松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

○ 国語(東書)2年「名前を見てちょうだい」教材解釈

2010-08-31 20:21:31 | Weblog



追求課題「えっちゃんは、大男の何に対しておこったのか」
① ぼうしをとられたこと
・ お母さんからもらったぼうし
・ 名前がししゅしてある
・ 「う、め、だ、え、つ、こ。うふっ。ありがとう」
・ ぼうしを ぎゅつと かぶりました。
② 大男の卑怯な態度
・ ぼうしを りょう手で もって、ふしぎそうに ながめて いま した
・ あっという間に ぱくん。ぼうしを 口の中に いれました。そして、すまして、こたえました。 
・ 「食べちゃったよ。だから、名前も 食べちゃった」
・ じろり じろり 見下ろしながら
・ 「もっと なにか 食べたいなあ。」

※ えっちゃんがおこったのは、②である。「食べるなら 食べなさい。」とは、えっちゃんは殺されることを意味している。命をかけてまで、ぼうしを取り返すことは普通はあり得ない。 名前がししゅうしてあるからといっても、また買ってもらえばよいことである。・・・・作者のしかけ
 ここは大男の卑怯な態度にえっちゃんはおこったと読み取ってよい。
 きつねや牛の態度は、大男とは違う。えっちゃんも大男には、きつねや牛のときと同じように対応したのに、大男は卑怯な手を使ったからである。
 思い込みで読んでしまうと①のように読んでしまいがちである。
 きつねや牛は、えっちゃんより強いのに 逃げて帰ってしまった。なのにえっちゃんは帰らなかった。よほどの理由があったからである。それは、大男の卑怯な態度を許せなかったからである。きつねや牛との行動の対比も大切である。

 大切な言葉 ・ふしぎそう ・ながめて ・すまして ・ 食べちゃった
・ きりりと ・見上げて ・ だって ・けれども(逆接) 
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「新城の会」での学びの報告

2010-08-30 09:57:40 | Weblog


 22,8,28   9:30~16:00新城文化会館

参加する前はいろいろ用事もあって、参加するためのエネルギーが必要になる。しかし、やはり今回も参加してよかった。何かしら得るものが多くあった。
参加しなかったことを考えると何か大切なものを逃がした(損をした)という思いになる。
今回の報告を数回に分けて掲載していく予定である。
行ったことは以下である。
○ 近況報告
○ 大府の会の感想、その他
○ 「構え」について
  「自覚」「随意」の前に「構え」が大切である。構えとは、準備を整えること。身構えること、これから行うことの意味を知ること等である。
  例えば、今から朝礼があるとう場合、どのように校長先生の話を聴くか、態度はどうでなければいけないか。「教室にもどったらどんな話だったか聞きます」などである。
○ 子どもの「自立」「主体性」を育てているのか
・ 気をつけー前へならえ
・ 給食列車では、中高学年になっても教師が先頭を行かないか
・ 運動会の練習や本番で子どもに任せることができるように指導しているか。
・ その他
○ 継続指導をしているか
・ 教師は「絶対にできる」という強い思いで指導しているか
・ やったり、やらなかったりしていないか
・ 小さな進歩を認め、褒めているか
・ 高い理想を持っているか
・ 本気で子どもに語りかけているか
○ 国語教材解釈 ・・・後日報告する
・ 「名前を見てちょうだい」教材解釈
・ 「スイミー」の教材解釈
・ 注文の多い料理店
・ 詩「雲」の教材解釈
○ 実践報告 
・ 絵画・・・ハンカチ、花火他
・ 合唱
・ 初任者の追求方式の授業づくり(国語)
○ その他
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「新城授業を学ぶ土曜の会」の案内

2010-08-24 08:33:16 | Weblog


「新城授業を学ぶ土曜の会」
平成22年度 第3回 8月28日(第4土曜日)の予定です。
「新城授業を学ぶ土曜の会」(平成22年度第3回)のご案内       

会員のみなさまへ
前略。前回の会も、実践をベースにした学びが多くありました。前向きに参加される皆様のおかげです。
図工はレベルが上がってきました。
体育や歌のビデオを見ては「やらねば。やりたい。」という思いが沸いてきました。
国語の教材解釈も楽しかったです。

