セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「太陽がいっぱい」(完全ネタバレ)極私的名ラストシーン第1位、おまけ、第3位「第三の男」

2011-03-09 23:17:07 | 外国映画
 少し前、第2位を書いたので、やはり、第1位も書かないと。
 その前に一つ、お断りを。
 このサイトの記事は確認しながら書いたものも有りますが、記憶だけで書
いたものも沢山有ります、だから、実際に見てみると違ってる場合も有ると
思います、その辺は、どうかご容赦を願います。
 今回は、その「記憶だけ」という方です。

 「太陽がいっぱい」(「PLEIN SOLEIL」1960年 仏・伊)監督ルネ・クレマン
 出演アラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ 音楽ニーノ・ロータ

 ニーノ・ロータの名曲と共に、アラン・ドロンの出世作としても有名な作品。
 監督のクレマンはドロンの起用に乗り気じゃなかったと伝えられるけど、や
はり、これはアラン・ドロンという役者が居てこその作品だと思います。
 アラン・ドロンという人の大きな特徴は、甘い端正なマスクと、その顔にこび
り付いて消えない育ちの卑しさ、それが或る種の陰となって女性の母性本能
をくすぐるんですね、そこが、そこら辺の掃いて捨てる程いる二枚目役者と違
う所です。
 この作品のドロンの役は、トム・リプレィという貧しいアメリカの青年で、金持
ちボンボン、フィリップの中学時代からの仲間という設定、フィリップの父親の
依頼で、遊び呆けてるフィリップを連れ戻す為にイタリアへやって来ます。
 仲間と言っても貧富の差が、そのまま力関係なので、トムはフィリップの子分
というか下僕のような存在。
 横暴な主君フィリップに唯々諾々と従いながら、いつしかトムはフィリップに対
し、ドス黒い野望を胸に秘めるようになります。
 それは、フィリップを亡き者にした後、彼に成り済まし、その財産を自分のも
のにしてしまう計画。
 まさに底辺でもがいていたドロンにとって、これ以上ない程ピッタリの役、トム
の姿は、そのまま当時のドロンそのものだったんじゃないでしょうか。

 フィリップという男は、自分の財力(親の財力)に引き付けられ寄って来たトム
を下僕のように扱う内に、自身の内側に有ったサディズムに目覚め、また、そ
れを使える相手としてトムを取り巻きの一員に選んだのではないでしょうか、そ
こには、同性愛の匂いもします。
 トムが胸に秘めていた計画を実行に移す切っ掛けは、フィリップのサディズム
が一線を越えてしまった、という事も有りますが、より多くの主因は「痴情のもつ
れ」だったと言えなくもない。
 フィリップにはマルジュ(M・ラフォレ)という婚約者が出来ます、マルジュに入
揚げれば入揚げる程、トムは邪魔になります。
 3人で出掛けたヨットでのクルージング、フィリップは狭いヨットの中という閉鎖
空間で当て付けるように、トムの前でマルジュと親密にします、まあ、その辺に
「痴情のもつれ」と解釈する余地が有るんですね。

 まあ、作品の斜め読みは止めにして、ラストの名シーンです。
 フィリップに成り済ましたトムは、彼の財産を横領し、更に悲嘆にくれるフィア
ンセまで篭絡して手に入れる事に成功します。
 完全犯罪の成立。
 南欧の、どこまでも明るい日差しが降りそそぐ浜辺で、ビーチ・チェアに横に
なり、成功の美酒に束の間酔いしれるトム。
 その口から、ふっと漏れる呟き、
 「太陽がいっぱいだ・・・」
 その時、ビーチの売店に背広姿の男が二人入ってきます。
 男達と売店のオバちゃんが、何やら言葉を交わしてる。
 (この辺から、あの有名なテーマ曲が流れ出す・・・だったかな)
 やがて、オバちゃんは決心したように外へ出て声を掛けます、
 「リプレィさん、電話ですよ!」
 ちょっと訝しげなトム。
 再び、オバちゃんの声。
 ビーチ・チェアから立ち上がり、売店へ歩き出すトム。
 固定されたローアングルの画面の中、立ち上がったトムが、こちらへ向かっ
て歩いて来て画面から出て行く。
 画面には、砂浜に残されたビーチ・チェアと、その向こうに広がる青い海とノ
ンビリ浮かんでるヨット。
 音楽が大きくなってFIN。

 この幕切れ感と、後に残る余韻が何とも言えずいいんです。
 まさに完璧!(笑)

