熊本熊的日常

日常生活についての雑記

職人

2009年07月30日 | Weblog
職場の休憩室に置いてあった「サライ」に野田岩のご主人のインタビュー記事が掲載されていた。80歳を過ぎても現役で「職人」たることを通し続けることの理由が語られていた。たまたま、今週の木工教室で夏休みのことが話題になったとき、木工の先生が「職人は休まないんです」とおっしゃっていたのを思い出した。そして、職人というのは「職」と「人生」が重なっている人のことを指すのだと了解できた。生きることが仕事をすることと同義だから、休暇もなければ定年もないのである。

学校を出て以来、勤め人として生きてきた。数年前から別の生き方を模索するなかで、勤め人であることの気楽さというものを改めて認識している。しかし、楽なことというのは続かない。年齢を重ねる毎に、雇用の機会は減っていく。今の老人とは違って、自分が本格老人になる頃には、この国の年金制度は破綻している。カヌーに乗って川下りをしていたら、先のほうが滝になっていた、というような状況に例えることができるかもしれない。

小学生の頃、海援隊の「母に捧げるバラード」という歌が流行したことがある。その歌詞にこのような一節があった。
「働いて、働いて、働き抜いて、
遊びたいとか、休みたいとか、
そんなことおまえ、いっぺんでも思うてみろ、
そん時ゃ、そん時ゃ、テツヤ、
死ね。
それが、それが人間ぞ。」
子供心に激しい歌詞だと思ったものである。それが今ごろになって、この歌詞の意味するところが自分なりに了解できたような気がしている。

生まれることは選べない。生を受けたら、それがどのような状況下であれ、その生を全うするのが生き物の務めである。どのような形でそれを終わりにするのか、そういうことを真剣に考えなければならない年齢に達し、思いついたことをあれこれ準備している。播かぬ種は生えぬ、という。自分も「職人」になりたいと思う。

Noa Noa

2009年07月29日 | Weblog
国立近代美術館でゴーギャン展を観てきた。ゴーギャンが好きというわけでもないのだが、まとめて観ると何か面白いことでもあるかなと思い、木工教室の帰りに高田馬場から東西線で竹橋へ出てみたのである。混んでいるようなら観るのはやめようと思っていたが、かなり余裕をもって鑑賞できる状況だった。

ひとりの画家の作品が、キャリアの初期から晩年まで変わらないというのは珍しい。ゴーギャンといえば彼のブルターニュ時代やタヒチでの創作に見られる独特のスタイルが印象深いのだが、そこに至る変遷があるはずだと、その変化を見ることも期待していた。本展では初期の作品もあるのだが、展示の主題は「我々は何処から来たのか 我々は何物か 我々は何処へ行くのか」である。これはゴーギャンが遺言として描いた作品で、いわば人生の集大成を表現したものだ。大きな作品だが、それまでに繰り返し描いてきたモチーフを組み合わせて構成されている。本当の絶筆は「女性と白馬」だが、どちらも自らの死を意識した作品でありながら、そこに描かれている世界観は明らかに違うように見える。

ゴーギャンは、もともと美術が好きで、絵画を蒐集したり、趣味として絵を描いたりしていたのだそうだ。ゴーギャンといえば画家、ということなのだろうが、彫刻作品もある。彫刻にしても木彫もあれば、大理石を使ったものもある。趣味で描いていたころの作品は彼の師でもあったピサロやシスレーのような雰囲気の風景画が多いように思う。「多い」というのは、単に私がそういう作品を多く観たというだけのことなのだが。それが、画家を生業とするようになって、独自のスタイルへの指向を強めたように見える。自己の表現ということにこだわれば、やはり師を超えなければならないという課題を否応なく背負うことになるのだろう。

表現者としては、それで自分の目指すものをひたすら追い求めればよいのだが、生活者として、あるいは画家としては、それだけでは済まない。自分の作品が経済的価値を持たなければ、生活できないのである。おそらく、描きたい絵というものと、売れる絵というものとは、画家の思うようには重ならないだろうし、重ねることにそもそも関心の無い画家も少なくないだろうし、関心はあっても相反してしまう表現者だって少なくないだろう。それが人生の現実だ、と言ってしまえば実も蓋も無いが、在りたい自分と在る自分との距離に悩むのは画家だけではあるまい。

特に芸術家にとっての大きな壁は、自分が創造したものを世間に認知させることだろう。人は習慣に生きるものだ。新しいものに対しては、とりあえず拒絶反応を見せるものである。歴史に名を刻む芸術家のなかに、死後になってから評価された人が少なくないのはその所為だ。存命中に評価を得るには、パトロンとの出会いが不可欠なのである。そして、その出会いというやつは、偶然の所産である。所謂、営業活動とかマーケティングというものも、ブレイクスルーをもたらす一助にはなることもあるだろうが、そんなもので評価されるものは所詮その程度のものでしかないと思う。

ゴーギャンはどのような心境でこの世を去っただろうか。株式仲買人から画家に転じて以降は、金策に追われる日々が続いたようだが、最後の作品「女性と白馬」を眺めていると、本人は自分の人生に納得して旅立ったのではないかと思えてくる。