今回も時間を多くとる予定ですので、どうぞ2学期の教材をお持ちください。
教師が学びを楽しむ機会があってこそ、子どもたちに学ぶ楽しさを伝えられるのではないでしょうか。
そして、忙しい合間をぬっての皆さんの参加だと思いますが、
できるだけ実践を出し合い、ともに授業に対するパワーをもちましょう。
 3年前から始まった授業研究の会です。当時同じ学校だった教師はばらばらの土地で、
それでも授業で成長したい思いをもち続け、遠路にもかかわらず会に参加されています。
仲間と繋がり、刺激や支えをもらい、この荒波の教育現場に光を差そうとする
今どき希で純粋な自主研修サークルだと自負しています。
自分らしい生きた仕事のため、共に頑張りましょう。
参加される方のニーズに合わせたいので、「実践報告の内容」や、「教材解釈の教材名」
「希望する『優れた授業』の教科」など、事前に伝えてくださると幸いです。
新城の会では、①「実践報告検討」②教材解釈③「優れた授業から学ぶ」・「斎藤喜博氏の理念」を基盤に、
今より一歩成長することが目的です。近くに興味のある方がいましたら、気軽にお誘いください。   
 早々。


1 日 時    2010年8月28日(土) 9:30~16:00
                
2 場 所    新城地域文化広場(新城市民文化会館 会議室)
          愛知県新城市下川1-1   ℡ 0536―23-2122
          ※駐車場が満車の場合は、道向かいの駐車場に止めてください。
3 会費など  会場費を、当日500円集めさせていただきます。残金は、次回の御菓子代に。

4 参加・実践報告等の申し込み     
 参加の仕方(部分参加・全日程参加)を、後藤まで、ご連絡ください。
できれば、PCEメールへ連絡いただけると、ありがたいです。
○連絡先 
PCEメール hitopin@ceres.ocn.ne.jp


5 内 容
※前回検討できなかったものや前もって連絡のあった実践報告・教材解釈を優先します。
当日持ち寄りの実践が多い場合は、内容を変更したり、次回に回したりすることがあります。
<午前>司会(後藤・  )※テレビデオ(VHS)あり
○自己紹介・一言近況報告 (9:30~ 9:50)
●優れた実践に学ぶ(9:50~10:20)※内容が変更することもあります。
・「合唱の構えづくり」・・・優れた実践ビデオより

●連絡いただいた実践・持ち寄りの実践報告検討または、教材解釈
(10:25~12:00)
   
<午後>司会(後藤・  )※DVDデッキあり
●優れた実践に学ぶ(12:45~13:15)※内容が変更することもあります。
・「美濃保育園の歌とステップ」・・・優れた実践ビデオより
 ※場合により、多少実習することもあります。

●午前に検討できなかった実践・連絡いただいた実践・持ち寄りの実践報告検討
(13:20~14:20)
●教材解釈(14:30~15:50)
 
○諸連絡・次回について・片付け(15:50~16:00)

6 実践報告・教材解釈の方法
 ○実践報告の分野は、国語・体育・合唱・表現・図工・学級づくり・その他です。
どれも、うまくいった場合だけでなく、うまくいかなかった場合も是非報告してください。
その原因や解決方法は会員の勉強になります。また、今後授業をするといった「実践途中」の報告こそ皆で大切にしましょう。
○ビデオの場合は5分くらいで。頭出しをしておいてください。
※VHS・デジタルビデオカメラどちらも可。DVDデッキは午後のみ使えます。 
※子ども事実が見えるので、なるべくビデオや授業記録での報告にしてください。

