映画から離れてた時期、おすぎが「生涯�1」とも激賞してたのを、何故
か忘れられずにいました。
「さらば、わが愛/覇王別姫」(「覇王別姫」・1993年・香港/中国)
監督 陳凱歌(チャン・カイコー)
脚本 李碧華
撮影 顧長衛
美術 楊予和 楊占家
衣装 陳昌敏
音楽 趙季平
出演 張國榮(レスリー・チャン)
張豊毅
鞏俐(コン・リー)
呂齊
葛優
どうやら京劇絡みの話らしいと言うのは知っていましたが、「覇王別姫」と
は何じゃろか?と先日まで解りませんでした。
映画が始まって暫くすると、有名な「垓下の歌」を少年達が歌うシーンが
有り、やっと項羽と虞(虞美人~項羽の愛妾で、その美しさから虞美人と呼
ばれた)の事かと知った次第です。
力拔山兮氣蓋世 力山を抜き 気世を蓋う
時不利兮騅不逝 時利有らずして騅(すい)行かず
騅不逝兮可奈何 騅の行かざる如何すべし
虞兮虞兮奈若何 虞や虞や汝を如何せん
(騅とは項羽の愛馬の名前、関羽の赤兎馬と共に神馬として有名~映画
では漢詩は解り易く訳され騅も「馬」と訳されてました、でも、あれでは漢詩
のリズム感が半減なんですよねぇ)
これは垓下の城に立て篭もる楚王・項羽が漢軍の包囲網から沸き起こる
四面楚歌を聞いて、己の敗北と運命を悟り、剣舞と共に歌った有名な七言
絶句(「抜山蓋世」)で、後世の人達には項羽の辞世の句と同義に捉えられ
ています。
この歌に対する虞美人の返歌は、
漢兵已略地 漢兵已(すでに(楚の))地を略し
四方楚歌声 四方は楚歌の声
大王意気尽 大王意気尽く
賤妾何聊生 賤妾(せんしょう)何ぞ生(せい)に聊(やす)んぜん
一指し舞を舞うと虞は項羽の剣を抜き自害して果てました。
(以下、ネタばれ気味です)
この作品は、この有名なシーンを京劇の演目とした「覇王別姫」を映画の
骨格に使い、京劇の花形役者で立役者・段小楼(張豊毅)と女形・程蝶衣
(張豊毅)、小楼の妻・菊仙(鞏俐)、三人の愛憎を描きつつ、清朝滅亡後
から50年の中国近代史も叙事的に重ね合わせていく、という非常に重厚
で見応えの有る作品。
劇中、京劇の大パトロン袁が蝶衣に、こう言います、
「「覇王別姫」は項羽が虞を捨てる話だが、君の演じる虞は、虞が項羽に
別れを告げる話に見える」
水魚の交わりとでも言えた小楼と蝶衣、この二人に訪れる文革後の悲劇
は既にこの台詞に暗示されていました。
また、「垓下の歌」の騅を、二人にとっての「京劇」に置き換える事も出来る
のではないかと思います。
武張ってはいないけど反骨心旺盛な小楼は現代の項羽、一世を風靡する
も時の流れに逆らえず飲み込まれていきます。
小楼と蝶衣、特に蝶衣にとって文革で糾弾される京劇の世界は、まさに「四
面楚歌」であり、「時利有らずして騅逝かず」を目の前で見る気持ちだったの
ではないでしょうか。
項羽(小楼)を巡る二人の虞美人が繰り広げる血みどろの葛藤。
この部分の描写が極めて丁寧で、それ故に、絡みつく宿命のような愛憎が
良く伝わってきました。
史記と違い項羽に裏切られた虞美人、菊仙と蝶衣は同じ道を選びますが、
蝶衣の最後の行動は、男に生まれながら女として生き、只一人の男を愛した
人間として「最高の筋の通し方」なのかもしれません。
憎い、許せない、許せないけど離れられない、まして殺す事なんか出来ない・・。
(その辺が、おすぎをして「生涯最高の映画」と言わしめたのかなぁ~よく解
らんけど)
役者陣では誰もが絶賛する張國榮(レスリー・チャン)の演技が見事、「報わ
れぬ愛」に生きる女形役者を全身の雰囲気、台詞の言い回し、眼差し、さり気
ない仕草で完璧に演じています。
また菊仙を演じた鞏俐(コン・リー)も、夫との平穏な生活だけを願い、その為
にも気丈でしたたかに生きてる女を好演していて印象に残りました。
パトロンの袁を演じた葛優も悠揚迫らぬ大人ぶりで好演。
一人だけ物足りない感じがしたのが小楼を演じた張豊毅。
「虞に別れを告げられる項羽」という設定を納得させるだけの小器ぶり、愛
情に関しては浅い男という部分は出せていたけど、何か足りないモノを感じて
いました。
それが何か、随分考えたのですが、多分、蝶衣に対するリスペクトを感じら
れないからだと思いました。
