踊ることは基本重力をいかに感じ、どう使うかということなのだが
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月8日 - 02:02
脱力のワークをして重さを充分に感じることと、その重さから抜け出して限りなく身体を組成しているものから抜け出していく、という両極のことを自分は行なっている。
重さから抜け出していくと限りなく身体が希薄になってくる。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月8日 - 02:07
そこに物質としての肉体があるかどうかが消える。
粒子の粒が集まっているだけ、という感覚になる。
本質はこういうものなのだろうと思う。
永遠の中に刹那に存在している感じ。
茫漠としていて、それでいて疑いの付け入る隙もなく。
@transnaut ある意味これは「至高体験」に近いものかもしれませんね。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月8日 - 02:18
昔コリン・ウィルソンの同名の本を読みました。
いつもならなんとも思わないのに、何かの体験の後の日常の中にふっと降りて来たものがとてつもない神秘性を持って… twitter.com/i/web/status/9…
我々が疑ってかからない「生のリアリティ」と「死」の間にあるようなゾーン
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月8日 - 02:25
なのかもしれない。
それは「夢」と極めて似ている気がする。
そのゾーンの時に見えたり聞こえたりすることも色々とある。
@ranty_o 私も確か銀座で食べたのが最初だったかな?いや青山一丁目だったかもしれない。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月8日 - 02:30
しかしあの美味しさは今でも覚えています。その後川崎駅の立ち食いとかでも時々食べたけどなんかなー。でも好きな味です。あのスープのかすかな臭さ!
@transnaut まあ、この歌自体は色々端折っている感じがしますが…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月8日 - 03:39
自分自身を変えて行くこと。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月8日 - 22:49
その意志を持つこと、
小さな積み重ねを毎日続けて行くこと、
そしてそういう自分への観察と見守りが必要なんだな。