突然ですが。まことに遠い国の行方
キム・ジョンイルの死亡が朝鮮中央テレビにより伝えられたのは19日正午だった。突然の死といえるだろう、重病説もしばしば報道されてたとはいえ。
それからというもの、わが日本国では、ほとんどのメディアがこの金正日の死去を扱った。なかには特集を組むテレビ局さえ出た。日本にとって、北朝鮮がいかに無視できない国家だったのかをこれは表わしている。たしかに、核・ミサイル、拉致・・・という具合に、日本との関係は張り詰めたそれだったといえたのだが。日本と近くて、これだけの緊張関係にある国であるがゆえに関心はいよいよ高まるというわけ。
キム・ジョンイル。自ら社会主義を名乗りながら、主体思想にもとづく個人崇拝を極め、しかも世襲でトップを継承していくというある種の不気味さが漂う国家の2代目くらいの理解で、ほとんど彼のことを知らない。また、米国がブッシュ時代にイラク・イランとともに北朝鮮を「悪の枢軸」(*)とよんだのは、多くの人が知っている。ただ、「悪の枢軸」という言葉に拘っていってしまえば、むしろそうよびながら悪の限りを尽くしたのが米国であったのは、たとえばイラクの「脅威」をあおり、侵略し、サダム・フセインを倒したものの結局、「大量破壊兵器」はみつからなかったことにも端的に表れている。
キム・ジョンイル死去発表までに北朝鮮国内でどんな確執・対立があったのか、分からない。また、これから何が起こるのかを今、知ることはできないが、軍が大きな力をもち民衆を統治している北朝鮮にただちに大きな変化が現れるとは思ってはいない。だけど、広がる飢餓と惨状、ミサイルや拉致問題の浮上などキム・ジョンイル時代には日本にとって近くてまことに遠い国であった北朝鮮。彼の死去によってその距離が縮まる新たな展開が生まれる可能性を否定する必要はないと思う。
* 悪の枢軸とは、ジョージ・ブッシュ大統領が2002年1月、一般教書演説で北朝鮮、イラン、イラクの3カ国を反テロ対策の対象として名指しで批判した際の言葉。
つぶやき(19日)から。
Twitter Buttons
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
それからというもの、わが日本国では、ほとんどのメディアがこの金正日の死去を扱った。なかには特集を組むテレビ局さえ出た。日本にとって、北朝鮮がいかに無視できない国家だったのかをこれは表わしている。たしかに、核・ミサイル、拉致・・・という具合に、日本との関係は張り詰めたそれだったといえたのだが。日本と近くて、これだけの緊張関係にある国であるがゆえに関心はいよいよ高まるというわけ。
キム・ジョンイル。自ら社会主義を名乗りながら、主体思想にもとづく個人崇拝を極め、しかも世襲でトップを継承していくというある種の不気味さが漂う国家の2代目くらいの理解で、ほとんど彼のことを知らない。また、米国がブッシュ時代にイラク・イランとともに北朝鮮を「悪の枢軸」(*)とよんだのは、多くの人が知っている。ただ、「悪の枢軸」という言葉に拘っていってしまえば、むしろそうよびながら悪の限りを尽くしたのが米国であったのは、たとえばイラクの「脅威」をあおり、侵略し、サダム・フセインを倒したものの結局、「大量破壊兵器」はみつからなかったことにも端的に表れている。
キム・ジョンイル死去発表までに北朝鮮国内でどんな確執・対立があったのか、分からない。また、これから何が起こるのかを今、知ることはできないが、軍が大きな力をもち民衆を統治している北朝鮮にただちに大きな変化が現れるとは思ってはいない。だけど、広がる飢餓と惨状、ミサイルや拉致問題の浮上などキム・ジョンイル時代には日本にとって近くてまことに遠い国であった北朝鮮。彼の死去によってその距離が縮まる新たな展開が生まれる可能性を否定する必要はないと思う。
* 悪の枢軸とは、ジョージ・ブッシュ大統領が2002年1月、一般教書演説で北朝鮮、イラン、イラクの3カ国を反テロ対策の対象として名指しで批判した際の言葉。
つぶやき(19日)から。
Twitter Buttons
- この問題自体が重たく、収束しないだろうな>細野氏、「事故収束」の表現陳謝 問題化の可能性も@共同通信
- キム・ジョンイル死去。
- 思惑が錯綜する。米のいうならず者国家は今後どうなるなどね。明日、玄葉訪米だけれど・・・
- メディアの関心は内政から少しは北朝鮮に動くよね。立ち尽くす野田にとっては、さらに一つ手を抜けない仕事が増えたのだろうが。
- 最大の関心事は後継の体制問題。報道はそれで持ちきり。
- これがはっきりしないでは公表しないだろ。基本線が確定というところか>北朝鮮は、キム総書記の死去を伝えるニュースの中で、三男のキム・ジョンウン氏を「偉大な継承者であり領導者」と伝え、キム総書記の後継者がジョンウン氏であることを初めて公式に報道しました。@NHK