小楼から見て蝶衣は弟分で、その関係は兄弟関係に近く辛い修行時代を二
人で乗り越えた分、より堅固になり他人の介在を許さない程。
スターになってからは小楼有っての蝶衣、蝶衣有っての小楼なんです。
それなのに小楼から蝶衣に対する視線、態度に嫉妬、劣等感は感じても、リ
スペクトをまるで感じる事がない。
ここら辺が有れば、もっと物語が厚くなったような気がします。
濃密なドラマが繰り広げられ、それが3時間近くに及ぶ。
気楽に観る作品とは違いますが、何度でも観る事に耐えられる作品。
アジアを代表する傑作の一つだと思います。
か忘れられずにいました。
「さらば、わが愛/覇王別姫」(「覇王別姫」・1993年・香港/中国)
監督 陳凱歌(チャン・カイコー)
脚本 李碧華
撮影 顧長衛
美術 楊予和 楊占家
衣装 陳昌敏
音楽 趙季平
出演 張國榮(レスリー・チャン)
張豊毅
鞏俐(コン・リー)
呂齊
葛優
どうやら京劇絡みの話らしいと言うのは知っていましたが、「覇王別姫」と
は何じゃろか?と先日まで解りませんでした。
映画が始まって暫くすると、有名な「垓下の歌」を少年達が歌うシーンが
有り、やっと項羽と虞(虞美人~項羽の愛妾で、その美しさから虞美人と呼
ばれた)の事かと知った次第です。
力拔山兮氣蓋世 力山を抜き 気世を蓋う
時不利兮騅不逝 時利有らずして騅(すい)行かず
騅不逝兮可奈何 騅の行かざる如何すべし
虞兮虞兮奈若何 虞や虞や汝を如何せん
(騅とは項羽の愛馬の名前、関羽の赤兎馬と共に神馬として有名~映画
では漢詩は解り易く訳され騅も「馬」と訳されてました、でも、あれでは漢詩
のリズム感が半減なんですよねぇ)
これは垓下の城に立て篭もる楚王・項羽が漢軍の包囲網から沸き起こる
四面楚歌を聞いて、己の敗北と運命を悟り、剣舞と共に歌った有名な七言
絶句(「抜山蓋世」)で、後世の人達には項羽の辞世の句と同義に捉えられ
ています。
この歌に対する虞美人の返歌は、
漢兵已略地 漢兵已(すでに(楚の))地を略し
四方楚歌声 四方は楚歌の声
大王意気尽 大王意気尽く
賤妾何聊生 賤妾(せんしょう)何ぞ生(せい)に聊(やす)んぜん
一指し舞を舞うと虞は項羽の剣を抜き自害して果てました。
(以下、ネタばれ気味です)
この作品は、この有名なシーンを京劇の演目とした「覇王別姫」を映画の
骨格に使い、京劇の花形役者で立役者・段小楼(張豊毅)と女形・程蝶衣
(張豊毅)、小楼の妻・菊仙(鞏俐)、三人の愛憎を描きつつ、清朝滅亡後
から50年の中国近代史も叙事的に重ね合わせていく、という非常に重厚
で見応えの有る作品。
劇中、京劇の大パトロン袁が蝶衣に、こう言います、
「「覇王別姫」は項羽が虞を捨てる話だが、君の演じる虞は、虞が項羽に
別れを告げる話に見える」
水魚の交わりとでも言えた小楼と蝶衣、この二人に訪れる文革後の悲劇
は既にこの台詞に暗示されていました。
また、「垓下の歌」の騅を、二人にとっての「京劇」に置き換える事も出来る
のではないかと思います。
武張ってはいないけど反骨心旺盛な小楼は現代の項羽、一世を風靡する
も時の流れに逆らえず飲み込まれていきます。
小楼と蝶衣、特に蝶衣にとって文革で糾弾される京劇の世界は、まさに「四
面楚歌」であり、「時利有らずして騅逝かず」を目の前で見る気持ちだったの
ではないでしょうか。
項羽(小楼)を巡る二人の虞美人が繰り広げる血みどろの葛藤。
この部分の描写が極めて丁寧で、それ故に、絡みつく宿命のような愛憎が
良く伝わってきました。
史記と違い項羽に裏切られた虞美人、菊仙と蝶衣は同じ道を選びますが、
蝶衣の最後の行動は、男に生まれながら女として生き、只一人の男を愛した
人間として「最高の筋の通し方」なのかもしれません。
憎い、許せない、許せないけど離れられない、まして殺す事なんか出来ない・・。
(その辺が、おすぎをして「生涯最高の映画」と言わしめたのかなぁ~よく解
らんけど)
役者陣では誰もが絶賛する張國榮(レスリー・チャン)の演技が見事、「報わ
れぬ愛」に生きる女形役者を全身の雰囲気、台詞の言い回し、眼差し、さり気
ない仕草で完璧に演じています。
また菊仙を演じた鞏俐(コン・リー)も、夫との平穏な生活だけを願い、その為
