日 時 2月19日(土)9:00~12:00
場 所 天竜区壬生ホール
参加者 8人
研修内容
1 国語の授業について
何をどう学ばすことが大切かを1年「たぬきの糸車」4年「ごんぎつね」を例にして話し合った。
国語は言葉と文が命である。空想や想像で学ばせていたのでは、いつまでも子どもに力がつかない。教師の指導力もつかないことを確認した。
2 図 工
ア 6年 版画 多色刷り「やまなし」
○ 二匹のカニをどう位置づけるか。並列にしない。前後に配置したり、向きを変えたりすることが大切である。構図を工夫することである。
○ 彩色の仕方・・・カニをはっきりさせるには、背景等の物や色を工夫することが大切である。ごたごたいろいろな物を描かない。彩色は薄くするとよい。
○ 題材を統一すると指導の効果が上がる。子どもたちに好き勝手なものを描かせたのでは、教師の指導も発揮できない。子どもも上達しない。
○ 何年か同じ題材で指導すると教師の指導技術が上がる。
イ 1年~4年 描画「自画像」
○ 鼻や口から描かせる。視点を絞る、分析して描かせると、対象物をよく見て描くようになる。絵がリアルになる。
○ 顔の筋肉のつきかたをよく見て筆を運ぶことが大切である。
○ 鼻の描き方は、よく見て描くこと、高い低い、光りのあたり方等で色を出すこと
○ 目はギンナンにならないこと、首を太く、髪の毛は根本から毛先へと描くなど基本的なことも確認した。
○ 図工も一部の上手な子どもの作品でなく、全員の作品で勝負すること
3 表 現
3年 オペレッタ「三年とうげ」
○ 今年、転任した学校での最初のオペレッタの指導であり、学校体制等で指導が困難であった。
○ オペレッタの指導に果敢に挑戦したことがいいなあと感じた。
○ 子どもたちは、初めてのオペレッタの経験であるが、よく反応し、動いていた。
○ 教師にパワーがあり、よく教材解釈をして指導されていた。子どもにも考えさせて表現させていたのがよい。
○ 完成が楽しみである。
4 体 育
全学年「器械運動」マット、跳び箱運動
○ 継続的な指導でどの子どももよい演技ができていた。
○ 互いに子どもたちが見合ったりして、自分の技を伸ばしているのがよい
○ 教育機器(デジカメ、ビデオ)をうまく使い、指導効果を上げている。
5 国 語
3年「きつつきの商売」の教材解釈をする。
○ つじつまがあわない、変だ、おかしいを探しだし、学習問題をつくる
○ 問題に対して、どのように発問するか
○ 証拠は文の中のどこか、言葉の意味の理解
など、授業をつくる演習をした。
以上、研修したことを簡単に列記した。今回もとても有意義な会であった。参加すれば必ず得るものがたくさんある。今回は8人の参加であったが、さらに多くのみなさんに参加していただければと感じた。
※ リンク ブログ
○ totoroの小道
○ 松明光明
学校の情報で一番大切なのは、子どもの様子、授業の様子、学校の様子でしょう。各校は、その根本になる情報の最高のものをつくり出さなければならないと思います。そして、そのことを評価してもらうことです。今では、言葉は悪いが、通り一遍の指導でもって、学校評価をしてもらっている感じです。学校評価の前にもっと教師はやらなくてはいけない重要なことがあるのです。校内や教育委員会からの報告書や指導案作成などの提出物も同じことが言えます。形でなく内容が大切でしょう。
私は初任者指導をして3年になりますが、初任者研修の提出物もとても多いのです。まずは、初任者が「子どもが好き」「授業が面白い」「学校の仕事が楽しい」そのようにしたいです。それが、エネルギーとなって、きびしい仕事にも耐えていくようになるのです。なのに様々な提出物のアラシでは、そんな気持ちにもなりません。
私は校長の時は、職員にも恵まれて、まず、子ども第一主義、授業第一主義でやることができました。ここさえ間違っていなければ、怖いものはありません。対外的にもこれで多くは戦っていくことはできるのです。精神的にも安心できるものです。ここのところをきちんとやらないと、形をつくるために、多くの意義の薄い、子どもから離れた仕事をしなければなりません。これは本来の仕事ではありません。
まず、今時の国語の授業の指導案(本時)の学習過程を記してみる。これは私の見てきた多くの授業の傾向である。
1 教材 1年「たぬきの糸車」
2 目標 おかみさんの回す糸車を見て、目玉をくるりくるり回しているたぬきの様子を想像し、気持ちを読み取ることができる。
3 学習過程
