熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記 2021年4月

2021年04月30日 | Weblog

C.N.パーキンソン著 森永晴彦訳 『パーキンソンの法則』 至誠堂選書

「パーキンソンの法則」は結構有名だと思っていたら、そうでもないらしい。何年か前に職場の同僚と雑談している時にパーキンソンの法則にあることを会話の中に混ぜて話したら「あ、それ鋭いですね」と感心されてしまった。誤解されるといけないので、引用であることを説明したのだが、全く聞いたことがないという様子だった。

ごちゃごちゃ説明するよりも、いくつか抜書きを並べた方が面白いのではないかと思う。

仕事(とくに事務のそれ)の時間に対する需要が、弾力的であることからして、事実上為されなければならない仕事の量とそれに割り合てらるべき人員数とのあいだにはほとんど関係がないといえるようである。(11頁)

パーキンソンの法則は英国の役所を対象にした考察なのだが、組織一般に敷衍できる内容だ。改めて組織における「仕事」とは何かということを考えてしまう。近頃ではすっかりリモートワークというものが定着した感があるが、リモートでできる仕事というのは結局のところその人でなくてもよいものなのではないか。もっと言えば、そもそもなくてもよいことなのではないか。

(1) 役人は部下を増やすことを望む。しかしながら、ライヴァルは望まない。(2) 役人は互いのために仕事をつくり合う。(12頁)

これは今風ではない気がする。なんだか知らないが、世の中は総じてしみったれた方向に流れているので、組織においてもいかに少ない人数で仕事を回すかというようになっている気がする。尤も、役所のことは知らないが。

このパーキンソンの法則は今日の政治学においては、たんに純粋に理論的なものでしかないことを特に強調しておきたい。雑草を取り除くのは植物学者の仕事ではない。ただいかに早く繁るかを指摘すれば、それでよいのだ。(25頁)

この意味では、世間には「学者」が多すぎる気がする。手足を動かす人が蔑ろにされていないだろうか。自分が手足なので、なおさらそう思うのかもしれないが。

投票行為が事態の本質に影響するところはごく僅かで、最終決定は、われわれにはほとんど関係のないさまざまな要因によってきまってしまうものであるが、ただ、注意しなければならないのは、最終的に議論に結着をつけるのが、中間派の投票によるものだということである。もちろん、英国下院では、このような派がのさばる余地はないが、他の会議では中間派は非常に重要なものとなるのである。それは以下のごとき人々によって構成される。
 a あらかじめ作成され、出席を予定した人々に前もって配布されていた覚え書きをどれひとつ理解できない人々。
 b あまりに頭がわるくて議事の進行について行けない人々。こういう連中は互いに、いったい何のことをしゃべってるんだろうと囁きかわすから、すぐわかる。
 c 耳の遠い人々。耳のうしろへ手をやって、「もっと大きな声で話してくれないかねえ」と文句をいっている。
 d 二日酔で痛む頭をかかえながら起きてきて、「どっちみち大したことじゃないさ」と思っている人々。
 e 健康を自慢にし、事実若い連中よりも丈夫な年長者たち。「ここへは歩いてきたんですよ。八十二歳にしちゃ、ちょっとしたものでしょう」などという。
 f 両派を支持する約束をし、どうしていいか判らなくなっている意志薄弱者たち。棄権したものか、仮病を使ったものか迷っている。
(31-32頁)

かくして、中間派の票を確保すれば、動議はらくらくと可決され、また確保できなければ、よいとわかっていても否決される。民衆の意志によって可決さるべきほとんどすべての問題も、じつは中間派の人々によって決定されるのであり、したがって演説などはまさに時間の空費にすぎない。(40頁)

これは英国でのことを言っているのだが、組織での意思決定一般に敷衍できる。何を何に例えるか、それぞれの立場でどうにでも読み換えることができる。そして納得できる、と思う。

新しく創設される機関が、はじめから理事、部長、顧問、室長、ならびにおあつらえの新建造物をもってスタートする例は枚挙にいとまない。だが、経験によれば、そのような機関はやがて死んでしまう。それらは、自分自身の完全さのために窒息してしまうか、土のないために根がつかないか、すでに育てられてしまっているので、もはや自分では生きられないかである。花も咲かず、むろん実はならない。こうした例にぶつかったとき、たとえばいま国連のために設計された壮大なビルディングのような例をみるとき、われわれ民間の専門家たちは、悲しげに、首をかしげ、死骸に一枚の布をかけ、しのびあしでおもてに立ち去るのである。(107頁)

