ただいま午睡のまっさいちゅう!

いくつになっても興味津々。生きているうちにいろいろ知りたいやってみたい。いつまでも好奇心を失わないでいたいです。

遺跡見学会

2021-09-28 08:29:28 | 考古学・発掘・歴史



 26日日曜日に遺跡見学会に行きました。
 本当に久しぶりです。
 例の流行病の影響大ですね😢

 今回の場所は,江戸時代の後半くらいの場所です。
 神社の跡が出てきて,石柱が何本も深く埋められていたのを掘り出しています。1.5mって結構深いですよね。

 小雨がパラパラ降ってきて心配でしたが,久しぶりに見学会に行かれて本当によかったです。それにしても大きな川の近くにこういう施設を作って,流されたこともあるらしいですけど,怖いですよね。

 さて,また仕事もがんばろうと思います。




先にこれ

2021-09-25 11:22:01 | 考古学・発掘・歴史



 届いたのでついつい先にこちらを読んでしまいました。
『マンガでわかる考古遺跡発掘ワーク・マニュアル』
です。

 実際に現場で発掘作業をしている方のお話なので,「うんうん……」と頷きながら読みました。関東と関西では使う道具が少し違うとか……そういう話もあります。

 でも面白かったなあ。


 自分で覚えたつもりになっていた言葉を違う言葉で覚えていたのにも思わず笑ってしまいました。ふふふ……。





承久の乱とは 3

2021-09-20 17:46:36 | 日記

 やっと読み終わりました。
 図や写真が多いムック本なのに,調べながらじっくり読んだので時間が掛かりました。でもすっきりしました。


 やっと承久の乱です。
 後鳥羽上皇は,実朝亡き後,北条義時追悼の院宣を出します。とにかく上皇にとっては,幕府という存在が目障りだったのでしょうね。
 その院宣も現存していないため,公式文書なのか略式版なのかは不明です。


 その院宣を受け取った幕府側も上皇側も初めは戦う素振りも見せず,ただ神仏に祈るばかりだったのだそうです。そのような様子に攻勢を掛けるべきとしたのが,大江広元や北条政子なのですね。ここでかの有名な政子の演説が行われる訳です。


 上皇側も,幕府側が西へ来ていると知り,兵を集めますが,西面の武士,北面の武士そしてわずかばかりの延暦寺の僧兵だけだったそうです。ここで,西側の武士達に声を掛ければもっと兵は集められたのに違いありません。

 上皇達は,延暦寺に隠れてしまい,武士達は戦いますが何せ少ない兵。瀬田川の瀬田橋での戦いや宇治川での戦いに敗れ,結局幕府軍の入京を許してしまうことになるわけです。


 ただし,勝ったからと行って幕府側も朝廷をなくそうという意識はありませんでした。自分たちの土地の所有権などを認めているのは,朝廷だったわけです。朝廷をなくすとそれこそ社会秩序が崩れて大混乱ということになります。
 そこで取ったのが配流という措置です。後鳥羽上皇は隠岐へ。順徳上皇は佐渡へ。土御門上皇は配流には及ばないということでしたが,自ら土佐へといきます。

 後鳥羽上皇が病に倒れ,死を覚悟した時の直筆の文書と手形が水無瀬神宮に残っているのだそうです。国宝ですよ。行っても見られないのでしょうけど,見てみたいなあと思います。大分この辺りの事がすっきりしてきました。

 勿論中には親子・兄弟が敵味方に分かれて戦うということもありました。

 こうして,お飾りの将軍の代わりに執権として北条氏が台頭してくるわけですね。


承久の乱とは 2

2021-09-20 08:26:07 | 日記

 まだ承久の乱まで行き着かないのであります。読むの遅いというよりも,整理しながら読んでいてどうしてもですね。


 いよいよ後鳥羽上皇が出てくるわけですが,どうしても鎌倉幕府を倒したかったのでしょうね。確かに今(平安)までにはなかったシステムですからね。なのであの手この手を使って何とかしようとします。

 調伏をする。何度も寺社にお詣りに行っているとか,実朝を操ろうとしたのか官位をどんどん上げてやる……などですね。相変わらずドロドロしている人間関係です。

 結局,実朝は公暁(頼家の遺児)に殺されてしまうわけですが,その裏で糸を引いてたのは誰か?公暁の単独行動なのか?という所ですね。なかなか考えさせられます。

 やっと,承久の乱に入れそうかなあ?