(1) 1の場面を読み、前時の学習を振り返り、本時の学習課題をつかむ
学習課題:おかみさんのところにやってくるたぬきのきもちをかんがえよう。
(2) 教師の範読を聞き、たぬきの気持ちが分かるところに線を引く。
○ たぬきの気持ちが分かるところに線を引こう
(3) 線を引いたところとそのときの気持ち
ア キーカラカラ キークウルクル
・何の音かな。
イ 二つのくりくりした目玉が、のぞいていました。
・あれは、何かな。おもしろそうだ。
ウ 糸車をまわすまねをするかげ
・どうやるのかな。こうかな。
エ まいばんまいばんやってきて~くりかえしました。
・糸車は、おもしろいな。やってみたいな。
※ 上記の発表に対して、教師は次のような支援をする
○ 大事な言葉を選んで、線を引くように声を掛ける
○ K子には時間を確保し、見守る。
○ 「糸車」や「やぶれ障子」の実物を使って、たぬきの様子を動作化し、たぬきやおかみさんの様子や気持ちを豊かに想像できるようにする。
友達の考えに自分はどう考えるか、言わせる。
④ たぬきの気持ちが、だんだん変わっていったことに気づかせる。
(4) ワークシートにたぬきの気持ちを書く。
○ 糸車は、おもしろそうだ。まわしてみたいな。
(5)まとめの音読をする。
○たぬきの気持ちが分かるように音読する。
以上が指導案である。
この指導案で授業が展開するとなると、次のような授業が展開される。
予想される子どもの反応であるエを例にして考えられることは
エ まいばんまいばんやってきて~くりかえしました。
・糸車は、おもしろいな。やってみたいな。
に対して、教師の対応は、
T どの言葉からそのように思いましたか
C まいばんやってくるからです。
T まいばんてどういうことですか
C いつもです。
T いつもくるということですから、たぬきは、糸車を見たり、まねをしたりするのがおもしろいと感じているのですね
・・・・となるであろう。
しかし、これでは文の表面をなぞっているだけで、本当に読み込んでいるとは思われない。国語指導で大切な文や言葉への着目もできていないし、文章を深く豊かに読み取って楽しむことも不十分であると考える。
ここでは、次のように展開したい。(一例である)
「むかし、ある 山おくに、きこりの ふうふが すんで いました。 山おくの 一けんやなので まいばんのように たぬきが やってきて いたずらを しました。」
のところにある。「まいばんのように」と、ここでの「まいばん まいばん」を取り上げて比較することである。
「まいばんのように」と「まいばん」は同じですかと子どもに考えさせたい。そうすると「ように」が問題になってくる。「ように」は似ているが同じではない。だから、「まいばん」は毎晩であり、どの夜もである。雨が降っても嵐がきてもたぬきはやって来たと読みとれる。「まいばんのように」は雨が降れば、来なかったことも考えられる。ここでは「まいばん」(毎晩)だからたぬきが糸車を回すまねがどんなに好きなのか、糸車によほど興味を持っていたのかが一層理解できる。
そんなたぬきを見て、おかみさんは、
「いたずらもんだが、かわいいな。」と思った。
そんなたぬきが、わなにかかってしまったから、逃がしてやったことがよく分かるのである。
「いたずらもんだが、かわいいな。」
の文にしても「が」の前の文と後の文ではどちらがおかみさんにとって大事なのかを子どもに考えさせたい。
「が」は逆接であり、前件に関わらず、それに対比的な後件が事実として存在することを表すという原則から、後件が前件よりも重要であることが分かる。
この2,3行の文からだけでも、子どもに考えさせることができる。1年生でも十分にこの学びはできるのである。
私が見てきた多くの授業は前述のような指導案であり、実際の授業と言えば、おかみさんやたぬきの気持ちを想像しようというものであった。
子どもたちは、ハイハイと手を挙げて発表する。物語の筋がわかっているのでみんな同じような考えが出される。
グループ学習にしても同じような考えが出されるだけである。
教師は子どもの考えを板書して並べる。そして、子どもから出された考えをくり返し言うだけである。
ときどき動作化したり、糸車や破れ障子の実物を見せる。
最後はワークシートにまとめさせるが、そこに書かれる内容の深まりはない。
このような授業は学年が上がっても、教材が違ってもあまり変わりはない。
