旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

見所たくさんグラスゴー~ウィロー・ティールーム、ジョージ・スクエア

2017-08-24 13:01:52 | イギリス
フォート・ウィリアムから豪快な谷の景色で有名なグレンコーを通り、グラスゴーへ向かう

右に見えていた湖に見えたのは入江だった。スコットランドのシンボルアザミが美しい。大昔の戦争で、この花の棘が密かに忍び寄る侵略者の足を刺して声をあげさせ、寝ていたスコットランド側に気付かせてくれたという逸話による。

入江を離れ、だんだんと豪快なグレン(ゲール語で「谷」の意味」に入ってゆく。雲がかかっていることでよりダイナミックに見える↓ぽつんとある小さな白い家にはどんな人が暮らしているのだろう↓



雨が降っていると、固い岩盤をたくさんの水が筋をつくって流れ落ちてくる↓


谷を抜けると、細長い湖がはじまる。イギリス最大の面積のローモンド湖↓それでも最長の長さ39㎞しかない↓


何回か景色を楽しむストップをして、三時間ほどでグラスゴーの町に入った。産業革命以降急速に人口を増やして二十世紀はじめごろは120万人にもなる町だった。その当時「世界の工場」は中国ではなく、イギリスだったのだ。現在は半分の60万人ほどに減っているというが、スコットランドではエジンバラよりも大きな都市である。中心のジョージスクエア近くで下車し、歩行者用繁華街ブキャナンストリートへ↓

昼食を席だけ予約したのは、マッキントッシュがデザインした「ウィロー・ティールーム」。青い左右に挟まれた、地上階の白い小さな入口。

いちばん有名な店は1903年にソーキーホール(「柳の草地」の意味)にオープンした。なので、この名前になったのだ。実は同時期に四つのティールームが同じオーナーの元、マッキントッシュにデザインが依頼され、同じコンセプトでスタートしている。それらはしかし1917年には元の所有者の手を離れ、店としても半世紀以上前にクローズしていた。
現在は、新たな会社が、オリジナルのデザインを復元し、元の場所の出来るだけ近いところで開業したもの。このブキャナンストリートの店は、向かって左の隣ビルがオリジナルの場所だったそうな↑

地上階に面した小さな白い入口を入るとすぐに階段がある↓

それほど広いスペースではないが、日本式の二階と三階に効率的に席が配置されている↓

★午後から訪れたケルビングローブ博物館にあった展示とそっくりだ↓椅子の形も配置も、愛情感じられる復元(^.^)



さて、メニューを見て、それぞれに好きなものを注文しよう(^.^)

テーブルのナプキン↓

きのう、海辺の町マレイグで出会った●キュレン・スキンクがあったので、こちらで試してみる方も↓

※この料理についてはこちらに書きました

●「SCOTTISH RAREBIT スコティッシュ・レアビット」とは、なんぞや?
昨年ウェールズの旅をした時に、ウェーリッシュ・レアビットというのがあったが、それと同じ?↓

貧しかった人々はウサギの肉のかわりにチーズをパンにのせて焼いて食べていたというのが語源とか…

●小エビのオープンサンド↓これは予想通り


もちろんアフタヌーン・ティーでも、充分昼食の代わりになります。
***
食事の後、グラスゴーの中心部を少し歩く。
活気ある商店街にはこんなディスプレーも↓これは?

これは、グラスゴーのかつての記憶を表しているように見えた。産業革命の最初期にこの町の主要工場は繊維と衣料産業だったのだ。

ギリシャ神殿風な建物が、今は「GoMA」⇒ あ、モダン・アート・オブ・グラスゴーなんですね

入口の前に立つウェリントン将軍の騎馬像なのだが・・・↓

スコットランドの象徴ユニコーンになっております(笑)

さきほど通ったジョージ・スクエアにやってきた↓
国王ジョージ三世にちなんで名づけられたこの場所は18世紀後半に、それまでの中心だったグラスゴー・クロスに代わる新しい計画都市の中心として搭乗した。
右手に見えるのは豪華な市庁舎。こちらは1883年に建設がスタートしたもの。
広場にはグラスゴーの著名人の像がある。産業革命の父ワットは1736年にグラスゴー近郊の港町で船大工の子として生まれ、グラスゴー大学に研究室を持った。日本なら平賀源内より八歳年下なだけ↓


広場の向こうに、ひときわ目立つピンクの看板が掲げられたビルが・・・これって、景観破壊してますよね↓「ヨーロッパが古い町並みをずっと大切にしてきた」と思い込んでいる人は多いが、実際はそうではない。産業革命がはじまると破壊がはじまり、19世紀にはパリなどの新しい街を生み出す大破壊へと発展し、20世紀後半には景観を気にしない現代ビルもばんばん建てられていたのであります↓

「あれは景観をあまり気にしなかった時に建設された大学の建物なんです。新し校舎ができたので、近くとりこわされるとおもいますよ」と、ガイドさん。新しくできた校舎の前をとおりかかった↓


市庁舎の正面に置かれた巨大な白い記念碑は、第一次と第二次大戦の慰霊碑。イギリスは何百年にもわたり、世界で戦争をし続けている↓


市庁舎のロビーにはいると、高価な大理石をふんだんにつかったロビーとその向こうに吹き抜けが見えてくる↓

床には★グラスゴー市の紋章
※この紋章の意味について、こちらに書きました

公共の建物にこれだけの予算をかけて高価な材料をつかえたグラスゴーの繁栄を感じさせてくれる。一角に、さっき訪れた「ウィローティールーム」に置かれていたオリジナルの「ハイバックチェア」が展示してあった↓


建物の後ろにもう一つ同じような建物があって渡り廊下で連結してある↓

電話などない時代、メッセージをすばやく伝えられるボーイが、この渡り廊下を走ったのだそうな。

・・・次はグラスゴー大聖堂とケルビングローブ博物館を訪れよう・・・


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