○国語・合唱の報告では、扱った教材文(段落番号を入れておく)や楽譜は必ずご用意ください。
(15部程度)また、授業で使ったB紙などがあるとわかりやすいです。
○その他資料(報告レポート・授業の手順など)をお持ちの方は、15部程度を。
  ○教材解釈(国語)を皆でする場合は、段落番号を入れておき、
核になる(大切だ)と思われる付近の「自分の解釈」をして提案されると話し合いが深まると思います。
もちろん「解釈するってどういうこと?」「核って何?」という提案でも結構です。(教材は全文を15部程度ご用意を)

7 その他(持ち物など)
○一日日程の場合、昼食は、各自でご用意ください。
(会館には一応レストランがあり、近くにはコンビニもあります。)時間を惜しむ方が多く、昼食時間は短めです。
○辞書をご用意ください。(三省堂「新明解」はお勧めです。)
○飲み物は各自ご持参ください。
○当日会場づくり、ビデオ接続や集金など、ご協力ください。
○22年度第4回は、9月25日(第4土曜日)の予定です。詳細は、後日連絡します。
今後も、4・6・8・9・11・1・3月の年7回、原則として第4土曜日に行う予定ですが、変更することもありますので、ご了承ください。
  ※交通不便な田舎ですのに、地図もつけず申し訳ありません。 場所については、お気軽にご連絡下さい。(後藤)

※河島が参加する予定です。もし一緒に参加されたい方は、私まで一報を
TEL053-926-2366
携帯080-1565-8320
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ああ!どうしてアブラゼミはこんなにアホなのか

2010-08-21 11:30:07 | Weblog
 

 7月の私のブログ「これは本当の話である」にも書いたが、今日はまた、改めてアブラゼミのアホらしさがわかった。
 今までの私の体験では、人の背中にとまって「ジージー」と鳴くのはアブラゼミ、干してある洗濯物のシャツにとまって鳴くのもアブラゼミ、地面でバタバタと羽をばたつかせているのもアブラゼミ、家の中に飛び込んでくるのもアブラゼミ、アリに引かれた行くのもアブラゼミ・・・・・である。
 今日見たのは、歩いている人の日傘にとまって平然と「ジー、ジー」と鳴き出した光景である。(写真をよく御覧ください)あまりのアブラゼミのアホ、いや、おもしろさ、楽しさに笑ってしまいました。
 ツクツクボウシが鳴き出しました。まだ残暑は厳しいですが確実に季節は変化してきています。みなさんご機嫌よう。
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夏休みの読書より

2010-08-19 09:13:36 | Weblog



   「もの食う人びと」辺見 庸著

ギネスブックが「世界一大きいレストラン」と認定した、タイはバンコク郊外の「ローヤル・ドラゴン・レストラン」5千人が同時に食事できるこの店。
 食うということに関するこの店の現実哲学は、オーバーに言えば、昨今の地域紛争解決の鍵を考えるうえでも示唆的なので、あえてこのシリーズで取り上げることにした。(中略)

 ああ、人とは、あなたも私も、もの食う器官なのだなあ、と感に堪えなくなるのである。・・・・
 牛を食べないヒンズー教徒、豚を忌み嫌うイスラム教徒、肉を受けつけないベジタリアンも、それぞれの習慣と味覚に従いお好みを探せるという仕組みだ。その他、刺身、みそ汁、 親子どん、キムチ、韓国焼き肉、スズメ料理にかえる料理、スッポンにナマコ・・・もうきりがない。
 これらを、手で食おうが、フォークとナイフを使おうが、箸でつまもうが、あなたの勝って。かくて、民族、宗教、階級が、平和裏に渾然一体となり、巨大空間における壮大無比の「共食」が展開されるのである。
 人類は頭でだめでも、胃袋で連帯できるかもしれない。少なくも、食っているあいだぐらいは。もの食う人びととの大群のただなかにいると、そう思えてくるのである。
 5千人が同時に食事できるこの店で、民族、宗教問題緊急国際会議を開いたらどうであろうか。 
 旧ユーゴスラビアのクロアチア、セルビア、ボスニア勢力代表には絶対に参加してもらいたい。インドのヒンズー、イスラム教徒過激派代表、アイルランド共和軍(IRA)代表代表あたりにも出席してほしいところだ。イラク、グルジアも代表者を派遣してほしい。
 ともに食いながら話せば、果てしない殺しあいより、食う楽しみを取り戻すほうがいいと、胃袋で理解できはしないか。・・・・
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自覚と随意が必要6年生「台上頭支持前方転回」の指導