生産性向上

2009年07月28日 | Weblog
今日は陶芸の日。先週、ろくろで引いた器を削る。製作開始から2回目の教室で削りを終えて素焼きに出すところまで進む生産性の高さに感激する。

粘土で器を作るのに、ろくろという道具を使うか否かという違いしかないのだが、この差が大きいことを改めて認識する。今まで、モノを作るという経験を殆どしたことがないのだが、こうして同じ目的の行為を自動化の程度を変化させつつ経験してみると、突如として歴史のなかのひとつの項目に過ぎなかった産業革命の「革命」たる所以が自分のこととして了解される。個人としてのささやかな生産性の向上ですら驚くほどのことなのだから、それが社会という単位で生起すれば成る程「革命」だ。

ろくろを引くときも、ろくろを使って削りをするときも、土塊や器をきちんと中心に据えないとせっかくの生産性向上の機会を逃してしまう。日々の生活においても、思考の軸をあるべき場所にあるべき姿で据えることができれば、気持ちよく生きることができるものなのだろうか。

扉をたたいた人

2009年07月27日 | Weblog
古い雑誌をめくっていたら、偶然、堀江謙一が小さなヨットで単独太平洋横断を成し遂げたときのことが書かれていた。当時、彼はパスポートを持たずに日本を出国し、米国に入国した。密出国であり密入国である。この時、航海の目的地であるサンフランシスコで、彼は逮捕もされなければ強制送還もされなかった。彼の冒険心が素直に受け入れられ、彼が成し遂げたことが素直に評価され、賞賛された。サンフランシスコ市長からは市の「鍵」が贈られた。1962年の夏のことである。

幼い頃から米国で暮らし、米国で教育を受けて成長し、平和に暮らしていても、移民のための事務手続きに不備があるというだけで、ろくに生活したこともない母国に強制送還されてしまう現代。

1962年にも出入国の管理に関する法制度はあり、その制度に照らせば堀江氏のヨットによる入国は違法であったろう。それでも、そこに敵意がないと認識されれば、拘束されるどころか歓迎されたのである。この40数年間の間に我々の世界は何がどのように変化したのだろうか。

美しいということ

2009年07月26日 | Weblog
「芸術新潮」の最新号に日本民藝館で開催中の特別展「西洋家具の美」が紹介されていたので、子供と一緒に出かけて来た。出展品の中心は18世紀の英国家具、なかでも椅子である。美しいとは言っても18世紀の家具である。木は痩せ、摩耗も顕著で、家具という実用品から美術品あるいはゴミの領域へと入っている。

木の変化については、木工を始めた6月中旬以降のこのブログサイトで何度か書いている。わずか1週間、それどころか切断してすぐに、木は微妙に動く。塗装を施してあるとは言え、百年単位の時間を経れば、完成直後の姿とはかなり違っているはずだ。その年月を、目の前の家具の色艶、摩耗、それらを含めた全体の佇まいに読み取る感性や美意識がある人には垂涎の展示品であるに違いない。

昨年9月に一時帰国した折りに、やはり子供と一緒に茂原近くの山のなかにあるas it isという美術館を訪れた。ここで表現されている美意識と、この「西洋家具の美」との間に近しいものが感じられる。

姿形が美しいということもさることながら、モノは使われてこそ価値がある。使われる、というのは使い手である人間との間に関係が構築されるということだ。関係そのものは目には見えないけれど、大事に使われたものなのか、粗雑に扱われたものなのかは、年月を経てもどこかしらに痕跡をとどめているものである。

モノが美しい、というときの「美しさ」は、そこにある物理的な要素と、そこに反映されている時間的要素と、それらを読み取ることのできる人と出会うという運的要素とが揃った時に、感じる人にだけ感じられるものなのだろう。

「扉をたたく人」(原題:The Visitor)

2009年07月24日 | Weblog
どのようなものでも、それだけがそこにあるのではなく、それを見たり使ったりする人との関係性のなかで、そのものの本質が規定されるのだと思う。自分のなかでは、良し悪しという価値の方向性は、そうした関係性の契機をどれほど持っているかということに因る。考えるヒントのようなものが多い映画が「良い映画」で、そうでもないものが「悪い映画」ということだ。尤も、同じものでも、自分がそこからどれほどのことを引き出すことができるかという能力に応じて違って見えるので、「悪い」ものに出会ってしまうというのは、結局は自分の責任でもある。

さて、「扉をたたく人」は良い映画の典型のようなものだ。映画評などでは、9・11以降、米国で強まった社会の狭量さへの批判、などと語られているようだが、「米国の」とか「アラブの」というような枠を超えた普遍性のある作品だと思う。

なによりもまず、主人公ウォルターの描写を通して、人はなぜ生きるのか、という問いかけを感じないわけにはいかない。主人公は一人暮らしだ。長年連れ添った妻に先立たれ、息子は外国に住んでいる。大学教授という職はあるが、受け持つ講義は週1コマ。論文や本の執筆もそれほどあるわけではなく、余計な仕事を頼まれても悉く断ってしまう。ピアニストだった妻が遺したピアノを手慰みに弾いてみるが、それはピアノがそこにあるからであって、ピアノを弾きたくて弾くわけではない。習慣としての生活はあるが、意志としての生活は無い。

