熊本熊的日常

日常生活についての雑記

本物の贋物

2014年02月28日 | Weblog

少し早めに家を出て、出勤前に職場近くにあるインターメディアテクに立ち寄った。2階から入って3階に抜けたのだが、3階ミュージアムショップの近くに古銭や古紙幣の展示があり、そのなかに赤瀬川源平の「大日本零円札(本物)」があった。噂には聞いていたが、サイズこそ違え、同じ寸法、同じ紙質、同じ印刷なら、あるいは本物の紙幣と見間違えるかもしれない。同じ展示ケースのなかにワイマール共和国の紙幣が展示されている。ゼロの数がやたらに多い割に印刷や紙質が租末な紙幣群だ。片や芸術作品であり、片や紙幣なのだが、どちらがより高い貨幣価値を持つかというと、本物の紙幣、とは断言しがたい。確かに、芸術作品というのは、それを購入しようという客が現れなければ貨幣価値は生まれないのだが、「作品」として認知され、「買った!」という人が現れればその購入金額から製造原価その他費用を差し引いただけの貨幣価値を生んだことになる。ハイパーインフレ下にある国家の紙幣は通貨として流通するとは言いながら紙切れ同然だ。ここで言う「貨幣価値」はあくまで流動性があることを前提にした市場価値のことであって、歴史的意義であるとか芸術的価値であるとか技術的価値といったものではない。

1988年の暮から1989年の正月にかけてドゥブロブニクで過ごした。当時、彼の地は年率200%とも300%とも言われるインフレ下にあり、街の商店の値札が毎日書き換えられているのを目の当たりにした。通貨価値が安定しないので、公共投資のような長期間に亘る投資案件を策定することができず、観光地であるドゥブロブニク旧市街とその周辺を除くと市民生活が疲弊している様子が窺えた。観光客は毎日その日に使う小遣い分だけ当時の通貨であったユーゴスラビア・ディナールに両替をしていた。果たして、その後、ユーゴスラビアがどうなったか、ドゥブロブニクがどうなったかは、歴史が示す通りである。ワイマール共和国がどうなったのかも、歴史が明らかにしている。

さて、貨幣とは何なのだろうか。このブログでも以前に何度か話題に取り上げた記憶があるが、貨幣というのは不思議なものである。それ自体は紙切れに過ぎないのに、そこにかかれてある金額分の価値があるものと社会に認知されると、その価値を持ってしまうのである。「千円」と書かれてあれば千円として、「壱万円」と書かれてあれば一万円として流通する。印刷物としては多少のサイズの違いはあるだろうが、10倍の価格差ほどの違いはないだろう。それでも、どちらかを選ぶとすれば「壱万円」を取る人が圧倒的に多いのではないか。なぜだろう?

偶然にも今日、仮想通貨の取引業者が65億円の負債を抱えて東京地裁に民事再生法の適用を申請し、即日保全命令を受けた。国家が管理していることになっている貨幣ですら、かなり怪しい存在なのに、どこのだれだかよくわからない組織が「発行」している「仮想」の通貨を使って経済行為を行う発想は、根底に国家というものに対する不信感がある所為かもしれない。国家が発行しようが、そうでないところが発行しようが、それが通貨として認知されているなら通貨として使えばいいじゃないか、ということなのかもしれない。あるいは、国家は信用できないがネットの住民は信用できるという人がかなりの数になって、現実の通貨よりも仮想通貨のほうが信頼できる、という時代になりつつあるということなのかもしれない。もちろん、単に…。

ところで、そもそも本物とは何だろう?


2865

2014年02月25日 | Weblog

このブログを開設してから昨日で2,865日になった。更新頻度は一定していないが、こうして今も続いているというのは、自分がいかに暇であるかということの証左である。誠にめでたい。頻繁に更新してもこれにアクセスする人はそれほど増えないし、しばらく放っておいても日に50人程度の人は訪れる。素朴に手慰みで書いているだけなのに、どんな人が訪れるのか不思議である。勿論、友人のなかにはこの存在を知っている者もあるが、そういう人は数えるほどしかない。数えるほどしかいないない貴重な読者のひとりが昨年夏に亡くなってしまったので、数えられなくなるのも時間の問題だ。

