部屋の整理をしていたら、詩集が2冊出てきた。私が30代半ばの頃(昭和55~58年)子どもたちに詩の朗読を指導しようとしてつくった詩集である。
4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
10月には4つの詩の朗読を指導している。
風景(草野心平)・白い建物(村野四郎)・反抗(巽 聖歌)・末期の水(都築益世)
反 抗
(巽 聖歌)
おかあさんが、
リヤカーをひけといったとき
なぜ ぼくは つよく
あんなにも反抗したのだろう
口もとがひくひくし
目がつりあがったのは
自分でもわかった
ご飯をたいたり
夜おそくまで裁縫したりしてるひと
おかあさん
掘り出したいもを
リヤカーにのせて引っぱれば
坂へくるごとに
ぐんと軽くなるのがわかる
力をいれて押しているのだな
おかあさん
おかあさんが
リヤカーをひけといったとき
なぜ ぼくは つよく
あんなに反抗したのだろう
※この作品も内容がよく子どもに読ませたいものである。最近の教科書にはこのようなものが少ないようである。単に楽しく読ませたり、面白く読ませるだけのものが多いようである。テンポとかリズムとか繰り返しの言葉の面白さからくる朗読をさせるだけである。内容の読み取りから朗読へといった作品が少ないのである。これでは思慮深い子どもは育たないと私は思う。