印象的なシーンで、その後の物語の展開上、重要な伏線にもなっているのだが、学生が提出期限を過ぎたレポートを提出するためにウォルターの研究室を訪れる。彼は提出が遅れた理由を学生に尋ねるが、結局受け取りを拒否してしまう。学生はおとなしく引き下がるのだが、帰り際にウォルターの講義要項の発表が遅れていることを指摘する。自分がやるべきことをやらずに、相手だけに義務を押し付けるのは公正ではないではないかと暗に訴えているのである。ウォルターはそれには取り合わない。行為の不公正を、権力によって押し通してしまうのである。そこには個人の感情どころか、生身の人間というものの存在感が無い。規則があり、それを執行する権力があり、そのなかで事務的に物事が進行する現実がある。

合理性という言葉がある。理屈に合う、ということなのだろうが、既存の権威に盲従することを合理的と称していることが多いように感じる。規則は守らねばならない、のは社会の秩序を守る上で当然のことだろう。しかし、規則が社会の秩序を守るために作られたものならば、社会の現実が変化すれば、その変化に合わせて規則も見直されて然るべきだろう。世の中の法律や規則というのは社会の変化に合わせて見直されていると言えるだろうか。それがどれほど陳腐で現実から乖離したものになっていても、法律だの規則だのという「権威」を与えられたが最後、その陳腐に従うのが「理屈」にかなう、合理ということになっていることが少なからずあるのではないか。それは、法律だの規則だのということに限らず、地域のきまりごと、職場組織、家族のきまりごと、個人と個人の関係、個人の習慣のなかにも散りばめられて在るのではないか。合理的行動のつもりが、単なる習慣ということがいくらでもありそうに思う。そこに我々は様々な葛藤や歪みを抱えることになる。その歪みが限界を超えたところに悲劇が生まれるのではないだろうか。

社会を震撼させるような事件が起る度に、対処療法的な規制が敷かれる。再発防止のためには迅速な対応が必要なのだから、それは当然のことだろう。本来なら、そこで社会全体の仕組みが見直され、現状分析と問題点の洗い出しが行われ、応急処置を解除してより抜本的な改革が行われるというのが理想であると思う。しかし、現実は対処療法をパッチワークのように重ねているだけなのではないだろうか。

私が社会人になって最初に勤めた会社には独身寮があった。古い寮のなかには、畳敷の部屋があって、ものぐさい奴は万年床の生活になる。ある住人が布団を敷いたまま使い続けたら、なんとなく湿った感じがしてきたという。そこで彼は、湿った感じの布団の上にシーツを重ねて使い続けた。そのうち、また湿気ってきたので、またシーツを重ねた。そうしてシーツを重ねて使い続けているうちに、その寮が老朽化のために建て替えられることになり、彼も別の寮へ引っ越すことになった。果たして、布団を片付けてみると、布団の敷いてあった畳は腐り、キノコが生えていたという。

勿論、このキノコ噺は冗談だろうが、この部屋の生活のサステナビリティを守るためには、布団は毎日上げ下ろしをし、たまには陽に当てるなどして、内部に溜まった湿気や微生物を取り除き、部屋も毎日とは言わないまでも適当な間隔で掃除をする必要があるということだろう。思い出したように大掃除をするよりも、毎日の小掃除こそが生活の維持には重要なのである。

社会も、そこで暮らす人々の生活を守ろうとすれば、事件の有無にかかわらず、全体の仕組みを見直す必要があるのではないだろうか。習慣で流れていることを止めて、その習慣を見直すという意識的な行動が必要だということだ。

ニューヨークにあるウォルターの別宅に勝手に入り込んで生活していたシリア人のタレクは、ジャンベという太鼓の奏者として生活している。幼い頃に母親とともに米国へ渡り、そこで教育を受けて成長したのだが、手続き上の不備があって永住権を得ることができない。結果として不法滞在となっている。しかし、行政は彼の手続きの不備を容認しない。彼がウォルターの別宅で暮らすようになったのは、悪質な不動産業者に騙されたからであり、悪意があってのことではない。米国社会に対し何も脅威となるようなことはしていない、ように見える。

しかし、社会の仕組みというものは、その個人がどのような人間かということを問うことはない。その仕組みに合致した手続きを踏んでいるかいないかということだけが問題なのである。タレクの場合、シリア人が正規の移民手続きを経ずに長期間に亘って米国内に滞在しているという事実が米国の脅威ということだ。

前に書いたことと矛盾するが、現実の変化などいちいち検証することは不可能だし、我々の生活を滞りなく継続しようとすれば、問題が起ったときに、その応急処置を重ねるのが最も現実的な在り方なのだろう。人がそれぞれの存在を尊重しつつ社会で生きるということは難儀なことなのである。

自分の欲求や権利を当然のこととして生きるのと、多少なりとも自分の欲求や権利が満足されていることの幸運を感じながら生きるのとでは、物事の見え方が全くちがってくるのではないだろうか。この作品を観て、今、こうしてこの作品のことについて思い巡らしてみると、自分がこのようなくだらない駄文に時間を浪費しながら生きていられることの奇蹟を感じないわけにはいかない。