 でも、この良さが解らない人が増えてるんですよねえ・・・。
 「何かモヤッとしてて、スッキリしない」とか言って。
 そういう人達って、トムが手錠を掛けられた後、車に乗せられ連れて行かれ
る、或いは、トムが気配を察して逃げ出し、刑事に撃ち殺される、そこまで観な
いと納得しないんでしょうか。
 これって、何から何まで書いてしまうハリウッド映画の弊害だと思います。
 ハリウッドという所は全世界を相手に商売してるので、世界中の子供から大
人まで、誰が見ても解るように作り、全てに答えを出していくのが基本なんです。
 悪い言い方をすれば、人の想像力をアテにしていない。
 そんなハリウッド・スタイルにどっぷり漬かってる人ほど、昔風の「曖昧さが多
い」映画は駄目みたいです、僕みたいな昔の人間にとっては、ちょっと悲しい事
です。

 ここから、ちょっと暴走します。
 僕から見ると、今の映画って飽きさせない事を主眼にするあまり、小さな山を
作りすぎてる、だから、人間も物語も深くならない。
 刺激と感動だけをウリにするから、派手な音響とスピード、それに撃ち合いと
爆発に偏るか、さもなければ、「お涙頂戴」モノばかり。
 日本なんて、絶えずどこかで「難病モノ」やってる、客を泣かせてナンボ。
 お客もお客で、「感動しました!」の馬鹿の一つ覚え。
 宮崎県民じゃないけど、「どげんせんといかん」と思いますよ。

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 第3位 「第三の男」(「THE THIRD MAN」1949年・英)
      監督キャロル・リード 出演ジョセフ・コットン、アリダ・ヴァリ、オーソ
       ン・ウェルズ

 このラスト・シーンは余りに有名で、今更、何も言う事はないのですが、一つ
だけ言わせて貰えば、あそこでチターがウルサク鳴らないのがいい。
 ゆっくりと静かに、画面に溶け込むように鳴ってるのが凄くいいんです。
 それが、ENDマーク後の余韻に繋がってるんだと思います。


※ 他には「カサブランカ」(監督M・カーティス 1943・米)、「みじかくも美しく
燃え」(監督B・ウィデルベルイ 1967・スウェーデン)、リンゼイ・ワグナー(バ
イオミック・ジェミーの映画デビュー作)とP・フォンダの最後の台詞が印象的だ
った「ふたり」(監督R・ワイズ 1972・米)、B・ワイルダーの「アパートの鍵貸
します」(1960・米)、邦画では「天国と地獄」(監督 黒澤明 1963年)、「用
心棒」(監督 黒澤明 1961)、「蒲田行進曲」(監督 深作欣二 1982)が
好きです。
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8 コメント

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音楽が良かったです。 (宵乃)
2012-07-10 10:35:29
先日再見しました。
音楽が良かったですね~。それまでほとんど音楽なしで淡々と進行していたので、ラストは少し気分が盛り上がりました。
やっぱりドロンが好きになれなくて…。現代の彼(いま、元気かな?)は渋くて素敵ですが(笑)

>いつしかトムはフィリップに対し、ドス黒い野望を胸に秘めるようになります。

そこら辺がわたしにはあまり伝わってこなかったんですよ。こう言っちゃなんですけど、演技力の問題?

彼くらいの”若さ”と”容姿”と”人に取り入る才能”があれば、殺人のリスクなんて冒さずに欲しい物をぜんぶ手に入れられただろうに…と思ったら、自分が見えてない彼が哀れに思えました。
名曲ですよね~! (鉦鼓亭)
2012-07-10 23:46:00
 こんばんは、コメントありがとうございます!

この映画、高校から大学の頃、2~3回観ただけで、記事も、記憶だけで書いたから、かなり思い込みが多いです。
でも、A・ドロンは「百萬両の壷」の女将さんくらいのハマリ役で、この映画はドロン有ってこその映画だと、僕は思っています。

演技力の問題>う~ん、演技は悪くなかったんじゃないでしょうか。
余り男に目が行かない僕に、強烈な印象を残したくらいですから。
ドロンは目付きが悪いんですよ((目の)嘘作りも上手い)、それを上手く使って役をこなしてます。
善良そうに装っても「何か企んでやがる」って雰囲気が滲みでてる、そこが良かった。(笑)

別の人でも>それは、ちょっと疑問。
トムはフィリップを破滅させたかったんじゃないでしょうか。
金を奪い、女を奪い「ザマアミロ!」と言いたかった、そんな気がします。
ただそれは、境遇からくる潜在意識の中に強く有った話で、「アイツ、殺してやりたい」的な空想の世界、そこから、それ程はみ出すものではなかったと思います(例え、フィリップのサインの練習をしていても)。
多分、トムの空想の中では、
フィリップの破滅>金>女で、後の二つは「出来れば、そいつも」くらいの比重だったんじゃないでしょうか。
(完全な殺意が芽生えてからは、殺人+金ですが)