2010-08-17 10:52:36 | Weblog



 次の文章は私が光明小学校に勤務していたときに書いたものである。6年生の先生方が運動会に向けて跳び箱運動である「台上頭支持前方転回」の指導をしていたときのものである。今振り返ってみると、この指導の中に「自覚と随意」に関することが入っていることに気づく。紹介しよう。

 6年生は学年全体で、体育の器械運動である「台上頭支持前方転回」に挑戦している。運動会での発表演技に向けてである。この種目はけして簡単にできるものではない。私は6年の先生が、この種目を選定したことに大きな意義を感じている。簡単にできる種目をたくさんやらせても子どもの教育にはならない。「できないもの」を工夫を重ねて「できるようになる」そのことが子どもにとって大きな自信や喜びになるからである。また、教師としては、指導技術の向上につながるからである。
  何回か授業の様子を見せてもらった。まず、教師の「台上頭支持前方転回」の勉強から始まった。教師がこの技を教えることができなければダメである。次に教師は、子どもの演技を見て「できる子」「できない子」から、なぜできるのか、なぜできないのかの原則を見つける。だから、学級集団の中に「できる子」「できない子」がいることはとても大切なことである。特に「できない子」がかかえている問題の解決こそが、みんなができるようになっていくすじ道がある。
 子どもたちには、それぞれの教科で得意不得意がある。お互いに「できない子」の切実な問題を子どもたちの集団の問題としてとらえることによって、教え合い・学び合う学習ができていく。         
  今ではかなりの子どもがこの技ができるようになってきた。もちろん、まだできない子も多い。しかし、全員の子どもたちが、この技のイメージを持ち、集中して学習に取り組んでいる姿を見ると、単に「できる」「できない」の問題ではないように思える。この「台上頭支持前方転回」の学習は、子どもの心と体の成長に大いに役立っているのは確実である。
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「発達の最近接領域」と「自覚と随意」とはどういうことか

2010-08-15 07:54:37 | Weblog
     


   生活的概念・自然的概念 │ 科学的概念(学校教育の仕事・ 子どもに自覚と随意を持たせる)
────────────┤→→→→→
       
○生活的概念・自然的概念を学校では科学的概念に変えていかなければならない。  

○「自覚」とは、やり方であり、「随意」とは、「自覚」をコントロール、自由に使いこなせることである。

     
○教師が自覚と随意を持つことが大切である。
○子どもに自覚と随意を持たせる指導が大切である。


教師の多くは自覚を持っていない。だから子どもが伸びない。
図工も体育も音楽も同じである。親譲りの才能で決まってしまう。
例 「私は絵が苦手です。」「僕は跳び箱が跳べない。」「私は歌が下手です」となる。
子どもに自覚と随意を持たせれば、だれもが一定の力を発揮するようになる。これは公教育の基本である。

自覚を言葉で言い表すことができるようにする。
自覚ができれば友達に教えることができるようになる。
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大切な言葉、なるほどの教え~その2~

2010-08-12 19:56:36 | Weblog


第14回 授業研究の会から
 

○発達の最近接領域・・・教師が引き出して子どもの可能性を出させること(宮坂)