管理画面で前日の「このブログの人気記事ランキング」を見ることができるのだが、必ずしも直近の投稿が上位にならないもの不思議である。ちなみに昨日のランキングは
1 Noa Noa
2 備忘録『一色一生』
3 高名の木登り
4 お勉強の日
5 体調がよくない休日は家でざるそば
6 色即是空 空即是色
7 マリッジブルー
8 国境の鳥
9 水無月
10 「リトル・ミス・サンシャイン」
で、どれもすぐには思い出せないほど昔の投稿だった。そういうものを読み返してみると、つくづく成長するということの難しさを感じる。成長というものは勝手にする時期もあるのだろうが、ある程度の年齢を過ぎると、余程強い意志で成長しようとしない限りできないものなのだろう。確かに、いつか必ず死ぬのだから、成長し続けるわけにはいかないのだが、成長する領域とそうでないところとの不調和のようなものは年齢を重ねるごとにはっきりしてきて、やがてその不調和がカタストロフィックな終焉に至るのだろう。ここで言う「成長」は単に物理的な拡大や能力の向上ではなく、自分が好ましいと感じる自分の変化である。そこまで「成長」という言葉に寛容な定義を与えても、いつか必ず「もうだめかな」と思う時が来る。それが、例えばこのブログを開設してから2,866日目のことなのか5,000日目のことなのかはわからないが、いつになるかな、と思うのもの楽しみではある。

 


305

2014年02月24日 | Weblog

先日、ある書類に目を通していたら「D/Eレシオは305を基本とし、…」という表記にぶつかった。その書類の元になるものを見たら「305」ではなく「30%」とあった。キーボードで「5」と「%」が同じキーに割り当てられていて、「5」をシフトさせると「%」になるのを、シフトキーを押す力が足りなかったのか「%」とならずに「5」のままタイプされてしまったのだろう。今時の誤植はこの手のものが多い。誤植の中味は記憶にないが、書籍でもそういうありがちな誤植を見たことがある。

印刷物が活版を使っていた時代、職人が箱のなかにひとつひとつの活字を植えるように組んで版を作っていたのだろう。だから、誤ってそこに入れるべきではない活字を入れてしまうのを「誤植」と呼んだのであろうことは、容易に想像がつく。今も活版で印刷されているものはあるのだろうが、割合からすればずいぶん少なくなったのではなかろうか。自分の仕事関係を見ても、昔は印刷物の形態にして客先に配布するものがずいぶんあり、印刷屋さんとのやりとりは日常業務の一部だった。それが今は印刷するものは余程特別なものだけで、たいていのものはPDFで流通させる。これが意味するのは、書き手から読み手に至る距離が短縮されたということだ。

情報の価値はその稀少性によって決まる。稀少性を左右するのは中味と伝達速度だ。誰よりも先に手に入れた情報に基づいて誰よりも先に行動を興せば、それだけその情報の稀少性の恩恵にあずかる確率が高くなる。ただし、その情報が正確ならば、という条件付きだが。書き手から読み手に至る距離が短くなるということは、書き手の情報が価値を生む確率が高くなるということだ。しかし一方で、書き手が発する情報に錯誤があった場合、それに基づいて行動した読み手は何がしかの損害を被る可能性も出てくる。発信者から受信者の間に距離があれば、そこにチェック機能を幾重にも介在させることができるが、短いとそうもいかない。勿論、チェック機能が錯誤を生んでしまう危険はあるが、仕組みや管理にもよるものの、チェック機能はそれとして作用する確率のほうが高いだろう。

市場経済という枠組みのなかでは、誰よりも早く情報を入手することのほうが、その正確性よりも価値があることのほうが多いのではないだろうか。だから粗製濫造の情報が多くなり、無駄にあくせくすることになったりもするのだろう。そういうのを「情報化社会」というのなら、それは闇雲に気忙しいだけのろくでもない社会ではないか。そんな社会を生きたいとは思わない。


こぼれ梅

2014年02月23日 | Weblog

「こぼれうめ」という言葉を初めて耳にしたのは落語「鷺とり」を聴いたときのことだ。雀を捕るのに、「こぼれうめ」を播いて、それを雀が食べて酔って寝たところを掃いて集める、というのである。「味醂の搾り粕」という説明が付いていたかもしれない。味醂というのは酒だから、酒粕のようなものかと思ったが、「播く」とか「食べる」ということと酒粕とが結びつかないまま何年も過ぎていた。

先日、味醂の買い置きが残り少なくなったので、ネットで検索して岐阜の酒造業者から購入した。味醂と料理酒と酒粕と「こぼれ梅」がセットになった商品だった。今まで味醂は生協の宅配を利用していた。原料米はタイのものを使っているが、とても美味しい味醂だったので、カタログに載るたびに注文していた。美味しいといっても、そうそう大量に使うものでもないので、いつしか何本もたまっていて、宅配を止めて丸2年近くになろうという今頃になって、ようやく使い切る目処が立ったのである。同じものを探して、というのでもよかったのだが、新しいものも試してみようと検索してみた次第である。

「こぼれ梅」というのは梅に関係があるのかと思っていたのだが、単に味醂の搾り粕だ。ただ、一見したところ、白梅の花びらを集めたように見えないこともない。「こぼれ」というのは「こぼれ咲く」という意味なのか「散る」という意味なのか、判断に迷うところだが、どちらでもいいような気もする。ただ、「散る」よりは「こぼれ咲く」ほうが験がいいだろう。搾り粕を花に見立てるというのも粋だ。

ところで、今日は妻がこぼれ梅をベースにしたソースを作り、それをパスタに絡めた料理をこしらえた。酒粕のほうは板状になっていたので、素朴に焼いて醤油をつけていただいた。どちらも旨かった。味醂も酒もそれらの副産物も元は米だ。こういうものを旨いと感じるとき、自分が生きている文化の根幹に触れたような気持がして安堵するような嬉しいような気分になる。


首の皮一枚?