ところで、蛇足を承知で言えば「急いては事を為損じる」ということも考えた。タレクが強制送還になるきっかけとなったのは、地下鉄の無賃乗車を疑われて警察に逮捕されたことだ。なぜ、そうなったかといえば、その日はタレクが午後5時に家具を取りに行くという約束があり、それに遅れまいと慌てて地下鉄の自動改札を抜けようとしたときに持っていた楽器のケースの紐が改札機に引っ掛かって、改札を跨ぐような格好になってしまったところを警戒中の私服警官に見つかったからである。ニューヨークの地下鉄がどの程度の運転間隔で運行されているのか知らないが、もし、入線してきた電車を気にせずに、落ち着いて改札を通れば、難なく通り抜けることができ、逮捕されることもなかっただろう。逮捕されなければ不法滞在がばれることもなかったのだから、強制送還という事態に至ることもなかった。長々と書いたが、要するに、慌てるとロクなことはないのである。陶芸や木工をやっていて特に感じることなのだが、気持ちが急くと、どうしても仕事が雑になる。それは間違いなく作品の仕上がりに影響する。仕事では納期があって悠長なことを言っていられないということもあるかもしれないが、私の場合は趣味なので急ぐ理由は何もない。それで、時間に余裕の無いときは、躊躇せずに作業を先送りすることにしている。いい加減なことをして後で不愉快な気分を味わうよりは、気持の余裕を守ったほうが納得のいく結果になることが多いと思うのである。

「美代子阿佐ヶ谷気分」

2009年07月18日 | Weblog
ある映画評で「裸体の存在感」ということを書いていた人がいた。なんとなく想像はついたが、実際に作品を観て、要するに主演女優の裸体がよかった、ということなのである。映画評として、その評論家の能力においては、そのようにしか書きようがなかったということなのだろう。確かに、この作品を観て、何事かまとまったことを語るというのは難しいとは思う。

私はこの作品の原作を読んだことはない。ただ「ガロ」という雑誌の雰囲気はなんとなく知っていたつもりである。昔、「通販生活」という雑誌というかカタログを定期購読していたことがあり、そのなかでつげ義晴の作品が掲載されていた。漫画といっても娯楽作品ではなく、コンテンポラリーアートの領域に入る文学のようなものだと思った。

この作品も愛のありかたを表現したものだと思う。愛というのは、自己保存のひとつの表現形ではなかろうか。いかにも相手を思い相手のために尽くすかのような表現をとりつつ、そこに投影されている自己を再確認する作業を「愛」と呼ぶような気がする。家族というのは自己が拡張された形態なのだろう。言動や行動の方法は様々だが、恋人どうしや家族の間での意思疎通というのは、突き詰めれば自分の欲求を押し付け合っているだけのように思えてならない。その均衡が保たれている状態が「円満」と呼ばれているもので、均衡が回復困難な程度にまで破綻した関係が「不和」ということではないのか。

均衡というのは結果論だ。自我のありようというのは人それぞれに異なる。だから欲求の内容も表現形態も各自各様だ。同じような表現形を持つ者どうしなら、その関係は欲求の表出合戦のようになってしまうだろうし、相手の表現に関するリテラシーが欠如していると、そもそも関係の発展は望めないだろう。恋愛の困難なところは、自我の在りようとか表現が微妙に重なる相手と出会い、しかも、その微妙な重なりを維持することにある。所謂「価値観」というものは、結局は自我の表現形態なのだと思う。

この作品では、安部と美代子の、傍目には支離滅裂に見える生活が、当事者にとっては秩序ある姿であったということが描かれている。秩序ある、というのは要するに美しいということだ。とても危うく見えるのに、ふたりは別れるどころか、その関係は時とともに強固になっていく。安部が精神分裂症を発病し、故郷で療養生活を送っているところへ、彼の作品の良き理解者でもあった雑誌の編集者が訪ねてくる場面がある。そのときに応対に出た美代子の佇まいは、生活の外見の過酷さに反して穏やかで足が地に着いているように見える。それは、互いが自分の内なる声に素直に生きてきたことに起因する自信のなせる技のようにも思える。屈折しているように見えるが、存外に素直な関係がそこに展開されているように、私には見えた。

「短い労働の日」(原題:Kirotki dzien pracy)

2009年07月17日 | Weblog
ある年代のポーランドの人々には特別な印象を与えるのだろうか。食糧品の価格が共産党によって統制されていた時代、ポーランドの地方都市で、その価格引き上げを機に暴動が起る。その暴動前後を中心にドキュメンタリー風にまとめられた作品である。

社会の変化を語るとき、発想としては大衆側の視線か権力者側のいずれかで物事が語られることが多いように思うのだが、本作の主人公はそれらの中間よりやや権力寄りと言える共産党の地方幹部である。彼が共産党内で出世する過程を簡略にまとめたものが作品の枕部分を構成し、その彼が共産党の地方幹部として暴動の矢面に立つ様が残りの部分の中核を成している。

