老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

湯川秀樹 日記 1945 ~ 京都で記した戦中戦後

2024年04月17日 | 明治・大正・昭和の京都

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「大京都」の誕生 ~ 都市改造と公共性の時代 1895~1931年

2024年04月13日 | 明治・大正・昭和の京都

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戦後京都の「色」はアメリカにあった

2023年03月19日 | 明治・大正・昭和の京都

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維新京都 医学事始

2022年10月18日 | 明治・大正・昭和の京都

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京都空襲 ~ 米軍資料からみた記録

2022年08月15日 | 明治・大正・昭和の京都

「 出版社からのコメント

京都の空襲について、
日本側の資料が少ない中、
元東山区長の伊藤忠夫さんが、
アメリカ側の膨大な保存資料を読み解き
まとめたものです。
戦争の愚かさ、
人の命の尊さ・尊厳を考え、
見つめ直す中で、
空襲経験者の談話
「馬町空襲の下で」「戦争中の少年時代」や、
当時の貴重な写真、
航空資料なども収載。
『戦争は、絶対にしてはならない!』
との信念がにじみ出ています。      」

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「西陣空襲」の記憶を伝える辰巳公園の石碑

2021年08月06日 | 明治・大正・昭和の京都

冒頭に掲げたのは、

「西陣空襲」に関する

京都新聞の記事。

下は、同じ京都新聞

から今年出版された

「京都空襲」。

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原爆は京都に落ちるはずだった ~ 原爆投下に正義はあったのか?

2021年08月06日 | 明治・大正・昭和の京都

( kindle版あり )

「 米国はなぜ、どのように

日本に原爆を投下したのか。

そこに、正義はあったのか?

戦後の俗説を解明することで、

原爆投下プロジェクトの舞台裏を暴く1冊。

京都は原爆投下第一目標だった!?

人口の多い京都が空襲されなかったのは、

文化財がたくさんある古都だから

と習った人はいないでしょうか。

また、米国人のウォーナー博士が

京都の素晴らしさを訴えたために、

空襲が回避された

という番組がNHKで放送されています。

しかし、これは真実ではありません。

京都が空襲を受けなかった理由は、

原爆投下の第一目標だったためです。

・人口が100万人以上で、かつ密集している

・盆地で爆風の威力を発揮しやすい

という理由から、

京都は原爆の威力を測定するのに

最適な都市と考えられたため、

通常の爆撃を控えられていたのです。

本書では、

・京都はなぜ原爆投下目標に選ばれたのか

・「文化財保護説」や「ウォーナー伝説」

   は誰が何のために伝説を創作したのか

を膨大な資料から解明し、

戦後、“米国が仕掛けたプロパガンダ(虚構)を覆します”。

目次

第1章 ウォーナー博士は古都を救った恩人か?
第2章 京都に原爆を投下せよ!
第3章 京都の運命
終章 『ウォーナー伝説』を創出したのはだれか?

著者略歴

吉田守男(よしだ・もりお)

1946年京都生まれ。

71年京都大学文学部(国史学専攻)卒業。

78年京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得満期退学。

87年樟蔭女子短期大学講師、助教授を経て、94年より教授。

2001年より大阪樟蔭女子大学教授       」(内容)

( kindle版あり )