2014年02月22日 | Weblog

今日、岸本佐知子の『気になる部分』を読んでいたら、

”根掘り葉掘り”の”根掘り”はともかく、”葉掘り”って何なのだ?
それを言うなら”夕焼け小焼け”の”小焼け”とは、いったい何が焼けているのか?
”首の皮一枚でつながっている”って、それってすでに死んでいるのでは?
(岸本佐知子『気になる部分』白水Uブックス 37頁「シュワルツェネッガー問題」)

 という記述に遭遇した。たまたま昨日、「首の皮一枚」というタイトルでブログを書いたばかりだったので、あれでよかったのかと疑問に思った次第である。手元にあるEX-word(デジタル大辞泉)によれば、「首の皮一枚」というのは「まだわずかな望みが残っていることのたとえ。」だそうだ。しかし、皮一枚でつながっているような首というのは、要するにもう死んでいるということだろう。落語には『首提灯』という噺もあるが、現実には皮一枚だけで首が胴体につながっている状態で生きているはずはない。なるほど妙な表現だ。


首の皮一枚

2014年02月21日 | Weblog

今は半年更新の契約社員の身分である。現在の契約は3月末で満了となる。今日、直属の上司から呼び出しがあって、契約が更新されることになったと告げられた。これで一応は10月末まで食い扶持を確保できたことになる。一体、いつからこれほど不安定な身分になったのかと我ながら不思議に思うのだが、そもそも安定というものが幻想であったのだから、雇用という生計に直接関わる部分に明快な不安要因を抱えているというのは、自分の置かれた立場というものがわかりやすくなるので良いことなのかもしれない。

よく電車の中刷り広告や出版社の新刊案内などで、雇用不安を大問題の如くに取り上げた記事や書籍の宣伝文句を目にするのだが、あれはよくわからない。経済環境が厳しい局面で企業が雇用を調整するのは当然のことだ。企業というのは利潤獲得を目的とした組織であり、収入が伸びないなかで最大の費用である雇用を調整するのは当然のことだ。確かに調整の仕方にすっきりとしない方法を取るところもあるのだろうが、少なくとも雇用を守る義務はない。それを殊更に問題視するのは、そもそも経済や経営というものに対する誤解があるということだろうし、そういう人たちが記事を書くほうが余程問題ではないのか。大きなメディアで働く記者というのは余程安定した生活を送っているのだろう。安穏とた奴が社会の深層などドロドロとしたものに足を突っ込むことなどできないだろうから、この国にジャーナリズムが存在しないのは当然のことなのである。

それにしても、年齢を重ねていくにつれて雇用を確保するのは困難の度合いを増していく。だからといって、不平不満を並べているだけでは事態は改善しない。結局、今この瞬間の自分にできることを積み重ねていくよりほかにどうしようもないのである。そうやって今を積み重ね続けることで、重ねたものどうしが思いもよらない繋がり方をして新たな展開が生まれることもあるだろうし、自分が意図した積み重ねが思惑通りの発展的結合をすることだって無いとはいえないだろう。そういうことが生きるということだろうし、その面白さなのではあるまいか。

「困った、といったとたん、人間は知恵も分別も出ないようになってしまう。」(司馬遼太郎『竜馬が行く』文春文庫版第7巻 74頁)


遊ぶということ

2014年02月20日 | Weblog

たまたま茶の湯関係の本を2冊続けて読んだ。今でこそ茶の湯は「茶道」という道を究めるかのようなものになっているが、その昔は当たり前に誰もが嗜んだ遊びであったという。『山上宗二記』には

「天下に御茶湯仕らざる者は人非仁に等し。」(岩波文庫『山上宗二記』12頁)

とある。厳しい身分制があり、ともすれば閉塞しがちな社会にあって、ガス抜き弁のような役割を担っていたのが茶の湯ではなかったのか。

「諸大名は申すに及ばず、下々洛中洛外、南都、堺、悉く町人以下まで、御茶湯を望む。そのなかに御茶湯の上手ならびに名物所持の者は、京、堺の町人等も大和大名に等しく御下知を下され、ならびに御茶湯座敷へ召され、御咄しの人数に加えらるる。」(岩波文庫『山上宗二記』12頁)