共産党組織のなかで出世していく主人公の姿は溌溂として見える。それが作品の舞台である経済の破綻という状況になると、その意気揚々とした雰囲気は消えてしまう。党中央が食糧品価格を一気に5割から6割程度引き上げることを決定したとき、彼の立場が明瞭になる。党の決定を彼に変える力はなく、市民から見れば彼こそが権力の象徴で不平不満をぶつける対象である。権力側にあるものの、自分の支えにはならない権力と暴徒と化そうとしている市民たちとの板挟みになり、その場凌ぎの保身策に遁走するよりほかに、彼に現実的な身の処し方があるだろうか。

舞台はポーランドのとある地方都市であり、時代は30年ほども前、共産党だの民主化だのということも現代の日本で暮らしていれば現実性は希薄に感じられる。しかし、この作品のなかで展開されている主人公の数日間の行動の背景にあるのは、そうした地政学的な違いや文化の壁を超越した、人という生き物の普遍的な行動原理だと思う。結局、人は単独で存在することはできないということだろう。自己は他者があってはじめて認識できるものであり、自己を認識したらその存在の確かさを確認すべく欲求や欲望が湧き出てくる。自分を確かめるために社会を作り、権威という虚構を作る。虚構を構成する権力機構のなかに自分の位置を確保し、自己の存在の正当化を図る。自己を正当化するのは自己の外部にある権威という看板だ。そもそも実体の無いものを自己の存在根拠に据えるから不安がついて回る。不安を解消するために権力を行使して、自分を取り巻く人や者ごとが反応することを確認し続けなければならない。食卓でちゃぶ台をひっくり返してみせるオヤジも、独裁政権でこの世の春を謳歌する権力者も、やっていることは同じということなのだろう。人間というものは滑稽で哀しい生き物であるようだ。

「漫才」ビートたけし著

2009年07月14日 | Weblog
驚異的な本だ。まず、内容が驚くほど酷い。その酷い内容の本が新潮社という大手出版社から出ている。しかも、今年の5月に出たばかりだというのに、もう在庫が無く、古本にはプレミアムがついている。この国からは知性というものが失われてしまったのではないかとさえ思う。そんなわけで、非知性派の私の手元にはこの本がある。

ハードカバーで254頁だが、全編が漫才の台本になっている。スタイルはツービート時代のものだが、内容は最近の出来事にも触れられているので、おそらく書き下ろしたのだろう。よくもこんなものを企画したものだと呆れてしまう。内容を見てから買えばよさそうなものだが、作者名と出版社名だけを見てアマゾンに発注してしまったのである。

北野武が監督したり出演した映画は以下の作品を観たのだが、どれも好きである。
監督作品
「あの夏、いちばん静かな海。」(1991年)
「HANA-BI」(1997年)
「BROTHER」(2000年)
「Dolls」(2002年)
「座頭市」(2003年)
「アキレスと亀」(2008年)
出演作品
「戦場のメリークリスマス」(1983年)
「バトル・ロワイアル」(2000年)

それで、本のほうだが、漫才についてのエッセイのようなものかと思ったのである。内容が酷いと言いながらも最後まで読み通し、いつものようにアマゾンの中古品市場に売りに出そうとした。そうしたら、新品は在庫が無く、中古品は最低価格が2,532円だという。以前にも書いたかもしれないが、読んで手元に残したいとは思わなかった本は、定価の半額で売りに出すことにしている。今回もそのつもりだったが、プレミアムがついているのを見て、急に手放すのが惜しくなった。私は人間が小さい。

さて、この本をどうしたらよいものか。

人混みに紛れる安心

2009年07月12日 | Weblog
今借りているトランクルームを引き払って、中の荷物を実家の物置に移すことにした。近所のレンタカー事務所で車を借り、白山通り、不忍通り、目白通り、明治通り、新目白通りを通ってトランクルームへ出かけた。ここまでは順調だ。トランクルームで荷物を積み込み、汗だくになる。夏に重いものを抱えて右往左往すれば汗にまみれるのは当然だ。ここから山手通りに出たところで渋滞にはまった。全く動かないというわけではなく、平均すれば時速20?ほどで流れている。要町交差点に到達するのに、普段なら10分もかからないのが、30分ほども要した。ラジオの交通情報では、高速道路が行楽地へ向かう車で渋滞していると言っている。時刻は11時半頃だ。

ふと疑問に思ったのだが、昼近くに交通渋滞のなかにあって、果たして目的地に着いて目的の行動ができるものなのだろうか。週末なのだから、行楽地へ向かう人が多いのは誰もが知っていることだろう。混雑や渋滞を承知していながら、何故、敢えて出かけるのだろうか。

おそらく、行楽そのものが目的ではない人が多いのではないのだろう。週末は家族や友人知人と遊びに行くもの、という世間の掟に従うことで安心を感じるということではなかろうか。行楽は口実で、社会と自分との同期化が真の動機、と考えたのだが、どうだろう。

「平穏」(原題:Spokoj)

2009年07月11日 | Weblog
平穏な生活とはどのようなものなのだろうか。家族がいて、仕事があって、特別なことはないけれど、穏やかに毎日が過ぎて行く、ということだろうか。そんなことは簡単なことではないかと思える人は、今、世界中にどれほどいるのだろうか。この作品の主人公の願いは、平穏な生活を手に入れること。妻がいて、子供がいて、自分の家がある生活が、夢なのだという。