たぶん、物事は流動しているという現実に目を背け、ある瞬間の状況が未来永劫変わらないということにして意思決定が行われている。「アキレスは亀を追い抜けない」はずはないのに、なぜかそういう前提で作られたとした思えない組織、規則、関係などがある。

組織の秩序内に、高濃度の無能力(Incompetence)と嫉妬心(Jealousy)とを合わせもった人物があらわれるのがこの疾病の最初の赤信号である。無能力にしろ嫉妬心にしろ、それ自体がとくに問題だというわけではない。ふたつとも誰しもが多かれ少なかれもち合わせているものである。ところがこの二つの要素がある濃度をこすと、すなわち数式I3J5で表される量をこすと、一定の反応が起こる。その結果ふたつの要素は融合してわれわれがインジェリタンス(劣嫉素)と呼ぶ新たな物質を生じる。この物質ができたことは、自分の部署で成功しなかったものが、他人の仕事に干渉し、さらに中央の行政にタッチしようとする行為によって容易に判明する。挫折感と野心とのかかる混合があらわれるとき、専門家は「初期的あるいは特発的な劣嫉性」の疑いを持つにいたる。この症状による判断は、後に示すごとく、ほとんど間違うことがない。
 疾患の第二期は病変した人物が、中央組織を部分的ないし完全に把握したときに到来するが、また第一期症状を経ずしてこの状態があらわれる場合もかなり多い。というのはすでに病変した人物が最初からその高い地位に任ぜられて、組織の中に入りこむことがあるからである。インジェリタントな人物は、すべて自分より有能なものを追放したり、あるいはやがて彼よりも有能なものを追放したり、あるいはやがて彼よりも有能になりそうな者の昇進や任命に対してあらゆる抵抗を試みたりするため、容易に見わけられる。(中略)その結果、中央機関が、長官、支配人、あるいは議長よりも頭のわるい人間で満たされてしまう。トップが第二級の人ならば、彼は第三級の人物を直接の配下とするよう努め、また、配下どもはその部下に第四級の人物をもってこようとつとめる。最後にはほんとの馬鹿になるための競争がおこって、人々は実際よりもさらに馬鹿にみえる振舞いをするようになる。(121-123頁)

もうすぐ還暦だというのに勤めが忙しい。先月は規定の残業時間を超過して人事から注意喚起のメールが飛んできた。「忙しい」というのは「商売繁盛」というのとは違う。確かに、昨年は世界的な感染症騒動のなかで、勤務先は予想外に業績が好調で期中に臨時の配当を実施するほどだった。しかし、個人的には裏方仕事であるのと所属部署の直接的な業績貢献が皆無と看做されていることから、給与や賞与にそういう状況が反映されることはない。そもそも固定年俸なので賞与は無い。また、忙しいのは、単に仕事の形式面に由来するものと、コスト削減に伴う貧弱な社内インフラに伴う不具合の多発によるものであって、商売の業況とは直接関係していない。業績が不振の時は、我々裏方は真っ先に整理の対象になる。不条理なようだが、企業は利益獲得を目的とする社会集団なので当然のことである。それでこれまで渡職人のように、組織に対しては何の感情もなく仕事だけを淡々とするだけの暮らしで今に至っている。

所謂「定年退職」というものはなく、そういう年齢になると「おわかりでしょうけれど…」という感じでポジションが消える。今年か来年にそういう事になると思っているので、流れに任せておこうとは思っている。しかし、できることならそれを待たずにボチボチ辞めたい。馬鹿馬鹿しいことが多過ぎてしんどい。だが、辞めると収入がなくなる。切羽詰まれば何とかなるものかもしれないが、進んで切羽詰まりたいとも思わない。結果として切羽詰まるなら仕方がないのだが。

 

辻山良雄 『本屋、はじめました 増補版』 ちくま文庫

この本はこのnoteで見つけた。書店を経営しようという人が書いている記事の中にこの本と、この本の著者が営んでいる書店のことが書かれている。著者の辻山氏はリブロ池袋本店で働いていたそうだ。以前書いたように毎週土曜は陶芸教室に通っている。その教室が池袋にあるので、陶芸の前後にリブロ池袋店には必ず立ち寄っていた。今も同じ場所にある三省堂を同じように利用している。だから、リブロで働いていた人が書いたというだけで親近感が湧いた。

