松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

教室の中での子どもの幸せ

2008-11-16 22:51:44 | Weblog
『いまなぜ 教育基本法か』(竹内 常一著)

アメリカ、ワシントン州オリンピア市の「市民の権利」が紹介されていて、なかなかよかったので転載することにした。

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P.169
(1)教室の中で、私はしあわせで、暖かく扱ってもらう権利をもっています。このことは誰も私を笑ったり、私の気持ちを傷つけてはいけないことを意味しています。

(2)教室の中で、私は私自身であり続ける権利をもっています。このことは、私が黒人、あるいは白人、太っているやせている、背が高い低い、男の子女の子だという理由で不当に扱われないことを意味しています。

(3)教室の中で、私は安全に暮らす権利をもっています。このことは、誰も私をぶったり、押したり、傷つけたりしてはいけないことを意味します。

(4)教室の中で、私は人の話を聞き、そして、聞いてもらう権利をもっています。このことは、誰も金切り声を上げたり、騒音を出したり、わめいたりしないことを意味しています。

(5)教室の中で、私は、自分について学ぶ権利をもっています。このことは、私が誰にも妨げられることなく、そして、罰せられることなく、自分の気持ちや意見を自由に話せることを意味しています。

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私自身は、(1)が特に重要であると感じている。
「私はしあわせで、暖かく扱ってもらう」こういうことは、学級経営の基本方針として担任には意識しておくことが必要だろう。こういうことの平等意識は積極的に採り入れていくのがよいだろう。    井上光洋氏の紹介より
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学校のスローガン

2008-11-15 11:35:12 | Weblog
 学校には子どもちが守らなければならない多くのスローガンがある。これを学級では朝の会にシュプレヒコールする。力強い声で唱和すると何だかスローガンが守れるように感じる。
 帰りの会には、当番がスローガンが守れたかどうか全員に尋ねる。大概は多くの子どもたちは機械的に守れましたと手を挙げる。当番は人数を数えてシールを貼る。同ようなことを全校でそろってやっているところもある。
 私の見ているところでは、スローガンが守れている守れていないにかかわらず、ほとんどの子どもが守れたと手を挙げる。先生もそれでよしとする。(ここが不思議なこところです)短い朝の会や帰りの会の中でこのことに時間を割いている。
 私はこれはほとんど効果がないと感じている。実際に子どもたちの姿を見ていてそうだからである。スローガンはあってもよい。シュプレヒコールがあってもよい。しかし、教師はどれだけそれを見届けているのか、指導しているのかが問題である。また、これらは生活指導や教科指導の中でもじっくりと育てなければならないと感じている。
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教室の空気

2008-11-10 15:35:54 | Weblog
 教室の空気はその学級の特有な空気を持っている。温かでしっとりした空気、集中し、張りつめた空気、散漫であり、だらけた空気、汚れが漂っているような空気など様々である。
 その空気はその時々の授業の質や子どもたちの生活の質と深い関係がある。その学級の教師及び子どもたちの構成している人間関係や現在追求している問題などによって違ってくるものである。
 この空気が学習の形態やその内容に影響を及ぼすことは相当著しいものがあるし、また学習の質によって、この空気は著しくつくられるものでもある。
そうしてみると教室の空気は単なる生き物が呼吸する空気だと考えてはいけない。そこで教える教師、学ぶ子ども、掲示されている絵などの作品から滲み出てくる雰囲気として捉えてもよい。
 この教室の空気というものを感じとれる教師にならなければいけない。そういうものを感じ取れる教師だからこそ自分の実践を高めていけるからである。 
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「追求方式の授業」の理解について

2008-11-08 10:33:18 | Weblog
1「追求方式の授業」陥りやすい指導とその対策
「追求方式の授業」を目指して授業をしていると、下記のような授業に陥ることがある。
○逐条的・・・箇条を追って順々にすること
○ちまちま的・・・根掘り葉掘りになること
○どうどうめぐり ・・・ めあてからそれる、授業が複雑になること
○ぬけだせない・・・思考が固まること 
○重たい授業・・・重苦しいこと
○理責めになりやすい・・・理屈っぽくなること
 では上記のような授業になった場合どうすればよいだろうか、次のような解決法が考えられる。
○読みのめあての確認
○あらすじの確認
○文章や言葉の確認
○短文をつくって考えてみる
○考えをメモしてみる
○グループでの話し合ってみる
○絵や図を描いてみる
○役割演技をしてみる
○その他
2「追求の方式の授業」の歪んだ見られ方
○むずかしいことをやっている
○ちまちまやっている
○発言者が決まっている
○全員が考えていない
○机間指導が少ない。
○1時間に「読む、書く、話す」等のバランスがない。
○年間計画通りでない。(進度が遅れる)
などであろう。これらのことについては、しっかり説明できるようにしておく必要がある。
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納得させるのは難しい、でも・・・

2008-11-05 20:34:43 | Weblog
 「追求方式の授業」を理解してもらうには、多くの困難がある。今までの一般的な授業法や指導書等に掲載されている授業法とは異にするところが多々あるからである。(実際には国語で言うならば文章に着目して学習することでは、なんら変わりはないことであるが・・・)
それでは、なぜ理解してもらえないかというと
○人間は今までやってきた経験からなかなか抜け出せない。
○違うものは、拒絶反応を示すことが多い。
○口で言ってもわかってもらえない。本を読めと言っても切実感がないので読まないことが多い。 
○事実を見ようとしない。実際に見てよいと思っても、「しかし、だけれども、でも」をつけて言い訳をしてしまう。
などからだろう。
 こうした場合は、何と言っても子どもを育てて事実で示すしかない。追求方式の授業をすれば、子どもが変わること、授業が変わること、学級が変わること、生活態度が変わることなどを実践によって明らかにしてやることであろう。目の前でこれらが変わっていけば授業者も変わらざる得ないと思うからである。また、あきらめないで訴え続けることも大切である。その場合は、できるだけ論理的で説得力のある具体的な事例を示してやったり、授業の相談にのってやることである。つまり酒井さんのように授業者に積極的にかかわり話し合うことが大切である。酒井さんがやられていることは、そういう意味でも大変重要なことである。ぜひ、つづけてほしい。
 ブログにある「海の命」「一つの花」「たぬきの糸車」などの解釈や授業の展開の手順を読むと私でも目の覚めるような思いになる。

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