主人公は傷害事件で3年ほど服役した後、建設工事現場で働くようになった労働者だ。仲間とも親方とも良好な関係を構築しているかのように見える。妻となる女性とも巡り会い、結婚して、子供も生まれることになった。持ち家以外は自分の夢が叶ったことになる。

ところが、そんな順風満帆であるかのようなときに、彼が働いている工事現場で建設資材が盗まれるという事件が起る。盗難の責任を負って、現場労働者の賃金削減が決まったことから、俄に労使紛争が起る。盗難事件も労使紛争も主人公にとってはどうにもしようのないことなのだが、前科者である自分を雇ってくれた親方にも、一緒に働く仲間にも恩義を感じているので、その板挟みになって平穏な生活が手の届かぬところへ消えてしまう。

ところで、平穏な生活とは容易に手にすることができるものなのだろうか。「平穏」の中身は人によって様々だろう。少なくとも、私にとっては、平穏などあり得ないと思っている。確かに、日々の生活に何不自由無く暮らしているという点では平穏だ。しかし、それは結果であって、これからさきも平穏であり続ける保証はどこにもない。そもそも在るのか無いのかわからない将来を思い煩っても仕方の無いことだ。ましてや、この作品が製作されたのは1970年代のポーランドである。彼の地を訪れた経験がないので、想像の域を出ないが、民主化以前で表現の自由はもとより、日常生活においても有形無形の不自由が多かったのではないだろうか。思うに任せぬ毎日のなかで平穏たることは人々にとっての理想であったのかもしれない。

今、ポーランドはEUにも加盟しており、欧州の多くの国々と入国審査無しで自由に往来できる。この作品の時代とは状況が大きく変化していると思われるが、果たして平穏は今でも夢だろうか。

「愛を読むひと」(原題:The Reader)

2009年07月10日 | Weblog
この映画の宣伝では、15歳の少年が21歳年上の女性に恋をして、その相手をいつまでも想い続けるということに焦点を当てているようだが、そういう恋愛作品ではない。切り口はいくらでもあるのだが、まず考えたのは罪ということだ。

人を殺すことは何故いけないことなのか、きちんと説明のできる人はいるのだろうか。例えば、今の日本で人を殺せば、理由がどうあれ罪に問われる。しかし、戦争中に交戦相手国の人間を殺すのは、少なくとも戦場においては罪にはならない。戦争中でなくとも、カルト集団内部にあっては、反対勢力の人間を殺すのは、それが善であったりすることさえある。罪とは、その社会が置かれている状況のなかで規定されるものであって、そこに絶対的な基準など無い、と思う。

この作品のハンナ・シュミッツは第二次大戦中、ナチの強制収容所で看守として勤務していた。看守としての任務を全うした結果として、無数のユダヤ人を殺害することに加担することなり、戦後何年も経てから戦争犯罪人として裁判にかけられて有罪判決を受ける。裁判の場面でハンナが時に戸惑いを見せながらも終始毅然としているように見えるのは、自分が犯した「罪」を自覚していないからだろう。おそらく彼女が文盲であるのは、教育を受ける機会に恵まれなかったからであり、それが彼女にとっての最大のコンプレックスであるかのように描かれている。強制収容所の看守という仕事は、権威の象徴たる制服に身を包み、所内の被収容者を管理・監督する、彼女の傷ついた自尊心を回復させ彼女に生きる喜びを与える何物にも代え難い仕事であったのではないだろうか。だから、それが他者の人権を蹂躙する行為であったとしても、看守としての職務を全うしたという自負は彼女自身の生を肯定するバックボーンであったのだろう。

次に考えたのは恋についてである。主人公のマイケルは15歳の時、市電のなかで気分が悪くなり、下車してどこかのアパートで踞っているところを通りかかったハンナに介抱されたことがきっかけになって、ハンナに恋をする。マイケルはハンナの求めに応じて、性行為の前に文学作品を朗読するようになる。その朗読を真剣に聴きながら、ハンナはそこに描かれていることを考え想い描き、書かれていることに対する感想や、触発されたことを口にする。それはまるで、暗闇の中で光明を探し求めているかのようにも見える。ハンナにとって、文字の世界というのは、そこに自分の知らない何か素晴らしいものが秘められている場所のように感じられていたのではないだろうか。自分のなかにある欠落を埋めるはずの自分自身の一部がそこに置き去りにされているかのように感じていて、マイケルの朗読のなかにそれを探し求めていたのではないだろうか。

恋愛に年齢というものがどれほど関係するのだろうか。年齢が気になるような恋愛は、果たして恋愛と呼べるのだろうか。単に、ある年齢に達したら自分の前後何歳かの範囲内にある相手と恋愛をして、何年か付き合ったら結婚して、第一子を結婚何年後かにもうけて、その何年後に第二子をもうける、という「世間」の「常識」に自分の生活を合わせて、自分が社会の一員であるかのような幻想を確認して安心するための手続きを「恋愛」と呼んでいる人が案外多いのではないだろうか。恋愛はどうしてもしなければいけないというものでもあるまい。年齢差が気になるのは、「世間体」もあるだろうが、若さというものへの価値観の所為もあるだろう。世の中は若さというものに何の根拠もない価値を置いているように見える。「お若いですね」というのは年配の人に対する世辞である。「アンチ・エイジング」だの「老化防止」だのと加齢対策に躍起になっている人を身の回りでも見かけるが、単に若いということにどれほどの価値があるのだろうか。生まれたら必ず死ぬのである。時間の経過とともに死に近づく。身体能力は精神的なものも物理的なものも加齢に伴って衰える。当り前のことだろう。