- それにしてもあの女性アナウンサーの抑揚、頭にまだ残る。アナウンス自体がプロパガンダだから、情感込めろってことか。
- こんなニュースが。>北朝鮮、短距離ミサイル発射@時事
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
四面楚歌の政権または橋下-つぶやき#23
野田佳彦には悪いが、どこからみても八方ふさがりの政権。
こんどはあの鳩山由紀夫が野田を批判した(参照)。野田は、これまでの民主党政権以上に自らの支持基盤に肩入れする方向を鮮明にしている。それしかとるべき選択肢がないともいえる。ところが、政権党の先輩ともいえる小沢や鳩山が野田を批判する。どうみても尋常ではない事態と考えざるをえない。まさに四面楚歌。脱党を堂々と主張する若手も出てくる事態は、野田にとって後がない、崖っぷちの状態にあるといえそうだ。
野田にたいする厳しい視線は国内ばかりではない。わが日本国の世論を敏感に察した米国議会はグアム移転費用を予算から外した。賢明な判断だとは思える。この米国の決断は、沖縄県民のほとんど多数が普天間基地県内移転に反対していて、もはや野田の信頼度はゼロに等しいと思える日本の実情を考えてみるときわめて自然なことのように思う。それなのに野田はアセス提出を近々、予定しているようだし、身の程知らずとのそしりを免れない局面に相対している自分の姿を客観視できない首相には、ただただ哀れみの感情を禁じえないというところか。年が明け、政治の世界は加速度的に動き出す予感すら迫ってくるのは少なくないかもしれない。
少しだけ振り返ると、小泉が政権から退いて以降、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続き、そこで自民党は政権を離れた。だけど、交代した民主党もそれ以来、安定的な政権の構築をこれまで果たしえていない。鳩山も菅も、安倍、福田、そして麻生同様、いずれも1年前後の短命で政権の座から降りている。今になって、あえていえばまたぞろ、橋下の大阪市長当選は既成政党批判の表れだとの喧伝がメディアからたれ流されている。けれど、果たしてそうか。少なくとも小泉のあとの安倍ら三代の自民党政権の否定形として、民主党を選択したのは有権者であった。自民党にないものを民主党に求めて、しかも違和感のない程度の交代要員として選んだのではなかったか。さらに、遡れば小泉の登場自体が自民党を壊すといってはじまったのだから。それならば、橋下の登場を、そもそも既成政党にたいする批判と受け止めることに無理があるだろう。しかも、彼の率いる維新の会の議員たちの多くは自民党からの鞍替えにすぎない。議員たちの頭の中が異質のものにかわったというのではなく、潮流にのって帰属を変えたという以上のものではないように思える。当選した松井一郎をみよ。その器が大阪府をしきるだけの広く、大きく、深いものだとは到底、思えない。頭の中は回転の速くない自民党府議会議員のままであって、せいぜい橋下の意向にそって動くので精一杯だと考えてしまう。
橋下をたとえば小泉と重ねてみるし、ボクはこれからも当分はそうみていく。スタンスはほぼ同じだと思う。自民党の多数とは異なる主張を少しはするかもしれないが、その主張の表面をひっぱがして、より深部をながめてみるとどうだろうか。ここから先は予測にすぎないが、おそらくは内部でつながっていて、実は同じものに帰着するという可能性は少なからずあると思う。磁石の両極のように反発するものであるのなら、橋下当選後の双方からのエールがあれほど自然に行き交うことはまずありえない。事態は、大きな連立にむかっていく第一歩がどんな形になるのか、いよいよそれを決める段階に移りそうに思えてならない。その中心の一人に今は橋下がいる、それだけは確実なように思える。
つぶやき(18日)から。
Twitter Buttons
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
こんどはあの鳩山由紀夫が野田を批判した(参照)。野田は、これまでの民主党政権以上に自らの支持基盤に肩入れする方向を鮮明にしている。それしかとるべき選択肢がないともいえる。ところが、政権党の先輩ともいえる小沢や鳩山が野田を批判する。どうみても尋常ではない事態と考えざるをえない。まさに四面楚歌。脱党を堂々と主張する若手も出てくる事態は、野田にとって後がない、崖っぷちの状態にあるといえそうだ。