書店Titleのサイトを見たら、辻山氏がnoteに寄稿していることも告知されていた。また、Titleの建物は元は肉屋だったそうだが、私の実家も私が生まれた時は肉屋を営んでいた。そんなわけで、この本は読まないわけにはいかないし、Titleという書店にも出かけてみないわけにはいかない、と思った。

それで今日、仕事帰りに立ち寄った。駅を出て青梅街道を西へ進むと、環状八号線との交差点のあたりまでは特にどうということはない。そこを過ぎると、特に進行方向右側に古くからあると思しき商店や、かつてそういう商店だったのを改装した商店が並ぶようになる。その流れのなかにこの書店がある。いい場所だ。

建物は古いらしいが、通りを歩く目線では小綺麗な店先しか視界に入らない。この店は勿論のこと、荻窪というところにも滅多に足を運ばないのに、既視感を覚える。店の感じが、昔どこの街にもあった本屋のそれに近い所為もあるだろうし、棚の並びの要所要所に自分の書棚にある本が置かれている所為もあるかもしれない。例えば、『利己的な遺伝子』、『伊丹十三選集』、『アースダイバー』、『子どもたちのいない世界』、『謎のアジア納豆』、古川日出男訳の『平家物語』、平凡社 STANDARD BOOKSの『宮本常一』、などなど。金曜の午後4時半頃から5時にかけての30分ほどの滞在だったが、その間に奥のカフェから数名の客が出て行き、書店の方には数名の客が入ってきた。2016年1月に開業とのことなので、勝手な想像だがようやく土地に馴染んだ頃なのではないだろうか。そこに暮らす人が行き交う場所にちゃんとした書店があるというのはその土地の格のようなものを物語っていると思う。たぶん、荻窪はそういう街なのだろう。

荻窪は自分の普段の動線からは外れているが、これからは、たまに足を運んで辻山コレクションの中から読む本を選んでみようかと思う。今日はレイ・オルデンバーグ著、忠平美幸訳『サードプレイス』みすず書房と雑誌『ユリイカ』の2021年4月号を購入した。今週月曜日に上野の国立博物館で鳥獣戯画展の内覧会を見てきたばかりで、ユリイカの特集「鳥獣戯画の世界」に惹かれた。

 

揖斐高 編訳 『江戸漢詩選(上)(下)』 岩波文庫

本書に収載されているのは上下合わせて150人320首。詩、それも漢詩を詠むということがどういうことなのか、考えずにはいられない。読み書きができる層は人口全体の多数派ではなかっただろうが、本書に取り上げられている詩人の出身を見ると、身分を超えて漢詩人口が広がっていたこと、社会構造がかなり流動性を持っていたことを窺わせる。一方で、漢詩は同じく中国発祥の儒教と関連していて、儒教は政治倫理と関係している。つまり、漢詩は政治と繋がっている。

その昔、為政者は歌を詠むことが仕事の一つだった。天皇も公家も武家も詩や歌を詠んだ。今も読み継がれている勅撰集は国家事業として編纂されたものだ。勅撰集には数えないが『万葉集』は勅撰集以上の国家事業だったろう。おそらく歌を詠むことで共同体としての在り様を明らかにしたのだと思う。万葉仮名は漢字だが『万葉集』を和歌に含めれば、和歌に詠まれる歌には相聞歌が多い。昔の和歌に詠まれた愛や恋は、おそらく特定の男女の間だけで完結するものではなく、そこに何かしら人としての在り方とか政治的な意味とかを含んだ広がりや奥行きがあったのだろう。だからこそ権力の側にある者が熱心に愛を詠んだのだと、思わないわけにはいかない。御製歌も然り。ところが明治になると御製から相聞歌が消える。これは何を意味しているのだろうか。