大勢の人が身分や貧富の違いを超えて盛大に盛り上がるというわけではないが、極めて限定された場において極めて静かに盛り上がる世界が茶の湯ではなかったのか。それによって社会全体としての安定をもたらす一助になっていたのではないだろうか。現実にはそういう場で謀の相談とか商談というような生々しい俗事も展開したであろうことは想像に難くないが、世俗を超越した世界が設けられることで世俗の安寧が得られるという効果もあったはずだ。物理的な時空の認識と心理的なそれとは必ずしも一致しないものだが、それにしても自分の身を日常のルーチンから意識的に隔絶させることで、それがどれほどささやかなものであっても、心理的な世界の広がりが格段に大きくなるものである。身分を超えて、人と人として狭い茶室の空間で一時世俗を離れて交流するという仕掛けを持つことで、社会が総体として抱えるエントロピーが軽減されたのではないだろうか。

しかし、日常から離れるというのは容易ではない。『山上宗二記』の「また十体のこと」に

「公事の儀、世間の雑談、悉く無用なり。夢庵狂歌にいう。
 我が仏、隣の宝、聟舅、天下の軍、人の善悪
 この歌にて分別すべし。」(岩波文庫『山上宗二記』95頁)

とある。茶席では宗教、財産、家族の愚痴、政治、他人の噂などを話題にするな、というのである。これらの話題抜きに会話を成立させることのできる人がどれほどいるのだろうか。 茶人の資格として逸話を多く心得ていること、というのがあるそうだ。要するに教養がなければならないということだ。どこかで聞き齧った皮相な蘊蓄もどきではなく、自らの体験経験として感得した様々な知見とそれにまつわるエピソードをたくさん持っていなければ、日常を離れて遊ぶということはそもそもできないのである。

だれもが携帯端末を所持し、なかにはそういうものを複数持ち歩いて、寸暇を惜しんで操作に没頭している人の姿はもはや日常の当たり前の風景だ。これほど多くの人が情報とやらを始終やり取りし合い、外を歩く時間も仕事らしきことに励んでいる人の姿が多いのに、景気は一向に上向く気配はないし、幸せな人が増えたという話も聞かない。つまり、情報通信の発展や発達は然したる価値を生んでいないということだろう。買い物をするときに、ネットで価格を比較して、わずかばかりの値段の違いに一喜一憂をする姿は増えたかもしれない。携帯端末にクーポン画面を表示させて得した気分に浸る人は増えたのかもしれない。要するに人間がセコくなっただけということではないのか。しみったれた奴が増えて寂しい社会に成り下がったということではないのか。「遊び」といえば携帯端末やパソコンでのゲームしか思いつかないというのでは、遊んでいても心寒いのではないかと、他人事ながら心配してしまう。


雪が降っても降らなくても

2014年02月16日 | Weblog

娘と会う場合、普段なら新宿で待ち合わせることが多い。昨日は東京駅周辺へ行くつもりだったので、最初はそうするつもりだった。しかし、京王線の混雑を体験して、新宿での待ち合わせは避けることにした。別の駅で待ち合わせて池袋から地下鉄丸ノ内線で東京に出た。丸ノ内線はガラガラで、しかもほぼ定刻通りに運行されていた。

今、都内の美術館では英国関連の企画展が3つ開催されている。
森アーツセンターギャラリー「ラファエル前派展」 
三菱一号館美術館「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860ー1900」
東京ステーションギャラリー「プライベート・ユートピア」

他にもやっているかもしれないが、私が把握しているのはこれら3展である。既に「プライベート・ユートピア」は観ており、「ラファエル前派展」は妻と観に行く予定なので、今回は「唯美主義」を観てきた。展示の中心はロンドンのVAが所蔵する作品群で、どちらかといえば単なる絵画というよりも、アート・アンド・クラフト運動のような社会に影響を与えた美術運動系の作品だ。絵画だけでなく家具や調度品も展示されている。産業革命で急速に失われた手仕事に回帰しようという方向性は日本の民芸運動に通じるものがあるが、ウィリアム・モリスらのまずかったところは「クラフト」よりも「アート」に重きを置き過ぎたところだろう。壁紙のよパターン化などにコストを抑えようという姿勢が観察されるが、使い手の支持がなければ日用品にはならない。アートになってしまうと限られた人々の間でしか流通せず、社会運動に広がるということは期待できない。結果としては単に物好きの新ジャンルが生まれただけ、ということになってしまう。おそらくモリスらは彼らの作品や商品の需要家としての市民の感性を過大評価していたのではないだろうか。