○音楽(戸田、中井)
・呼吸は息を吐ききらせる→息を吸う
・春の小川で練習 春の小川は~(ここで息をはききらせる)(次に十分息を吸わせる)さらさらいくよ~ このような練習を何度もやること
・「目をつぶって息を吸う」ことと「目を開けて息を吸う」この違いを子どもにやらせる。いかに目を開くことが大切なのか自覚させる
・オルゴールの機械だけをバケツの中で鳴らすとすごく響く(実際に子どもに聞かせる)だから、声も頭や胸に響かせることが大事である。
・高い声は、頭蓋骨へ響かせる。低い声は胸に響かせるようにするとよい。・だから、高い声は口の中の上部に当てるようにする
・高い声は歌わないと出ない声である。
・発声は高い声でやらなければ練習にならない
「マママー」で発声させて、だんだん高くしていく。
・発声は高い音から低い音へ下げていくとよい。
・よい声が出た子どもがいたら、「○○さんの声をもらおうね」とやること・ほっぺを上げて歯を出して発声するのと、ほっぺを上げないで歯を出さないのとの違いをやらせてみる。または、交互に聞き合って確かめてみるのもよい
・椅子に座って発声練習をする場合は、自分が座っている椅子を両手で持ち上げるよいにしてやると声がよく出る。自然に腹筋が使われるからである。
・「ここまで息を吸うよ」などと、首や胸やお腹や足というようにするとよい
・「稜威」おごそかに~の「ご」の高い音が出るように何回もやる。そのことが他の発声に転移していく。「目を開いて、声を頭に響かせて、息をたっぷり吸ってからね。」「神は紙ではないよ。神は天にいる。そこまで声を届けてね」
・できていないところをすぐにやりなおすこと、そのときに、子どもが飽かない、納得する指導をすることが大切である。
・一曲を全部一時間でやることはない。一カ所を徹底してやることである。そうすれば他の所もよくなる。
・フクロウの声「ホーホー」などの練習
・声を回す練習が効果的である。

○定義→あてはめる→自分で使えるようにする・・・これはどの教科にもある。これがどの教科にも転移していく。(宮坂)
○自覚(どのようにするのか、言葉にすることができる)と随意(コントロール、自由に使える)
○自覚を丁寧に教えること、それが子どもの随意になる。それが一般的な学校では大切にされていない。だからできないのであるし、高いものを身に付けることができないのである。
例 側転
側転は身体を平面にすることが大切である。平面にすることを知らないと側転は前のめりになり足が上方に上がっていかない。腰も折れてしまう。
○生活的な概念、自然的な概念、経験的な概念これらを科学的な概念に変えていく、これが学びでは大切である。
○「問題づくり」とは何か。問題があって自覚と随意がある。それもよい問題がよい。よい問題はイメージが変わる問題である。
○「思う」と「考える」の違いは何か。「思う」は胸の中で考えること「考える」は2つ以上のことを頭の中で比較することである。
○6年国語「やまなし」は多くの学校では、物語の内容に入らないで、色や光りなどの情景を想像するだけである。
○絶えず子どもは教師の価値観に左右される。だから、教師はよいものを見たりして、勉強をしなければならない。
○とにかく教師は実践しないとはじまらない。何も生まれるものはない。

※「進みある教師こそ、人を教える権利あり」小原國芳(玉川大学長)研修を受けていてしみじみこの言葉を感じた。

※現在の教育論に決定的に欠落しているのは、教師の学びへの着目である。「子どもの主体的な学び」論者も。「教師の指導」を説く論者も、教師の創造的な学びが子どもの学びを創り出すことを知らない。
「子どもの学び教師の学び」宮崎清孝著より

※下記のブログも検索しご覧ください。
①totoroの小道
②藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践事例が掲載されています)
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大切な言葉、なるほどの教え~その1~

2010-08-11 11:56:33 | Weblog


第14回 「授業研究の会」から
 
○学習指導要領でも考える力と言っているが、その見通しもないままである。(宮坂)

○聴くことができる子どもにうんと配慮している。(高崎)
○子どもにやらせる→子どもに自信がつく→次につながる
○すぐによい言動が見えたらほめる。
○子どもがつくり出した状況をほめる。
 例「私を見つめていてくれてうれしいよ」
「名札がついているね。いいね」
  など、子どもの気持ちを心地よくしてやる。それが次の子どものよい言動に必ずつながる。これを教師がやりきることが大切である。
○学期はじめ最初の日から授業をする。
○「静かに」と言っておきながら、まだ子どもが話しているのに教師が話し出す。これは破滅です。(宮坂)
○「やらされている」→「やる」に変わらせる。(森川)
○教室に掲示してあることで、子どもは変わるはずがない。使われなかったらだめである。

