旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ジャヤヴァルダナの「アジアの国日本」への言葉

2016-01-20 00:01:29 | スリランカ

「人間というのは、なぜ同胞に対してこれほど残虐になったり殺したりすることができるのだろう。誰でもが、誰かのパートナーや、母や、子供であるに違いないのに」1983年に国民に対して行った発言より⇒

彼の記念館は、外国人観光客がそれほど興味を持つ場所ではない。ひっそりと小さな入口である⇒ しかし、入ってすぐのホワイトボードに、こんな日本語が↴

裏手には特別に「日本館」があり⇒ 日本人だけは、頻繁に訪れる⇒ 今日は我々が訪れたので、開けてくれた。

日本とスリランカが好意的な間柄になったのは、このJ.R.ジャヤヴァルダナ(当時外務大臣、後の大統領)が1951年サンフランシスコ講和会議で行った演説が大きな役割を果たしたと言ってよい。

戦後六年、未だ占領下にあった日本を、どのような条件で国際社会に復帰させるかという会議。主役は当然戦勝国のアメリカ、ソ連、イギリス、それに中国(当時はまだ中華民国政府)で、アジア諸国は「被害国」がどう賠償を求めるかという程度で、大きな発言権はなかった。

ソ連が最初に提案した案は、事実上の日本分割統治。いかなるきびしい条件がつけられようとも、日本はそれを拒否することは難しい場面だった。アジア諸国がどのような賠償を求めても、それを受け入れざるを得なかった。

演説の主要部分を引用・・・

「しかし、我々はその(賠償の)権利を行使するつもりはありません、なぜなら、アジアで何百万人の人々の生き方に徳をあたえてきた(小松意訳してます、「Gerat Teacher」=(ブッダを指す)の言葉を信じるからであります。」

「Hatred ceases not by hatred,but love」=「憎しみが憎しみを終わらせることはない。愛する事だけがそれを可能にする」←後年、本人が書いたもの

「この仏教の創始者・ブッダの言葉が伝えたヒューマニズムの波(小松意訳)は、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム(タイ)、インドネシア、セイロン、ヒマラヤの北チベット、中国、そして日本まで伝わっています。それは、今でも存在し続けて、何百年も、我々(アジア全体のことを指している)を、結びつけ続けているのです。」

「この会議に来る途中私は日本に立ち寄り、日本の市井の人々、国のリーダー、寺院の僧侶、様々な日本人の中にブッダの教えが未だ生き続けているのを感じました。かれらにその教えを実践する機会を、我々は与えるべきではないでしょうか。」

「ここで決められる条約は、できる限り寛大であるべきです。我々は日本に友情の手をさしだし、信頼し、人類の歴史のこのページ(「戦争」を指す)を閉じるべきであります。そして、平和と繁栄の新たなページを人類の尊厳をもってはじめようではありませんか」~演説の締めくくりの言葉を意訳

前半の部分でも、アジアの視点で、欧米諸国を牽制している。

「昨年コロンボで行われたコモウェルス(元英国の植民地でつくる英国連邦国の集まり)の外相会議では、日本に完全な独立国とするべきだという結論となっていました。日本を孤立させてはならない。 東アジア、東南アジアを繁栄させていくことは世界にとって重要な事です。何世紀にもわたり(主権を)無視され、苦しめられて、最近になってようやく自由を得た国々のひとつとして、日本を見てゆくべきなのであります。小松意訳してます)

この言葉、日本の掲げた「アジアの独立」の大義を思い出させる。太平洋戦争初期に日本が掲げた、アジアの欧米からの独立は、それが結果的に侵略の方便になっていたのだとしても、アジアの人々に希望を抱かせてくれたことを、思い起こさせてくれている。 議場でこの演説を聴いた吉田茂は、どれだけ有り難く思い、勇気づけられたことだろう。

実際に演説の時に使われた原稿が展示されていた⇒

**晩年、来日された時の写真がいくつも飾られている  八王子の寺には彼の銅像もあるのだそうだ⇒

***サンフランシスコで演説した当時彼は外相、同年大蔵大臣にもなり、はじめてセイロン中央銀行を設立。自国のお金が発行された。下は、最初に印刷された紙幣「000001番」のお札。ジャヤヴァルダナのサインとアメリカの経済学者ジョン・エクセターのサインが見える。エクセターは、FRB(連邦準備議会)のメンバーであった人物で、セイロン銀行初代総裁になった人物。

「セイロン中央銀行によって発行されたこの最初の紙幣を、銀行の設立に尽力されたあなたに、喜びをもってお贈りします。」ジョン・エクセター

1951年は、スリランカ(当時はまだセイロン)だってやっと、何百年にもわたるポルトガル、オランダ、イギリスの支配から、やっと抜け出すことができた時期なのである。 紙幣に描かれているのは、未だイギリス国王・ジョージ6世、エリザベス二世女王の父である。


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