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忘れられた祭り ~ 京都染織祭

2021年07月18日 | 明治・大正・昭和の京都

「 染織祭とは、

昭和恐慌期に起こった祭りである。

なかでも女性時代風俗行列は

男性装束のみの時代祭と対比され、

祇園祭にも匹敵する観客を集め、

染織業界のみならず

多くの業界がこれに便乗し、

当時「京都四大祭りの一つ」と謳われた。

古墳時代から八つの時代を重ね

江戸時代末期まで、

絢爛豪華な装束を着た女性たちが練り歩く、

まさに衣装で綴る時代絵巻であった。

本書では、祭りを創設した京都染織業界、

その中核となった京都染呉服商、

さらに祭りを支援した

京都市の動向を追っていく。

長年謎に包まれていた祭りの実態を

新出史料から解き明かし、

恐慌・戦争・復興を駆け抜けた

染織祭の意義を考える。

【目次】

プロローグ ―染織祭との出会い

本題に入る前に

第一章 創設への道程 ―発端・中核・構想

第二章 染織祭の背景 ―京都染織業界と京都市、それぞれの思惑

第三章 染織祭の展開 ―第一回・第三回染織祭と女性時代風俗行列

第四章 染織祭の変質 ―戦時期・戦後復興期の活動

まとめ

エピローグ ―染織祭の意義

付表 染織祭関連年表
参考文献リスト
付録 染織祭関連資料紹介
染織祭女性時代衣装一覧       」(内容)

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明治の京都 ~ 「古写真で語る京都」

2021年05月15日 | 明治・大正・昭和の京都

「 映像には、

文字では表現できなかった

当時の雰囲気や

息吹が感じられ、

人々の生活の喜びや、

事件の緊張感などが伝わる。

映像資料としての古写真の可能性

をさぐりながら、

明治の先進都市・京都

の実像に迫る画期的研究。    」(内容)

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幻の「カフェー」時代  ~ 夜の京都のモダニズム

2020年10月20日 | 明治・大正・昭和の京都

「 〈京都の「カフェー」史から見えてくる

古都の近代・日本の近代とは 〉

〈 近代日本文化のるつぼ「カフェー」。

豊富な図版とともにその全体像を描く。

幻の夜の文化史 〉

明治末に生まれ

戦間期に全国で大流行した「カフェー」は、

西洋風の飲食と

女給の接客が魅力の娯楽空間でした。

文化人が交流し、

エログロ文化のシンボルともなりましたが、

その全体像はヴェールに包まれています。

都市の形成、「大衆」の誕生、

風俗誌、ジェンダー、音楽文化など、

日本近代の様々な問題系が、

カフェーから浮かび上がります。

本書は京都のカフェー通史を描くことで、

日本近代史の知られざる一面を

明らかにします。        」(内容)

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京都の謎  ~ 東京遷都その後

2020年09月22日 | 明治・大正・昭和の京都

「 学制発布以前に作られた小学校、

日本最初の博覧会が京都で開かれた理由、

時代の最先端だった琵琶湖疏水と水力発電、

新京極は知事が開発した歓楽街だった……

多彩な“日本初"とともに描く、

京都人の知られざるパワー。

歴史が古いうえに、

都市としての規模も大きいから、

災難による傷の深さは

他の都市とは比較にならない。

そのたびに蘇生をくりかえしてきた京都だが、

明治の維新という災難は

それまでとは次元も強度もちがう、

途轍もなく甚大なものだった。

――これからの京都は、

天子さまなしでやってゆかねばならない。

そうと気づくにも勇気が必要だったが、

目を逸らしても仕方はない。

どんな深刻な災難でも

きりぬけられるはずだ。

それは京都の歴史から

汲みとれる教訓なのである 」

(「まえがき」より)     

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戦時中の京大物理学研究室を舞台にした「太陽の子」、今夜放送 !

2020年08月15日 | 明治・大正・昭和の京都

戦時中の京大物理学研究室を舞台にした

「太陽の子」が今夜放送される。

NHK 総合で

午後7時30分から。

( 付記 )

日本はアメリカとほぼ同時に

原爆実験に成功していた、、、、

という根強い説がある。

下は、そのうちの1つ

矢野義昭さんという方の書かれた

「世界が隠蔽した日本の核実験成功」。

「 日本は大戦末、核爆発装置を完成させ、

8月12日に興南の沖合の小島で原爆実験に成功したが、

ソ連軍に急襲され、

残った核インフラと科学者を奪われた。

ソ連はその成果を利用し、わずか4年後に核実験に成功した。

中国は朝鮮戦争中に興南の核インフラ奪取のため参戦した。

北朝鮮の核開発は、人材育成も含め、

日本の統治下で基盤が造られた。

蒋介石も日本の科学者を雇い核開発に取り組んでいた。

著者について

矢野義昭(やの・よしあき)
 