○国語は言葉にいい加減に出会っていたら、話にならない。(宮坂)
○生活的概念、自然的概念・・・幼児
科学的概念 ・・・・・・・・ 学校
数学、理科などは科学的概念に近いが、言葉はそれになっていない。学校に行っても言葉は生活的概念でいる場合が多い。辞書を引けば、科学的概念になる。科学的概念を知った場合は「自覚」となる。
○子どもが子どもに「聞く」「つっこむ」ができるようにしたい。
○6年「カレーライス」から
・中心人物は
・お父さんの変わりとひろしの変わりは、同じか違うか、変わっていないのか
・原因と結果は
・ここには何の文がかくされているか
・どこからそのような考えになっていったか
・2人のずれはどこにあるか
・前の○○と後の○○はどう違うか
・それは予想していたのか、予想外のことか
・何に対しての反応なのか
・「これ」って何
・「でも」は逆接である。前件があって後件がある。前件が後件をひっくり返す。それでは前件って何、後件は何。
・逆接は予想以外のできごとである。
・原因は何か
・主語は何か
・「あきれた。うんざりした」の原因は何か
・ひろしから言うと、今のお父さんは何点ですか
・AとBの変化はどうなっているか
・半信半疑とは、何が信じられて、何が疑問なのか

○図工(中塚、千種、中井、尾上)
・目をつぶって絵を描くとどうなるか
・頭の中で描く絵と見て描く絵とどうちがうか。実際に子どもにやらせてみる。
・見て描くのとコピーは同じか。見るは、対象を見つける。発見するそれが「表現」なる。
・絵も限定すると見えてくるものがある。
・一度にたくさんはやらない。
・自画像の場合、今日は鼻を描く、鼻の穴から描く。空気を吸える鼻の穴です。次の時間は目を描くというようにする。
・ゴッホの絵は1年生でも喜ぶ。ゴッホの絵を拡大コピーして、切って見せていくこともよい。口あご→鼻→目などと

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知って恐ろしい、知らなくて恐ろしい

2010-08-09 11:06:56 | Weblog


 2泊3日の「授業研究の会(大府の会)」へ参加した。今年の授業研究の会のキーワードは「自覚と随意」「科学的概念」「発達の最近接領域」だったと感じた。
 どれも難しそうな文言であるが、これらが根拠になって実践がなされているのである。
 これらの文言と意味を理解し、実践報告を視聴し、研究協議をし、実技指導を受ける中で、いっそう深い理解に至り、確かなものを獲得したように感じた。そして、これからの私の実践にいっそう拍車を与えてくれた。
おいおいこの3つのキーワードについて自分なりの理解を文章にしていきたいと思う。
さて、この会の内容は「知って恐ろしい、知らなくて恐ろしい」ものであると思った。私の前に座った初参加の若い女性は、映像に映し出された子どもたちの授業、合唱、表現の姿を視聴して、何度もハンカチで涙を拭っていた。また、感想を発表した別の女性は、しばらくは感動の涙で声にならなかったが、かろうじて発した言葉の中に、「子どもに申し訳ない」という言葉があった。教育の仕事は、教師によって、こんなにも子どもの育ちが違うのかと愕然とするとともに、今教えている子どもたちに「申し訳ない」と感じたからであろう。他の若い男性も同じようなことを言っていた。
 この会に参加して、このような事実を知り、驚くことで、自分の仕事を振り返り、新たな授業づくりに向かっていくことだろう。
一方、このような事実を知らず、のほほんと創意工夫もない授業をしている教師は、まったく恐ろしいことである。それこそ「子どもに申し訳ない」授業を続けていくのである。
 こういうことは参加してはじめて分かることである。

※下記のブログも検索しご覧ください。
①totoroの小道
②藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践事例が掲載されています)
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