野田にたいする厳しい視線は国内ばかりではない。わが日本国の世論を敏感に察した米国議会はグアム移転費用を予算から外した。賢明な判断だとは思える。この米国の決断は、沖縄県民のほとんど多数が普天間基地県内移転に反対していて、もはや野田の信頼度はゼロに等しいと思える日本の実情を考えてみるときわめて自然なことのように思う。それなのに野田はアセス提出を近々、予定しているようだし、身の程知らずとのそしりを免れない局面に相対している自分の姿を客観視できない首相には、ただただ哀れみの感情を禁じえないというところか。年が明け、政治の世界は加速度的に動き出す予感すら迫ってくるのは少なくないかもしれない。
少しだけ振り返ると、小泉が政権から退いて以降、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続き、そこで自民党は政権を離れた。だけど、交代した民主党もそれ以来、安定的な政権の構築をこれまで果たしえていない。鳩山も菅も、安倍、福田、そして麻生同様、いずれも1年前後の短命で政権の座から降りている。今になって、あえていえばまたぞろ、橋下の大阪市長当選は既成政党批判の表れだとの喧伝がメディアからたれ流されている。けれど、果たしてそうか。少なくとも小泉のあとの安倍ら三代の自民党政権の否定形として、民主党を選択したのは有権者であった。自民党にないものを民主党に求めて、しかも違和感のない程度の交代要員として選んだのではなかったか。さらに、遡れば小泉の登場自体が自民党を壊すといってはじまったのだから。それならば、橋下の登場を、そもそも既成政党にたいする批判と受け止めることに無理があるだろう。しかも、彼の率いる維新の会の議員たちの多くは自民党からの鞍替えにすぎない。議員たちの頭の中が異質のものにかわったというのではなく、潮流にのって帰属を変えたという以上のものではないように思える。当選した松井一郎をみよ。その器が大阪府をしきるだけの広く、大きく、深いものだとは到底、思えない。頭の中は回転の速くない自民党府議会議員のままであって、せいぜい橋下の意向にそって動くので精一杯だと考えてしまう。
橋下をたとえば小泉と重ねてみるし、ボクはこれからも当分はそうみていく。スタンスはほぼ同じだと思う。自民党の多数とは異なる主張を少しはするかもしれないが、その主張の表面をひっぱがして、より深部をながめてみるとどうだろうか。ここから先は予測にすぎないが、おそらくは内部でつながっていて、実は同じものに帰着するという可能性は少なからずあると思う。磁石の両極のように反発するものであるのなら、橋下当選後の双方からのエールがあれほど自然に行き交うことはまずありえない。事態は、大きな連立にむかっていく第一歩がどんな形になるのか、いよいよそれを決める段階に移りそうに思えてならない。その中心の一人に今は橋下がいる、それだけは確実なように思える。
つぶやき(18日)から。
Twitter Buttons
- すり寄り。相撲じゃないんだけど。もともと同じ器の中のちがいなんだもんね>橋下人気に各党すり寄り…戦うより連携の思惑(読売)
- 読売はいったいどんな態度をとるんだい! 評価が必要だろ。>小政党、存亡の危機?比例削減案で焦燥・苦悩
- まだいたのか、アオカイ。>革労協の2人、キセル乗車の疑い 警視庁が逮捕(朝日)
- 帰属意識はもともと薄いだろうけど>民主党:若手議員数人が年内離党の動き 消費増税に反発(毎日)。
- 野田、四面楚歌>「原発」「消費税」で野田首相批判=鳩山氏(時事)
- 海を超えても日本にたいする厳しい態度。米国もまた同じ>異例の対日強硬も妙案なく=関係者「残念な会談」-韓国大統領(時事)
- いわずもがな>天下無敵 橋下大阪新市長の意外なアキレス腱<松井府知事は記者と会話が成立しない>@ゲンダイネット
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
ロシア・中国または統治-つぶやき#22
内閣支持率に表れているように野田の求心力低下が顕著になる一方、橋下はご覧のとおり民意は白紙委任であるみたいにふるまう。選挙で対立したはずの政党がこうやって、もう先読みで勝ち馬に乗るという醜態をさけだす姿がめずらしくない。政党再編もあり。日本の政治はなぜこうも同じ現象をくりかえすのか。螺旋は巻き上がるのではなく、徐々に小さく小さくうず状で表わすことができるのかもしれない。しばしば見聞きする「政治の劣化」を想起すれば、そう思えないこともない。
ロシアと中国の展開は、歴史の発展という点でみればどのように把握できるものか。ロシアも中国もかつてはどの教科書も社会主義国として載せていた。ロシア大統領特別代表によればロシアは民主化の線上にあることになるが、果たしてそうだろうか。「ロシアなりの民主主義」を彼はどうイメージしているか、分からない。
一方の現在の中国は史的唯物論ではどのように位置づけられるのだろう。過去に倒れた東欧の多くは、それをあらかじめ恐れ、察したのか、言論統制でもって国家統治しようとするのが常套手段でもあった。中東もまた然り。中国はどこに向かって動く。「春」は訪れる?