昭和25年生まれ、京都大学工学部機械工学科卒、同文学部中国哲学史科卒。
 
国家生存戦略研究会会長、日本安全保障戦略研究所上席研究員、
 
防衛法学会理事、日本国史学会会員、岐阜女子大学特別客員教授。
 
拓殖大学博士(安全保障)。
 
著書『危機対策必携マニュアル―天災・人災・戦災に備える』(勉誠出版)、
 
『軍拡中国に対処する』(勉誠出版)、
 
『成功していた日本の原爆実験―隠蔽された核開発史』(訳書、勉誠出版)ほか 」
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建物疎開と都市防空 ~ 「非戦災都市」京都の戦中・戦後

2020年08月15日 | 明治・大正・昭和の京都

「 終戦直前、我国の大都市の

実に61万戸の建物が、

強制的に撤去された。

制空権を失う中で、

木造家屋が密集した都市を守るには、

もはや火災の種になる家屋そのものを

破壊しなければならなかったのである。

「破壊防空」がもたらした、

市民生活と都市の空間構造への、

今日にまで至る物理的・心理的影響に、

初めて学術的に迫る意欲作。

著者略歴

川口朋子

1980年熊本県生まれ。立命館大学文学部史学科卒、
 
京都大学人間・環境学研究科博士後期課程修了。
 
博士(人間・環境学)。
 
専攻は都市史、日本近代史。
 
現在、京都府立総合資料館勤務。
 
京都外国語短期大学非常勤講師   」(内容)
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戦死した京大生の遺稿集 ~ 「林尹夫日記  わがいのち月明に燃ゆ」

2020年08月15日 | 明治・大正・昭和の京都

「 学徒出陣により戦死した京大生、林尹夫は、

三高時代から死の直前まで、

日々の思いを4冊のノートに残していた。

1967年、「わがいのち月明に燃ゆ」と銘打たれ、

筑摩書房より刊行された林の遺稿集は、

戦後社会に大きな反響を呼んだが、

遺稿の4分の1は編集過程でカットされ、

掲載文にも一部改稿の手が加えられていた。

没後75年、彼の記した自己と世界史究明の努力、

友情・セクシュアリティへの実直な思いを、

澄みきった原文のままで現代の読者に届ける  」(内容)

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古都の占領 ~ 生活史からみる京都 1945~1952

2020年08月14日 | 明治・大正・昭和の京都

「 1945年の敗戦で戦後がはじまったのではなく、
 
1952年の講和条約発効までは休戦期であり、
 
戦争状態はつづいていた―
 
国は忘却に躍起となり、人々は故意に忘れたいと願った
 
占領の事実から戦争そのものの構造を問う。
 
10年をこえるフィールドワークを行い、
 
虫の目と鳥の目をもって、
 
小さな歴史(地方行政文書・住民証言)と
 
大文字の歴史(政府行政文書・GHQ/SCAP文書)とを
 
最新のデジタル地図技術ではり合わせた、
 
世代をつなぐ戦後史絵巻。
 
路地裏のかそけき記憶。地面下の消えない歴史。
 
著者略歴
 
西川祐子
 
1937年東京生まれ、京都育ち。
 
同志社中学校・高等学校卒業。
 
京都大学大学院博士課程修了。
 
パリ大学・大学博士。
 
日本とフランスの近・現代文学研究、
 
女性史、ジェンダー論専攻。
 
帝塚山学院大学と中部大学では
 
「文学」「フランス語」を、
 
京都文教大学では2008年の定年退職まで
 
「ジェンダーと文化」を担当  」(内容)
 

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