フィリップがヨットの中で、面白半分に馬鹿な切っ掛けを与えなければ、何事も無かった気がします。
そうなれば、トムは宵乃さんの仰るように、現状から這い上がる為に、ナポリ辺りでビーチボーイをやって有閑マダムを捕まえていたんじゃないでしょうか。
批評がおもしろい (やす)
2012-10-21 13:41:58
太陽がいっぱいの批評がとても
よかったです。
確かにエンディングはあれで十分だと
思います。これからちょくちょく
見に来ます。
こんにちわ! (鉦鼓亭)
2012-10-21 17:47:02
 やすさん、はじめまして。
 コメント、ありがとうございます。

批評がとてもよかったです>過分なお言葉を頂いて恐縮しています。
(この記事、ちょっと暴走してるので(笑))
ありがとうございます。

エンディング>そうですよね!
僕は、あそこしかないと思っています。

批評>スイマセン、このサイトの記事は全部、素人の感想なんです。
ので、違っていても、大目に見てくださいネ。(汗)

これからも宜しくお願い致します。
Unknown (マミイ)
2012-12-14 08:26:57
昨日は私のブログにコメントをありがとうございました。

私もこの映画好きです。
ニーノ・ロータの音楽、イタリアの太陽と海、そしてアラン・ドロン
・・・・・どれか一つが欠けてもダメです!
すべてが揃ったから名作になったのだと思います。

同一原作でマット・デイモン主演の『リプリー』がありますが
同じ原作でありながら全くの別人、それぞれの解釈がおもしろいです。
(『リプリー』の方が原作に忠実らしいのですが、
それでも私は『太陽がいっぱい』が好きです。)

古い記事ですが、トラックバックを送らせていただきました。
いらっしゃいませ! (鉦鼓亭)
2012-12-14 23:01:19
 マミイさん、こんばんは
 コメントありがとうございます。

ニーノ・ロータ、イタリアの太陽と海、アラン・ドロン>そうなんですよ!完全に同意です。

「リプリー」は未見なのですが、トム役の人にあの拗ねた濡れ犬のような目が出来るのでしょうか。
この映画は、あの時のA・ドロンという役者のお陰で、想定の上限を突き破る出来の作品になったと思っています。

でも、当時はまだまだ子供でしたから(笑)、M・ラフォレのマルジュにも随分惹かれました。
大人のお姉さんというか、フランスの女優さんを初めて意識した人。
マルジュという名前は、「冒険者たち」でレティシアを知るまで一番好きな名前でした。

TBありがとうございます、こちらからもさせて頂きます。
ニーノロータ (のんちゃん)
2014-02-10 20:32:52
ラストシーンのベストを選んでみました。
「太陽がいっぱい」「ゴッドファーザー」「ロミオとジュリエット」、そして「道」でした。
何と、ニーノロータで占められてしまいました。
作品の中での人間の心。それを象徴しているようなメロディーには感心します。
名ラストには名曲が不可欠。
素晴らしいですね。
Unknown (鉦鼓亭)
2014-02-10 22:55:40
 のんちゃん さん
 コメントありがとうございます

初めまして、鉦鼓亭です。
ようこそ、お出で下さいました。

「太陽がいっぱい」「ゴッドファーザー」「ロミオとジュリエット」、そして「道」>
あと一つ揃えるとロイヤル・ストレート・フラッシュになりそう、それもスペードで。
いずれも、素晴らしい作品で好きな作品。
どれもラストシーンが鮮明に思い出されてきます。
(「太陽がいっぱい」の砂浜、「ゴット・ファーザー」のパチーノの顔、「ロミオとジュリエット」の教会入り口、「道」夜の浜辺)

作品の中での人間の心。それを象徴しているようなメロディー>
作品のテーマに添い、印象付け、主人公達の心象風景をも思わせてくれる。
本当の巨匠と呼べる人だと思います。

E・モリコーネもそうだけど、イタリアの作曲家って、生まれ育った風土への土着性を感じます。

彼の作品では「ロミオとジュリエット」が一番好きです。
(フィギュア・スケートの季節になると、どこからともなく・・・(笑)。今季、小塚クンが使用したようでしたが五輪の舞台で聞けなくて残念でした)

これからも宜しくお願い致します。

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