これでは、「伝え合う授業」「ひびき合う授業」「コミニュケーション能力を培う」などと研修テーマを掲げてもお題目だけに終わってしまう国語の授業になってしまうだけである。
参考ブログ
・totoroの小道
・松明光明
アジア杯サッカー日本代表のチームとザッケローニ監督の動きや言葉(子どもの教育に役立つもの)を新聞紙上から列挙してみる。
○「李は常に準備をして狙っているという感じだった。やってくれると思っていた」
○日本は自主性と団結力を深化させた。
○今回は指揮官の意図をくみ取り、選手も主張できる信頼関係を築いた。それが優勝に結実し、本田圭は「これで自立したチームになる」と深くうなずいた。
○試合後、藤本と内田が既にチームを離れた松井と槙野のユニホームを着て日本サポーターの陣取る観客席へ向かった。長友は骨折した香川のユニホームを握り締めて表彰式に臨んだ。
○日本サッカー協会の原博実強化担当技術委員長は、ザッケローニ監督を「他人の意見をまず聞いてそれを受け入れた上で、自分の考えをつくる」と評した。
○出番のなかった李選手を「練習中からずっといいプレーをしている。気持ちを保ってくれ」と励まし続けた。
○内田篤人選手は、ザッケローニ監督の選手への接し方について「人をよく見て、タイプを見極めて話し方も変える。練習の雰囲気を大事にするし、日本人ぽい」と指摘した。
○日替わりヒーローが登場した今回のムードは、選手の人心掌握術に優れた調整型指揮官の「気配り」が演出した。
(静岡新聞2011,1,31)
○主将の長谷部誠選手は振り返った「総力戦で勝ったことがうれしい。試合ごとにヒーローが代わった。そういうチームは強い」
○W杯初代表入りした細貝萌選手は「サブにも役割があることを思い知らされた」と言った。
○控え選手の意識は高がった。試合前、控え陣だけで「どうしたら途中からうまく試合に入れるか」「ピッチにいる選手にどう声をかけるか」を話し合っていたという。
○ファンの前で優勝杯を手にしたのはGK権田とDF森脇。2人だけ試合で出番がなかったが、最後にお披露目役で起用された。
(朝日新聞2011,1,31)
○ザッケローニ監督は言う「私にはいくつもの解決策がある」
○ 選手のことを知った上で役割を与えている。そのためには性格を分かっていないといけない。
○実際、選手に話し掛けている姿をよく見る。毎日続けているから見極められるのだろう。○ザッケローニ監督は優勝できた要因について「鍵はチーム一丸になり、戦えたことだ。用具係からトレーナーまで関係者のすべてが垣根なく素晴らしい30日間を過ごせた」と振り返った。
(中日新聞2011、2,1)
○ザッケローニ監督が「荷物を自分で選び、試合後の後片づけまでする」と感心した日本選手の勤勉さと俊敏性が高く評価されつつあるようだ。
(静岡新聞2011,2,3)
※ みなさんは、これらの新聞の記事をどのように読んだのであろうか。
私は、「サッカー」と「教育」と一緒に考えるの早計かもしれないが、人間(子ども)を育てる、チーム(学級)を育てるには、多くの共通する面があるように思えてならない。私たち教師はあらゆるものから学んでいかなければならない。
節分は、季節が分かれると書きます。ですから、冬から春になるこれが節分です。2月3日が節分ですから、2月4日から春になると言うことです。これを立春といいます。
節分の行事では、豆をまきます。熱い豆を鬼にぶつけて追い払います。「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまきます。
ところで、どこでも「鬼は外、福は内」と掛け声をかけるところばかりではありません。
千葉県にある成田山という神社では、福は内は言うが、鬼は外はいいません。なぜか、そこの神様は、すべてのもの、どんなものも大切にしているからです。鬼でさえも大事にしているからです。
また、東京にある鬼子母神という神社は、「鬼は内、福は内」といいます。鬼を祭ってある神社ですから鬼を追い払うわけにはいきません。
奈良県の蔵王堂という神社も、「鬼は内、福は内」と言います。いろんなところで追い出された悪い鬼を集めて、お説教をして、心を変えてやろう、改心させてやろうというためです。
場所によっていろいろあるのですね。
さて、いままでのは、まじめな話ですが、最後は駄洒落問題です。楽しく終わります。
問題を出します。節分に「鬼は外を言わないで、福は内、福は内」とばかり、かけ声を掛けるところがあります。さて、どこでしょう。
答え 洋服屋さんです。「福(服)は内、福(服)は内」ですね。