クスコから十五分ほど、盆地の市街を見下ろす丘にあるサクサイワマン遺跡は、数あるインカ遺跡のなかで最も大きな石を積み上げてあることで知られている。今回、リマへ戻るフライトが午後三時となり、せっかくだから午前中にオプションを組んで訪れた。
***朝、ホテルのちかくを散歩していて入った「パン・コン・チチャロン」屋さんの話はこちらに書きました
市街を出て、くねくねした古い道をのぼっていくと、クスコの赤い屋根が見晴らせる場所に至る。
旧市街中心のクスコ大聖堂の屋根は、あんな風にもこもこしていたのか↓
★ちょうど逆側にの丘に文字が書いてある。VIVA EL PERU(ペルー、万歳)↓
ここで、ガイドのロナルドくんは、びっくりすることを言った。
「ぼくがちいさいころ、あそこにはハンマーと鎌のマークがつけられていたんです。」 それはいったい?⇒※こちらにもう少し書きました。
サクサイワマン遺跡入口のこの展望場所には、観光客を目当てに写真を撮らせる地元民がいる。この動物は、アルパカです↓
****さて、サクサイワマン遺跡に入る
ここは「要塞」と説明されることもあるが、実際には神殿であった。全体は稲妻の形「ギザギザ」になっており、雨・天空・光というようなものを崇拝した場所だったと考えられる。「要塞」と呼ばれるのは、1536年にスペイン支配に対してたちあがった人々がここに立てこもって抵抗をしたから。
上の写真でも丸く見える部分には塔がたっていたと推察される。現場ではこのように見える↓
ムユック・マルカ(「丸い塔」)と通称される。「この塔が市内に復元されています」とロナルドくんが言って、ぴんっときた。空港から市内へ行く時に必ず見る、インカ皇帝の像がのせられた塔はそういうものだったのか↓
近づくと、石組みは驚異的な大きさ。それが緻密に組み合わされているのにあらためて驚かされる。
入口、扉のあった門
巨石を組み合わせた中に、リャマを画いた場所がある↓
右側を向いたリャマの姿、石の中に見えますでしょうか?↓
※顔とその上の耳のかたちがポイント。足は表現されていません。
考古学者の推察によると、この場所はリャマを犠牲に捧げていたとのことですが・・・わかりません。
鉄器も車輪も持たなかったインカの人々が、どうやってこれらの石をこのように組み上げたのか?
グラハム・ハンコックの「神々の指紋」では、インカではなくはるか古代の文明がつくりあげたのではないかと推察している。現物を見ると、そうも思いたくなる。
いちばん傑作な仮説「石にはひとつひとつ名前があって、王がその名前を呼んで指図すると、そのとおりに浮き上がって移動した」
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下の写真、遺跡の周りにはユーカリが高く茂っている。が、これはオーストラリアから入ってきたもので、インカ時代にはなかった。インカ時代にあった樹木は手前の低木程度。木材をつかった日本のような巨大な構造物は当時は考えられなかったのだろう↓