昼は久しぶりに東京會舘でカレーライスを食べた。社会人になったばかりの頃、職場がこの近くだったので、たまに昼にここのカレーを食べに来た。インド料理でもなければ日本の家庭料理でもない、格調を感じさせるカレーである。東京のインド料理屋のカレーも、家庭で食べるカレーも、洋食屋のカレーも、蕎麦屋のカレー南蛮も、牛丼屋のカレーも、それぞれに旨いと思うし大好きである。しかし、口に入れた瞬間に、ちょっと他所とは違うと思わせる、東京會舘のようなところのカレーが日本が誇るべきもののひとつではなかろうか。大袈裟かもしれないが、私はそう思っている。

食事の後、出光美術館で板谷波山を観る。勿論、面識も縁もゆかりも無いけれど、作品からは作り手の人間性の高さのようなものが感じられる。私ごときが評するべき相手ではないのは承知の上だが、計算され尽くしているかのような図案と施釉の完成度の高さは人間技を超えていると思う。それで人間国宝の指定を辞退するのもかっこいい。自分は伝統技法の継承者ではなく芸術家なので、という理由が素晴らしい。そういうことが言えるような生き方をしてみたいと思う。もう遅いかもしれないが。

有楽町から新橋まで電車で移動して、パナソニック汐留ミュージアム「メイド・イン・ジャパン南部鉄器 伝統から現代まで、400年の歴史」を観る。茶道具はいいとして、妙な色を付けて海外市場に媚を売るようなデザインの鉄器というのはいかがなものかと思う。この展覧会のチラシにつかわれているような作品は、ロンドンのLibertyあたりに並んでいそうな雰囲気がある。Libertyが悪いというつもりは全くないのだが。

日本橋三越で陶芸の先生の個展を拝見する。前回に続いて今回も冷やかしだ。そろそろひとつくらいは買わないといけないかなとは思うのだが、本人の前で買うのは気が引けてしまう。特に理由はないのだけれど。

好きなものを眺めて歩くのは楽しいことではあるのだが、自分が無駄に存在していることを否応無く認識せざるを得ない辛さもある。そして、今更どうしょうもないという諦観もあって、一方で、まだなんとかなるかもしれないという色気もある。我がことながら面白いものだと思いながら今日も過ぎて行く。


みんな雪のせいか?

2014年02月15日 | Weblog

昨日の大雪から一夜明け、今朝は雨が降っていた。娘と会う予定を入れており、10時の待ち合わせにしたのだが、移動途中で10時半に繰り下げた。京王線が雪のために徐行運転となっている上に、混雑して発着に時間がかかる列車があり、普段は各停でも25分ほどで行くところに倍の時間を要していたためだ。遅延の原因となっていた混雑は、一部の列車の運休や雪による徐行運転の所為もあるだろうが、混雑や駆け込み乗車にまつわる障害、リュックを背負ったまま満員電車に乗り込む不届きな客などが発車を妨害する所為もある。平日朝の通勤時間帯の混雑には秩序があるので大きな混乱に至ることは少ないのだが、休日の混雑には秩序が無いことが多いのでダイヤの乱れに直結しやすいのだろう。

秩序というのは規則とは違う。そこに明文化されたものはないけれど、そこにいる人々が暗黙のうちに創り上げる規則性のようなものだ。秩序を担保するのは、その場を共有する人々が当たり前に持ち合わせている他者への配慮と他者の事情を推し量る想像力である。所謂「知性」と「感性」だ。あくまで感覚的なことで、統計資料を目にしたわけではないが、ここ数年の間に電車が乗客どうしのトラブルで遅延したり、遅延しないまでも車内や駅構内で乗客どうしが揉めている風景を目にすることが増えた気がする。高校に進学して以来、電車を使って通学や通勤をしているので、かれこれ40年近く日常的に電車を利用していることになる。混雑状況はかつてのほうが酷かったはずだ。今に比べれば路線数が少なかったので輸送量が小さかったはずで、冷房化率も低かった。なかには赤羽線のように冷房車が走っていない線すらあった。その赤羽線は埼京線の一部となって本数も輸送量も格段に増加し、貨物線を利用した湘南新宿ラインなる新線も登場し、地下鉄の路線数が増えてそれと相互乗り入れをする私鉄も増えた。一方、利用人口はそれに比べると増加の程度は小さいのではないか。朝の混雑状況は私が高校、大学、社会人最初の数年といった時期に比べれば多少は緩和されているはずである。しかし、乗客どうしのトラブル、駆け込みによる障害発生、無理な降車にまつわるトラブル、扉への引き込まれ事故、といった事象を見聞きする機会は、少なくとも個人的には増えた気がするのである。乗客どうしのトラブルというのは昔から見かけていた。殊に赤羽線での帝京高校と朝鮮人学校の生徒同士の喧嘩などは日常茶飯事のようなものだった。しかし大人が肩が触れたの触れないので血相を変えるというようなみっともない風景はあまり記憶がない。駆け込みはよくあることだが、扉が閉まる寸前に慌てて下りようとするのは最近の風景だ。不思議なのは、寝ていて目が覚めたら下車駅だったというような様子ではなく、単純に動作がずれていて奇妙なタイミングで下車しようとする人を見かけるようになったことだ。どうしてそういうことになるのか傍目には全く理解できない。うだうだとこんなことを書いていても仕方ないので止めるが、不可思議な現象が多くなっていることに興味を覚えている。