にも気丈でしたたかに生きてる女を好演していて印象に残りました。
パトロンの袁を演じた葛優も悠揚迫らぬ大人ぶりで好演。
一人だけ物足りない感じがしたのが小楼を演じた張豊毅。
「虞に別れを告げられる項羽」という設定を納得させるだけの小器ぶり、愛
情に関しては浅い男という部分は出せていたけど、何か足りないモノを感じて
いました。
それが何か、随分考えたのですが、多分、蝶衣に対するリスペクトを感じら
れないからだと思いました。
小楼から見て蝶衣は弟分で、その関係は兄弟関係に近く辛い修行時代を二
人で乗り越えた分、より堅固になり他人の介在を許さない程。
スターになってからは小楼有っての蝶衣、蝶衣有っての小楼なんです。
それなのに小楼から蝶衣に対する視線、態度に嫉妬、劣等感は感じても、リ
スペクトをまるで感じる事がない。
ここら辺が有れば、もっと物語が厚くなったような気がします。
濃密なドラマが繰り広げられ、それが3時間近くに及ぶ。
気楽に観る作品とは違いますが、何度でも観る事に耐えられる作品。
アジアを代表する傑作の一つだと思います。
>誰もが絶賛する張國榮(レスリー・チャン)の演技が見事
本当に素晴らしかったですよね~。実際に京劇をやってたと言われれば、即信じられるレベル!
これは男も惚れますよ。
>何度でも観る事に耐えられる作品。
アジアを代表する傑作の一つだと思います。
子供時代を見るのが辛いので再見する気にはなれませんが、アジアを代表する傑作というのは同感です。
映画好きなら一度は観てほしい作品ですよね。
コメントありがとうございます!
おすぎさんの「生涯№1」作品>今は知らないけど、公開当時、あちこちでそんな事を言っていたと思います。
実際に京劇をやってたと言われれば、即信じられるレベル>本当の舞台を観てる気がしますよね!
舞台化粧をしてない時も、女形独特の雰囲気が有って、この辺は日本も中国も変わらないんだなあ、と思いました。
(只、歌い出しの部分で声と口がコンマ何秒ずれる時があってアテレコ、モロ解りの時がありました(笑)~これは編集の責任ですけど)
子供時代を見るのが辛いので>確かに敏感な人には辛いシーンが30分くらい続きますからね。
もう虐待なんてレベルの折檻じゃないですもん。
でも、あの30分が無いとラストの切なさが半減してしまうし、この骨太のドラマを支える骨幹ですから手加減出来ない部分なんですよね。
難しくて微妙な問題だと思います。
先日の日曜日、映画館で観て来たのですが、直後より日を追うにしたがって印象が深くなっていく映画でした。
今月もブログDEロードショーを開催いたします。
作品は『愛は静けさの中に』。匿名の方からリクエスト頂きました。
開催期間は4月25日(金)~27日(日)。
よかったら今月もみんなと一緒に映画を楽しみましょう♪
お知らせ有難うございます
企画の件、了解しました。
>おすぎが「生涯�1」とも激賞してた
私は誰にもこころをのせられなかったけど、きっと彼はその反対なのでしょうネ~。
>清朝滅亡後から50年の中国近代史も叙事的に重ね合わせていく、という非常に重厚で見応えの有る作品。
そういう作品でしたね~。
>特に蝶衣にとって文革で糾弾される京劇の世界は、まさに「四面楚歌」であり、
「時利有らずして騅逝かず」を目の前で見る気持ちだったのではないでしょうか。
難しいから鑑賞時にはピンとこなかったけど、きっとそういう事だったのでしょうネ~。
>憎い、許せない、許せないけど離れられない、まして殺す事なんか出来ない・・。
最後の空白の11年間だけはよく分からなくて、再会(共演するという形)をとれた理由を、
映画の中で描写しなかったのは、いけなかったと思いました。
>役者陣では
皆さん良かったですネ、マネージャーさんと小四さんが特に良かったです。
>一人だけ物足りない感じがしたのが小楼を演じた張豊毅。
軽く見られがちな役柄で、あの二人と比べられがちだと思うけど、私は良かったと思いました☆
>それなのに小楼から蝶衣に対する視線、態度に嫉妬、劣等感は感じても、リスペクトをまるで感じる事がない。
>ここら辺が有れば、もっと物語が厚くなったような気がします。
結局は、「対等」だとは、思っていなかったのではないでしょうか?