確かに、同じ国民、同じ民族であっても、どの時代に生まれたかによって、無理なく共有できる価値観あるいは文化は異なるだろう。相手が自分の理解を著しく超えた発想や行動をする人であれば、おそらく恋愛は成立しない。ただ、恋愛というのは理屈ではない。15歳の少年が36歳の女性と恋に落ちても殊更不思議なことはない。こればかりは言葉で説明できるものではない。単なる手続きとしてではなく、精神の経験として恋愛を経験したことがあれば、そんなことは当然にわかるだろう。

では、マイケルはハンナに恋をしたのだろうか。もし、ハンナがマイケルの前から姿を消すこと無く、ふたりの関係が続いていたら、その関係はどのようなものになっていたのだろうか。マイケルが刑務所の中にいるハンナに朗読テープを送り、それをもとにハンナが文字を覚え、たどたどしい文字でマイケルに手紙を書くようになったとき、ふたりの関係は以前に比べてどのように変容したのか、あるいは変容しなかったのか。マイケルにとって、ハンナへ向けて朗読テープを作ることは何だったのだろうか。

ハンナが出所する一週間前にマイケルと面会をしたとき、彼女の中でどのような変化が起ったのだろうか。ハンナがテーブルの上にマイケルへ向けて手を差し出したとき、マイケルがその手を握る前に躊躇があった。ハンナはその躊躇を見逃さなかった。その瞬間、彼女は何を思ったのか。作品後半においてこの面会場面は人間というものの本質にかかわることを饒舌に語っているように見える。戦犯という事情を抜きにしても、長い年月を経てかつての恋人と再会をすれば、おそらくそこにかつてと同じ感情を見いだすことは困難だろう。面会のとき、ハンナはマイケルに、マイケルはハンナに何を見たのだろうか。明らかにハンナには出所する意志が無かった。それは何故か。長期懲役囚が出所の際に直面する現実世界に対する漠然とした恐怖も勿論あっただろうが、それだけではあるまい。時間というのは、時に人間関係のなかの滓を浄化して葛藤や対立をきれいに流してしまうこともあれば、時に人間関係に超え難い壁を作ることもある。

最近、アメリカの映画はつまらないものばかりになったと寂しい思いをしていたが、まだまだ捨てたものではないと安心した。おもしろい作品だ。

ついでながら、昔、ダッハウの収容所跡を訪れたことがある。もう20年近く前のことなので、細かな記憶は失われているが、ずっと考え続けていることもある。そのことをいつか機会があれば書きたいと思っている。

復帰第一作

2009年07月07日 | Weblog
4月から陶芸を再開しているが、再開後最初の作品が今日焼き上がった。練り込みと象嵌を組み合わせた円筒形の花器である。以前にも書いたと記憶しているが、陶芸の面白さのひとつは、作品の最終形が焼いてみるまでわからないことである。まだ初心者の域を出ないので、焼き上がりのイメージなど描きようもなく、素朴に焼き上がりが楽しみだ。今日出来上がった作品も、練り込みの模様が鮮やかで象嵌の様子も悪くない。先生からも「これは面白いねぇ。こんなの見たこと無いよ。」とのコメントを頂戴した。

今回は、白土に顔料を混ぜ、グレーの濃いめ、同色の薄め、ピーコックの3種類の色土を作って練り込んだ。器の口のところは赤土を使い、象嵌は白土にした。練り込みなので、全体は透明?釉をかけるのだが、象嵌部分には鉄赤釉を施し、形状も鋭角的にして練り込み模様のうねうねしたなかにアクセントをつけるようにした。

象嵌を意識しすぎて、全体に厚ぼったい器になってしまったが、おかげで重量が出るので、花器としては安定するかもしれない。

現在製作中のものは2作品あり、そのうち一方は今日焼き上がったものの姉妹品とも言えるものだ。同じ土を使い、角形の器に仕上げてある。今日は素焼きがあがっていたので、ヤスリがけをした。練り込みでなければ、ヤスリがけはそれほど時間を要する工程ではないのだが、練り込みの場合はこの工程で練り込み模様の鮮明さが決まるので、時間をかけて執拗にヤスリをかけた。ヤスリがけでは細かい粉塵が大量に発生するので、埃まみれになってしまう。以前に比べればかなり要領を会得したつもりなのだが、それでも眼鏡には細かな埃がびっしりと付着する。以前など、この作業の直後に洟をかむと泥水のような洟水がでてきたものである。一応、マスクとゴーグルは用意してあるのだが、冬場ならともかく、今の時期はたとえエアコンが効いていても、使っていられない。それでも、ひと撫で毎に鮮やかになっていく模様を見ていると、あとひと擦り、あとひと撫で、と欲が出るものだ。結局、今日はヤスリがけだけで2時間使ってしまった。