つぶやき(17日)から。
Twitter Buttons
ロシアと中国の展開は、歴史の発展という点でみればどのように把握できるものか。ロシアも中国もかつてはどの教科書も社会主義国として載せていた。ロシア大統領特別代表によればロシアは民主化の線上にあることになるが、果たしてそうだろうか。「ロシアなりの民主主義」を彼はどうイメージしているか、分からない。
下院選不正疑惑に抗議するデモについて「ロシアは民主化してまだ20年。ロシアなりの民主主義を探す一過程だと思う」と述べ、一定の理解を示した。 今回のデモの特徴としては「民主化されたロシアで十分な教育を受け、収入を得始めた新しい世代から新しい精神が出てきた」と解説。若い世代は「インターネットで育てられた面があり、古い世代とは発想が違う。新しい考えも尊重していかなければいけない」と述べ、旧ソ連を経験した「親の世代」との認識の格差克服を課題に挙げた。 ただ、デモ参加者も「決して社会の不安定化を望んでいるのではない」と強調。デモで叫ばれている声が「議会に送り込まれた代表によって議会での議論につながっていけば(今回のデモも)民主主義発展の自然な流れだったということになる」と期待した。(時事) |
一方の現在の中国は史的唯物論ではどのように位置づけられるのだろう。過去に倒れた東欧の多くは、それをあらかじめ恐れ、察したのか、言論統制でもって国家統治しようとするのが常套手段でもあった。中東もまた然り。中国はどこに向かって動く。「春」は訪れる?
つぶやき(17日)から。
Twitter Buttons
- 気にするなというのはあたってる。一喜一憂してもね。ただ、各回分を並べてみれば傾向が分かるところが支持率の怖さ。「気にするな」といっても全政党が関心を寄せる。
- >ロシアは民主化してまだ20年。ロシアなりの民主主義を探す一過程だと思う@シュビトコイ大統領特別代表。でも、ロシア型民主主義ってどんな形だろ。
- 府庁でやったことがベースになる@橋下。人件費削減は誰でも思いつく。実施しないことも勇気いるし、一つの決断。「新しさ」の強調の一方で、古い体質を受け継ぐ。
- まだ大臣ぶっているわけだ>「今頃何しに来た」に一川防衛相「君は誰だ」
- とりあえず匿名性封じか。「日光の三猿」化をねらう? @中国版ツイッター「真実の身分情報使用」の規制(讀賣)。東欧も、中東も、情報の交通によって政権が倒れたし。
- 米国にどんな話するんだろうねえ。米はリアルにみてるって。せいぜい努力し約束どおりやれといわれるのがオチだと思うけど。>普天間合意確認へ=玄葉外相、18日訪米(時事)
- 石原と亀井じゃ、新党にぜんぜんみえないじゃないか。
- これもバンド・ワゴン>大阪都構想に公明賛成…市議会でも条例案可決へ(讀賣)
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
拙速でも「決断」が大事!-冷温停止宣言
野田にこう宣言(エントリ)されても、にわかに信じるわけにはいかない。いま宣言する意味があるのか、それを疑う気持ちがどこかにある。
思い返せば、臨時国会終盤で不退転の決意と彼は語った。その決意の方向はもちろん望むものではなかったけれど。その決意、実際には根拠はどこにもなく、言葉とは裏腹に、党内でさえまとまっていない実態が逆に有権者の前に露呈してしまったはず。沖縄普天間基地移転でも、当初の予定どおりのアセス提出を強調したが、リアリズムに徹したという表現が少しもおかしくないくらい米議会は冷静に日本の国内実情と進捗をみつめていたといえる。結果、グアム移転経費を削減した。グアム移転と抱き合わせの普天間基地移転なのだから。それでも約束を果たせというのが米国の立場にちがいはないが、これは野田政権の対応と対照をなしている。野田には、裏づけのないまやかしの姿勢をふりまいている雰囲気がどうも漂う。場当たり的にもみえてしまう。