>濃密なドラマが繰り広げられ、それが3時間近くに及ぶ。
鉦鼓亭さんにとって良い作品のようで良かったですネ。
私には「そういうドラマの中の一本」という作品です。(「GWTW」等、いろいろ・・・)
子供時代の事をチラッと聞いていましたが、1920年代から始まる親に縁の薄い子供達の
芸事の世界の話ですのでね、仕方ないというか、ギョッとはしましたが、一般家庭ではないのですし、
芸事としても今現在ではないので、見られない事はなかったです☆
.
夕方に義母の具合が悪くなり(軽度の認知症の為、食事過多による消化不良を起こしたと思われる)、仕事後、お見舞いがてら女房を迎えに行ったので、只今、帰着。
これから風呂に入って急いで寝ます。
なので、申し訳ありませんがレスは明日にさせて下さい。
コメントありがとうございました
この作品は「七人の侍」と並ぶ、僕のオールタイム・ベスト。
西にホメロス在りせば東に「覇王別姫」有りと言いたいくらいの作品。(笑)
演技、美術も素晴しいけど、何より中国50年の近・現代史を一大叙事詩として描き切ってるのが凄いと思っています。
見られない事はなかったです☆
>そうでしたか、ホッとしました。
最後の空白の11年間~映画の中で描写しなかったのは、いけなかったと思いました
>二つの理由から、僕はあれでいいと思っています。
一つ目は「何もない空白の11年」だから。(汗)
この11年は文化大革命(毛沢東が政敵を排除する為発動した極左純化運動)の期間、自己批判をさせられ人民裁判(吊るし上げ)で有罪の烙印を押された主人公達の行き先は投獄、下放(地方、僻地の痩せた土地での開墾、農作業)、よくて革命劇での果てしない地方巡り。
多分、下放だと思うけど、毎日、人民公社の監視の元、奴隷のように畑を耕し、夜は思想学習、勝手に知り合い達との飲み会も出来ない(無届け集会の禁止)、十年一日のように判で押した生活。
だから描いても意味が無い。(汗)
二つ目はハリウッドと違い「中国人による中国人の為の映画」で、海外で稼ぐ事を考えてない。中国人なら、あの11年間がどういうものか語らずとも身に沁みて解ってるからじゃないでしょうか。(生き残った二人に11年の無意味な時間が通り過ぎていったという事)
そして、この作品は初めに書いたとおり叙事詩だから、時代の節目々々をピックアップして、その時、登場人物達が何を考え、どう動いたかを点描しながら、その背後に有る「時代の流れ」を描いています。
何もない時間を描く必要はない、僕は、そう理解しています。
(あの時間を描かないからこそ、その無意味だった時間を逆に意識できるんじゃないでしょうか)
マネージャー>見掛けによらず、それなりに誠実な人物でした。
小四>憎たらしかった。(笑) 人に本気でそう思わせたのだから的確な演技。
対等とは思ってなかった
>この頃はまだ儒教的思考が色濃く、兄>弟という感覚が強かったと思っています。
弟分 蝶衣への芸に対するコンプレックスを儒教的価値観で押さえつけバランスを保つ。
もっと複雑だろうけど、そんな感覚だった気がします。