和歌集に比べると漢詩の勅撰集は少ない。しかし、本書でもわかるように文芸のジャンルが広がった江戸時代においても漢詩は広く詠まれていた。ただ疑問に思うのは、日本の漢詩はどのように詠まれていたのかということだ。本家本元の漢詩は中国の言葉で読まれ、その音としての美しさも追求されていたはずだ。勅撰漢詩集が編まれた8世紀や9世紀はどうだったのか。何をして「名歌」「名詩」と評されたのか。漢詩と和歌の役割分担のようなものがあったのかどうか。漢字は表意文字ではあるが、音を抜きに詩は成り立たない。中国や朝鮮半島の人々とは筆談を行なっていたという話もあるが、根底の言語が異なれば、通じないことが多いはずだ。つまり漢詩は日本語だ。明治のあたりまでは口語と文語が別だったということは知識としては知っているが、なぜ別だったのか。漢詩でもなければ和歌でもない和製漢詩の存在意義は何なのか。

150人のうち、上巻には77人の詩が取り上げられている。本書での詩人の紹介を追うと77人のうち46人が師弟あるいは親子の関係だ。師弟や親子ではなくても交友関係があったものを含めれば、実質的にはほぼ全員同門と言えなくもない。しかも、この中の林羅山は徳川家康から家光にかけて将軍三代に仕えた徳川幕府草創期のブレーンである。羅山は家光から上野忍岡に土地を与えられ、そこに私塾として学問所と孔子廟を建てた。これが後に昌平坂に移されて、幕府直轄の教育機関である昌平坂学問所に繋がっていく。やはり上巻に紹介されている尾藤二洲、柴野栗山、頼春水と下巻に紹介されている古賀精里は寛政の改革の中で朱子学の幕府正学化を図り寛政異学の禁を主導、この林家の私塾を官学化して昌平坂学問所とし、柴野が最高責任者を務めた。一方で、下巻に登場する亀田鵬斎はこの寛政異学の禁によって儒者としての地位を失う。時の政治とその倫理観の根幹となる儒学と漢詩が密接に関連していることが容易に想像できる。

下巻になると、さすがに世の中が騒がしくなり、朱子学一色というわけにはいかなくなる。それでも、志ある者が己の考えを世に問おうとする時に主流となっている門閥に接触を図るのは自然な発想であり、また世間に定着している思想や倫理をいきなり超えてしまっては世に受け容れられるはずもなく、江戸時代を通じて儒学あるいはその何事かを象徴する漢詩は日本の人倫を語り続けるのである。

現代において漢詩を詠む人がどれほどいるのだろう。私が高校生の頃は漢文の授業があったが、今でもあるのだろうか。今の時代に漢詩や漢文を学ぶ意味はどこにあるのだろう。漢詩が時代の倫理観と結びついていたとすれば、漢詩や漢文を学ぶことは己の歴史を学ぶことでもある。

本書の上下巻を通読して、私は全く白文で読むことができなかった。注釈は白文を読むためのものというよりは、それ自体独立した読み物であり、読み下し文を読んでかろうじて大意を把握する程度のことしかできなかった。そういう意味では、私の日本人としてのアイデンティティは然程強固なものではなく、かといってそれに代わる自己もなく、実に頼りのない存在だということになる。しかし、頼りがない存在であることを確かめることは決して悪いことではないと思う。何者であるかもわからないままに「自己」を激しく主張する薄みっともない輩を目の当たりにして、それを他山の石として己を律することができる。但し、そうしようと思えば、の話だが。

本書の記述に基づき、Wikipediaなどを参考に、本書に収載されている150人の詩人の生没年と師弟・親子を表にまとめた。個人的に気になったのは没年齢で平均すると65.9歳だ。幕末に安政の大獄と安政の大地震があり、その関係で若くして亡くなっている人もあるが、世間で言われるような「医療の進歩」というのはあまり寿命に関係がない気がした。いずれにしても、「寿命あと10年のつもり」などと呑気なことも言っていられない、というのが正直な感想だ。だからと言って何をするでもないのだが。

 

鈴木大拙 『禅の思想』 岩波文庫

いわゆる「晩年」の域に入り、頭の整理というか心の準備というか、そんなことに気持ちが向くようになった。そうしたなかで、目下最大の関心事は自他の意識だ。

十数年前に『亀も空を飛ぶ(クルド語:Kûsiyan jî dikarin bifirin、フランス語: Les tortues volent aussi、英語: Turtles Can Fly)』という映画を観た。映画のことは観た直後にこのブログに書いた。