もうひとつの仕掛品は削りを終えて素焼き待ちの状態だ。こちらの器は鉢で、上絵付けの練習に使うつもりである。次回は、今日ヤスリがけをした角形の器に施釉する。釉薬をかけるのはどれほど慎重に作業をしてもそれほど時間はかからないので、いよいよ轆轤に挑戦することになるだろう。まずは土練りから。自分自身の目に見える変化を経験するのは楽しいものである。

薬指の長い男

2009年07月05日 | Weblog
「薬指が長めの男性は、リスクを厭わない傾向があり、素早い情報処理と意思決定、それを迅速に行動に移す反射能力に優れているようです。そして、これらの特性が役立つ世界で成功する可能性が高いようです。

(中略)

これまでの研究から、人差し指に対する薬指の長さの比率は、母親の子宮内で、男性ホルモンの一種のテストステロンにどの程度さらされたかに関連することが示されています。この比率が大きいほど、つまり薬指が長いほど、胎児期に多量のテストステロンにさらされたことを示すと考えられています。

この指比率は、通常、男性では1を超えて、女性では1未満となるそうです。つまり、男性は薬指の方が長く、女性は人差し指の方が長くなります。指の長さは指先から根元の関節までを測定します。」

これはたまたま今日ネット上で見つけた記事である。
(http://masters.goo.ne.jp/life/diamond/76/)

今まで考えたこともなかったが、確かに自分の手を見ると薬指のほうが長い。これは手相のようなものではなく、ホルモンと身体特徴との関連についての科学的研究のひとつだというのだから、世の中にはいろいろな研究領域があるものだと感心してしまう。

個人的には手について強い関心がある。陶芸だの木工だの茶道だのと手の動きに否応無く注目しなければならないことに取り組んでいる所為もあるのだが、手の所作とか表情というものが、その人となりと関係があるような気がするのである。残念ながら、その関係を語るほど多くの手を観察したわけではない。ただそんな気がするだけだ。

「ディア・ドクター」

2009年07月03日 | Weblog
この作品の紹介や映画評には必ずといっていいほど嘘がどうのこうのと書いてある。映画評論家というのは正直者ばかりらしい。人が生きるということは他人との関係を生きることだ。さまざまな人とそれぞれに応じた関係を取り結び、その総体として自分というものがある。個々の関係性を最適化して、その個別最適を積み重ねたら全体最適になる、というほど世の中は単純ではない。関係というのは時々刻々変化している。永遠に最適な関係などあろうはずがない。我々は刹那の最適を確かなものだと思い込むことで自分の心の平和というものを得ているにすぎない。嘘と呼ぶかどうかは別にして、関係相互の齟齬や矛盾をだましだまし生きるのが人生というものではないのだろうか。

誰からも好かれる人、誰からも嫌われる人、というのが誰の身近にも一人や二人はいるものだろう。そういう人を自分がどれほどよく知っているかといえば、実はよく知らない人だったりする。人に自我があり、それがそれぞれに勝手な尺度を手に関係の環につながっているのだから、状況に応じて好かれたり嫌われたりするのが自然というものではないのか。一貫して好かれたり嫌われたりというのは、好かれたり嫌われたりする刹那が断続しているということなのだろう。自分にとっていついかなる時も「良い人」とか「悪い人」などというものが、もしいるとするなら、それはその人との関係が皮相で無責任であるというだけのことだと思う。

そうした当然の現実を過疎の村の診療所の医師と村人との関係で描いたのがこの作品だ。当然の現実なので、時に苦々しく、時に滑稽なのである。

主人公の失踪事件を捜査に来た刑事の態度や言動には、人を嘲笑するような嫌味が含まれている。見ていて嫌な野郎だとも思う。しかし、この刑事の眼はこの作品を観ている自分自身の眼でもあるということに気付いてはっとさせられる。他人事を無責任に眺める時の態度というのは誰でもこうしたものではないだろうか。

死というものとの距離感が絶妙に描かれているとも思った。寝たきりの老人が突然苦しみだしたといって、主人公である診療所の医師が往診に呼ばれる場面がある。苦しみが高じて一瞬意識を失ったときの家族の様子の描写に思わず引き込まれた。作品後半で重要な役割を果たす独居老人の凛とした佇まいも魅力的だ。人生には何が起こるかわからないのだが、ひとつだけ確実なことがある。それは死である。今がどれほど幸福の絶頂であろうと、不幸のどん底であろうと、人はいつか必ず死ぬ。人それぞれに自分の死のイメージというものがあるだろうが、自殺でもしないかぎり、こればかりはどうなるかわからない。メメント・モリという言葉が自然と脳裏に浮かぶ。

西川作品を観るのは、「ゆれる」に次いで本作が2作目だが、どちらも人の表情へのこだわりが感じられる。印象的な表情はいくらもあるのだが、本作では最後のシーンに救いのようなものを感じる。信頼感で結ばれた人が互いに見せる表情というのが輝いていてよいと思う。最期の最後の瞬間にそういう人がそばにいてくれたら、それまでの嫌なことや苦労などなんでもないと思えるような気がする。