昔、カルカッタの国立博物館で人体を輪切りにした標本を見たことがある。断面積は肩から腰にかけての胴体部分よりも腰から足にかけての下肢部分のほうが小さい。もちろん、胴体部分には腕も含めてのことである。つまり、荷物を持った人たちが限られた容積を共有しようとするなら、その荷物は胴回りに保持するよりも下肢周りに位置させたほうがより多くの人数が共有できる。そんなことを確認するために断面標本を見ろとは言わないが、見なくても想像できそうなものだろう。そういう想像ができないというのも不可思議なことである。


みんな雪のせいだ。

2014年02月14日 | Weblog

先週土曜日に続いて今日も東京には大雪が降った。今日の積雪は東京都心で27cmと8日土曜日に並ぶ記録となったそうだ。今日は出勤のときに既に雪が降っていて、午後10時頃に職場を出たときにはかなり積もっていたらしい。「らしい」というのは、職場から自宅の最寄り駅まで一歩も外を歩いていないのでわからなかったのである。職場を出る時、携帯で鉄道の運行状況を見たところ、かなり混乱している様子だったので遠距離列車を避けて、都営三田線、都営新宿線と乗り継いで京王線に乗ることに決めていた。職場のあるビルから地下道を抜けて都営三田線大手町駅へ行った。電車がちょうど入線したところで、それに乗って神保町で下車。新宿線のほうはダイヤが乱れているようだったが、10分程度の待ち合わせで橋本行きに乗ることができた。相互乗り入れしている京王線のダイヤが大幅に乱れている影響で、新宿線内の列車はすべて各駅停車となっていた。三田線も新宿線も車内は空いていて楽に座ることのできる状態だった。新線新宿からは急行になったが、運転間隔の調整ということで新宿駅で10分近く停車した。笹塚から京王線に乗り入れるのだが、直前の列車は区間急行の橋本行きだ。自分が乗っているのも橋本行き。笹塚の次の停車駅である明大前のホームにはけっこう人がいたが、橋本続きで乗車してくる人は比較的少なかった。このままのろのろと走り続ける。桜上水、千歳烏山と停車して、どちらのホームにもかなり雪が積もっていたので、ようやく外の様子を把握することができた次第である。下車した駅から自宅までの道路は雪に埋まっているといってもよいくらいの状態で、厚い雪が音を吸収するのか、辺りは妙な静けさに支配されていた。

大雪とはいいながらも金曜夜の所為なのか、大雪で帰宅を諦めた所為なのか、普段よりも酔客が多い印象を受けた。ネットのニュースによれば、都内のカプセルホテルはどこも満室だそうだ。帰宅しないとなると時間を持て余して酒を呑むということなのだろうか。


怖いもの見たさ

2014年02月13日 | Weblog

靴を買うときはこの店、と決めているところから去年の夏にもらったクーポンが期限を迎えていた。とりあえず靴を買う予定はないが、踵やつま先の補修をしないといけないのが一足あり、ベルトも買い替えないといけないのが一本あったので、今日は普段よりも早めに家を出てその店に立ち寄った。勘定の段になってレジに消費税増税にかかわる注意が書かれてあるのに気がついた。補修や修理のように受付から納品まで時間を要するもので仕上がりが4月以降にずれ込む予定の場合、税率を8%で計算するというのである。ついては、3月受付分は8%の可能性が大きいとのこと。増税はいよいよ目前だ。

現政権になって以来、景気の先行きに漠然とした楽観があるようだが、増税して景気が良くなるということはあり得ないだろう。消費税のように万人にかかる税金が上がるということは、万人の所得がそれだけ減るということだ。税金が増えるのを補ってあまりある所得の増加があれば心配ないが、追加的に価値を生むことなく所得だけ増えるなどという理屈はないだろう。

都知事選のときにも感じたが、政治の世界では景気、もっとひらたく言えば人々の暮らしに対する目線が弱いのではないか。確かに街中の風景を見れば、行き倒れそうな人がいるわけでもないし、それどころか栄養を過剰に摂取しながらその過剰をいかに解消するかを訴える商品やサービスがたくさんある。個々人にそれぞれの不安や不満があるにしても全体としては、少なくとも物質的には豊かな社会なのだろう。都知事選の投票率が低かったのは前日に降り積もった記録的な雪の所為も無いとは言えないだろうが、そもそも関心が低かったというだけのことだろう。それだけ差し迫った問題が無い、感じられないのである。それを「豊か」と呼ぶなら、そういう状況なのだろう。世に「識者」と呼ばれるような人たちは、あれこれ「問題」を指摘して深刻ぶったりしているが、そういう口先だけの商売が成り立つのも「豊かさ」の現れだ。