「Turtles can fly/邦題:亀も空を飛ぶ」

この映画に描かれている生活も人間の暮らしに違いない。感染症がどうの、景気がどうの、と言ったところで自分の身の回りの暮らしは、この作品に描かれているものに比べれば随分安穏としている。幸い、これまで自分が生きてきた60年弱の生は、難民キャンプでの暮らしも、戦争も、大きな自然災害も縁がなかった。貧乏とはいいながらも食うに困るほどではなく、当たり前に明日を信じていられる程度の安心感はある。しかし、映画とはいいながら、この作品に登場する子供たちは総じて明るく逞しい。現実とはいいながら、自分の身の回りはしょうもない不平不満に溢れている。なぜだ。

人の生を支える意識は、身の危険に対する認識よりも、生活の中での自分の立ち位置の把握にあるのではないだろうか。その位置の把握・認識を自我の確立と呼ぶのだろう。自我というものがしっかりしていないと不安に慄きながら生きることになるものだが、自我は他者との対比のなかで成り立つ。しかし自他の別に拘泥すると永遠に自我は確立されない。矛盾している。この矛盾にこそ自分がある、そう思わないことにはしょうがない。世にある宗教というものは、いずれもこの矛盾を克服する方便なのではないか。

本書の冒頭は宗教の意義を簡潔明瞭に語っている。これだけで、本書は読むに値するものだと思った。また、これ以外に何を語ることがあるのだろうかと訝しく感じた。読み通してみたら、同じことを繰り返しさまざまに表現してるのである。

人間そのものの革命は宗教より外にない、即ち霊性的自覚の外にない。これがない限り、人間と生まれて来た甲斐がないのである。(10頁)

要するに、「自分」とは自覚なのである。それを、どういう家庭に生まれたとか、どういう学校に通ったとか、どういう経歴だとか、肩書きだとか、言語化された看板を無闇にぶら下げて、その看板に意味があるかのように思い込んでいるだけで、「だから何なんだ」という自覚が無いから救われないのである。自覚がなければどれほど自分の周りに事を重ねたところで不安は消えず、挙句の果てに大言壮語をしてみたり、大風呂敷を広げてみたり、というようなみっともないことを習慣にして周囲から蔑まれるのである。もちろん、大人の世界では社会的地位のある人に面と向かって罵詈雑言を浴びせるようなことはしないものだが、巧言令色鮮矣仁ということは思わないといけない。

「先生」と呼ばれるほどの馬鹿でなし

なんていう昔からの川柳もあるが、人はたいして賢くはなっていないのだろう。生活周りの道具類は大層高性能になったようだが、使う側が馬鹿だとそれで世の中が良くなったりはしないものである。

衆生の本質は元来無我であるから、因果を超越して居るが、而もみな縁業に転ぜらるのである。そうして苦を受けたり、楽を受けたりする。それは、その場での業縁から出るのである。それ故、何か世間的に好いと思うことがあっても、それは自分の過去の宿因で今それを感得するのである。縁尽きてしまえば、何もなくなるのであるから、特に喜ぶべきものではない。得失は何れも心から出るのだから、心に増減(即ち喜憂)を抱くことなく、泰然として動かずに居ればよいのである。(25頁)

結局のところ、矛盾は矛盾として抱えながらも、身の程をわきまえて、その時々の機縁に順っていればそこそこ安穏に暮らしていられる気がする。それは例えばこんなことなのだろう。

雲巖曇晟が茶を煎じて居たときに同侶の道吾が、
問、「煎与阿誰。」(誰に煎てやるつもりなのだい。)
答、「有一人要。」(一人欲しいと云うものがあるのだよ。)
問、「何不教伊自煎。」(自分で煎さしたらよいではないか。)
答、「幸有某甲在。」(わしがここに居るのでな。)
一寸見ると、何でもない日常の談話のようである。そしてその言葉遣いもまた何等幽玄なものを示唆するのでもないようである。(中略)一問一答これだけであるが、その中に含まれて居るものを、もっと分別知の上で評判するとこうである。「有一人要」と云うこの一人は、自分では茶を沸かすわけには行かぬのだ、また一人だけでは茶を要することもないのだ。「幸有某甲在」と云う某甲があるので、その手を通して茶が煮られる、而してさきに茶を要すると云った一人もまたこの某甲を通して要意識がはたらくのである。一人と某甲とは分別性の個多の世界に居るのでない。が、要と云うはたらき、煮ると云うはたらきは、某甲のいる分別または個多の世界でなくては現実化せぬ。(中略)一人と某甲とは両両相対して居て、而も回互性・自己同一性を失わぬのである。(239-241頁)