旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ハバナ~ミラマーレ地区からラム酒博物館へ

2015-12-09 13:49:49 | キューバ

ホテルのあるミラマーレ地区から、アルメダーレス川の下をくぐるトンネルを抜けるこのトンネルは1952年完成。革命前にアメリカ(の傀儡政権)時代にはすでにあった。

トンネルを抜けるとハバナのセントラル地区。ここは旧市街と新市街の間ということで「セントラル」と名付けられた。湾曲した海岸のドライブコース。革命前の建物から、ソ連影響下のいかにも社会主義的なビルまで、いろいろ混じっている。ビルの間の瓦屋根の建物は革命以前の豪邸で、十年ほど前まで日本大使館として使われていた⇒ ハバナのランドマーク的なホテルであるナショナル⇒ここはアメリカ大使館のお借上げも入って、昨今なかなか予約がとれない。

ハバナで一番大きな病院の前に、19世紀独立戦争の英雄のひとりアントニオ・マセオの騎馬像

他にもスペインやアメリカの支配に対してたちあがって倒れていった多くの人々の像が目につく。キューバに来て理解したのは、1959年の革命というのは、19世紀以来の愛国者たちの熱望の成果だったということ。 カストロやゲバラはけっして彼らだけでアメリカからの独立を成し遂げたわけではなかったのだ。

ハバナ湾を守る要塞のひとつがみえてきた

かつて海のすぐ近だった場所にラム酒博物館があった

●ラム酒博物館 キューバは一時期砂糖生産だけが経済だったような国だから、サトウキビからつくられるこのラム酒もまた重要な自国生産できる稼ぎ頭だった。

しかし、サトウキビという作物がもともとこの島にあったわけではなく、コロンブスが二回目の航海でカナリア諸島から持ってきたのだと言われている。そのカナリア諸島もまた原産地ではなく、原産地のパプアニューギニアあたりからポルトガルがはるばる持ってきたもの。その地図が博物館にも掲げられている⇒ 外国から持ち込まれた作物が、現代ではその国の代表的な農産物になっている例はけっこう多い。※ニュージーランドのキウィだってもともとは中国から持ち込まれたもので、最初は「チャイニーズ・グースベリー」と呼ばれていた

国家政策として建設されていった砂糖工場は、キューバ全土に150以上もあった⇒

大規模なプランテーションが巨大模型で再現されており、サトウキビを運ぶ蒸気機関車がいそがしく動いている↴

ここキューバは中南米ではじめて蒸気機関車が走った国。なんと1837年のことであった。

ここで労働させられていたのは現地民ではなく、アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちが多い⇒現在のキューバ人に多様な人種のが見られる理由。中南米の先住民たちはヨーロッパ人の持ち込んだ天然痘をはじめとする伝染病によって人口が激減してしまったため。 

サトウキビというのは、収穫したら四,五時間のうちに処理しないと品質が悪くなるのだそうで、畑のすぐそばにそれぞれプランテーションが設けられていた。

蒸留釜はとても大きく三階建てぐらいの高さがある アメリカでバーボンをつくるのに使った白樫の樽を買ってきて、表面を燃やして焦がす。それをもう一度組み立ててつくった樽で熟成させる。こちらがその樽の木⇒出来上がったものをブレンドするのが、ハバナクラブでは五人しかいないマエストロ・ブレンダーいちばん若い一年半モノは透明⇒次が三年モノで少しだけ茶色になる。ラム酒を使ったカクテル=ダイキリは、たいていこの若い酒をつかうので透明だが、七年物を使ってつくると濃い茶色になり、名前もモヒート・ムラータ(黒いモヒート)と呼ばれる⇒ 

最高級品とされるのは、バカラの特別ボトルのこのMAXIMO⇒ ブレンダーの名前がはいって年間千本ほどしか出荷されないのだそうな。

後日行く予定のトリニダーのインヘニオ(サトウキビプランテーションのことをそう呼ぶ)の様子⇒この絵に描かれている塔は現在でもそのまま残っている。訪れるのが楽しみです。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« キューバ到着、ミラマーレ地... | トップ | ハバナ~鉄道博物館とヘミン... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。