たぶん、世の中のために本当に価値を生んでいる人たちは、それとも気付くことなく黙々と日々を送っているのだろう。本当の悪人も、誰に気付かれるということもなく黙々と活動しているのだろう。表で騒いだり右往左往しているのは「本当」ではない人たちだろうが、そこに表出していることのなかに「本当」の断片が見え隠れしているような気がする。表層のこととか騒がれていることには少しも興味を覚えないのだが、あたりまえに暮らしていればそうした雑音を避けるわけにもいかない。自分自身の生活には、消費税率の引き上げの影響は間違いなく何らかの形で顕われるはずだし、それは困ったことであるはずだ。しかし、それでなにがどうなるのか、ということに興味津々である自分もいる。怖いもの見たさ、とでも言うのだろうか。


一眼国

2014年02月11日 | Weblog

北千住で小三治の独演会を聴いてきた。落語会にしては早い12時30分開演で、はねたのが14時半過ぎで、まっすぐ帰るには余裕のある時間だったので、帰りに帝釈天にお参りをしてきた。

さて、落語だが、開口一番の後は長いマクラ付の「一眼国」。マクラのほうは土曜の雪のことから始まって、雪で都知事選に行かなかったこと、都知事候補のこと、立川談志のこと、応援演説を要請されることと自身の政治に対する姿勢のこと、1969年12月の衆議院選挙で細川護煕氏の応援演説に行ったこと、などに続いて噺が始まった。マクラの内容と噺の内容のつながりが絶妙だ。

「一眼国」の要旨はこういうことだ。六十六部から一つ目の女の子の話を聞いた両国の香具師が、その一つ目をさらってきて自分が経営する見世物小屋に出そうと考える。聞いた通りに江戸から百里ほど真北に行ったところ、果たして聞いた通りの場所に出て、一つ目の女の子を見つけた。抱きかかえて江戸へ戻ろうとすると、女の子が騒いだので、村人が次々に現れ、とうとう香具師は捕まって役人の前に引き出される。その村人たちはことごとく一つ目で、当然に役人たちも一つ目だった。役人に「面を上げ」と言われて香具師が顔を上げると、役人は驚愕し、「この者には目がふたつある!調べは後回しにして見世物小屋に出せ!」と宣う。

選挙の翌日に聴く所為もあるのだろうが、深い噺だと思う。何が正常で何が異常なのか、という基準がどれほど確たるものなのかを問うているようだ。落語のサゲには主人公を取り巻く環境や価値観がひっくり返るものが少なくない。笑いを生むには聴く側が既存の価値観を無批判に受け容れている必要がある。受け容れているものがひっくり返って見えるから笑うのである。目が二つあるのが当然なのに、一つ目ばかりの村に行くと二つ目が見世物になる、その転換が笑いを生むのである。「一つ目が多数派なら、確かに二つ目は見世物だよな。要は多数決だ。」などと納得してしまっていては笑いにならないのである。そう考えると、日常の風景のなかには笑いの種に事欠かない。いかに思い込みのなかを生きているか、 ということを思い知るのである。

本日の演目
柳家ろべえ「近日息子」
柳家小三治「一眼国」(まくら:雪のこと、選挙のこと、談志のこと、高校時代のこと、細川護煕氏の応援演説のこと、など)
(仲入り)
柳家小三治「あくび指南」
開演:12時30分、終演:14時35分
会場:THEATRE 1010 


雪が降った翌日

2014年02月09日 | Weblog

都知事選の投票を済ませて、世田谷文学館へ行く。開催中の企画展に合わせて行われるトークショーを聴く。その後、実家へ寄って母と合流して南浦和のLa Senteurで会食。帰宅は22時半頃になった。

かつてテレビのある生活をしていた頃、よく観ていた番組に「週刊ブックレビュー」というものがあった。そのオープニングのアニメーションを担当していたのがクラフト・エヴィング商會だ。それ自体に特にどうという想いはなかったのだが、なんとなくそのアニメと「クラフト・エヴィング」という名前が引っ掛かっていた。今、世田谷文学館ではそのクラフト・エヴィング商會の作品展を開催していて、今日はその関連企画のひとつであるトークショーが開かれた。今回のゲストは翻訳家の岸本佐知子と古屋美登里。この人たちが訳すようなジャンルの本は読まないので、今まで知らなかった。トークショーも特にテーマのようなものがあるわけではなく、何事かを語り合うというようなものではなかったが、友人同士の会話のような楽しさが伝わってきて愉快だった。トークショーの会場では橙灯の坂崎さんに出くわした。トークショーのなかでも奇遇ということについて話題になっており、思わぬ重なり合いが面白い。