だから、今回の2ステップが終わり次の段階に移行するという宣言も同様にみな考えてしまうにちがいない。まゆつば。なにしろ2ステップ完了の条件は、冷温停止と位置づけたものの、冷温停止の条件そのものが崩れ去ってしまっているのだから(エントリ)。そこではこう記した。
それでもなぜ、野田が有権者にむかって根拠のない宣言をしてしまうのか。金子勝はこうつぶやいている。「原発の事故処理が進んでいるかのような印象を作り、賠償費用も除染費用もできるだけ抑え、安全基準を引き下げようとする」。まったく同感。13日、保安院が第1原発の中長期施設運営計画について妥当と判断した旨、発表し、原子力安全委員会がこれを認め、冷温停止を公表するしかけはすでに整っていた。
もともと東電と国の基準でみても、その前提条件がないのに宣言する野田。すべての問題で煮え切らないといつも思わせる野田を追い込み突き動かすのは、政権を取り巻く、ますます厳しくなる環境に加えて、これまで政権を支てきた、最も優先しなければならない相手以外には考えられないようにみえる。事故処理が行程にそって進んでいることを強調し、国民の不安を払拭するつもりだろうが、福島県民からも、国民からもその魂胆はすでに見透かされている(*)。
* 作業員の実感が語られている。「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。」と反応する作業員に野田は反論できるのか。
作業員「政府ウソばかり」
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
野田総理大臣は、「原子炉は、『冷温停止状態』に達し、不測の事態が発生した場合も、敷地境界における被ばく線量が十分低い状態を維持できるようになった。安定状態を達成し、発電所の事故そのものが収束に至ったと判断される」と述べ、事故の収束に向けた工程表の「ステップ2」を完了したことを宣言しました。 |
思い返せば、臨時国会終盤で不退転の決意と彼は語った。その決意の方向はもちろん望むものではなかったけれど。その決意、実際には根拠はどこにもなく、言葉とは裏腹に、党内でさえまとまっていない実態が逆に有権者の前に露呈してしまったはず。沖縄普天間基地移転でも、当初の予定どおりのアセス提出を強調したが、リアリズムに徹したという表現が少しもおかしくないくらい米議会は冷静に日本の国内実情と進捗をみつめていたといえる。結果、グアム移転経費を削減した。グアム移転と抱き合わせの普天間基地移転なのだから。それでも約束を果たせというのが米国の立場にちがいはないが、これは野田政権の対応と対照をなしている。野田には、裏づけのないまやかしの姿勢をふりまいている雰囲気がどうも漂う。場当たり的にもみえてしまう。
だから、今回の2ステップが終わり次の段階に移行するという宣言も同様にみな考えてしまうにちがいない。まゆつば。なにしろ2ステップ完了の条件は、冷温停止と位置づけたものの、冷温停止の条件そのものが崩れ去ってしまっているのだから(エントリ)。そこではこう記した。
政府と東電の冷温停止の定義はまとめると少なくとも以下を満たす状態を指すと考えてよいようにボクには思える。
|
それでもなぜ、野田が有権者にむかって根拠のない宣言をしてしまうのか。金子勝はこうつぶやいている。「原発の事故処理が進んでいるかのような印象を作り、賠償費用も除染費用もできるだけ抑え、安全基準を引き下げようとする」。まったく同感。13日、保安院が第1原発の中長期施設運営計画について妥当と判断した旨、発表し、原子力安全委員会がこれを認め、冷温停止を公表するしかけはすでに整っていた。
もともと東電と国の基準でみても、その前提条件がないのに宣言する野田。すべての問題で煮え切らないといつも思わせる野田を追い込み突き動かすのは、政権を取り巻く、ますます厳しくなる環境に加えて、これまで政権を支てきた、最も優先しなければならない相手以外には考えられないようにみえる。事故処理が行程にそって進んでいることを強調し、国民の不安を払拭するつもりだろうが、福島県民からも、国民からもその魂胆はすでに見透かされている(*)。