ところで都知事選だが、今のところに引っ越してきて最初の選挙だ。以前にも書いたと思うが、選挙とか民主主義というようなものが理解できない。例えば今回の都知事選では、私は候補者の誰も知らない。勿論、候補者はそれぞれに主義主張を語るのだが、それが信頼に足るものかどうか判断のしようがない。都知事と原発の是非とがどのように関係するのかわからないし、その関係性について誰も語らないままに原発に対する姿勢を表明し合うという、候補者の有権者に対する姿勢も理解不能だ。そもそも都知事に何ができるのか、そのことと自分の都民としての生活とがどのように関連するのか、全くわからない。選挙期間中、午前中は調布の団地にある自宅で過ごし、午後は都心の勤務先で仕事をするという日々を送っていたが、とうとう候補者の肉声は一度も耳にしなかった。でそれでも与えられた情報を基に、自分なりに考えて候補者を選んでいるのだが、自分が投票した候補は落選した。今回の選挙に限らず、そもそも自分が投票した候補が当選したためしが無い。よく「民意」という言葉を耳にするが、選挙が民意の反映であるならば、私はこの国の民意から排除されて何十年も経っている。世界的に見れば、たいそう立派な国なのかもしれないが、それは私のようなろくでもない者を排除したからこそのことなのだろう。がんばろう、ニッポン。


雪が降る日は

2014年02月08日 | Weblog

天気予報通り今日は大雪になった。陶芸教室のほうは昨日のうちに今日の休講が決まり、終日家の中で過ごした。午前中のうちは、近所の公園から子供たちが遊び回る声が聞こえていたが、雪と風が強くなった午後はすっかり静かになってしまった。自分が暮らしている地域は、家の中で過ごす限りにおいて何の不自由もなかったが、停電に見舞われた地域もあったようだ。停電になると生活が極めて不自由になる家庭もあるだろう。かなり最近まで「オール電化」が流行のようになっていた。あの震災の後はそういう馬鹿なことは聞かなくなったが、オール電化になってしまった家が停電に見舞われたらどうなるのだろう。「オール電化」の旗振り役をしていた電力会社は、オール電化した家庭の生活を守る義務があるのではないか。オール電化導入の動機付けとしては、高齢者が裸の火を扱うのは危険なので熱源として電気を使う、というものではなかったか。高齢者の家庭がこの寒いなかで熱源を奪われたらと想像すると他人事ながら心が痛む。

子供の頃、家には火鉢があり、それで焼いた餅が旨かった。風呂も練炭で沸かしていた時代があった。毎年、サンマが出回る時期になると、七輪で焼きたいと思うのだが、七輪を置く場所が思いつかず、毎年、炭で焼いたサンマを食べ損なっている。それでも、一昨年だったか、七輪を買おうと決めたことがあり、手始めに燃料用の炭を購入した。しかし、よくよく考えてやはり適当な設置場所が思いつかず、七輪は断念した。今、手元にはそのときの炭が残されている。今日、停電の報道を目にして、やはり火鉢を買おうかな、などと考え始めた。


店子の了見

2014年02月07日 | Weblog

午前中にガスの定期点検があり、それに立ち会った。昨年5月の終わりに入居し、その時に一通りの点検を受けているので、ここで異常が発見されても困るのだが、やはり「異常なし」だった。点検の人が「きれいにしてお住まいですねぇ」と感心したように言っていた。世辞だろうが、言われて悪い気はしない。今の午後からの勤めになって以来、妻の出勤を見送った後に必ず家の中の掃除をしている。掃除のことを「清める」と言うことがあるが、掃除をした後の静まった雰囲気が好きなのである。それと、暮らしの場を清めるのは文化であり文明であるとも思っている。掃除をして整理整頓がなされた場で暮らす動物は人間だけだ。身の回りを清潔にするのが人間で、そうでないのは畜生だ。

さらに、他人様のものを借りて生活をする者の礼儀として、借りたものは借りる前と同じかそれ以上に奇麗にして返すものだと思っている。もちろん、使えば汚れたり傷がついたりするものもあれば、消耗するものもある。うっかり欠損させてしまうこともある。しかし、借り手としての自分の姿勢としては、気持よく返したい。自分のものだから大事にして他人のものは租末にするというのは下の了見だと思っている。人として生きる以上、恥ずかしくない生を全うしたい。些細なことだが、身の回りを清潔にし、整理整頓をしっかりとするのは、住まいという物理的なことだけではなく、生き方そのものに通じることだと思うのである。