* 作業員の実感が語られている。「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。」と反応する作業員に野田は反論できるのか。
作業員「政府ウソばかり」
*応援をよろしく ⇒
*こちらもお願い⇒
橋下の言論封殺-つぶやき#21
「毎日」に、先日のエントリに関連する記事が掲載されていた。2人の学者のコメントがある(下記)。新藤氏のコメントに賛成するが、山中氏のそれには同意できない。山中氏のコメントは、市の職員が発したコメントを「組織のトップへの批判と受け止められかねないコメント」と断定している。が、「民間でのトップへの批判」の有無は横におくとして、どんな意見をもとうと本来、OKだと思う。問題は、新藤氏のいう「自分を批判する『民意』」の存在を認めない橋下の姿勢にあると思う。みなさんはどうお考えですか。
橋下新市長:批判的職員に反省文書かせ、市は「忠誠」通達
◇古い体質、越権行為だ
新藤宗幸・元千葉大教授(行政学)の話 公務員も、就業時間外や職場の外では自由な立場・人格が尊重されるというのが近代の常識。「犯人捜し」をして反省文を出させるというのは越権行為で、橋下氏自身が批判する古い体質のやり方だ。言論統制に他ならず、職員が自由な意見を言えない萎縮した組織になってしまう。職員は公務員であると同時に一市民でもある。橋下氏は、自分を批判する「民意」にも誠実に耳を傾けるべきだ。
◇統治の面で理解できる
山中俊之・関西学院大大学院教授(人材開発)の話 カメラを向けられて、組織のトップへの批判と受け止められかねないコメントをするのは民間では考えられない。国でも地方でも、役人は選挙で選ばれた閣僚や首長を軽視しがちだ。解雇や降格がほとんどない公務員特有の体質だろう。内部では活発に意見を出すべきだが、対外的に組織批判をすべきではない。反省文を書かせるのも、ガバナンス(統治)の面では理解できる。
つぶやきから。
Twitter Buttons
橋下新市長:批判的職員に反省文書かせ、市は「忠誠」通達
◇古い体質、越権行為だ
新藤宗幸・元千葉大教授(行政学)の話 公務員も、就業時間外や職場の外では自由な立場・人格が尊重されるというのが近代の常識。「犯人捜し」をして反省文を出させるというのは越権行為で、橋下氏自身が批判する古い体質のやり方だ。言論統制に他ならず、職員が自由な意見を言えない萎縮した組織になってしまう。職員は公務員であると同時に一市民でもある。橋下氏は、自分を批判する「民意」にも誠実に耳を傾けるべきだ。
◇統治の面で理解できる
山中俊之・関西学院大大学院教授(人材開発)の話 カメラを向けられて、組織のトップへの批判と受け止められかねないコメントをするのは民間では考えられない。国でも地方でも、役人は選挙で選ばれた閣僚や首長を軽視しがちだ。解雇や降格がほとんどない公務員特有の体質だろう。内部では活発に意見を出すべきだが、対外的に組織批判をすべきではない。反省文を書かせるのも、ガバナンス(統治)の面では理解できる。
つぶやきから。
Twitter Buttons
- CERNが神の粒子ともいわれるヒッグス粒子に関して会見。「存在の兆候」をつかんだと。ビミョーな発表だけれど。発見とはまだいえないという解説つき。基準では存在確率が99.9999%以上で発見と認定するが、まだ99%未満。(2011.12.14)
- やっぱり、思いどおりにはいかない。>亀井静香氏、年内の新党結成断念 石原知事との協議不調(朝日)(2011.12.16)
- 橋下の言論封殺について2人の学識者の対比が面白い。>橋下新市長:批判的職員に反省文書かせ、市は「忠誠」通達(毎日)(2011.12.16)
- ジェダイは教祖なのか。。>宗教は「ジェダイ」=国勢調査で1万5000人-チェコ チェコ統計局は15日、今年3月に実施した国勢調査で、1万5070人が宗教欄に米国の大ヒット映画シリーズ「スター・ウォーズ」に登場する「ジェダイの騎士」と記入したと発表した。(2011.12.16)
« 前ページ |
?
?